旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

カリフォルニア紀行2000 かぶりつき

2005-02-03 12:00:00 | 帰国5周年記念

Union Station, MTA
Los Angeles, California, January 28th, 2000


10.かぶりつき

Union Station から $1.35 の切符を買って Metro Red Line (MTA) に乗りこむ。映画「スピード Speed」(1994)の気分を味わうべく先頭車両に行くと、すでに運転台の後の席で前方の眺めを楽しもうという先客がいた。所謂「かぶりつき」で、日本では鉄道ファンらしき男性が多いのだが、年配女性がかぶりついている。隣に座るのもどうかと思い、少し後の席に座った。

男性客2人が乗りこんできて、列車の行き先を話している。Red Line は途中駅で分岐するのだが、彼らは別の行き先の列車と間違えて乗り込んできた様だ。するとこのおばさん、「これはそこ行きじゃないよ」と的確に教えて、2人は降りていった。地上区間があるのか知らないが、地下鉄でかぶりついているこのおばさん、やはり鉄分の濃い人(鉄道ファン)なのかと思う。

7th St./Metro Center で下車する。Long Beach 方面への路線 Metro Blue Line との乗換駅で、昨夜も乗り換えている。今日は Metro ではなく、バスに乗りかえる。地上に出ると百貨店やお洒落な店があるが、用も無いのでバス停を捜す。Dash というバスで運賃はわずか¢25である。Quarter(25セント硬貨)1枚である。公共交通機関の利用を促すためだが、なんと安いのか。均一運賃なので終点まで乗っても¢25である。成田で両替してきた換算レートで27円19銭ではないか。

バスで街の南へ向かう。道沿いにショッピングセンターが見える。テナントにYOSHINOYAが入っている。降りてアメリカの吉野家の味を試してみるのも良かったが、そのまま目的地へ向かう。

Exposition で下車する。ここは Exposition Park は広大で複数の博物館やバラ園、運動施設等がある。北側には公園に面して University of Southern California (USC)。California Science Center/Imax Theater には見学なのかたくさんの小学生が来ていた。そして目的地の The Los Angeles Memorial Coliseum の前へやってきた。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 Union Station

2005-02-02 14:15:00 | 帰国5周年記念

Union Station, AMTRAK
Los Angeles, California, January 28th, 2000


9.Union Station

駅に戻り切符($1.35)を買い、再び Red Line に乗車して逆の終点の Union Station で下車する。地下通路を通り上がったところは AMTRAK の Union Station である。

4年前は鉄道で旅した。サンフランシスコ (San Francisco Ferry Bldg, CA) を連絡バスで朝の7時に出発、ベイブリッジを渡りオークランド (Oakland-Jack London Sq, CA) へ。8時にシアトルからの列車 Coast starlight で、夜の8時にロサンゼルス (Los Angeles-Union Station, CA) に着くはずだったが、列車は遅れて夜の9時半頃に到着したと思う。

単線非電化で貨物列車と交換(列車の行き違い)で信号所で止まったりもした。すれ違う貨車を数えたが100を超えてもまだやってくるので数えるのを止めた。大きな峠を越えたり、太平洋に沿って走ったりするが、大きな街も少なく単調な車窓で、退屈な12時間(遅れたので13時間強)だった。座席は2等でも日本のグリーン車よりもゆったりした造りだ。

オークランドで車掌に切符を見せて指示された席は進行方向左側で通路側。海側(進行方向右側)の窓側が良かったのでがっかりした。この時は英語力が無い上に初めての海外旅行でもあり、車掌に席を変えてくれという芸当は出来なかった。私の席の隣(窓側)に若い白人女性が座っている。西洋人の年齢はよく判らない。10代のようにも見えるし、20代のようでもあるし、30代かも知れない。この列車は夜行列車でもあるので、座席で寝ていたらしく毛布を被っている。寝起きの若い女性の隣に無口な(英語が離せないからだが)東洋人男性がやってきた訳だが、怪しまれないように、とりあえず Hi と声を掛けておく。その後、9時間も隣の席にいて話し掛けなかったので充分怪しい。彼女がサンタバーバラ (Santa Barbara, CA) で降りる前になり、展望車からの海の眺めが良いから行ってみては、と教えてくれる。なかなか親切ではないか。9時間も黙っていないで、話せないなりにも何か話しておけば良かったと悔やむ。南欧風の街の中に彼女が消えて行く。

