夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

今日の珍客

2010年01月26日 22時16分28秒 |  多摩川散歩


XXXじゃないかと思うのはあるのですけど、多摩川の散歩コースで見るのは初めてなので、確信がもてません。

猛禽類。トビよりも少し小さめ。まっすぐに飛んでましたよ。
ちょっと遠かったので、かなりトリミングしてあります。

土手の花

2010年01月26日 17時30分28秒 |  岬な日々

「壁の花ならまだ我慢できるわ、でも、言うに事欠いて土手の花ってのは何よ!」
ってお叱りを受けそうなタイトルですけど、でも事実だからね~ 

今日は、我が家から見る限り、朝から一片の雲も見えない素晴らしく晴れ上がった日でした。風は少し寒いけど、陽射はぽかぽか。こんな日は散歩には最高ですね。
ということで、今回は多摩川の土手(まだ言うってか?)の花たち。
鳥フォービアの知人達に嫌われ見限られてしまう前に、少しは目先を変えましょう。



実は昨日の散歩でカタバミの花を見つけたのです。まだ咲ききれなくって蕾からちょっと開いた感じの楚々とした、なかなか素晴らしかったのですけど、マクロを持って行きませんでしたので撮れず。
今日の散歩にはマクロを入れて参りました、、、、
が、やはりチャンスは一度しかない。
それを生かせなければ、人生は終わりよ、、、、、
なんですね、、、、
ずいぶん、探しましたけど、見つかりませんでした。

手折られて、どこかで飾られているのであれば嬉しいけど、、、

名前は悪いけど、ほんとうに太陽が嬉しいっていっているような花ですね。



カラスは食べない、、、



これだって花なのだそうですよ、、、



なぜか、私はこの花が大好きです。
でも、庭に植えるのは勘弁、勘弁。



実家は個人営業をやっておりました。
そして、屋根にはびっしりとこの花が、、、、




知らないということは  多摩川のミサゴ

2010年01月26日 00時15分53秒 |  多摩川散歩


もう、日にちが変わりましたので、昨日ですが、ほんとうに暖かい素晴らしい散歩日和でした。
多摩川では鴨の大運動会。
親たちは、川辺に陣取って、重箱のご馳走を食べながら、子供たちの成長に目を細めておりました。



用意、ドン



うちの子はどこ?
3番目?




なんて、こちらも楽しく見ておりましたが、、、
ほんとうはとんでもない。
空には、こんなのがいたのですよ。



あぁ、忙しいって言いながらも、「可愛いU20いないかな~」なんて上から眺めながら、超音速で飛んでいきました。



物事は、全てを見通してないと、とんでもない間違いをするのですね~

大和は国のまほろば    そして上総

2010年01月24日 11時10分17秒 |  気になる詩、言葉


いすみ市がある房総半島の南は上総と呼ばれていますね。そして千葉の北側が下総。今の感覚からすれば反対のように思われます。
なぜかな?

先日の日記「果たて」でもちょっと紹介していましたけど、弟橘媛の

さねさし相模の小野に燃ゆる火の
火中に立ちて 問いし君はも
         (火中=ほなか)

(夫の倭健命は)相模の国の戦では、燃え盛る火の中でも(自分のことよりも)私のことを気にしてくださった。(そのあなたのためですもの)

彼女はこの後、荒れ狂う海の神を鎮めるために海に身を投じます。

ちなみにこの詩の小野はそれ以降焼津と呼ばれましたって。
ただし、確認は取ってないので、気になる人は調べてね。

そこから上総に向かった倭健命は走り水(今の横須賀あたり)で、荒れ狂う海にぶつかったのです。弟橘媛の入水で鎮められた海を渡ってやっと上総に到着します。

上総からの帰りに、四阿嶺というところで、自分が征服した東国を一望しながら、「吾妻はや」(我が妻や~)って三回嘆いたってことになっています。
これから関東を「あずま」と呼ぶようになったのだそうです。
知ってた?
(ただし、日本書紀だと、倭健命は上総から東北の北上川まで遠征し、その帰路、群馬の上野で「吾妻はや」って叫んだとなっています。
どちらにしろ、土地の名前を天皇家の人々の功績と絡めるのは、日本書紀、古事記いずれにしろ、お役目ですので。
今の、週刊誌編纂も大して変わらない。

どうにも役に立たない、ごみを追加すると、
この前に、甲斐で、「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」という詩を詠み、これが連歌の始まりなのだそうです、、、

そして、帰国途中、三重県の亀山で亡くなってしまうのですが、そのときの詩とされるのが、国偲びの詩。(日本書紀では父親の景行天皇の詩としている)
彼の魂は白鳥になって大和に戻ります。




あの時代、上総は東海道の国のひとつ。今から考えると下総のほうが上総って呼ばれてもおかしくないのですけど、なぜでしょうか?

