旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

カリフォルニア紀行2000 ダウンタウンへ

2005-01-29 09:40:05 | 帰国5周年記念
 
5.ダウンタウンへ

前回のアメリカ旅行の時に残っていた小銭を使い、公衆電話から宿にこれから向かうと連絡する。日も暮れてきた。クタクタである。でもタクシーには乗らない。公共交通機関を最大限利用する。ガイドブックによると、空港から Metro Green Line の駅 (Aviation/I-105) まで連絡バス(無料)がある。これは簡単に乗れた。だだっ広い区画の中を走って駅に着いた。タダだからではないが、運転手にありがとうを言って降りる。アメリカ人はさかんに Thanks とか言っている気がする。これは郷に入りては郷に従えではなく、日本においても実行したいものである。

自動販売機で Metro の切符を買う。 Metropolitan Transportation Authority (MTA) が今から乗る列車のほか、バスも運行している。切符はひとつの列車に乗る場合と、他の列車・バスに乗り換える場合(TRANSFER)がある。今日は Metro Blue Line と Metro Red Line にも乗り換えて宿を目指すので TRANSFER ($1.60) を購入。Green Line の列車を待つが運転本数が少ないのか、なかなか来ない。ようやく来た列車は編成が短く小さな車両だった。しかし加速はよく、なかなかの走りっぷりである。日本車両のプレートがあった。太平洋を渡って活躍する日本の鉄道車両に感心する。 Imperial/Wilmington で乗り換えのために下車。

階段を降り、Blue Line のホームへ移動して列車を待つ。並行する線路を Long Beach 方から貨物列車がけたたましく警笛を鳴らしながら接近し通過していく。大きなディーゼル機関車が4重連で牽引し、貨車も大きなコンテナも2段重ねと馬鹿でかい。それが5分経っても通過し終わらない。なんともスケールが大きい。そして小さな Blue Line の列車が入線してきた。 これも Green Line 同様、快走する。今回乗車した3線のうちで乗車距離は最も長い。暗くて景色は見えない。直前に地下に入って終点の 7th St./Metro Center に到着。ここで Red Line に乗り換える。ここまでで一番立派な駅である。

次に乗る Red Line は完全に地下鉄である。映画「スピード Speed」(1994)で登場し、工事中の Hollywood でラストを迎えたが、今では開業区間も先に伸びている。今日は Hollywood へは行かず、途中の Wilshire Vermont で下車する。ここも立派な駅だが、改札はない。最初から最後まで、全く切符の検札は無かった。無賃乗車の対策はどうなっているのかと思うが、ガイドブックには抜き打ちで検札を行っており、無札が発見されると莫大なペナルティが課されるという。くれぐれも勝手が判らないからといって、車内や目的地でお金を払えばいいやと、切符を買わずに乗車なさらぬよう。

今日の宿は Best Western Mid-Wilshire Plaza Hotel である。Best Western はモーテルのチェーンである。Red Line の駅の近くである事でここを選んだ。ちなみにモーテルとは日本の連れこみ宿の事ではない。自動車旅行者の為に発展した宿泊施設である。ホテルと見まがうばかりの施設もあるという。ホテルよりは料金は安いようである。英語力が貧弱なので、予約はファクシミリを使っておこなった。話さなくて良いので楽だった。予約確認書もファクシミリで貰っている。

モーテルのロビーは小さかったが、さすがに駐車場は広く、建物の1階部分のほとんどが充てられている。フロントは韓国系の女性である。ちなみにこのモーテルは韓国系で、この付近は韓国系の商店が多い。10年位前のロス暴動の時は、ここも大変だったろう。黒人を銃で追い払う韓国人(韓国系米国人?)のニュース映像が鮮明によみがえる。1泊の予定だったが、手荷物紛失問題でLAを離れられない。フロントの女性に2泊にして欲しい旨を告げると、喜んでそうしてくれた。クレジットカードの控えを取られる。保証金の代わりである。アメリカではクレジットカードがないと万事不便である。旅券(Passport)は日本人としての身分を証明するが、金銭的にはクレジットカードがするのだろう。Room Charge は1泊 $69.00 で、税金が $9.66 もする。

部屋は広く、ダブルベッドがひとつあった。こんなに広い部屋に泊まるのは何年振りだろう。昭和62年(1987)に新高輪プリンスホテルのツインルームをシングルユースして以来である。プリンスホテルの方が値段も質も良いのだが、広くたって寝るだけである。レストランもなければ、庭もなく、プールもない小さなモーテルだが、手頃な料金で広くて快適な部屋が使えれば充分である。 (つづく) 



