夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

ムクゲ    Rose of Sharon(シャロンのバラ)かな???

2010年07月30日 17時29分12秒 |  気になる詩、言葉


このムクゲ、いかがですか。
小ぶりの、底紅。でも赤が薄い赤紫。
綺麗でしょう。
安かったんだけど、めっけもん。
がんばって大きくしなきゃ。


ところでムクゲはいろいろと取り上げておりますので、今日は違った観点から。


I am the rose of Sharon. And the lily of the valleys.

これは旧約聖書の雅歌(Song of Solomon)の2章の1に出てくる文句。
よく詩に取り上げられたりしているものなんです。
特に、百合は女子校の校章などにもよくつかわれていますな。若いころは胸をときめかせてそれを見ていたものです。
そしてまたヨーロッパの王家の紋にもしばしば見かける。

雅歌というのは愛の歌、、、、でも、キリスト教的には教会とキリストとの間の愛を指すんです。
このRose of Sharonが分からない。

ググルとほとんどがムクゲのことだと書いてある。
でもよくよく調べると、いや、あれはクロッカスの一種だとか、サフランだ、野茨だ、チューリップだとかさまざま言われている。

Wikipediaでは聖書の用法としては

A "kind of crocus" ("Sharon", Harper's Bible Dictionary) or a "crocus that grows in the coastal plain of Sharon" (New Oxford Annotated Bible);

Tulipa montana, "a bright red tulip-like flower ... today prolific in the hills of Sharon" ("rose", Harper's Bible Dictionary);
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そして、現代的な用法として

Hypericum calycinum, an evergreen flowering shrub native to southeast Europe and southwest Asia, and the plant generally referred to in British and Australian English as "Rose of Sharon"; and
Hibiscus syriacus, a deciduous flowering shrub native to east Asia, the plant generally referred to in American English as "Rose of Sharon" and the national flower of South Korea. The specific epithet indicates that the plant was thought to originate from Syria. The flower's name in Korean is mugunghwa (Korean Hangul: 무궁화, Hanja: 無窮花) meaning 'immortal flower'.
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     同上

Hypericum calycinumって、こちらでいう美容柳みたいな花。もしかしたらそのことかな?

上の、Sharonってイスラエルの肥沃な高原地帯の名前ですよね。

今のアメリカ語ではムクゲのことなのだそうですけど、私はHibiscusしかつかったことがないし、それで通じているので、こんなかっこいいセリフは言ったことも、聞いたこともない。
この辺は、この前の日記の本を送っていただいた知人が詳しいのかもしれない。読んでいたら、おせ~てください。


あぁ~ぁ、やっぱり、私は横文字に足を踏み入れるとわけが分からなくなる。
縦書きの方がいいよね~
でも、白楽天の詩も、あれも問題あり。
千年の松、一日の槿、、、
和漢朗詠集にもそれが紹介されているし、芭蕉もそれを下敷きに俳句を読んでおりますけど、どうみてもみんなが言うような仏法の急速な繁栄を詠ったって読めないんだもん。
だからこれもパス。
ふん、どうせ私は無知蒙昧。
それで、いいんだもん。



オリンパス E-PL1 + MicroNikkor-PC 55mm f. 3.5

「シーボルト博物学」    雑感

2010年07月30日 13時44分44秒 |  オランダ
出版社をやっている知人から電話がかかってきた。
「本を送ったけど戻ってきちゃった。住所を教えて」
はいはい、住所不定ですみませんね~
ってことで、今朝、その本を頂きました。
東大の大場秀章教授と田賀井篤平教授の共著で「シーボルトの博物館」というもの。
前半を大場教授の植物、後半を田賀井教授の鉱物という構成。


本題の植物にしても、鉱物にしても、私のような門外漢にはちょっと難しすぎる。おまけに頂いて、斜めに読んだだけだし。
でもこの二つの章のそれぞれ前半を飾る、シーボルトのコレクションの生まれた状況から、なぜあんなにあちこちに分散されていったのかと言うような話、そしてシーボルトの研究の意義などは簡潔に纏められていて素晴らしかった。

