白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『偽善者の見破り方』

2019-05-16 11:01:17 | 日記
五月十三日(火)晴れ。

咳は幾らか楽になったが、まだ調子が良くない。朝食の後は、少しのんびりしてから事務所へ。敬愛する岩田温先生から、新刊の『偽善者の見破り方』(イーストブレス刊・1500+税)をご恵送された。サブタイトルは「リベラル・メディアの『おかしな議論』を切斬る」。

「『リベラル』を自称する彼らは、本当の意味で少数者の権利を擁護するつもりもなければ、多様性を認めるつもりもない。日本や日本国民を攻撃できると思った瞬間にマイノリティーを擁護するポーズを取ってみせたり、多様性を守る芝居をしてみせたりしているだけの話にすぎない。彼らは煎じ詰めれば日本を呪誼する人々であり、『リベラル』の仮面を被った偽善者にほかならないのである。(全文より)

私には、尊敬してやまない真正保守の方が何人かいる。大原康男、長谷川三千子、藤井厳喜の諸先生に加えて、岩田温先生の四人である。その方々に共通しているのは「言論の覚悟」があることだ。以前、岩田先生の著書『人種差別から読み解く大東亜戦争』(彩図社)を元に横浜で勉強会を催したことがあった。とても分かりやすく、勉強になった。その本をそのまま高校の教科書にしたら良いと本気で思った。『偽善者の見破り方』を是非ご一読願いたい。

夜は、月に一度の仲良しさんたちとの食事会を、メンバーの紹介で、中華街の「横浜大飯店」にて開催した。先日テレビで放送されたと言うせいか、月曜日と言うのに、満席だった。オーダー式の食べ放題で、味はそれなりに、それなりだった。(笑)
忙しいのにスタッフの皆さんがとても感じが良く、有難かった。喉の調子が悪く、ノンアルとウーロン茶でお付き合い。

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休肝日。

2019-05-14 11:51:19 | 日記
五月十二日(月)晴れ。

土曜日くらいから、咳が止まらない。私は、昔からどうも喉が弱く、年に一度くらい咳に悩まされる。熱は出ないのだが、連続して出る咳は、かなり体力を消耗する。昨日も止せばよいのに、少し楽になったからと言って、友人夫妻と夕食を共にし、軽く飲んだが、案の定、明け方から咳が止まらず、とても寝ていられなかった。午前中に耳鼻咽喉科に行き、診察と薬を貰った。

自決された沼山さんの情報が少しずつ入り、覚悟のほどが明らかになり、姿勢を正さずにはいられない。何かできること・・・。それはせめてもの多くの人たちに沼山さんの思想と行動を知らしめることだと思う。平成十七年に、やはり割腹自決をした、日本学生同盟QBの三浦重周氏や、沼山さんらの多くの民族派の先駆を思うこと、それは自身の腸の腐り止めでもある。

大事をとって休肝日とした。

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壮士一たび去って、復帰らず。

2019-05-12 17:20:51 | 日記
五月十一日(土)晴れ。

午前中に、群青の会の大熊雄次氏から、靖国会の沼山光洋氏が本日早朝に靖国神社にて割腹自決をした。とのメールが入った。一瞬、何かの間違いではと思い、三澤浩一さんに電話を入れたら、事実です。と。今日(十二日)になって徐々に詳細が分かってきたが、それでもその「詳細」では、当然ながら彼の胸中の全て察することは出来ない。

沼山さんとは、知り合いになって長いが、様々な会合で一緒になるだけで、残念ながら個人的に酒席にお誘いしたり、横浜に来て頂いたことはなかった。ただ真面目で一途な運動家として、一目も二目も置いていた。親しいお付き合いのなかった分、沼山さんの激する情念と言うものを感じられずにいたのは、怠慢だったと反省をしている。

最後にお会いしたのは、いつだったか。大行社の新年会ではなかったか・・・。それでも人が多くて、ほとんどご挨拶をすることもなかった。一番記憶にあるのは、昨年の全有連の大会が靖国会館にて行われた時、ゲストとして同じテーブルに座らせて頂いたことだ。その時の写真が、どなたかのフェイスブツクにアップされていた。怠惰な日々を送っている私が、沼山さんの行為を軽々に語ることは出来ない。ただ、これから民族派運動の指導者として活躍したであろう沼山さんの壮烈な自決に、頭を垂れるだけである。

