夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

Images ありえない記憶

2008年02月08日 12時32分17秒 | 私も作ってみました
ところで、先ほどの日記の「Images 忘れ去られた記憶  時計」では Imagesなんて知りもしない英語なんぞを使っていたけど、正確には"a piece of images" としたほうがよかったのかな? 日本語では「断想」なんて単語が頭の中でちかちかしているから。

おまけに使った例が、おどろおどろしい例だったので、舌足らずの物言いと相まって必要以上にそちらに注目を集めてしまったでしょうか。

若いうちは目の前のことに必死で他へはなかなか考えが向かない。でも私みたいに「おじいさんの」椅子に体を入れ込んで、「おじいさんの」時計の振り子の音を聞いている以外にやることがなくなってしまうと、嫌でも昔のことを思いだす。
だって仕方ないじゃありませんか。
今、身の回りに起こる格別なことって何もないんですからね。
そんな記憶の断片、断想をこれからも綴っていくことが多くなるでしょうね。
なんて前振りは別にして、
前回の日記の1年後くらいのこと。私が3歳のころ。



私は両手を水平に伸ばして、ぐるぐると部屋の中で回っていました。
そのころの私の大好きな遊びだったのです。
そのとき体がふわっと浮き上がって、すごく気持ちのいい感じがして、
祖母、もしかしたらそれは曾祖母(なんて言があるかな?)だったかもしれませんの叫び。

そのとき、私はすべって、炭が赤々と燃えている囲炉裏の中に両手を突っ込んだのです。
そして台所から飛んできた母が私の手を取って、そして母はどこかへ走り去っていったのです。
そのときの母の記憶はイメージとしてはあまりはっきりしていないのです。
でもこれが私が持っているイメージの全て。



いえ、本当はもう一つのイメージがあるのです。
それは母が縁側を離れのほうへ走って行く姿を見ている自分。
「お母さんは、どうしてぼくのそばにいてくれないのだろう」と思っている自分。
そして胸にガラスの瓶を抱えて走り戻る母の姿。

肘から先の両手に白い軟膏を塗られ、油紙を巻かれ、包帯かガーゼのようなものでくるまれながら、縁側を走る母の姿を思い出していた自分。



ありえないのです。
囲炉裏のある居間は私的な空間、玄関を隔てて縁側のある客間や次の間はお客様の空間。居間から縁側は見えないのです。

でも以前、「静夜思」を紹介したときにも書きました。
  牀前看月光
  疑是地上霜
目の前に広がる月明かりに照らされた庭。
真っ白の冷たい光に昼のように照らされている。
でも、このときも、私のイメージにはその庭ではなく、
その庭の景色を縁側から呆然と見ている私の姿が部屋の天井の隅からの目線でくっきりと覚えているって日記でした。

幽体離脱? まさか。
これでも一応学者の子供なんでね~