カリフォルニア紀行2000 ロサンゼルス空港にて

2005-01-28 09:00:03 | 帰国5周年記念
4.ロサンゼルス空港にて

ようやくアメリカ上陸だが、入国審査はバンクーバーで済ませてあるので、ここでは何もチェックはない。混み合った出発ロビーを抜け、階下に下りれば出口。まさに国内線さながらだ。すぐにでも空港を出て Downtown に行けるが、厄介な用件があって、そうはいかない。カナディアン航空の Baggage Claim は、ここではアメリカン航空(American Airlines)が扱うという。到着した便の手荷物がターンテーブルを流れる。当然、自分の荷物はない。それにしてもアメリカの空港の開放的な事。旅客でなくても搭乗口まで入ってくるし、手荷物もタグと照合しないから、勝手に入ってきて盗み放題のように思える。意を決して係員に話す。 I lost my baggage.

アメリカン航空はLAから日本への便がない。係員は日本語を話せない。次のバンクーバーの便の到着を待てという。旅客は搭乗したが、手荷物が間に合わず次の便に載せられるということは、アメリカでは珍しい事ではないらしい。しかし私の手荷物は北米大陸に到着していないのである。次の便でくるはずもない。自分の英語力が貧弱なので説明できない。

とりあえず空港内をうろつく。この空港には複数のターミナルがあり、Terminal 1 にはA社とB社とC社、Terminal 2 にはD社とE社・・・という具合で、国際線と国内線とターミナルが分かれているのではない。A社の便は国際線も国内線も Terminal 1 でという事である。出国審査が無いからでもあろう。乗合のバンで初めてここへ来た時に運転手に International Terminal と言っても要領を得ずに困ったが、同乗していた東洋人男性の客が国際・国内でターミナルが分かれていないことを日本語で教えてくれて、無事にノースウエスト航空のカウンターにたどり着き、またその人が日本人だということも判った。

それでも外国の航空会社(全てではない)が多く入っているターミナルがある。Tom Bradley International Terminal である。日本航空(Japan Airlines)と全日本空輸(All Nippon Alirways)もここに入っている。アメリカン航空の入っていたターミナルと違い施設が充実している。日本で言えば地方空港と成田くらいの違いがある。日航のカウンターを訪れてみる。成田ではカナディアン航空2便と同じ頃に、日本航空2便のLA行が近くの搭乗口から出発していた。こちらに荷物が混ざってはいないか?日航の直行便は午前に着いており、カウンターにはそれらしい係員はいない。隣のエールフランス航空(Air France)のカウンターにいた白人女性が話を聞いてくれたが、別の会社であるし判らないという。

何の情報も得られずに Baggage Claim に戻る。ようやく次の便が到着する。当然手荷物は無い。係員と話す。通訳を要求する。通訳サービスをする会社に電話して、電話の通訳者(日本人?)を介して話をする。

最後に手荷物を見たのは?/手荷物の色や形状は?・・・

何とか話が通ったようだ。荷物が到着したら宿泊先へ連絡するということなので、よろしく頼んで今夜の宿に行く事とする。そもそも私の手荷物を積まなかった成田の誰かが悪いのであって、アメリカン航空は面倒なところだけを引き受けてもらっている。申し訳無い事だが、ここに頼るしかないようだ。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 ロサンゼルスへ

2005-01-27 12:10:25 | 帰国5周年記念
3.ロサンゼルスへ

アメリカ合衆国への入国だけはすこぶる順調だったバンクーバーであったが、成田からの便に手荷物が積み込まれていなかった件で、かなり参っていた。空港で正午を迎えたが、これは日本時間28日午前5時であって、カナダへの飛行機の中では居眠りをしていただけなので寝不足でもある。しかし私の1月27日はまだ終わらない。カナディアン航空503便で午後12時25分、Vancouver International Airport (YVR) を出発した。高度を上げると雲海の上を飛行した。地上の景色は見えない。雲海とはよく言ったもので、雲の海に雪の積もった白い島々が浮かんでいる。その中でも一番立派なのが、日本名「タコマ富士」で呼ばれる Mount Rainier (標高 4,392m)であろう。富士山(標高 3,776m)よりも高い。タコマとは米国ワシントン州の都市で、シアトルから程近い。シアトルの空港は Seattle-Tacoma International Airport (SEA) と両都市の名前が入っている。