本来は、安らかに、と言うべきであろう。しかし、沼山さんにふさわしいのは、荒ぶる神となって皇国をお守りください。と祈りたい。我が家にある頭山満先生の色紙の文字が沼山さんにふさわしいと思い手を合わせた。

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たまには真面目な夜も良い。

2019-05-11 15:58:27 | 日記
五月十日(金)晴れ。

良い天気に加えて、今年の最高の気温、「夏日」とのこと。連日、早朝五時半起きが続いているのでちょっと体がだるい。加えて、咳がもう一週間も続いている。来週の岐阜行きの際に、細川先生に診て頂こうと思っている。

下の子供と一緒に朝食。コロツケ、メンチカツにキャベツの千切り添え、ほうれん草の味噌汁。我が家は、私以外、コロツケは「おかず」にならないと言い、あまり喜ばない。世代の差とでも言おうか、ちょっと残念である。熱々の揚げたてのコロッケに中濃ソースをかけて食べることの幸せよ。分かんねぇ-かなー。

食後は事務所にて仕事。またプリンターの調子が悪く嫌になる。リースなので壊れても気にならないが、もう少しグレードの良い物に変えようかとも思っているが、リース代を考えると二の足を踏む。二時過ぎに自宅に戻り、冷食の天ぷら蕎麦。ナメンナヨ。という味だった。買った私が悪いのです。夜は、ジンギスカンにローストビーフ。ちょうど頂き物の「山わさび」があったので、たっぷりと添えた。お供は、「極ゼロ」の小缶を三本で早めに寝た。

アマゾンにて車谷弘氏の『わが俳句交遊記』を注文。産経の書評にあった『皇位継承でたどる天皇陵』(渡部裕明著)と『軍歌と日本人』(大野敏明著)を書店に注文。久しぶりに大原康男先生の『平成の天皇論』(展転社刊)を読んでいる。たまには真面目な夜を過ごさなれーければ・・・。

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雑感。

2019-05-10 12:47:34 | 日記
五月九日(木)曇り。

全く運が悪いとしか言いようがない。信号待ちをしていた保育園の子供たちの列に車が突っ込み二人の子供が亡くなり、保育士や他の子供もけがをした。災難という他に言葉が見つからない。たった二年しか生きられなかった人生と言うのは、何だったのだろう。ご遺族の気持ちを察するに余りある。合掌。

人にもよるだろうが、子供が一番可愛いと思えるのは、赤ちゃんの時から小学生の低学年ぐらいまでだろう。特に、物心がつく五歳ぐらいまではなるべく親と一緒にいた方がいいと思っていたら、先日も、東京で暴走老人によって、近くの公園で遊んでいた親子が亡くなった。保育園などに預けずに、親と一緒にいたからと言っても、事故に遭わないと言う保証はない。人がどれだけ生きられるのかと言うのは、ほとんど「運」でしかない。と思うようになった。

右折車にぶつけられて、子供たちに突っ込んだ人も、ある意味では被害者であると言える。車の事故は、飲酒運転や薬物などによるものは論外だが、加害者だって、ある意味で被害者なのだ。保険の専門家ではないので、詳しいことは分からないが、子供たちの列に突っ込んだ事故だって、右折車の過失が大だと思うが、子供たちを死なせた車の方も過失がゼロとはならないだろう。双方の車にどれくらいの保険に入っているのかは分からないが、当然ながら気の遠くなるような金額の支払いになるのではないか。保険金を頂いたからと言って遺族の気持ちが鎮まるものでもないだろうが、何と言っても誠意は金額に比例する。私も、すでに老境に入り、車の運転には気をつけているつもりでいるが、更に注意して運転をしようと思っている。

車は、「走る狂気」とも言われているが、江戸時代以前、サムライが幅を利かせていた頃、人切り包丁とも言われた、刀を二本差して闊歩していた。武士の時代の記録はないだろうが、その当時、理不尽にも武士の「事故」に遭って亡くなられた人がどれほどいたのだろうか。決して皆無ではあるまい。酒癖の悪い者や、短気で癇癪持ちのサムライもいたに違いない。やはり当時の庶民はサムライに気をつけて歩いていたような気がする。考え過ぎか・・・。

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