おいちゃんのところに来てから、東京にいるときには必ず一日2回、多摩川を散歩しております。
おいちゃんのメタボ腹と、高血圧がちょっと気になるので、一宿一飯の義理を果たそうというボクちゃんの健気な心意気でございます。
ところで、おいちゃんは多摩川までは必ずリードを付けて行きます。
多摩川でも、人がいるとリードはそのまま。
ボクちゃん、自由に走れないのでございます。
でも、今朝もそうでしたけど、誰もいないときにはリードを外してくれます。
そんで、ボクちゃん、ば~~~~っと走って行きたいのですけど、、、、
なんとなく不安。
おいちゃんが見えなくなるとちょっと怖いのです。
これはどうしようもないんですね。
地面にあるいろいろな情報がとてもよく分かるし、必要なんです。どんな子が、いつここを通ったか、元気なのか、何でもよく分かる。それに分からなければボクちゃんたちには困ることがたくさん出てくるのですよ。
可哀想なおいちゃんたちにはそれが分からないんですけどね。
だから、その情報をもっと欲しい。もっと広範囲に調べたい。それには自由に動けなければならない。
自由を我らに、しからずんば死を、、、ほんとうはそうなんですけどね~、
でも不自由もまた、愉しからずやなのですよ。
リードがついているときにはボクちゃん、あっちへふらふら、こっちへふらふら、おいちゃんが見ていてくれるのが分かっているから、安心していられるのです。
おいちゃんは黙ってボクちゃんのやりたいようにしてくれる。
もちろん、叱られることも、教育的指導ってこともあります。
特に、人や車や自転車とすれ違うときには、この指導がよく出てきます。
でも、ボクちゃんはおいちゃんがボクちゃんのためにそうしていることが分かっているから立腹しないのでございますよ。
リードがなければ、もっともっと遠くまで気ままに走ったりできるはずなのですけどね、、、
おいちゃんが、ボクちゃんのほうを見ないでどっかへ歩いて行こうとしていると、もう不安で不安で。
岬でも、リードはついていないけど、おいちゃんが出てくるドアの前から離れなれないんです。
おいちゃんがドアを開けて出てきたときに、すぐに駆けつけられなきゃね。
やっぱり、ボクちゃんにはお釈迦様の手の中ぐらいの自由がちょうどいいのかもしれない。
ボクちゃん、歳の割りには、苦労してきたから、70にならなくっても、則を越えないのですね~
何事にも何がしかの則がなければ、
無作為な自由は、アナーキーではございませんか。
ねぇ、そこの若い人。