ところで、この本を受け取って、知人にお礼の電話を入れたときに、日本の植物の紹介に尽くした大きな名前がいくつか抜けているなんて申しておりました。
一人は針灸をヨーロッパに紹介した人として有名で、医者としての評価が高いけど、いくつかの植物を紹介した業績もある。でも、これはシーボルトよりも200年近く前の人。やはりこの本とは関係なかったかな。
おまけに、もう一人はシーボルトの直前に来ていた人、民俗学的な資料の持ち帰りには相当な意味があったけど、植物はそれほどでもなかったか、、、
なんて、思いなおしておりました。
許されて。


書評を書けるような知識もないので、本については「本を買ってあげてよ」ってことで済ませちゃうけど、、って、いいながら、出版社の智書房で検索を掛けたらでてこなかった。
ほんとうは、智書房のアドレスはこちらにちゃんとあるんですけどね。それにしても、更新日 76/07/14 ってのはひどすぎない?
社長さんの話では、改訂作業中だとか。この本に関しても載っておりませんでした。
ちなみにこの本を買いたい方は下のアマゾンのリンクから購入できますので、興味のある方はどうぞ。
(アマゾンのリンク、表示がなんだか変ですね。一応私が四角の部分をクリックしたらこの本のところに飛びましたので、そのままにしておきますが、他の方がクリックしても大丈夫でしょうか。もし飛ばないようでしたらコメントを入れておいてください。別な通販サイトにリンクを変更いたしますので)



シーボルトはいろんなエピソードを残していますね。
たとえばシーボルト・スパイ説。
あれは別な知人が言い出したことで、ジャーナリスティックな言い方。
フランスに占領されて、日本との交易ができなくなっていたのが、やっと独立して交易を再開できるようになった。長い間日本との関係がなかったので交易を再開する上で日本のことを研究しなければってことで、国が助成金を出してシーボルトに研究させたってことが、そのスパイ説のもと。
当時、国禁だった地図を持ち出したことなどが背景にあるのですけど、まあ日本研究をする場合には地図は必需品ですよね。
それをもらって喜んで船に乗せたのはいいけど、台風が来て船が沈んでしまい、その荷物が岸に流れ着いて、ばれちゃったのはまずかった。
オランダでも、ヨーロッパの国々でも、昔は、国の地図やポルトラーノ(航海図)はトップシークレットの一つだったんですから、、、
言い出した当人はその辺は百も承知であんなことを言っているのだろうけど、、、、面白おかしい言葉って独り歩きしちゃうからね~

シーボルトが長崎に来て、出島の外の鳴滝というところで医学を教え始めた。日本としても最新の医学を学びたいという要求があったのですね。
江戸への参府の道筋や、彼の弟子達の集めた資料が、シーボルトの情報源になっていたのですけど、当時の弟子達の手紙なども結構素晴らしいオランダ語で書かれていて、いい弟子達に囲まれていたのだなって思います。

シーボルトやその弟子達の活動が、長崎大学の医学部、、、そしてひいては大阪大学(こちらはもう一つの流れがありますけど)や東京大学の医学部の土台になっていった。
もちろんシーボルト以前にもたくさんのオランダ商館の医師達の医学の伝習の歴史があるのですけど、その量と質からいっても日本の医学の基礎を作った功績は大きいのですよね。


ところでこのブログでも、オウムに言葉を教えるときに「オタケサン」って呼びかけるのは、シーボルトがオウムを持ち込んで嫁さんの名前をオウムに教え込んだのが始まりなんて書いておりましたけど、、、、さて、リンクを張ろうにもどこに書いたか忘れてしまった。

そのオタケサンの名前は、紫陽花をヨーロッパに紹介したときに「オタクサ」って名づけたのでも有名ですよね。長崎市の市の花はそれが縁で紫陽花になっています。

そのオタケサンとシーボルトの間の子孫とヨーロッパに帰った後の子孫たちも今、日本とヨーロッパに現存していて互いの交流もあるんですね。長崎市がシーボルト博物館を作ったときにはその二つの流れの子孫達が一同に会して友好を深めておりました。

シーボルトの(ヨーロッパの)子供も、日本の赤十字の黎明期にいろいろと手伝ったりした人。

もし、貴方が花や鉱物に、そして日本の学術史に興味がおありなら、この本、ぜひ一読されてみてください。

また、シーボルトの持ち帰った資料。標本類はあちこちに分散してしまいましたが、その一つの柱が、それを展示、研究するために作られたライデンの民俗学博物館。世界で始めての民俗学博物館です。

