スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

共同通信社杯&共同の権利

2022-09-19 19:13:23 | 競輪
 名古屋競輪場で開催された第38回共同通信社杯の決勝。並びは平原‐武藤‐神山の関東,郡司‐和田‐内藤の神奈川,松浦‐柏野の山陽で佐藤は単騎。
 平原と松浦と武藤の3人がスタートを取りにいきました。平原が誘導の後ろに入って前受け。4番手に松浦,6番手に佐藤,7番手に郡司で周回。残り2周のホームの出口から郡司が上昇。バックで平原を叩いて打鐘。4番手に平原,7番手に松浦,最後尾に佐藤の一列棒状に。ホームに戻って松浦が巻き返しにいきました。徐々に上がっていき,バックでは和田の直後に。これを和田が牽制。この牽制が最終コーナーまで続いたので内が開き,和田マークの内藤と松浦マークの柏野がそちらに進路を取り,内から内藤,柏野,和田,松浦の4人が併走。挟まれた和田がバランスを崩して落車。後ろにいた平原と佐藤も乗り上げて落車。後続がもつれる形になり,郡司が悠々と逃げ切って優勝。内藤が1車身半差の2着で神奈川のワンツー。落車を避けて外を回った武藤が4分の3車身差で3着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は4月の川崎記念以来の優勝。ビッグは昨年2月の全日本選抜競輪以来の5勝目。共同通信社杯は2019年以来の2勝目。このレースはおそらく郡司が先行するので,番手の和田に大きなチャンスがあるのではないかと予想していました。郡司は後方に構えて残り2周を過ぎてから動きましたので,最初から先行するつもりだったのでしょう。松浦の巻き返しに対して和田が番手から合わせて出るのではなく,執拗に牽制するような走りになったので,結果的に落車のアクシデントが発生するなど,郡司の後ろはもつれました。和田が勝つのならそれでよいという意図の先行だったと思いますが,そのつもりで外連味なく先行したので優勝も手に入ったというところだと思います。

 人間がひとりでいるときには自然権jus naturaeはほとんどないとすれば,人間に自然権があるといえる状態がどのような状態であるのかということも明白です。いうまでもなく,人間に,あるいはこの場合には人類にといった方がよいかもしれませんが,人間あるいは人類に固有の自然権というのは,人間が共同の権利を有し,そのことによって自己を防衛しまた暴力を排除する限りで,いい換えればすべての人びとの共同の意志voluntasに従って生活する場合においてのみ,あることも考えるconcipereこともできるような権利です。多くの人びとが一致して力potentiaを合わせるような仕方で一体的に結合することによって,すなわち第二部定義七でいわれている意味でひとつの個物res singularisとして結合することによって,ますます多くの自然権をすべての人びとが共同で有するようになるのです。
                                   
 ただしこの自然権は,人びとが共同で有する権利なので,次のことも同時に帰結します。
 スピノザの哲学では,第二部定理七系によって,自然Naturaのうちにある個物が存在するなら,その個物の観念ideaも存在することになります。このときその個物と個物の観念が同一個体といわれ,それが同一個体という観点からみられる限りで,この観念がその個物の精神mensといわれることになります。よって,多くの人びとが一致して力を合わせる形で一体的に結合するなら,その集団はひとつの個物ということになるので,この個物にも精神があるといわなければなりません。つまりこの集団は,ひとつの精神によって導かれることになります。このとき,その集団の各人というのは,その他の人びとが強力であるほど,個人としては少なく権利を有することになるでしょう。ただしこれら各人は集団の成員なのですから,実際に有している権利は,共同の権利がその成員に認めている権利だけであって,それ以外の権利を成員はもたないということになります。というよりも,集団の精神が肯定するaffirmare意志が成員に対して命じることについてはそれを遂行するように義務付けられることになるでしょう。あるいは,この義務は,成員の立場からみた場合には,その義務を遂行するということがひとつの自然権として発生すると解さなければなりません。
コメント
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