夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

秋の陽差しに照らされて

2010年10月23日 21時58分22秒 |  岬な日々

一本の桜の木を飾る葉はいったい何枚あるのでしょう。
おそらく百の単位ではきかない数なのでしょうね。

その一枚一枚が木へ栄養を送り、木陰を作り、木を大きく育て上げ、、、
木が冬の眠りの準備に入るころ、役目を終えて散っていきます。

あるいは、途中で病気や、虫などの事件に巻き込まれ、散っていったものもあるのでしょう。
この葉は、虫に食われ、それでもその役目を全うし、秋の陽差しを受けて、誇らしげに、土に還る日を待っています。

庭にはそんな葉っぱが積もっていて、土に還った後も、元になった木の栄養となる日を待っています。
風が吹くとさわさわと、、
あっちへいったり、こっちへ来たり。
木の枝に着いていた時よりも、もっと自由に軽やかに、、、

みんなで、何を話しているのでしょうね。。。。。

秋風にたなびく雲の絶えまより

2010年10月23日 18時58分06秒 |  気になる詩、言葉


今日は旧暦の9月16日。
満月です。
ここ、いすみ市は残念ながら雲がかかって、一瞬だけ、それもおぼろげな満月を望めました。

秋風にたなびく雲の絶えまより

    もれ出づる月の影のさやけさ


         左京太夫顕輔
         新古今集 4-413


文字通りの詩ですね。
小倉百人一首にも出てきている詩。
ストレートに、トントントンって自然の描写。それでいて、、、プツンって切れて、何やら余韻を残している、、、
報告書ばかり書いてきた風車には絶対にできない芸当ですね。。。。


秋の月、、、
新古今にも名歌がいくつも、、
特に、式子内親王の二つの詩(4-416と417)や、源道済の詩(4-406)はいつかはご紹介しなきゃって思っています。 


秋になって空気が澄んでくると月の明るさが増してきます。
そして、秋の憂鬱、、、夜長を悶々としている人々の心を月の影が浮かび上がらせていきます。
ちなみに式子内親王の詩は
   
宵のまにさてもねぬべき月ならば
    山の端近き物は思はじ

宵の間に寝てしまえるような月ならば
    こうして、(朝方の)山の端に(沈む月を)見ているほどには物を思っていない。



物を悩まない貴女に、もっともっと悩んでください。
そうすればもっと大人になります、、、、、
って、言おうと思いましたけど、、、、、
もうず~~~~と昔に大人になった貴女でしたね。
もう、悩まないでいいです。
悩もうとしても、悩むことなんか思いつかないでしょうけど、、、、、、
善哉、善哉