県外移設 を 考える
須山敦行
『世界』10月号の読者会で、私は親川志奈子さんの「『基地を引き取る』という日本の声」というコラムについて、引っ掛かる所があるが、と皆さんに提起した。
《 イデオロギーよりアイデンティティ 》
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「基地はどこにもいらない」という、私のような「反安保」の者に対して、それがイデオロギー的だと批判し、さらにそれは、「植民地主義」という加害者的な面を持つものだと、突きつけられているように思ったのだが、そこに私は、反対運動に内部対立を生むような、分裂的な力を感じるように思ったからだ。
私たちの運動上の大きなテーマは、異質な部分を含む者が、いかに連帯するか、いかに多数派を形成するかだ。
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確かに、沖縄の今回の動きは、「イデオロギーよりアイデンティティ」という呼び方にあるように、「反安保」の革新勢力が、「安保容認」の翁長知事と、一つになったというように「イデオロギーをアイデンティティが乗り越えた」ところに、大きな意味があるものだ。
平和を願うことは同じだろうが、基地の存在を認める者も、それを否定する者も、沖縄に対する押しつけに反対して一つになったのだ。
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《 自己決定権か独立か 》
沖縄の自治、自己決定権、それを熱烈に支持したい。というとき、福島の、塩谷の、東北の、地方の、自治、自己決定権、を中央の専制に対して、民主主義を守れという、国民の共通の課題として、そう思う。
ところが、沖縄の事態を巡っては、そこに、「植民地主義」、「独立」、「帝国主義」という捉え方が加わってくる。
歴史的に見て、どうなのか。ということ。それから、現在の沖縄の県民が、どう感じているのかということ。などから、「憲法」を重んじる、民主主義としての「自己決定権」と考えるべきなのか。「独立」を目指す「反植民地主義」と考えるべきなのか。
私は、沖縄の友人との関係を、沖縄の「日本国憲法」の日本への復帰を応援してきた経緯からも、「独立」という考えには、何か「寂しさ」を感じるのであるが。
この点で、『世界』11月号で、琉球新報編集局長の潮平芳和さんは、「独立」志向は、沖縄での世論調査では七%の少数であり、「自らの自己決定権やその政府との関係性を問い直し、この国と地域の来し方行き末を、中央集権型か地方分権型かといった視点から、ともに考えられないだろうか。」と、「地域の自己決定権」という観点を重視すべきと論じている。
そして、この闘いは、「『未完の民主主義』を沖縄で、全国で、再生・強化する」ものだと。
潮平さんの主張を受け容れるならば、「植民地主義」からの「独立」よりも、日本の他の地域と同じように、「地域の自己決定権」を巡る対立を軸に考えるのが、より広い連帯への道であるように思える。
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親川さんが、取り上げているのが、高橋哲哉氏の見解だ。
高橋哲哉氏は、『世界』9月号の内海愛子氏との対談で、「戦争」への反省の中で、「植民地支配」、「植民地主義」への反省がネグレクトされてきたのではないかと、指摘していた。そして、我々の沖縄を見る目の中に「植民地主義」があるのではと。
ネット上に、高橋哲哉氏の「『本土』の私たちは『県外移設』を受け入れるべきだ」(http://politas.jp/features/7/article/399)という文章が公表されていて、この問題に対する具体的な提案がされている。
そこで、
「『安保反対』は……3割前後の支持を得ていた時代もあったが、近年では1割前後の支持しか得られていない。」という事態の中で、
「反戦平和の立場であっても、直ちに『安保廃棄』が見通せない限り、『安保廃棄』が実現するまでは県外移設によって沖縄の基地負担を引き受けるしかないだろう。」から、
「日本の反戦平和運動は、『安保廃棄』を目ざすなら、県外移設を受け入れた上で、『本土』で自分たちの責任でそれを追求するのが筋だろう。」と、明確に、基地の本土への「引き取り」を訴えるべきだと主張している。
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どうだろう。
反安保の革新側は、自らの力不足を認めるならば、将来のより理想的な展望を先送りする度量を持つならば、「県外移設」、「本土の引き取り」の(「基地をなくせという主張は持っているが、当面、基地をこちらへ持って来い」という)運動を展開できる、だろうか。
運動のスローガンとしては、内容が複雑過ぎないだろうか。
安保反対、軍備反対、基地反対を主張しながら、当面の「引き取り」運動jという、高度な含みを持つ運動を、高いレベルでの意志一致をしながら運動を進めることが可能ならば、なし得る、ということなのだろうか。
違いを認めながら、より大切なことで一致を広げて行く、という運動の進め方の大切な要点を外さないためには、重要な課題がここにあることを感じながら、『世界』に集う、リベラル派、民主派、人権派は、道を切り拓いて行って欲しい。
とにかく、分裂は敗北への道、連帯は勝利への道。
我々は、広く連帯する道を指し示さなくてはいけないのだから。
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