3月23日(木)雨。
花の雨 けむる祖国のさみしさよ。野村先生の句である。「花の雨」とは桜の咲くころに降る雨のこと。早咲きの桜を散らす無情の雨にならなければ良いのだが。ちょっと二日酔い気味で、家族が出かける気配を夢心地で聞いていた。余り食欲がなく、遅い朝食は、コロッケ、ロースハム、キャベツの千切り、青さの味噌汁。夜は、残業などで家族の帰りが遅いので、珍しく一人飯。ミスジ肉、ナスと舞茸とニンニクのオイスター炒め。お供は、誕生日祝いに豊橋の社友から頂いた「黒霧島EX」。
後輩のFacebookを読んで、とても驚いたことがあった。その後輩とは、団体は違うが知り合ってから、もう30年以上が経つ。若い頃は、ビラ貼り、街頭行動とバリバリの活動家として知られていた。事務能力にも長けていて、彼が所属していた団体が作ったポスターを年代別に整理されたものを、以前に頂いた。彼と、彼の団体の歴史であり、彼の生きた証でもある。
Facebookには、ご両親が十年ほど前に相次いで亡くなられたことや、「両親が亡くなられた後に、連絡を取り合うことのなかった妹」が、昨年末に孤独死を遂げていたこと。更に、彼が妻帯していたこと・・・。血縁関係はないが、ご子息が東大の大学院を卒業したこと。など、何一つとして知らなかったのである。考えてみると、団体が違うと、いくら古いお付き合いがあっても、本人以外のこと、まして家庭のことなどを知っているという同志・友人は少ない。あらためて考えてみると、家族同士の付き合いがあるという同志は、一門以外には数える程しかいない。
後輩の真面目な、まっすぐな生き方を見てきただけに、彼のFacebookを読み、しばらくPCの前から動けなかった。そして、頭に浮かんだのが、三上卓先生の、野火赤く人渾身のなやみあり。の句であった。いつも笑顔を絶やさない彼の胸中に「渾身の悩み」があることを知らずいたことを、年長者として、恥ずかしく思う。