白雲去来

蜷川正大の日々是口実

建国記念の日、紀元節。

2024-02-12 12:27:26 | 日記

2月11日(日)晴れ。

紀元節。起床後に、玄関に国旗を掲げ、橿原神宮を遥拝。今日は建国記念の日、紀元節。雲にそびゆる髙ちほの髙ねおろしに草も木も なびきふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ。紀元節の歌である。偉そうなこと言っても、もし民族派の運動にかかわらなければ、恐らく、そんな歌のあることさへ知らずにいたに違いあるまい。

建国記念の日は昭和41(1966)年に制定された。国が定める国民の祝日に関する法律によると「建国をしのび、国を愛する心を養う」を趣旨に、日本国への愛情を深めるための特別な日。この日を通じて日本の文化と歴史をより深く理解し、新たな時代においてその精神を守り続けることの大切さを感じることを目的とした祝日。なのだが、昭和41年と言うと私は15歳。戦後の日教組教育が一番盛んな時代でもあり、小、中、高校時代を通じて「建国記念日」について学んだ記憶が一切ない。それは「君が代」も同じで、音楽の時間に「君が代」を歌った記憶もない。いつ、どこで、どうやって覚えたのかは記憶がないが、多分、ラジオやテレビを通じて自然に覚えたのではないかと思う。

その昔のNHKは、確か放送の開始と終了時に、風にたなびく日の丸の画像と共に「君が代」が流れていた。聞いた話では、その日の丸は、出雲大社で掲げられているものと言う定説があったが、それは誤りで、NHKによると、「『日の丸』の撮影場所は、渋谷放送センター正面玄関前です。という回答を頂きました」。と「出雲大社紫野教会」の解説にあった。

せめて義務教育の過程で、建国記念日の意義を教えて頂きたいと思っている。子供たちに「愛国心」とは何かを教えない国は、世界広しと雖も日本だけではあるまいか。

 

 


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先輩のお墓参り。

2024-02-11 12:05:50 | 日記

2月10日(土)晴れ。

毎年2月になると、先輩の山崎邦雄さんのお墓参りに親しかった人たちと一緒に行く。平成10年に亡くなられたので、今年は27回忌となる。私よりも2歳年上なので、ご存命なら76歳となる。亡くなられてから26年か・・・。早いものだ。11時に自宅に迎えに来て頂いた。幼馴染の水原広雅、清和崇、山崎雅夫の諸氏と私の四人。ちなみに山崎雅夫氏は亡くなられた方と血縁関係はない。皆それぞれ、知り合った時期も経緯もバラバラだが、その出会いや亡くなられるまでのお付き合いを大切に今日まで生きてきた。

私との出会いは、中学一年生の時。近所に住んでいたこともあって、中学に進学した時に陸上部に誘われた。青春時代のターニングポイントになった出来事でもある。その後、山崎さんは理髪師になり、しばらくしてから伊勢佐木町にあった、カクテルコーナー「スタンド・ロック」というお店の店長となる。そのお店に藤棚の「やまと」のご夫婦が行っていたというから世間は狭い。

お墓は、かつてドリームランドという遊園地のあった跡地、横浜薬科大学のすぐ近くにある。ドリームランドの名残の、当時確かエンパイアホテルと言っていたのっぽのビルが目印である。きれいに清掃された墓地の一角にある山崎さんのお墓に詣で、皆で手を合わせた。

横浜に戻り、皆で直会。関内のうどん居酒屋「おおぎ」からもう一軒転戦して帰宅。酔っているせいか8時ごろには寝てしまった。※写真は、昭和38年。私は中学一年生。胸のワッペンは、翌年の東京オリンピックの協賛の物。山崎さんが初めて背広を買ったと言うことで記念の写真を撮った。場所は、三春台の関東学院に行く途中の階段。

 


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雪の日は、なぜか胸騒ぎがする。

2024-02-08 13:42:24 | 日記

2月5日(月)雪。

朝食は、納豆、野菜の煮天丼、ナスの味噌汁。昼は抜いた。夜は、キムチ鍋、鶏肉のから揚げ。お供は「黒霧島」。

関東地方に大雪警報。と言っても積もるのは5センチ程度とか。雪国の人たちにフンと鼻で笑われそうだ。昼前にちらほらと雪が降って来た。Facebookにも書かせてもらったが、横浜は坂の多い町である。我が家も箱根駅伝の最初の難所である権太坂の近く。従って、雪が少しでも積もると、車はもちろん、歩いて出かけるのも大変である。だから雪の日は籠城を決め込む。ひどいことにならないうちに買い出し。

上の子供も、夕方には帰宅した。7時過ぎに家族でモランボンのスープで「キムチ鍋」を囲んだ。この頃には、横浜も白一色となった。雪を見ると妙に胸騒ぎがする。忠臣蔵、桜田門の変、2・26事件、そして昭和52年の経団連事件の折も一瞬だが雪が舞った。そして1・13住友事件の前日も大雪。