実は、東海道とは海の道。奈良から東に向かって来ると、焼津あたりで、船を仕立てなければなりませんでした。
現在の東京あたりは湿地で歩ける状態じゃなかったのですね。
だから、東の「海」の道って呼ばれていたのです。

九州への道も、陸路よりも、瀬戸内海を通る海路が多く使われていました。
九州は鉄の産地でもありましたし、古くから開けた一帯、
(邪馬台国が九州だったとか、天孫降臨がどこだったとかって話は、面白いけど、武蔵の湿地に足を踏み入れるようなもの、抜きさきならなくなって、先にも後にもいけなくなります。だから、ここではしませんね。
でも、最近の考古学の発見って、目を見張るものがありますね~ もう少し長く生きられると、完全にあの時代のことが日の目を見るのでしょうけど、、、、
そうなったらロマンがなくなる?
じゃ、別に無理して長生きする必要もないのですね。よかったよかった)
なんてことは別にして、だから、瀬戸内の水軍が発達したのですね。
伊豆にも、房総にも、瀬戸内やその水軍のゆかりの地名が今でもたくさんのこっていますよね。
日本は国の成り立ちから海の国だったんですよ。

ところで、東の海の道の終着が上総の国だったんです。
この国はいろんな地方を合併してどんどん大きくなっていきます。
国の格は大国。
首都は今の市原。
奈良から下総へは上総経由でしか入れなかったのです。
ということで、今の東京に近い下総が当時の地理から言うとむしろ遠国。
下になってしまったのですね。


なんて、書くことないから、ごみみたいなことを書いてました。
写真も昨日撮ったもの。

先ほど、出版企画、コンテンツの作成なんかをやっている、ものすごく博識の、そしてものすごくネットワークを持っている方から、写真と、文章をほめられましたんですよ。こんなことは私の一生の中で何度でもないだろうけど、でも、こんな文章を書いていたんじゃ、嫌われちゃうよね、、、、
次から、もっとちゃんと気合を入れなきゃ、、、、、
って、ブログをはじめたときから思ってはいるのだけど、、、、


お化けトンネル

2010年01月23日 19時28分57秒 |  岬な日々


養老渓谷に地元の人に「お化けトンネル」と呼ばれているトンネルがあります。
なんでも、横溝正史のドラマでも使われたことがあるとか、入ってみるとそれが納得できるような、なんとなくおどろおどろしい風景。
写真に撮ると、ご覧のとおりもっとすごいことになっております。
目ではこんなにグリーンには光っていないのですけど、照明の色温度のなせる業なのでしょうね。
最寄の養老渓谷駅は小湊鉄道の終点のひとつ手前になります。
(終点は上総中野。ここから先はいすみ鉄道)
養老渓谷駅や、以前ご紹介していた大福山は市原市、でもこのトンネル部分は大多喜町です。
このトンネルのそば弘文洞跡がありますが、ここは養老渓谷の中の紅葉の名所のひとつです。
弘文洞は養老川とその支流の合流部分に水を回すトンネルとして作られていましたが1979年に崩落してしまいました。



キャノンSX20isでの撮影。
ホワイトバランスはオートですよ。





白鳥の湖 グラン・パ・ド・ドゥ

2010年01月22日 21時55分54秒 |  岬な日々

多摩川バレエスクールの広報担当として、今までもいろんな踊りを紹介してまいりました。
でも、多摩川ではコサギがメインのキャストでしたね。
なに、リンクを張ったところでは蒲田バレエスクールになっているって、実は蒲田バレエスクールって実在のものがあるのですよ。だから多摩川バレエスクールに改名したって、どこかに書いておりましたよね。

この時期、いすみ市では本物の白鳥が、白鳥の湖を踊っております。

ところで、いつもグラン・パ・ド・ドゥ(Grand Pas de Deux)って簡単に言っていますけど、これには決まりがあることをご存知でした?

まずはアントレ(Entrée);二人のダンサーの入場です。



そして、二人でゆっくりと優雅に踊るアダージュ(Adage)



男女それぞれのソロ; ヴァリアシオン(Variation)が続きます
 


そして、締めのコーダ(Coda); 速いテンポで技巧を見せる踊りです。



ほんと、風車のブログは役にも立たない情報の宝庫ですね~

冬は冬なりに

2010年01月22日 19時01分22秒 |  岬な日々


横浜からの移転、風邪などが続いて、家の周りの探索も思うに任せませんでしたが、昨日、岬に参りまして、やっと普通に戻り、周りの花たちにご挨拶。
そして、家にもご挨拶。

大寒とはいえ、妙に暖かかったりしておりますが、家の周りでは確実に一月の装い。


多摩川散歩 三日目  妻をめとらば才たけて

2010年01月20日 22時06分34秒 |  気になる詩、言葉


多摩川への散歩、三日目ともなりますと、あっちを向いても、こっちを向いても撮るものもない。

昔なら、通い詰めれば深窓の麗人なんてのにも親しく恋の歌なんて交換できたんですけど、、、、
もっと運がよければ、三日も通えば、御餅なんぞを食べて、披露宴なんて、、、、

