今、いすみ市ではあちこちでヤマユリが満開。もう少し過ぎてきましたでしょうか。
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ウィクペディアによれば
>東洋ではユリは食用や薬用に使用される。花の観賞は、日本では前近代にまでさかのぼる奈良の率川(いさかわ)神社の三枝祭(さいくさのまつり)などの例外もあるが、明治30年代頃からである。幕末にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本のユリの球根を持ち帰り、復活祭に用いられるイースター・リリーとして大流行すると、球根は近代日本の絹に次ぐ二番目の主要輸出品として外貨を獲得した。そしていわば逆輸入されるかたちで明治末に鑑賞花として流行した[1]。輸出用の栽培は主に富士山麓から神奈川にかけて広く行われた。
美女の形容として「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」がある。/>
となっているが、ちょっと異論があるな~
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万葉集にも百合はたくさん詠われているし、庭に植えられたり、百合の造花まで作られたりしているのですからね。
道の辺の草深百合の花笑みに笑まししからに妻と言ふべしや
7-1257
詠み人知らず
草深い道端の百合の花が笑っている(咲いている)からって、妻だっていうでしょうか、、、、
草深い道端の百合の花のように、ちょっと微笑んだくらいで、妻(あんたのもん)だって思わないでください、、、
なんて、びしっと言われちゃった人、かわいそうですよね、、、
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こちらは長歌の一部ですけど
情慰(こころなぐさ)に なでしこ 宿に蒔き生(お)ほし 夏の野の さ百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻に さ百合花 ゆりも逢はむと慰むる
18-3969
大伴家持
大伴家持は昨日の合歓の日記ではコケにされておりましたね。
心をなぐさめるためになでしこを宿の庭に植え、夏の野原の百合を植え、花を見るたびに、なでしこが妻に、そして百合がゆり(後、あとで)会えると気持ちを落ち着かせ、、、、
ちなみに大伴家持は百合をよく詠んでいます。
さ百合花 ゆりも逢はむと 下延(は)ふる心しなくは 今日も経めやも
18-4115
百合=ゆり=後
百合の花に、後で会えるという気持ちがなかったら、今日と言う日は過ごせなかったでしょう。
家持が出張中の宴会で詠った詩。ちなみにこのときの百合は残してきた妻、大伴坂上郎女のこと。
そしてその、大伴坂上郎女はヒメユリに託して素晴らしい詩を詠んでいます。
夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ
8-1500
夏の野原の草深い茂みに咲いている姫百合の人には知られない恋心こそ苦しいものですよ。
姫百合は小さくて愛らしい。山百合の豪華絢爛さとは一味違います。おまけに、姫を秘めにかけて、偲ぶ思いに連結するのですね、、、
立葵の花ってなぜだか好きになれないし、葵の類の分派みたいな思いがするのですけど、実は上代においては葵というと、この立葵のことを指していた、一番ポピュラーな花だったんですね。
もっとも、それ以前には葵はトロロアオイが野菜として広まっていたし、葵祭りなんでいうときの葵は双葉葵。これは賀茂神社の神紋だったからなのです。下って徳川の時代。あの徳川葵の紋(丸に三つ葵)は実は、三つ葉葵ではなく、賀茂神社の双葉葵に葉っぱを一つ加えたものって説もあります。
徳川家と賀茂神社というのは、実は賀茂神社の神領が徳川家がでてきた岡崎にあったからなのですね。
いすみ市の隣町の大多喜町。ここは徳川の過ぎたるものとまで褒め称られた本多忠勝がいたところですけど、以前にもご紹介したように、本多家の家紋は形は違いますけど、三つ葉のついた葵。これは立葵の紋(本多家には束ね葵といわれる紋、、、葉っぱが五つ、、、もあります)といわれています。
徳川時代に徳川家と徳川の分家以外に葵の紋を使っていたのは本多家(係累が実に多いのですけど)の流れを汲むところだけでした。本多家も賀茂神社の侍でした。
くやしくぞつみをかしけるあふひ草 神の許せるかざしならぬに
源氏物語 若菜下
女三宮と密会をした柏木が冷静に戻って、振り返って罪の意識に怯えながら詠った詩。
自分の妻(女二宮)の姉妹で、しかも源氏の思い人。源氏に知れたら神の怒りよりももっと恐ろしいことが待っている。
おまけに三宮は妊娠したかもしれない、、、、
悔しいことだ、神の許さないかざしの葵を摘み取ってしまった。(つむは摘むと罪をかけています)
葵祭りの喧騒の中、一人暗い家の中で悶々としている柏木の詩です、、、