スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スポニチ盃アフター5スター賞&コナトゥスと悲しみ

2022-09-09 19:19:48 | 地方競馬
 昨晩の第29回アフター5スター賞。御神本騎手は精神状態が不安定と判断され,キモンルビーは本橋騎手に変更。
 クルセイズスピリツとキモンルビーの先行争いとなり,逃げたのは外のキモンルビーの方。控えたクルセイズスピリツはオリジネイター,カプリフレイバーと並んで2番手を追走。5番手にベストマッチョ。6番手にプライルード。7番手にミチノギャングとギシギシとウインプリンツ。2馬身差でセイジミニスター。2馬身差の最後尾にワールドリングという隊列。前半の600mは34秒2のハイペース。
 3コーナーからはキモンルビーとオリジネイターとカプリフレイバーが雁行。2馬身差でクルセイズスピリツとプライルードが追い上げてくる形に。直線に入って先頭に立ったのはカプリフレイバー。内の2頭は一杯になり,プライルードが勢いよく追い上げてきました。その勢いのままにカプリフレイバーを差したプライルードが抜け出して快勝。クルセイズスピリツもカプリフレイバーに迫ってきたものの届かず,3馬身半差の2着はカプリフレイバー。クルセイズスピリツがクビ差で3着。
 優勝したプライルードはここが優駿スプリント以来のレース。南関東重賞連勝で2勝目。このレースはギシギシが断然で,アクシデントがなければ負けることはないだろうとみていましたので,意外な結果。ギシギシは行き振りが悪くて苦しい位置取りになってしまったための敗戦ですが,その原因がどういったところにあったのかは今の段階では判断できません。プライルードは2着争いでは有力な1頭と評価していて,ギシギシが走れなかったなら勝っておかしくありません。3歳馬で斤量が軽かったとはいえ,この着差ですから,短距離ではかなりの能力があるとみてよいでしょう。父はラブリーデイ。母の父はサクラバクシンオー。ふたつ上の半姉が2019年にローレル賞を勝っている現役のブロンディーヴァで,ひとつ上の半姉が今年の福島牝馬ステークスを勝っている現役のアナザーリリック
 騎乗した船橋の本田正重騎手は優駿スプリント以来の南関東重賞15勝目。アフター5スター賞は初勝利。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞24勝目。アフター5スター賞は初勝利。

 第三部諸感情の定義三から分かるように,悲しみtristitiaは,大なる完全性perfectioから小なる完全性への移行transitioを意味します。完全性は実在性realitasと同じ意味ですから,現実的に存在するある人間が悲しみを感じるとき,その人間は大なる実在性から小なる実在性へ移行している,あるいは移行したことになります。このことは,コナトゥスconatusの働きactioに逆行しているといえます。なぜなら,第三部定理七により,コナトゥスは自己の有に固執するsuo esse perseverareという働きをなすのですが,大なる実在性から小なる実在性へ移行するなら,自己の有に固執していることにはならないからです。むしろこの定理Propositioが意味しているのは,現実的に存在する人間,というかこの定理は人間にだけ妥当するわけではないので,現実的に存在する個物res singularisはというべきですが,現実的に存在する個物は,より小なる実在性からより大なる実在性へ移行することを希求し,より大なる実在性からより小なる実在性へ移行することは忌避するということでなければなりません。実際に現実的に存在する人間は,より小なる実在性からより大なる実在性へと移行すること,つまり喜びlaetitiaを希求し,悲しみを忌避するという本性essentiaを有するということは,スピノザが主張していることでもあります。
                                   
 したがって,現実的に存在する人間が働きを受けるpatiことによって悲しみを感じるということと,コナトゥスは相反するということができます。しかるに自然権jus naturaeはコナトゥスに由来するのですから,そのコナトゥスに相反する事柄が現実的に存在する人間の自然権に属するというのは不条理だという見解opinioはあり得ますし,その見解には僕も同意できないわけではありません。実際のところ,人間には悲しみを感じる権利があるという言明は,意味は通じるとしても,奇妙なことを主張しているというように受け取られてもおかしくはないでしょう。
 それでも僕は,それもまた現実的に存在する人間の自然権に属するといいます。そこにはふたつの理由があって,ひとつは,働きを受けるということと悲しみを感じるということは別のことであるという点です。つまり人間は働きを受ければ必ず悲しみを感じるというわけではなく,喜びを感じることもあるのです。
コメント
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