しばらくして日本人旅行者が話し掛けてきた。日本語に飢えていたので話しこむ。といっても、なんだかんだで日本語を使わなかった日は無いのだが。日本の大学生男性でアメリカ全土で使える鉄道パスを持って旅をしているという。ひとしきり話して彼は他の車両へと去った。この列車には幾人の日本人が乗っているのだろうか。

次に白人男性が話し掛けてきた。流暢な日本語である。University of California, Berkeley (UCB) の学生で日本には行った事が無いという。日本に住んでいて日本語を話そうともしないアメリカ人も多いのに。我が故郷には米海兵隊のベースがあり、外人とは海兵隊員またはその家族という図式であったので、普通のアメリカ人が我が故郷を知っているかの聞いてみた。彼は知らなかった。まあ、そうだろう。

何を話したか忘れたが、LAに到着するまで話していた。3時間以上も日本語で話しまくっていたせいか、降りる前に近くの席に座っていた白人の老夫婦が私に中国人かと聞いてきた。日本人だと答える。友人が迎えにきていたUCBの学生と駅で別れ、タクシーで前出のホテルへ向かった。運転手と野茂投手の話をした。

話は戻る。前回は夜の到着で、そそくさと後にした駅だったが、今回はまだ午前中である。列車でサンディエゴへは行けなくなったが、せめて構内を散策しよう。昭和8年(1933)に完成したという古い駅舎だが、待合室は重厚で快適そうだし、売店やレストランもお洒落な感じがする。しかし自動車かつ航空機の社会なので、日本の大都市の主要駅と比べて列車本数が随分と少なく、そんなに旅客は多くない。かつては鉄道全盛の時代もあったのだろうが。

改札は無く、自由にプラットフォームへ行くことが出来る。地下鉄と違い電化していない。また、ゆったりとした鉄道の旅をしてみたい。サンディエゴへは行かないが、明日はサンフランシスコへ移動しなければならない。4年前の逆のルートで行ってみようかと思う。切符売り場へ行くが、お目当ての列車の切符は買えなかった。バスという手段もあるが、乗り場の治安が悪いとの情報もある。残念だが航空機を利用しようと思う。せっかくなので、昨日世話になった American Airlines を使おうと思う。

切符売り場には列車案内のコンピュータ端末がある。日本語が選択できるので使ってみるが、直訳なのかまるで意味が解らない。日本にも同様の端末があるが、外国語は意味が解るように作っているのだろうか。日本人の親子連れがやってきて、やはり件の端末を使っている。駅を見に来ただけで列車に乗る訳でも無さそうだ。さて、名残惜しいが、再びここから列車の旅が出来る事を願いつつ、駅を後にした。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 ハリウッドヘ

2005-02-01 10:10:00 | 帰国5周年記念

Hollywood, California, January 28th, 2000

8.ハリウッドヘ

そもそも今回の旅行の目的は米墨国境を歩いて超える事だったのである。LAの南にサンディエゴ(San Diego, CA)という街がある。カリフォルニア州で LAに次ぐ人口第2位の都市で見所も多くて滞在したい街だが、この街の南にあるティファナ(Tijuana, Baja California, MX)こそ、今回の旅行の目的地であった。メキシコの査証(VISA)がなくても国境を超える事が出来る。LA到着の翌日にサンディエゴへ列車で移動し、米墨国境を越えてティファナを観光。そのままメキシコで宿泊するか、戻ってサンディエゴに泊まるつもりだった。それが手荷物の一件でLAに足止めとなった。鞄は戻ってきたが宿は連泊に変更したし寝不足でもある。久しぶりのLAでもあるので、今日は市内観光に充てる事にした。

モーテルを出て、MTA最寄駅の Wilshire/Vermont から Hollywood/Vine へ。Red Line 1本で乗り換え無しの運賃は $1.35 である。後に Red Line は延伸されているが、この時には Hollywood/Vine が終点。駅名の Hollywood/Vine は Hollywood Blvd. と Vine St. の交差する地点だからで、京都の四条烏丸と同様である(四条通と烏丸通)。

