被災後の厳しい環境に、さらに追い打ちをかける例年にない寒さが続く今年。
窓から注ぐ光は、明るく、暖かい。外の風は冷たく、昨日の雪の名残もある。
3月11日から17日が過ぎたが、それ以前の日常に戻る日のめどは全く無い。
福島原発に端を発した都民の反応は、異次元の世界。
電気の供給が途絶えた夜、星、月の明るさに行動のすべてを託し、
視覚障害者の日常に思いをはせた。
本間記念点字図書館に25年目の寄付金を振り込んだのは11日の昼。
12泊13日間の病院勤務を終えて帰宅した22日に、
点字の礼状に添えて、被災を気遣う文面が添えられていた。
自宅の室内の惨状を目の当たりにしたが、
明日からの診療のための体力を温存を優先し、僅かな場所に体を横たえた。
一人主治医で、骨髄移植をした大学病院勤務中と比べると
今回は楽だと思う。
食事を少なくとも提供してもらえる。
寝床は確保されている。
必要以上に睡眠を妨げるコールもない。
22日には休むと動けなくなる体力の限界に近づき、
全身の浮腫がジワリと押し寄せてきて
長円培ってきた、虫の息状態を断続的に挟み込み数日を過ごした。
今日は日曜日。
28日は、患者を通常の体制に戻す。
緊急状態から、回復期に向かう気の抜けた時期を迎える今週。
張り詰めた緊張感で、監視を続けないと。
医薬品の安定供給は、まだ先のことで、その日暮らしに近い。
生活の基本姿勢には何の変化もない。
連続日当直は、人手確保困難な状況ではやむを得ず。
買い置きの食糧の放出も、給食の食材不足を補うためには当然。
24日は秋田県から待望の石油が届けられ、職員の足が確保された。
25日は栃木県から生鮮食品が
26日は横浜市から菓子類がゆうパックで、短期日で届けられた。
食品は、患者の給食と、職員にも均等に分けあった。
衣食足りて、礼節を知る。今回まざまざと体験せり。