夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

Images 忘れ去られた記憶  時計

2008年02月07日 04時33分53秒 | 私も作ってみました


そのとき、私は2週間ほどで2歳の誕生日になろうとしていた。
2ヵ月後に出産を控えた母と祖母に連れられて町へ行った。
町は壊れ、焼け失せていた。煙がそこここに立っていた。
レンガの建物は土台しか残っていなく、鉄筋の建物の壁も半分しか残っていなかった。
市電が転がっていた。窓にはガラスもなく、柱は解けて曲がっていた。
人がいた。焼けた建物の中に、道路のあちこちに、そして市電の中にも。
人だったことが判る人もいた。
半分は骨を出している人もいた。
人かどうか判らない人もいた。
私の父もいた。父と判ったのは腕から傍に落ちていた時計であった。

この状況を覚えているかと聞かれれば、覚えていないというと思う。
あまりにも漠然とした記憶。

でも、子供のころから死を避けられないものとして感じていたのは、この記憶があったからじゃないかと思う。

人から聞いたり、写真を見たりして後からインプットされたものかもしれない。

でも、私はできるだけ原爆のシーンは見ないようにして生きてきた。
原爆資料館に行ったのも大学に行きだしてからのこと。

祖母も死ぬまでこの日のことは話さなかった。
母が話してくれたのはごく最近のこと。
そのときに初めて時計のことを聞いた。
父が腕にしていた金属バンドの時計。
それが傍に落ちていて、その遺体が父だと判ったという話をしてくれた。

写真や、資料館では、そんなことは判るわけがない。

それにふと気がついたけど、写真などはだいぶ日にちが立ってから市内に入ってきた写真家が撮ったもの。
煙の上がっている家の残骸や、市電の中や道端の人たちを撮ったものは殆どないはず。

2歳の子供が意識的に記憶を封印するということはないと思うけど。