野村先生の句に「雪の独房  正気の歌を低く吟ず」というものがある。「正気の歌」は、滅亡へと向かう宋の臣下として戦い、宋が滅びた後は元に捕らえられ何度も元に仕えるようにと勧誘されたが忠節を守るために断って刑死した文天祥の作である。その文天祥がとらわれの身となった折、元の大都(北京)の獄中の作として有名で、我が国においても幕末の藤田東湖や吉田松陰、更に、日露戦争の際に旅順港封鎖作戦で戦死された軍神の広瀬武夫などがこの詩に和している。

何も起こる訳もないのだが、久しぶりに文天祥と藤田東湖の「正気の歌」を読んだ。そういえば正気塾の若島和美塾長と北京に行った際に揮毫を求められた若島塾長が墨痕鮮やかに書いたのが東湖の「正気の歌」の一節、「正気時放光」(正気時に光を放つ)だった。降る雪を見ていると様々なことが去来する。


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国を亡ぼすのは外患にあらず、内憂にあり。

2024-02-06 17:59:02 | 日記

2月4日(日)雨のち曇。

日曜日の朝は、大体余っている冷ご飯を使って「お粥」。前の晩から「利尻昆布」で出汁を取り、後は「かつお節」と鶏ガラで出汁を取る。まるでラーメンのスープを作るみたいである。具は入れない。もう一品は「湘南餃子」。天気も悪いので、一日、自宅でくつろいでいた。夜は、好きな「ミスジ肉」、玉ねぎのサラダ、さつま揚げ、冷食のグラタン。さつま揚げは、横浜は大口商店街の能登屋(高島屋、京急の上大岡などにも売り場がある)の物が好きなのだが、行くのが面倒なので、あまり期待をしないで買った、「野菜のさつま揚げ」が予想に反して美味しかった。お供は、「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

豊田自動織機という会社は、何か織物の器械でも作っている会社だと思っていたら、自動車の、それもトヨタ自動車の部品を作っている会社と知り、ヘェー。先日のマツダの不正が大きなニュースになったが、その豊田自動織機でも不正を行っていたことが判明した。ネットで調べたら織物機械の製造はもとより、「トヨタグループの本家・源流にあたる会社」らしい。不正が発覚したマツダもトヨタグループ。一体どうなってんだか。

敵国外患無き者は国恒に亡ぶ。有名な孟子の言葉である。意味は、競争する国や敵国がなく、外国に攻められる心配もない国は、国全体に緊張を欠き油断を生じてついには国が滅亡する。我が国の周りには「外患無き」どころではなく、競争する相手ばかりで、昨今は外国の戦争に巻き込まれることも、今そこにある危機である。政治家がもっと緊張感をもって国の運営に当たらなければならないのに、裏金問題や政党から議員個人に寄付され、使途公開の必要のない莫大な政策活動費の問題等、その責任を取るつもりも、国民に説明責任を果たす政治家一人いない。私が役員の末席を汚している大行社の新年総会の席で、作家の大下英治先生が、昨今の政治家の姿を見て「このままでは国が溶けて行く」と表現していたが、けだし名言なり。国を亡ぼすのは外患にあらず、内憂にあり、とか。


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海老寝して木枯らしの空耳にある。

2024-02-05 14:27:33 | 日記

2月3日(土)晴れ。

上の子供が勤めている会社が後援しているクラシックのコンサートがあるとかで、朝早くから愚妻と一緒に出掛けて行った。玄関で見送ってからまた布団に入っる。風が強い。物置のトタン屋根が風に揺れている。その音を聞いているだけで、ますます布団から出るのが嫌になる。そう言えば野村先生の『銀河蒼茫』の「冬の句」の中に、「海老寝して木枯らしの空耳にある」を思い出した。そういえば、過日、いつもお世話になっている盟友が、わざわざ若山牧水りの『酒の歌』の文庫版を送ってくれた。「酒の歌」と言えば牧水だが、「獄中の句」と言えば、何といっても野村先生の『銀河蒼茫』だろう。旅に出る時、訳あって独酌するとき、ポケットに入れる本は『銀河蒼茫』がいい。しかし、現在の弊社の物は少し大きい。最後の仕事として、『銀河蒼茫』を文庫にしようと思っている。暖衣飽食の自戒の為にも。「悲願ありて 寒月光の茣蓙に座す」。そうか昔の監獄は、畳ではなく、板張りに茣蓙を敷いていたんだなぁー。

午後から、郵便局と事務所へ。京急の井土ヶ谷駅近くの蕎麦屋で昼食。「天丼セット」。ご飯と蕎麦の量を少なくしてもらった。夜は、コンサートから帰って来た愚妻と子供と待ち合わせて、やはり井土ヶ谷駅近くの焼き鳥屋「BAKUDAN」へ。ここの焼き鳥が好きだ。しばらくしてから、最近良く行っている小料理屋の「ひなた」へ転戦。子供は、どちらの店も初デビュー。10時前に帰宅。


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