スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

カーンの雑感⑫&ホッブズとの比較

2022-09-22 19:24:58 | NOAH
 カーンの雑感⑪の最後の部分でカーンが告白していることは,僕にとっては意外なことでした。全日本プロレスのオーナーである馬場が,選手の福利厚生について熱心であったという話を僕は聞いたことがなく,むしろそういうことは気に掛けなかったということの方が多く伝わっていたからです。ただ,カーンがいっていることはどうやら真実のようです。
 新日本プロレスに所属していた自身が年金を受け取ってはいないということについて,カーンが嘘をいう理由というのは見当たりません。ですからこれは真実で,カーンに限らず,少なくともその当時に新日本プロレスに所属していたレスラーは,厚生年金には加入していなかったとみていいでしょう。一方,全日本プロレスに所属していた選手が厚生年金に加入していたために,老後にそれを受け取っているということもまた真実です。これは後にケンドー・ナガサキとしてブレイクすることになる桜田一男が,自身は厚生年金に加入していたとは思っていなかったけれども,年金事務所によれば全日本プロレスに所属していた頃に支払われていたので,後の不足分を払うことによって年金を受け取っていると明言していますし,また谷津嘉章は,全日本プロレスのギャラは新日本プロレスのギャラよりも安かったのだけれども,それは年金に加入していることがひとつの要因であるという主旨のことをいっています。桜田が全日本プロレスに所属していたのは,全日本プロレスの創成期にあたる頃になりますし,谷津の方は最良の時代の直前に全日本プロレスで仕事をしていたわけですから,馬場がオーナーであった全日本プロレスということであれば,中期よりは後期に当たります。したがって,馬場がオーナーであった全日本プロレスは,創設の当初から最後まで,所属していたレスラー,つまり全日本プロレスの社員として仕事をしていたレスラーは,ずっと厚生年金に加入していたと判断してよいものと思います。
 厚生年金は半額を会社が負担することになっています。つまり全日本プロレスは会社として,選手の年金の半額をずっと負担していたことになります。ただそれは,選手のことを慮った馬場の意向であったのではなく,別の事情があったのではないかと僕は推測します。

 ヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelはスピノザより後の時代の思想家です。ですから当然ながらスピノザはヘーゲルの思想を知りません。スピノザが自らの政治論を構築する際に,参考にしまた比較の対象としているのはホッブズThomas Hobbesです。そしてスピノザは,スピノザ自身の政治論とホッブズの政治論との差異を問われたときに,現在の考察と関連することを答えています。
                                        
 問うたのはイエレスJarig Jellesです。それに対してスピノザは書簡五十で,スピノザは自然権jus naturaeをそっくりそのまま保持させていると答えています。そしてなぜスピノザがそのようにしているのかということについては,自然状態status naturalisにおいてはそれが常道であるからだという説明を与えています。このことからして,国家Imperiumあるいは政府が市民Civesに対して有している権利というのは,力potentiaにおいて市民に勝っている度合いに相当する権利だけであるとスピノザは結論しています。スピノザは権利と力を等置するのですから,国家にあっても個人が自然権をそのまま保持しているのであれば,政府が市民に対して有する権利が,その力において勝っている分だけになるのは当然でしょう。よって,現実的にそのようなことが生じるかどうかは別として,市民の有する力が政府に対して勝る部分があるとすれば,その分の権利を市民が政府に対して有するといわなければなりません。
 この書簡が書かれたのは1674年で,6月2日付となっています。この時点ではスピノザはまだ『国家論Tractatus Politicus』の執筆に着手していません。一方で『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』は1670年に匿名で刊行されています。よってこのスピノザの解答には,『神学・政治論』の方を多く参照しなければなりません。スピノザはそちらではホッブズが提唱した学説である社会契約説をモデルとして用いて国家の成立を論述しています。つまりこの部分は,直接的には社会契約と自然権の関係において,ホッブズとスピノザの間には相違があるということをスピノザはいっていると解する必要があります。ただここまでにみてきたように,スピノザは『国家論』でも,国家における市民が自然権を有するということは認めていますので,その点だけはこの時点と変更されていないと理解して構わないでしょう。
コメント
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