向日町記念の決勝。並びは金子‐杉森‐斉藤の東日本,三谷‐山田‐藤木‐村上の近畿,清水‐岩津の中国。
村上がスタートを取って三谷の前受け。5番手に清水,7番手に金子で周回。残り3周のバックの出口から金子が上昇していくと清水も合わせて動きました。3つのラインが併走するような形で残り2周のホームに入って誘導が退避。前に出たのは清水。金子はすぐには動いていかず,バックに入ってから発進。引いていた三谷も発進して打鐘から先行争い。ホームの出口の手前で三谷が叩ききりました。後ろになった清水が動いていったもののバックの半ばで山田が番手から発進。マークの藤木が清水をブロックして清水は脱落。藤木が直線から踏み込んで優勝。山田と藤木の中を割った村上が4分の3車輪差の2着で京都のワンツー。清水の番手から大外を伸びた岩津が4分の3車輪差で3着。
優勝した京都の藤木裕選手は5月に取手のFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は2013年4月の武雄記念以来となる3勝目。このレースは三谷が勝ちにいく競走をすれば有利なメンバー構成。ただ,後ろが最も実績の薄い山田で,さらに藤木が3番手,実績的に最上位の村上が4番手ということで,後ろを引き出す競走に徹する可能性の方が高そうで,そうなれば山田と藤木の優勝争いになるのではないかとみていました。今年だけでGⅠを2勝もしている選手が死に駆けをするのはどうかと思わないではないですが,この並びを受け入れたということは,三谷も最初からそういう心積もりであったのでしょう。金子がうまく駆けたので展開的には清水が有利になりましたが,藤木はそれを止めての優勝ですから,内容としては相応しいものであったと思います。
5月28日,月曜日。叔父が福江島に帰りました。飛行機の関係で家を出たのは8時20分でした。僕はその後に妹を送りました。
5月30日,水曜日。母の消化器内科の通院の日でした。事前に言われていた通り,母は入院の希望を主治医に伝えるつもりでした。
9時に家を出て,9時半に病院に着きました。通常の通院ですから,検査は必要でまず中央検査室に。4人の患者が待っていました。採血を終えて消化器内科の受付を済ませると,すぐ処置室に入れてもらい,ベッドに横になって待機していました。母は目眩も感じていたようです。
まず看護師が来て問診が行われました。母はこのときに,入院したいという旨を伝達しました。たぶんこのことがあったからだと思うのですが,主治医による診察は正午になりました。入院には手続きが必要ですから時間が掛かるため,ほかの患者を先に診察したのではないかと推測します。
母は主治医に対しても入院を希望する意志を伝えました。母が主治医に強く訴えたことはふたつありました。ひとつは最も辛さを感じているのは疼痛であり,薬によってそれが緩和されると痒みが発生するということでした。もうひとつは下痢の症状が継続しているということで,その際に出血を伴っているということでした。ですからその二点を集中的に治療するため,消化器内科の病棟に入院するということが決定しました。主治医によれば,場合によってはそのまま緩和病棟に移動するという可能性はあるけれど,現時点での状況は,緩和病棟に入るまで悪化しているわけではないということでした。
入院のため検査が必要とのことで,心電図とレントゲン撮影が行われました。これは車椅子で看護師が移動させてくれましたので,僕は付き添っていません。この日はある予定があったために,家で伯母が待っていましたので,この間に僕は入院の決定を電話で伝えました。入院する意志があったので,必要な荷物の一式はバッグに詰めてありました。必ず入院できるわけではないので置いてきたのです。それが必要になったという報告の意味の電話でもありました。母が処置室に戻ってきたのは12時40分でした。
村上がスタートを取って三谷の前受け。5番手に清水,7番手に金子で周回。残り3周のバックの出口から金子が上昇していくと清水も合わせて動きました。3つのラインが併走するような形で残り2周のホームに入って誘導が退避。前に出たのは清水。金子はすぐには動いていかず,バックに入ってから発進。引いていた三谷も発進して打鐘から先行争い。ホームの出口の手前で三谷が叩ききりました。後ろになった清水が動いていったもののバックの半ばで山田が番手から発進。マークの藤木が清水をブロックして清水は脱落。藤木が直線から踏み込んで優勝。山田と藤木の中を割った村上が4分の3車輪差の2着で京都のワンツー。清水の番手から大外を伸びた岩津が4分の3車輪差で3着。
優勝した京都の藤木裕選手は5月に取手のFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は2013年4月の武雄記念以来となる3勝目。このレースは三谷が勝ちにいく競走をすれば有利なメンバー構成。ただ,後ろが最も実績の薄い山田で,さらに藤木が3番手,実績的に最上位の村上が4番手ということで,後ろを引き出す競走に徹する可能性の方が高そうで,そうなれば山田と藤木の優勝争いになるのではないかとみていました。今年だけでGⅠを2勝もしている選手が死に駆けをするのはどうかと思わないではないですが,この並びを受け入れたということは,三谷も最初からそういう心積もりであったのでしょう。金子がうまく駆けたので展開的には清水が有利になりましたが,藤木はそれを止めての優勝ですから,内容としては相応しいものであったと思います。
5月28日,月曜日。叔父が福江島に帰りました。飛行機の関係で家を出たのは8時20分でした。僕はその後に妹を送りました。
5月30日,水曜日。母の消化器内科の通院の日でした。事前に言われていた通り,母は入院の希望を主治医に伝えるつもりでした。
9時に家を出て,9時半に病院に着きました。通常の通院ですから,検査は必要でまず中央検査室に。4人の患者が待っていました。採血を終えて消化器内科の受付を済ませると,すぐ処置室に入れてもらい,ベッドに横になって待機していました。母は目眩も感じていたようです。
まず看護師が来て問診が行われました。母はこのときに,入院したいという旨を伝達しました。たぶんこのことがあったからだと思うのですが,主治医による診察は正午になりました。入院には手続きが必要ですから時間が掛かるため,ほかの患者を先に診察したのではないかと推測します。
母は主治医に対しても入院を希望する意志を伝えました。母が主治医に強く訴えたことはふたつありました。ひとつは最も辛さを感じているのは疼痛であり,薬によってそれが緩和されると痒みが発生するということでした。もうひとつは下痢の症状が継続しているということで,その際に出血を伴っているということでした。ですからその二点を集中的に治療するため,消化器内科の病棟に入院するということが決定しました。主治医によれば,場合によってはそのまま緩和病棟に移動するという可能性はあるけれど,現時点での状況は,緩和病棟に入るまで悪化しているわけではないということでした。
入院のため検査が必要とのことで,心電図とレントゲン撮影が行われました。これは車椅子で看護師が移動させてくれましたので,僕は付き添っていません。この日はある予定があったために,家で伯母が待っていましたので,この間に僕は入院の決定を電話で伝えました。入院する意志があったので,必要な荷物の一式はバッグに詰めてありました。必ず入院できるわけではないので置いてきたのです。それが必要になったという報告の意味の電話でもありました。母が処置室に戻ってきたのは12時40分でした。