今月最後の記念競輪は25日からの富山記念でいよいよ今日が決勝。並びは渡辺-佐藤-斉藤の北日本,武田-神山の茨城栃木,浅井-山口の中部,村上ー小岩の西日本。
周回中の並びは不明ですが,前受けは渡辺だった模様。後ろは早くから動き,まず残り3周のバックで村上が前に。このラインに武田と浅井が続いていて,外を浅井が上昇してホームでは先頭に。この後ろを武田と村上で取り合い,渡辺が引いて打鐘。ここから武田が外を発進し,浅井を叩いて前に。浅井は番手に飛びつこうとしましたが,これは神山が阻止。引いて様子を窺っていた渡辺がホームから発進すると,これをだれも止めることができず,北日本が出きってそのまま直線勝負。佐藤もそれなりには迫りましたが凌いだ渡辺が優勝。佐藤が2着,斉藤が3着で北日本の上位独占。
優勝した福島の渡辺一成選手は4月に共同通信社杯を優勝。記念は昨年暮れの伊東温泉記念以来で3勝目。ここは記念競輪を連勝中の武田と浅井に村上も加わって,早い段階から動きの激しいレースに。引いて構えていたのが勝因で,その意味では展開に恵まれたのは事実。ただ,やはり脚は凄いものがあり,今日のような形で力を出せば,強敵相手でも勝負になるということを証明しました。なるべくそういう展開にレースをもっていくことが,最も大きな課題といえるかもしれません。
今月に入って4日の土曜日が妹の土曜出勤。この日は福祉法人の施設での納涼会でした。母の入院中,一昨年の12月18日の土曜出勤であるクリスマス会がそうであったように,この納涼会というのも保護者が一緒に出席することが可能でした。クリスマス会のときは僕は母の見舞いの都合がありましたから,妹を連れていっただけで参加はしなかったのですが,この日は母が妹を送り,共に参加しました。したがって帰りも母と妹のふたりで帰ってきたということになります。土曜出勤は昼食が込みになっていますが,この日は施設での行事ということで,弁当が出たそうです。
その翌日,5日の日曜日は,妹は今度はガイドヘルパーを利用しての外出でした。この日は,かつて僕が父の遺産を相続するために,地方銀行の支店まで出向いた洋光台にある小学校へ。はっきりとしたことは分かりませんが,ここもおそらくはコミュニティセンターとして開放されていたのでしょう。事前の通知のはがきではお菓子作りと書かれていたのですが,帰ってきた妹に聞いてみますと,どうやらコーヒーゼリーを作ったようです。もちろんこれは作っただけではなく食べたとのこと。妹がどのように感じているかは僕には分からないですけれども,少なくともプリザーブドフラワーとかこけ玉を作るのに比べたら,このように食べることができるものを作った方が妹にはいいのではないかと思えます。
その翌週,8月11日の土曜日に,母と妹は美容院に出掛けました。この日もいつもと同じ時間に予約を入れていったのですが,帰ってきたのが4時45分頃と,いつもに比べるとかなり遅くなりました。どうしたのかと聞いてみますと,母と妹以外にはだれも客がいなかったので,丹念に時間を使って調髪したのだそうです。予約を入れているわけですから実際にそうしたことはあり得ないでしょうが,美容室が混んでいたから時間が掛かったというならまだしも,空いていたから遅くなったというこの理由にはかなり意表を衝かれました。
今回の糖尿病共生記はここまでにします。この11日の土曜日から,妹の夏休みが始まって,その間にもいくつかの出来事がありましたが,それらは次回に回すことにします。
周回中の並びは不明ですが,前受けは渡辺だった模様。後ろは早くから動き,まず残り3周のバックで村上が前に。このラインに武田と浅井が続いていて,外を浅井が上昇してホームでは先頭に。この後ろを武田と村上で取り合い,渡辺が引いて打鐘。ここから武田が外を発進し,浅井を叩いて前に。浅井は番手に飛びつこうとしましたが,これは神山が阻止。引いて様子を窺っていた渡辺がホームから発進すると,これをだれも止めることができず,北日本が出きってそのまま直線勝負。佐藤もそれなりには迫りましたが凌いだ渡辺が優勝。佐藤が2着,斉藤が3着で北日本の上位独占。
優勝した福島の渡辺一成選手は4月に共同通信社杯を優勝。記念は昨年暮れの伊東温泉記念以来で3勝目。ここは記念競輪を連勝中の武田と浅井に村上も加わって,早い段階から動きの激しいレースに。引いて構えていたのが勝因で,その意味では展開に恵まれたのは事実。ただ,やはり脚は凄いものがあり,今日のような形で力を出せば,強敵相手でも勝負になるということを証明しました。なるべくそういう展開にレースをもっていくことが,最も大きな課題といえるかもしれません。
今月に入って4日の土曜日が妹の土曜出勤。この日は福祉法人の施設での納涼会でした。母の入院中,一昨年の12月18日の土曜出勤であるクリスマス会がそうであったように,この納涼会というのも保護者が一緒に出席することが可能でした。クリスマス会のときは僕は母の見舞いの都合がありましたから,妹を連れていっただけで参加はしなかったのですが,この日は母が妹を送り,共に参加しました。したがって帰りも母と妹のふたりで帰ってきたということになります。土曜出勤は昼食が込みになっていますが,この日は施設での行事ということで,弁当が出たそうです。
その翌日,5日の日曜日は,妹は今度はガイドヘルパーを利用しての外出でした。この日は,かつて僕が父の遺産を相続するために,地方銀行の支店まで出向いた洋光台にある小学校へ。はっきりとしたことは分かりませんが,ここもおそらくはコミュニティセンターとして開放されていたのでしょう。事前の通知のはがきではお菓子作りと書かれていたのですが,帰ってきた妹に聞いてみますと,どうやらコーヒーゼリーを作ったようです。もちろんこれは作っただけではなく食べたとのこと。妹がどのように感じているかは僕には分からないですけれども,少なくともプリザーブドフラワーとかこけ玉を作るのに比べたら,このように食べることができるものを作った方が妹にはいいのではないかと思えます。
その翌週,8月11日の土曜日に,母と妹は美容院に出掛けました。この日もいつもと同じ時間に予約を入れていったのですが,帰ってきたのが4時45分頃と,いつもに比べるとかなり遅くなりました。どうしたのかと聞いてみますと,母と妹以外にはだれも客がいなかったので,丹念に時間を使って調髪したのだそうです。予約を入れているわけですから実際にそうしたことはあり得ないでしょうが,美容室が混んでいたから時間が掛かったというならまだしも,空いていたから遅くなったというこの理由にはかなり意表を衝かれました。
今回の糖尿病共生記はここまでにします。この11日の土曜日から,妹の夏休みが始まって,その間にもいくつかの出来事がありましたが,それらは次回に回すことにします。