でも、風車じゃ、そうは行かない。
運がよくても、詩を作るなんてことはできないし、詩を書いても、自分でも判読不能な文字しかかけないし、、、、

まあ、最初から散歩の記録なのですから、なんでもその辺のものを撮っていればそれでいいといえばいいのですけどね~

ということで、今日もまたまた、深窓のメジロちゃん



そして、モズ君



あとは、鴨、、、、





どこを、どう突っついても



ここほれ、ワンワンって訳には行かないようで、、



才長けて、みめ麗しく、情あるU20はどこにいるのでしょうかね~
もしかしてレッドブックからも消されていたりして、、、
もはや危惧種を通り越したのかしら、、、、
風車も昔は狼だったけど、今や絶滅種だもんね~



妻をめとらば才たけて みめ美わしく情ある
友をえらばば書を読みて 六分の侠気四分の熱

恋の命をたずぬれば 名を惜しむかな男ゆえ
友のなさけをたずぬれば 義のあるところ火をも踏む  

汲めや美酒うたひめに 乙女の知らぬ意気地あり
簿記の筆とる若者に まことの男君を見る

あゝわれコレッジの奇才なく バイロンハイネの熱なきも
石を抱きて野にうたう 芭蕉のさびをよろこばず
     人を恋うる歌
       与謝野 鉄幹


三高寮歌としているものもありますが、三高の寮歌集には掲載されていませんでした。
オリジナルは16番まであるそうです。
  全文はこちらをどうぞ。
   
「コレッジの奇才なく」の部分、「ダンテの鬼才なく」となっているのもあります。




こんなんばっかりじゃ、ボクちゃん嫌われちゃうな~



って訳で、トップは、カラス。
これを見てくださった何人かの方はギャッって腰が引けた方もありそうで、、、
ヒヒヒ。

果たて

2010年01月19日 22時29分13秒 |  岬な日々


日曜日にいすみ市からの帰り、茜に染まっていく空と、雲を見ながら東京へと戻りました。
その間、ずっと、この「果たて」の文字が頭の中をぐるぐる、、、、

以前に古今集の詩

夕ぐれは雲のはたてに物ぞ思ふあまつ空なる人を恋ふとて

ご紹介したことがあったはずですが、この「はたて」が旗手であったり、果たてであったり、意味がはっきりしないのですね。
私のように詩にも、古文にも素養のない人間にはどちらかというと果たて、、って言う方が分かりやすいんですけど、、
なんて、そんなことを思っていたら、今年の歌会始の皇后様の御歌は

君とゆく道の果たての遠白く夕暮れてなほ光あるらし

遠白=とほしろ

でした。

それにしても、その帰り道での「物思い」で、倭健命と弟橘媛が絡まってしまったのはなぜなのでしょうね、、、、、
夕焼けの赤と、相模の小野に燃ゆる火がシンクロしてしまったのかしら。

本来関係のないものが、頭の中でどうもこんがらがってしまうことってありますよね~


多摩川散歩

2010年01月19日 21時49分21秒 |  多摩川散歩


昨日の多摩川散歩の記事に、トモエガモが私の散歩コースに入っているってコメントをいただきました。11月ごろにも入っているって聞いていたのですけど、私は今シーズンはまだ見てません。というわけでご挨拶を兼ねての多摩川散歩。
午後からは逆光になりますので、午前中に参りましたが、今日は暖かくて汗ばむくらい。
残念ながら、トモエガモさんにもアメリカヒドリさんにもお目にかかれませんでした。
でも、昨日「風車が河川敷に「立った」」って噂が流れたようで、昨日会えなかった子たちが挨拶に来てくれました。

トップの子は、待ちきれなくって、多摩川から途中まで迎えに来てくれまして、歩道で待っていてくれました。愛情細やかな子、きっといいお母さんになるでしょうね、、、、、

こちらも、私の来るのを待っていてくれました。
相変わらず美人さんですよね。



こちらはまた、多摩川では一年ぶりくらい。「おみ限りね、、、」って、拗ねて後ろ姿しか見せてくれませんでした。



こちらは、女の子じゃないくせに、恥ずかしがっちゃったりして、、、、



こちらは、しょっちゅうお目にかかっておりますので、、、




今日の、番外編
昨日のコメントにも書かれていました、お猿さん。
去年までステージのスターだったそうで、カメラを向けると、ポーズを取らなきゃいけないって、体が緊張するのだそうで、「カメラ、嫌い」なのだそうです。長年、仕事で身についた癖なのでしょうね、、、、さすがセレブ。

久しぶりでお会いしました鳥の師匠によりますと、お猿さん、2匹で散歩しているときもあるのだそうです。



今日は、アンディ君にもお目にかかり、旧交を温めることが出来ました。
いや、素晴らしい散歩でした。