この前の日記の大多喜は、大福山へ行った帰りだったのです。
先日来、大多喜と木更津の間をあちこち回り道をしながら何度か大福山へ行っておりますのは、この朝霧の写真のためのためのロケハンでした。
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今までは夕景でしたが、やっと朝霧の大福山を撮ることができました。
霧が深くてもダメ、なくてもダメ。朝日の方向に視界が開けてなければだめ。(林道では視界が開けている所ってそれほどないのです)
いろいろ条件が難しいですね。
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幸運にも、今日はかなりいい線を言っていて、目の前には素晴らしい景色が広がりました。
雲耶山耶呉耶越 (雲か 山か 呉か 越か)
頼山陽の泊天草洋です。
全文は
雲耶山耶呉耶越
水天髣髴青一髪
万里泊舟天草洋
煙横篷窗日漸没
瞥見大魚跳波間
太白当船明似月
雲か 山か 呉か 越か
水天 髣髴 青一髪
万里 舟を泊す 天草の洋
煙は篷窗(ほうそう)に横たわって 日 漸やく没す
瞥見(べっけん)す 大魚の波間に跳るを
太白 船に当って 明 月に似たり
雲なのか、山なのか、それとも呉の国、越の国が見えるのか
海と空は青い一筋のぼんやりとした髪の毛のよう
遠く離れた天草の灘に船を留めた
靄が船の窓にまとわりついて、夕方になった
大きな魚が波間に躍るのが見える
明星が船の周りで煌めいて、まるで月のように明るい
日本人の漢詩(特に室町や徳川時代以降の日本人の漢詩)ってあまり好きではありません。
私の中国語の先生(大昔、中国語を習ったことがあるのですけど、あまりに美人で、見とれすぎていましたので、中国語は上手になりませんでした。その方との関係も、まったく師匠と弟子以外にはなかったですな~ ふがいない私)なんてことは別にしても、
彼女が日本人の漢詩は言葉(漢字)の意味、そして韻に無理があることが多いって言っておりました。
そう言えば、先日もオランダのアーティストが俳句に基づいた作品を作っておりましたけど、その俳句の読み方や解釈が、あれって疑問に思えるものでした。
プロの作家にとっては、作品はたくさんの人に問うもの。それのよって立つところにはもっと心を配らなければね~ なんて思いましたけど、その解釈をしてくれたのは彼の、「日本語の先生」だというのでまたまた唖然としてしまいました。
詩にもどって、郷土に(って言っても、天草を詠っていますけど、一説には熊本側から雲仙岳を見て詠ったって聞いたことがありますので)関係のある詩なので。
でも、大多喜の朝霧といい、大福山といい、風景写真はやはり私には難しすぎるかな。
どこまでいっても苦手意識が付きまとってしまいます。
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ハッキリ言って、目の前の風景の美しさが、際立てばたつほど、何をどう撮ればいいのか途方に暮れてしまうのです。
私は作品一本勝負の、逃げ道のないプロじゃない。
道楽でやっているのですから、最初から逃げ道、白旗を上げていても、許されて。
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「美しすぎるから?」
だから若い女性の写真も撮れないのですかってお聞きですか?
いえ、あっちのほうは、胸がドキドキして、雑念が多すぎてシャッターが押せなくなっちゃうんですよ。
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