シーボルトが日本を離れてまだ150年ちょっと。でもシーボルトが集めた植物のいくつかは日本で絶滅してしまいました。大場教授は重複している標本を日本に持ち帰る準備をなさいました。私も1990年くらいからそれの受け入れ先を探すことに少しだけ関わっておりまして、長崎市や東京大学とも話をしておりました。
ちなみに、そのときに大阪のオランダ総領事館で文化を担当していたカイパース氏がオランダに戻り、シーボルトハウスの館長を勤め、来週あたりから東京のオランダ大使館内の企業誘致局の担当として戻ってくることになっています。

長崎の風物を書いた絵巻や、集めた民具、、、そのいくつかの風習や道具ももう見られなくなってきている。以前、民具の展覧会をやった博物館の学芸員が、「何の目的で使われていたものか分からない」って嘆いているものもありました、、、
長崎市へ非常に貴重な文化遺産だから何とかして欲しいって常々言ってはいたのですけど、これも厳しい状況。

以前、砺波市とリセ市が姉妹都市を結んだときに、砺波市の市長さんとご一緒しました。リセの球根博物館を訪ねたときに、今なら、古い農具はいくらでも手に入るから、互いに農具を交換したらって言いましたけど、砺波にはその後チューリップの博物館のような施設ができましたけど、さてあの話は、どうなったでしょう。
50年したら手に入れることが難しくなり、100年、200年したら、はて、何の目的で使われていた、、、、になってしまうかもしれません。


シーボルトが来日したとき、これは別に彼だけではないのですけど、日本へたどり着くのは決死の事柄でした。そんなことを思えば、先人達が努力し、研鑽してきた道筋を見ていくのはとても大切なことに思えるのです。
図版を見たり、その実物や、標本、レプリカを見たり、説明書きを見たり、それだけでなく、その後ろに隠れているものを見るのも、大切なことかな。

長崎楽会というのがあります。それの長崎と東京の責任者がきしくも出版関係。長崎では長崎文献社、東京ではこの智書房、一般受けするはずもないような歴史の研究資料などをこつこつと出版されています。
その活動を見ていて嬉しいし、がんばって欲しい。そしてその活動でさまざまな人たちがこの方面にもっと目を向けてもらえるチャンスを与えて欲しいそんな気持ちでおります。




シーボルト博物学―石と植物の物語
大場 秀章,田賀井 篤平
智書房



初々しさ  ヒョウタンとトマト

2010年07月30日 11時59分58秒 |  岬な日々


いすみ市の我が家のベランダに緑のカーテンを作るためにつる性の植物を植えたことはご紹介しましたし、瓢箪の花もアップしておりますよね。

今日はその瓢箪とトマトの子供。



花が散れば、子供が残る。
それに比べれば、人生の夢だの、名声だの、地位だの、、、ましてやお金をもうけるだのって、小さい小さい。
だから、人は子供や、小さな生き物を見ると心が和むのですよね。


なに?
夢に破れ、名声も、地位も、金もない引かれ者の小唄、、、
何とでも言ってください。

ワルナスビ  猛威を振るうもの

2010年07月30日 11時22分50秒 |  多摩川散歩


先日まで盛りを誇っていたトキワツユクサ(常盤露草)の花ももう終わりになりました。多摩川ではいすみ市ほどではありませんが、それでも古来の露草を凌駕しそうな勢いです。
亡くなりました多摩川のお仲間と「僕らが小さいころにはなかったのに」って話をしておりましたが、岬の家をでたところにもこれの大群落があったりしております。日本にはいってきてたかだか7,80年くらいなのでしょうけど、今や日本中ではびこっている。すごい繁殖力ですね。

そして、それに劣らず繁殖力の強いものがこのワルナスビ。悪茄子と書くのでしょうね。牧野博士の発見だそうで、それもこの千葉県の成田で発見されたのだそうです。もともとはアメリカ原産。でも世界中に広まっているのだそうです。多摩川などでは草刈自動車、、、、あのシートのある草刈機。どこかの監督さんの奥さんの自動車ではありませんけど、、、が、なんども草を刈っておりますけど、逆に他の植物が立ち直る前に、これが領地を広げてしまう。
下手に耕運機などで根っこをぐさぐさと断ち切ると、断ち切られた一つ一つが成長してくる。ほんとうに始末に終えない雑草。
花は可愛いのですけどね~

さらに猛烈なのは、アレチウリ。多摩川の河川敷でもこの数年、急に増えてきました。でも、これはまた機会を見て。。。