国境通過は判らなかったが、離陸してすぐに米国領空に入ったのだろう。一応、国際線だからか昼食が配られる。サンドイッチにポテトチップス、チョコレートバーである。ポテトチップスはともかく、チョコレートバーのような甘いものには閉口するが、デザートなのだろう。以前、サンフランシスコのサンドイッチ店で食事をした時にもクッキーがついてきた。機内食には野菜スティックなのか、生の小さな人参もあった。簡単な食事ではあるけれど品数は揃っている。しかし太平洋線と違って日本人向けではない。それよりこの便に搭乗している日本人は自分一人かもしれない。郷に入りては郷に従え。黙々と平らげる。飲み物はコーヒーにした。薄くはなくて美味しい。 STARBUCKS COFFEE を機内で提供しているそうだ。雲も切れて地上が見えてきた。雪はない。内陸部を飛行しているのか海は見えない。町も見えない。起伏のある大地が続いている。季節のせいか黒っぽく荒涼として見える。西海岸を南下しているだけだが、広い国土だと思う。大陸横断をしたら、どう感じるだろうか。オレゴン州、カリフォルニア州と来ているはずだが、どこを飛んでいるのか見当もつかない。

長い飛行であったが、海が見えて大きな町が見えてきた。ロサンゼルスだ。西の太平洋の方から東方向へ飛行する。天気が良いので地上が手に取るように見える。 Hollywood Sign も見える。右に旋回し、東から西方向へ向きを変える。天気が良くても空気が悪いのだろう、スモッグで少し霞んでいる。東京ほどではない。この上空からの景色、ビデオゲーム「シムシティ」そのままである。土地の色、建物、道路を走行する車、ゲームの音楽が流れてきそうである。徐々に高度を下げていく。競馬場(Hollywood Park)が空港の近くに見え、広大な駐車場の上を、車に接触するのではと思うほどに高度を下げながら飛んで行く。滑走路が見えて、非常に広大な Los Angeles International Airport (LAX) に着陸した。午後3時15分着(日本時間28日午前8時15分)。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 バンクーバーへ

2005-01-26 09:05:53 | 帰国5周年記念
2.バンクーバーへ

2度目の北米大陸に向かってカナディアン航空の2便に搭乗している。機内放送は英語と仏語、そして日本語である。座席は窓の遠い中央部だったが通路側で便所に行くには便利である。白人女性の客室乗務員が茶菓子(おかき)を配り、飲み物の注文を聞いてくる。さっそくだがウイスキーの水割りを頼む。空気の乾燥した機内での一盞はうまい。やがて食事も配られる。2種類から選べる。何を選んだか忘れたが、日本人向けの味だったと思う。全く口に合わないビーフストロガノフを出したノースウエストとは違う。ワインやビール、コーヒーも頼んだ。映画を放映している夜間も頻繁にコーヒーやジュースを提供する。ノースウエストは男性の客室乗務員が水ばかり持ってくる。頼めば他の飲み物も持ってきたのだろうが。

何やらカードが配られる。カナダ入国に関するものらしいが、英文・仏文表記なので辞書をひきながら苦戦していると、通路を挟んだ席の日本人女性が旅行会社作成の記入方法のコピーを見せてくれた。どうも乗り継ぎだけの私には記入不要と思われる。日本人客室乗務員が通りかかったので聞いてみると、やはり不要との事。乗り継ぎのバンクーバーでカナダ入国はしなくてよいようだ。しかし荷物は受け取らねばならない。あとは居眠りしたり、文庫本を読んだりして過ごした。夕食からあまり間もないし、座っているだけだから腹も空かないが、朝食も残さず頂戴し、雲の下に入ると海と島々を見て YVR - Vancouver International Airport に、27日午前9時45分(日本時間28日午前2時45分)に到着した。

晩香坡(Vancouver, BC)、かつて氷川丸がシアトル(Seattle, WA)とともに日本とを結んでいた港町である。ちなみにシアトルは沙市と書くらしい。氷川丸は横浜船渠、のちの三菱重工業横浜造船所で昭和5年(1930)竣工、同年シアトル航路に就航している。昭和16年(1941)より航路は休止され、戦時中は病院船、戦後は復員輸送にあたり、昭和28年(1953)にシアトル航路に復帰している。私が初めてアメリカ(海外)の地を踏んだ桑港(San Francisco, CA)とともに、晩香坡は太平洋を渡ってきた者には相応しい地ではないか。

客船から上陸した訳ではなく残念だが、到着した空港はなかなか奇麗である。アメリカ乗り継ぎの表示にしたがって進む。カナダ入国の旅客とは別れる。やがて手荷物を受け取るターンテーブルがある場所に着いた。カナディアン航空の日本人スタッフがいたので聞くと、ここで手荷物を拾って、この空港内でアメリカの入国審査を受け、再度手荷物を預けてアメリカ行きに搭乗するのだという。審査後はアメリカ国内線のようなものである。ようやく手順が解った。しかるに私の手荷物が出てこない。とうとうターンテーブルは止まってしまった。先ほどの日本人スタッフに調べてもらう。カナダ入国のターンテーブルに行った可能性があるからだ。しかし見つからなかった。つまりカナディアン航空2便には私の手荷物は積み込まれていなかった。後続便で送られるだろうが、最悪、世界のどこかの空港に行ってしまったとも考えられる。今までこんなトラブルはなかったし、成田だから大丈夫だろうと思っていた。手荷物紛失に関する手続きは最終目的地で行うらしい。更に格安航空券なので予定の便で最終目的地に行かねばならないらしい。手荷物問題が解決しないままバンクーバーを離れなければならない。不安である。取りあえず盗難にあったわけではない。しかし着の身着のまま過ごさねばならない。呆然としたまま、日本人スタッフに見送られてアメリカ入国審査に向かった。

