夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

行雲流水と 行到水窮處

2009年08月11日 16時56分00秒 |  漢詩を長崎弁で


行雲流水、雲水の言葉の元となったお話ですね。
宋の蘇東坡が文章を作るときの銘として宋史に記されている言葉なのです。



嘗自謂
作文如行雲流水
初無定質
  宋史列伝 蘇軾伝


自分に言い聞かせていました。
文を作ることは、行く雲や流れる水と同じなのだと。
初めより定質なし

物には定まった形はないのだから、物の表面の形に惑わされてはいけない。
って、ことなのでしょうね。

物に囚われずに自由に生きる(あるいはこの場合は文章を作る)ということ。
これから、禅僧が気ままに修行を積むために遍歴すること、あるいはその僧を指す言葉になりました。
宋史は1345年に完成しています。

ところで話は変わって、鴨長明の方丈記の冒頭。

行く川のながれは絶えずしてしかも本の水にあらず
よどみに浮ぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし

   
鴨長明は賀茂御祖神社の次男だった人。長明は1155年に生まれ、1216年に亡くなっています。鴨長明のほうが宋史の完成よりも早いのですね。
神主さんの家系の人が禅の極意を先取りするってのも変ですけど。

ただ、このような考えは、もちろん蘇東坡が初めて述べたことではなく、中国の思想家の間には広く広まっていたと考えていいのでしょう。



入山寄城中故人
    王維 

中歳頗好道
晩家南山陲
興來毎獨往
勝事空自知
行到水窮處
坐看雲起時
偶然値林叟
談笑無還期


これは長安の友人に手紙を出したっていう王維の詩ですけど、王維は701年から761年まで生きた人。


中歳  頗(すこ)ぶる 道(だう)を好み
晩に家す南山の陲(ほとり)
興來りては毎(つね)に獨り往き
勝事(しょうじ)空しく自ら知る
行きて水の窮(きは)まる處に到り
坐して雲の起こる時を看る
偶然林叟(りんそう)に値(あ)ひ
談笑して還(かへ)る期(とき)無し
 

例の如く長崎弁でやりますと、、、

中年になったら、仏教のことがおもしろうなった
歳をとって、南山の辺に家を定めて
行きとうなると、いつも一人で行くけん
綺麗か景色も、わし一人しか知らん
川の源まで登っていって
雲が湧き出てくるのを黙ってみとる
きこりの爺さんにあって
話しこんだら帰るときも忘れた、、



行到水窮處
坐看雲起時

都会の権謀の中に生きている友達に、世間の価値や、生き様なんかどうでもよか、
自分の生きたいように、人の作った価値なんかとは無縁に生きていければ、、、、って消息ばだしとるとよ。
この言葉が行雲流水の基になっているって説もあるとよ。




ばってん、この下の写真。

なんか後ろの灰色の雲。ぐた~っとしちょって、白い雲が生まれると、ちょこちょこってそっちに走っていっちょるみたいやね~
なんやら、ボクちゃんの分身みたいっちゃ。
凡人は、いつになったら、悟りをひらけるのやろかね~



まぁ、70までは間があるから、気長に待っておりましょう。

七十而從心所欲 不踰矩
七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰(こ)えず

でも、孔子さんでも70までかかるということは、私の場合はどうなんでしょうかね~
いや、たぶん大丈夫。そのころには目はかすみ、足は動かず、、、になっているでしょうから、、、、

天変地異? 台風と地震とNHKの報道

2009年08月11日 10時49分15秒 | 日記


昨夜の日記(削除してこの下に追加しました)でも書いたけど、台風が東京に接近しています。
関西や、中国ではお亡くなりになった方を含めて、かなりの被害が出ていますね。
私のいる東京でも、北区などでは床上浸水などが報告されています。

