連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

東北関東大震災=東日本大震災後

2011-03-27 11:49:09 | 東日本大震災

被災後の厳しい環境に、さらに追い打ちをかける例年にない寒さが続く今年。

窓から注ぐ光は、明るく、暖かい。外の風は冷たく、昨日の雪の名残もある。

3月11日から17日が過ぎたが、それ以前の日常に戻る日のめどは全く無い。

福島原発に端を発した都民の反応は、異次元の世界。

電気の供給が途絶えた夜、星、月の明るさに行動のすべてを託し、

視覚障害者の日常に思いをはせた。

本間記念点字図書館に25年目の寄付金を振り込んだのは11日の昼。

12泊13日間の病院勤務を終えて帰宅した22日に、

点字の礼状に添えて、被災を気遣う文面が添えられていた。

自宅の室内の惨状を目の当たりにしたが、

明日からの診療のための体力を温存を優先し、僅かな場所に体を横たえた。

一人主治医で、骨髄移植をした大学病院勤務中と比べると

今回は楽だと思う。

食事を少なくとも提供してもらえる。

寝床は確保されている。

必要以上に睡眠を妨げるコールもない。

22日には休むと動けなくなる体力の限界に近づき、

全身の浮腫がジワリと押し寄せてきて

長円培ってきた、虫の息状態を断続的に挟み込み数日を過ごした。

今日は日曜日。

28日は、患者を通常の体制に戻す。

緊急状態から、回復期に向かう気の抜けた時期を迎える今週。

張り詰めた緊張感で、監視を続けないと。

医薬品の安定供給は、まだ先のことで、その日暮らしに近い。

生活の基本姿勢には何の変化もない。

連続日当直は、人手確保困難な状況ではやむを得ず。

買い置きの食糧の放出も、給食の食材不足を補うためには当然。

24日は秋田県から待望の石油が届けられ、職員の足が確保された。

25日は栃木県から生鮮食品が

26日は横浜市から菓子類がゆうパックで、短期日で届けられた。

 食品は、患者の給食と、職員にも均等に分けあった。

衣食足りて、礼節を知る。今回まざまざと体験せり。

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