白雲去来

蜷川正大の日々是口実

雪の日は、なぜか胸騒ぎがする。

2024-02-08 13:42:24 | 日記

2月5日(月)雪。

朝食は、納豆、野菜の煮天丼、ナスの味噌汁。昼は抜いた。夜は、キムチ鍋、鶏肉のから揚げ。お供は「黒霧島」。

関東地方に大雪警報。と言っても積もるのは5センチ程度とか。雪国の人たちにフンと鼻で笑われそうだ。昼前にちらほらと雪が降って来た。Facebookにも書かせてもらったが、横浜は坂の多い町である。我が家も箱根駅伝の最初の難所である権太坂の近く。従って、雪が少しでも積もると、車はもちろん、歩いて出かけるのも大変である。だから雪の日は籠城を決め込む。ひどいことにならないうちに買い出し。

上の子供も、夕方には帰宅した。7時過ぎに家族でモランボンのスープで「キムチ鍋」を囲んだ。この頃には、横浜も白一色となった。雪を見ると妙に胸騒ぎがする。忠臣蔵、桜田門の変、2・26事件、そして昭和52年の経団連事件の折も一瞬だが雪が舞った。そして1・13住友事件の前日も大雪。

野村先生の句に「雪の独房  正気の歌を低く吟ず」というものがある。「正気の歌」は、滅亡へと向かう宋の臣下として戦い、宋が滅びた後は元に捕らえられ何度も元に仕えるようにと勧誘されたが忠節を守るために断って刑死した文天祥の作である。その文天祥がとらわれの身となった折、元の大都(北京)の獄中の作として有名で、我が国においても幕末の藤田東湖や吉田松陰、更に、日露戦争の際に旅順港封鎖作戦で戦死された軍神の広瀬武夫などがこの詩に和している。

何も起こる訳もないのだが、久しぶりに文天祥と藤田東湖の「正気の歌」を読んだ。そういえば正気塾の若島和美塾長と北京に行った際に揮毫を求められた若島塾長が墨痕鮮やかに書いたのが東湖の「正気の歌」の一節、「正気時放光」(正気時に光を放つ)だった。降る雪を見ていると様々なことが去来する。


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