台風、昼過ぎに関東接近 東北にかけ局地的豪雨の恐れ(朝日新聞) - goo ニュース


でも、今年もまた、変な天気ですよね。
東北では梅雨があけないうちに立秋になってしまったり、他の地域では、立秋前に駆け込みで梅雨明けを宣言していたけど、その後、豪雨に見舞われていますね。
関東では早々と梅雨明けが宣言されたけど、その後もまるで梅雨のように、曇った日が続いています。
「ほんとうに、梅雨はあけたの?」っていうのが挨拶代わりみたいでした。
梅雨期の日照時間がいつもに比べると半分くらいで、店に行っても野菜が高い、高い。
つい最近も、山口の豪雨(これも台風の影響でしたね)。まだその片付けさえ終わっていないのに、今度は岡山や、兵庫、静岡での台風被害。

ただ、最近の特徴は、非常に局地的なものが多いように見えますね。
昨日は、千葉の友人の日記が「虹」。 あっちは豪雨、こっちは陽射があって、虹も見えるという記事でした。
昨夜も、東京の北や、埼玉、千葉などの隣接のところでは豪雨が降っているのに、東京の南では雲間から月が見える。その写真をアップしていました。
この日記の後(今朝の2時ごろですけど)には、空が晴れ渡って、白い雲がぽかぽかと浮かんでいて、星もあちこちに輝いている。そんな空になりました。
北区、千代田区や隣接の港区などでの大雨被害のテレビを見ながら、昨日はここは春雨程度の雨が降り続いているだけでした。

異常は天気だけではありませんね、、、
一昨日の東京で震度4を記録した地震、そして今朝またほとんど同じ場所(深度はずいぶんと違いましたけど)での地震でも、東京は震度4、今回は静岡あたりでは震度6弱だったそうです。
雨が局地的なのに比べると、地震のほうはずいぶんと広い範囲が揺れましたね。

静岡中・西部、伊豆で震度6弱 静岡・愛知23人けが(朝日新聞) - goo ニュース

一体全体、地球はどうなっているのでしょうね~





それにしてもNHKの地震情報。
局内の天井から下がってぶらぶらしている「報道」のプレートとか、局の屋上からのお天気カメラのぶるぶる影像。NHKってあれしかないのでしょうか。
ある民放局が交差点の風景を撮っていました。地震の起こる直前に交差点に入ってきた車が、地震が発生したとたんに見えなくなるほど影像が揺れていました。臨場感溢れる画面でした。
地震直後のアナウンスでも、、、電車の不通を伝えるのに、なになに線は一部不通。一部って何? そこを伝えるのが報道なのでしょうに。
震度を報道するのに、地図の上にばらばらと地域とは無関係に、震度で都市名を並べて、震度4とか5とか、、地図が見えなくなってしまっているので、その都市がどこなのかも分からない。震源地は画面の外。
見ている人が、どう見えるか、何が欲しがっている情報なのかを考える気持ちがないのでしょうね、、、
民放では地図を前面に、震度で色分けしていたけど、細かな地名を挙げるよりも、第一報としてはそちらのほうが見ている人にはもっと役に立つはず。

NHKって受信料に胡坐をかいて、見ている人のことを考えない、本当に必要とされている必要な情報を流せなくなっている。
報道の人たちが、お役人サマになっちゃったのですよね。





蛇の足;
昨夜の日記「こんげん月はえっとなかばい」は削除して、記事はこちらに追加しておきます。


大田蜀山人の

彦山の端より出ずる月はよか
   こんげん月はえっとなかばい

は、以前にもご紹介していると思いますけど、

今日の月、これこそ

こんげん月はえっとなかばい

ですよね。

台風9号が近づいてきていて、兵庫、岡山、徳島などでは死者を含む大きな被害をだしているようです。
東京でも、車が水につかったり、床上浸水などの被害が報告されています。
亡くなられた方、被害にあわれた方々には心からのお見舞いを申し上げます。



でもその一方で、同じ東京でも、こちらでは先ほどまでUFOもどきの星が出ておりましたし、月も綺麗。


ほんとうに明日は台風は関東の傍を通り抜けるのでしょうか、、、、