有名な Grauman's Chinese Theatre まで少し離れている。 $0.25 でバスもあったが歩いた。路上生活者がファストフード店で飲み物に使うような大きな空のコップを手に持って金をくれと言う。「英語が解らない」と英語で言って通りすぎる。Hollywood のような観光地にも(だから?)このような人がいるのだ。やがて目的の場所に到着。路線延伸後の今ではここに駅(Hollywood/Highland)が出来ている。

平成8年(1996)に初めての海外旅行でアメリカを訪れている。今回の旅行と同じ街を訪れているので、その時の話も今回の紀行文に書いてしまうだろう。読みづらくなるがご容赦いただきたい。

さっそくだが、4年前に現地ツアー(日本語)に参加した。ガイドは栃木県出身の女性だった。半日のツアー ($50.) だが、一人旅では知る事も無いような情報も得らたので、参加して良かった。佐賀県の還暦は過ぎたであろう夫婦、名古屋の卒業旅行女の子2人組、怪しい1人旅の男性(自分)が加わり、ガイドの運転でバンに乗って市内をまわった。その時教えてもらっていたので、Marilyn Monroe の手形・足形のタイルを見つける事が出来た。6-26-53 の日付(昭和28年6月26日)がある。あまり役者の名前には詳しくないので、このへんで退散する。

4年前にはすぐ近くにある Roosevelt Hotel に泊まった。映画の賞の授賞式に使われたり、映画の舞台になったりと、かなり有名なホテルらしい。ただ私には古いだけのホテルであまり意味はなかった。荷物を預かって貰えば、預かり賃は請求される。荷物を引き取ろうとするとフロントでは渡してもらえず、ポーターが部屋まで運ぶという。運ばれたら運ばれたでチップを要求される。フロントで渡せと言っているのだから、おとなしく渡せば良いのである。ポーターが運ぶ必要なぞ無いのに無理やり運んでチップを要求するとは、全く馬鹿げている。ポーターの役割が細かく決められているのだろう。アホらしいが、これも郷に入りては郷に従えである。日本人の宿泊者が大半だと思うのだが、フロントは全く日本語を話さない。そして部屋は狭いくせに、 $100. 以上払った。今回利用しているモーテルも日本語は通じないが、部屋は広くて料金は安い。チップを要求するポーターもいない。実に結構である。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 Decaf

2005-01-31 07:45:01 | 帰国5周年記念
7.Decaf

電話のベルで目がさめる。昨夜からLAのモーテルに泊まっている。電話はフロントからで、荷物が届いているという。飛行機に手荷物が積み込まれていないというトラブルに遭い、着替えるものも無かったので、日本から同じ服のまま寝ていた。フロントに行くのにも着替える必要はなく便利である。(まったく)

部屋を出てエレベーターを待つ。このモーテルのエレベーターは、何故か呼び出すボタンがひとつ付いているだけである。上、下に分かれていないので扉が開いたところで乗ってみる。下に行きたいのだが上がる途中だった。一旦、最上階まで上がってから、ようやくフロントのある1階に下りてきた。フロント氏に声を掛けると朝食をするのかと聞いてくる。私は荷物の受け取りだと話すと、成田で別れた鞄が出てきた。一時はどうなることかと思ったが、よく鞄がひとり(?)で私の宿泊先までやって来たものである。再会を喜ぶ。開けられた様子は無いが、米国到着時に検査はされていないのだろうか。

一旦、部屋に戻り着替える。先程、フロントで朝食云々と聞かれたが、朝食は料金に含まれているらしい。さっそく朝食の提供される場所へ行ってみる。食堂という程では無いが、椅子やテーブルがある。自分で欲しいものを皿に取り、席に運んで食べるようだ。黒人女性が一人で準備をしている。簡単なものばかりで料理といえるものは無い。目玉焼きや、煎餅のようなカリカリベーコンは無い。シリアルやドーナツ、果物そしてコーヒーなどの飲み物である。ガイドブックによるとモーテルではコーヒーや軽食がサービスのところがあるという。これもコーヒーサービスの延長なら充実している方だろう。一通り貰って席に着く。シリアルは良いが、ドーナツは随分甘い。果物があるのは流石だが。

