昨日のいすみ市でのこと。とんぼ沼というところへ来て写真を撮っていたら、傍を通っていたおばあさんから「何か特別なものがありますか」って聞かれた。
だいたい母と同じくらいの年齢かな。
車が練馬ナンバーなので懐かしくなったとのこと。
このおばあさんは何代も東京の本郷に住んでいたのだけど、息子さんが自然が好きなので、東京の家を売り払い、2年前にこちらに移り住んできたのだそうだ。
「最初はこの沼をみて、感激していたんですけどね~ でも住み慣れてくるにしたがって、何もない、まるで牢獄に入るみたい。東京の生活が懐かしい」
ちょうど、先日、長崎に独居している母から、もう一度東京に様子を見に来るという連絡をもらった。彼女も健康に不安があり、一人では生活できない、でも住み慣れた場所を離れるのも気が進まないというジレンマに悩まされている。
上京するということで、家を手当てしたのに、様子を見に何度か来ただけで未だに長崎に住んでいる。
慣れた家具などを手放すのも嫌だけど、運んでくればもう一軒家が必要になるだろうし、手当てしている家の傍の対人関係も、来ようとする気持に水を差しているようだ。
いすみ(岬)の家は気に入っている。でもここだと何をするにも車が必要。私がいないときには買い物にも出れない。だからここに母を住まわせることはできない。
それに、ここで生活を始めたら、上のおばあさんと同じように、数ヶ月で、「監獄にいるような」気持になるだろう。
そんな話をしていたら、「無理強いはいけませんよ」って釘を刺された。
判っています。その気ならとっくに母を連れてきています。母に任せているので余計にこちらも予定が立たなくなっているんですとは答えていたけど、さて、、
おまけに、親子とは言いながら、もう何十年も一緒には住んだことがない。
母も「私が来ている間、貴方が私のことにかまけすぎているから心苦しい」と言っているけど、こちらも母との同居がどうなるのか、今はまだ体が動くからいいけど、その後はどうするのか、いろいろと想像はするけど、本当のところなってみないと判らない。新聞紙面を賑わすようなことで終わるのだろうか、、不安はたくさんある。
私は世界的な水準で国道と呼べるのは高速道路だけだと思っているけど、国民が通行するのに法外な金を取る日本。紙面を賑わす悲劇のニュースを見ながら、まじめに働いてきて、病気や、事故、高齢になったために働けなくなった人に生きていくだけの保障を与えられない国。
ここではそんなことには言及したくないけど、でも目前に迫った母との同居、そしてその後の二人の生活、、、いったいどのような生活が待ち構えているのだろう。
(写真はずいぶん前の写真の使いまわし。カテゴリーに写真と入ってないものは、使い回しがあります)
仲秋の名月で騒いでおりましたけど、さてそのペアの十三夜が来週ですね。
26日が満月ということで、なら十三夜は24日。
満月を岬で迎えましたので、また岬へと思いましたけど、出没時間を見て「あれ~」ってことになりました。
24日の月の出は15時51分、入りが25日の4時44分。
まあ、見れないわけじゃないけど、月の出が撮れないですね。
たまたま月の写真を御所望の方の展覧会が15日から18日まで東京ということで、上京されている。(えっ? 京都の人が東京にこられるのも上京って言うのかな?) 嫦娥さんのポートレートはお届けできないな。
まあ、赤ん坊に戻る前にはなんとかお届けしなきゃね。
文字ばっかりじゃ目が疲れるので、お月見っぽい写真を追加しました。
東京から東名で2、30分で厚木に着きます。厚木を降りて山側に向かうとそこは大山。
東京の奥座敷といわれる熱海や、伊豆、箱根、富士の名勝とはまた一味違う、静けさと敬虔さを感じるのは山岳信仰の場であるという思いいれのせいでしょうか。
幾重にも連なる山々、急峻な峰、その底を流れる川や、湖。
昔は人を寄せ付けないような巌とした土地であったのでしょうが、最近は道路もよくなり、簡単にその奥にも入れるようになりました。
ただ、信仰の場とは言っても吉野、熊野などのような近づきがたい場所ではなく、なんとなく親しみを感じさせるような雰囲気を感じます。
この大山の寺社の一つに広沢寺があります。
厚木に近く、温泉も出るので昔から親しまれてきた寺。
ふと思いついて、ここを訪ねて見ました。
山門の傍らにその温泉がありますが、寺は鄙びた、静けさに満ちています。
寺の下を流れる川の川原。
オランダのフンベット(ストーンヘンジみたいなもの)の場所にも似ています。
この入り口にある建物、別荘なのでしょうか、スイスの山の中にでもありそうな建物ですね。
まだ紅葉にはちょっと早い時期でしたが、お蔭でほんとうに静かな午後のひと時を満喫できました。
ところでこれはどうして撮ったか判りますか?
答えはこちら。
そう蜘蛛の糸
今の広沢寺周辺はなんと言っても薄
日を受けていない木陰の薄にも目を奪われてしまいます。
柔らかく、しっとりと心に沁みこむような薄
何度も書いていますけど、これから私の写真には薄が溢れていくでしょうね。
だって、好きなんだから仕方がない。
好きと言えば、下世話に戻って、宮ケ瀬まで足を延ばしましたが、その途中でふらりと立ち寄ったお店。
いや、ここのソフトクリーム、美味しかったですよ。
東京の奥座敷といわれる熱海や、伊豆、箱根、富士の名勝とはまた一味違う、静けさと敬虔さを感じるのは山岳信仰の場であるという思いいれのせいでしょうか。
幾重にも連なる山々、急峻な峰、その底を流れる川や、湖。
昔は人を寄せ付けないような巌とした土地であったのでしょうが、最近は道路もよくなり、簡単にその奥にも入れるようになりました。
ただ、信仰の場とは言っても吉野、熊野などのような近づきがたい場所ではなく、なんとなく親しみを感じさせるような雰囲気を感じます。
この大山の寺社の一つに広沢寺があります。
厚木に近く、温泉も出るので昔から親しまれてきた寺。
ふと思いついて、ここを訪ねて見ました。
山門の傍らにその温泉がありますが、寺は鄙びた、静けさに満ちています。
寺の下を流れる川の川原。
オランダのフンベット(ストーンヘンジみたいなもの)の場所にも似ています。
この入り口にある建物、別荘なのでしょうか、スイスの山の中にでもありそうな建物ですね。
まだ紅葉にはちょっと早い時期でしたが、お蔭でほんとうに静かな午後のひと時を満喫できました。
ところでこれはどうして撮ったか判りますか?
答えはこちら。
そう蜘蛛の糸
今の広沢寺周辺はなんと言っても薄
日を受けていない木陰の薄にも目を奪われてしまいます。
柔らかく、しっとりと心に沁みこむような薄
何度も書いていますけど、これから私の写真には薄が溢れていくでしょうね。
だって、好きなんだから仕方がない。
好きと言えば、下世話に戻って、宮ケ瀬まで足を延ばしましたが、その途中でふらりと立ち寄ったお店。
いや、ここのソフトクリーム、美味しかったですよ。