白雲去来

蜷川正大の日々是口実

24歳の頃。

2023-03-01 15:05:00 | 日記

2月28日(火)晴れ。

朝食は、ベーコントースト2枚。昼は、ジャムトースト、どら焼き。夜は、牡蛎とナスのアヒージョ、お好み焼き、結び白滝の煮物、鈴廣のかまぼこ。お供は「黒霧島」。

その昔、と言っても昭和の50年頃、既成の運動に飽き足らず、横浜青年政治研究会という勉強会を立ち上げ、横浜駅の駅ビルにあったフラワールームと言う貸部屋で毎月勉強会を行なっていた。河野邸の焼き打ち事件で戦線復帰した野村先生の復帰第一声もその私の勉強会だった。中村武彦、毛呂清輝、北上清五郎といった民族派の重鎮の諸先生や大場俊賢、鈴木邦男、阿部勉、犬塚博英などの諸先輩にも講師としてお招きし、ご指導を賜った。その横浜青年政治研究会を何とか組織し運動体にしようかと思ったが若気の至りで挫折した。「若い」と言うだけで常識にとらわれない、良い?時代でもあった。自分たちの貼ったポスターで世の中が少しは変わるのではないかなどと、甘い夢を見ていた時代でもあった。私は24歳で、蜷川一誠と名乗っていた。※写真は、横政研の頃の私。この日の勉強会の講師は犬塚博英先輩だった。


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昨日は2・26事件の日。

2023-03-01 14:35:04 | 日記

2月27日(月)晴れ。

朝食は、ソースチャーハン、新玉ねぎの味噌汁。昼は抜いた。夜は、伊勢佐木町の近く、吉田橋商店街の鶏肉専門店「梅や」で買ったチキンカツ、カツオの刺身、新ワカメのサラダ。お供は「黒霧島」。

昨日は、昭和11年に青年将校らが決起した、いわゆる2・26事件の日だった。野村先生の獄中句『銀河蒼茫』の中に、「二・二六の今年は獄のほそ霙」がある。昭和十一年(1936)と言うと、随分と昔のことのように思うが、私が生まれたのは昭和二十六年だから、二・二六事件は、私が生まれるわずか十五年前の出来事。

私のスクラップブックに平成17年7月18日の産経新聞の切り抜きがある。それは、「青年将校ら17人の遺書見つかる」と言うもので、その遺書が青年将校21名が葬られている麻布の賢宗寺で公開されたそうだ。遺書は、処刑される前に入っていた陸軍刑務所の看守に宛てたもので、その後、その人が大陸に行くことになり、仙台市在中で友人でもあった、平田氏に預け、それが2・26事件の遺族会である仏心会に寄贈された。指導者であった安藤輝三大尉のものは、止むに止まれぬ心 鬼となりぬ 青葉城下に 慈風和やかなれ。昭和11年7月11日夜、爲花淵先生。栗原安秀中尉は、大君に 御國思ひて斃れれる 若き男乃子の 心捧げん。民間人として参加した水上源一氏のものなど45枚。良く残っていたものだ。機会があったら是非見てみたいと思っている。

随分と二・二六事件関係の本を読んだが、『私の昭和史』末松太平、『叛乱』立野信之、『二・二六事件への挽歌』大蔵栄一、の三冊が私は好きだ。その昔、東映で作った「脱出」という映画をもう一度見てみたい。DVDになっているか探してみるつもり。

昨日の産経新聞の書評欄に「ロングセラーを読む」として末松太平の『私の昭和史』(中央公論新社)が紹介されていた。書評の末尾に「本書を読みながら青年将校たちの心情に触れていると、当時だけの『特殊な事件』とは切り捨てられなくなる」。とあった。

 


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千葉へ。

2023-03-01 14:19:47 | 日記

2月26日(日)晴れ。2・26事件の日。

休日と言うことで、のんびり起きた。昼に近い朝食は、「フクイのカレー」辛口、目玉焼き添え、アサリの味噌汁。「フクイのカレー」の「辛口」は、ハンパない。辛いものが好きな私や愚妻も、汗がタラタラである。夕方から、志村馨君を迎えに行き、千葉で開催される「周本昌山さんの古希を祝う新春の集い」に出席。6時に開会かと思ったら、何と5時だった。慌ててアクアラインを走る。約一時間ほどで到着。諸先輩、同憂、同志の皆さんにご挨拶をして宴会。

終了後に、山平重樹、大熊雄次の両氏に同乗してもらい横浜へ。私の自宅近くの「浜一寿司」にて、勝手に二次会。愚妻も合流。十時過ぎに解散。


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