コーヒーは普通のものとカフェイン抜き(Decaf)がある。日本では一般的ではないが、アメリカでは両方が用意されているらしい。松戸のスターバックスでも店員に頼めば淹れてくれた。普通のコーヒーか Decaf か、飲み比べても判りにくい。レストランで客がDecafのお替りを頼んでも、普通のコーヒーを Decaf ですよと偽って注ぐ店員いる事を、隠しカメラで撮影したCBSのドキュメント番組を見た事がある。せっかくなので飲み比べたが、やはり違いは判らない。これも本当に Decaf なのか。そんなにカフェインを気にするほどコーヒーを飲まないのでどうでもよいが、就寝前なぞ Decaf だとよさそうである。

室内を見まわすと、食事をしている客は全員東洋人、というか韓国人ばかりのようだ。彼らもドーナツではなく、米の飯のほうがよいだろう。しかし、郷に入りては郷に従えで、朝から甘ったるいドーナツなぞ食べている。

紙コップに、コーヒーをもう一杯貰って部屋に戻る。途中で昨日のフロントの女性と会い、荷物の件で大変でしたね、と話し掛けてきた(んだろうと思うよ、英語よく解からんけど)。恐らくこの人が日本人宿泊客に頼んで荷物の件で私に電話で伝言してくれたのだろう。お礼を言ったが英語力不足なので、英語のほかに韓国語でも言っておいた。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 手荷物発見

2005-01-30 02:45:02 | 帰国5周年記念
6.手荷物発見

モーテルに落ち着いたが、機内食から何も食べていないので、近くにあった Denny's へ行く。カウンター席に案内される。このあたりは韓国系の人が多いが、Denny'sは韓国風になっているという事はなかった。メニューを見ると、信じられない事にアルコール類が見当たらない。店員に聞くがやはり置いていないとの事。ここの Denny's では無いだけなのか、時間帯によって無いのか判らない。分厚いステーキでも食ってやろうかと思っていたが、酒が無いのではつまらない。BLTのサンドイッチとコーヒーを頼む。付け合わせのフライドポテトの量が多いのと、ベーコンは煎餅の如くカリカリであることがアメリカを感じさせる。味は格別ではない。コーヒーのおかわりを持ってきてくれなかったので(頼めば良いのだが英語力不足)、チップはケチって$1.で支払いを済ます。しめて$7.92 であった。アメリカ到着後、初の食事にしては味気ないものとなった。酒がなくては陽気にもならない。

どこかでビールを買いたいが酒屋の場所も判らない。ロサンゼルスは治安がいいイメージがないので、あまり夜中に歩き回りたくない。しらふで宿に戻る。とりあえず国際電話で航空券を買った旅行会社に相談する。日本は翌日の昼間だろう。手配旅行なので何もしてくれない。ガイドブックに載っているような対処法を説明するばかりである。結局は航空会社に任せるしかないという。

部屋に戻り、シャワーを浴びるが着替えも無い。果たして手荷物はどこへ行ったのか。何もかも嫌になる。布団を被っていたら部屋の電話が鳴る。相手は日本語である。何故かと不思議に思ったが、私の英語力が貧弱なので、フロントが宿泊客の日本人女性に用件を日本語で伝えてくれるよう頼んだのである。アメリカン航空から手荷物がLAに着いたので、こちらに送るという話であった。心底ほっとした。また、こんな時に日本語で伝えてもらったのでありがたかった。人の親切が身にしみる。電話をしてくれた日本人女性にはもちろん、気の効いたフロントにも感謝したい。こうして手荷物行方不明事件は、長い長い1月27日のその日のうちに解決した。

- Friday, January 28th, 2000 -

12時をまわったが、手荷物は今すぐ持ってくるのかと思い、部屋を出てロビーのソファーに腰掛け待っていたが、一向に来ない。LAの28日午前12時は、日本時間28日午後5時である。いい加減、寝たい。白人の警備員と韓国系のフロントが話している。この時間はフロントは男性である。警備員は常駐しているのか知らないが、やはり日本より治安は悪いんだなと思う。しばらく待っていたが、手荷物が届けば電話をしてくるだろうということにして、待つのはやめて部屋に戻った。電話を気にしながらも、ようやく眠りについた。 (つづく)