飛行機の到着から2時間近く経っている。もう審査を受けるものなど誰もいない。審査官も暇そうである。出入国記録カード (I-94W) 、関税申告書(何もないが)に記入して入国審査を受ける。行列無しであっさりと、あっけなくアメリカ入国できた。入国審査は緊張するものだが、とほほ気分での入国は初めてである。旅券を見ると、赤のスタンプで

U.S. IMMIGRATION
VANCOUVER, B.C. 232
JAN 27 2000
ADMITTED________
UNTIL    CLASS

黒のスタンプで

WT/WB
APR 2□ 2000

とある。きちんと押されていないのが有効期限は4月の何日迄かなのだろう。WT/WB とは何だろう(後日判明したがWTは観光、WBは商用との事、何で両方書いてあるのか不明)。ロサンゼルス行きの搭乗口に向かう。日本人もいないようだ。ふと見ると出張風の白人男性は手荷物は携行している。私もそうするべきだったと悔やむが、後の祭りである。待合室にはコーヒースタンドや雑誌などの売店がある。果物が豊富に並べられているのを見て、外国にいるのだと実感した。時間はあるのでコーヒーくらい飲んでも良いのだが、ショックから立ち直れないのと、カナダドルを持っていないので(米ドルも使えたのだろうが)、何もせずに飛行機の出発を待つ。次に乗るのはカナディアン航空503便で12時25分発である。昭和63年(1988)に札幌(千歳)-東京(羽田)間で初めて飛行機に乗って以来、12年間で利用したうちで一番小さな飛行機である。中に入ると通路が1本あって左右に3列ずつである。新幹線の車内のようである。さえない気分のまま大事件のあったバンクーバーを後に、南カリフォルニアに向けて出発した。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 成田空港へ

2005-01-25 10:25:00 | 帰国5周年記念

Golden Gate Bridge, San Francisco, California
January, 30th, 2000


1.成田空港へ

英語はとても話せるとはいえない。しかし話せるようになってから海外へ行くのでは、自分の寿命の方が持たない。別に英語で弁論大会をする訳ではなし、それでも清水の舞台から飛び降りる気持ちで初めて行ったのはサンフランシスコで平成8年(1996)の事である。それから返還前の香港、澳門(マカオ)と広東省深セン【土偏に川】、韓国と出かた。時差が少なく(韓国はなし)楽しい旅だったが、たまには太平洋を渡ってカリフォルニアの風に吹かれてみようと思い、成田からロサンゼルスまでの往復航空券(乗り継ぎ・ 38,000円)を買い、再び渡米することにした。しかし東京-広島線の普通運賃(往復)より安いとはどういうことか。国際線だから食事も酒も提供される。

平成12年(2000)1月27日木曜日。まずは新東京国際空港(成田空港)へ。新松戸駅で空港第2ビルまでの乗車券(950円)を購入。ここから常磐線→我孫子→成田線→成田→成田線→空港第2ビルが最短距離だが、東京近郊区間内のみの乗車券となるので乗車経路は自由である。船橋から快速「エアポート成田」に乗るべく、13時56分発の武蔵野線で西船橋へ。14時22分発の中央・総武緩行線に乗り換え次の船橋へ。この乗車券では途中下車は出来ないので改札内の自動販売機で船橋-空港第2ビル間の普通列車用グリーン券(950円)を購入。成田空港行きの快速には2階建てグリーン車が2両連結されており、座席は自由席となっている。我孫子経由でなく船橋経由で空港を目指す理由はこれに乗るためでもある。

千葉行の快速を見送って、ようやく快速「エアポート成田」の入線である。2階建て部分には網棚はなく大きな荷物は持て余すので、車端部の平屋部分(座席数12)の席に座る。船橋発14時31分。すぐに車掌が検札にくる。船橋から千葉までの短距離でもグリーン車を利用する客もいる。途中、特急成田エクスプレスを通過待ち。成田エクスプレスに乗ってみたいが、船橋には停車しないので仕方がない。成田線分岐点より成田新幹線になるはずだった路盤を利用した成田空港高速鉄道を走る。なんと単線である。ちなみに快速は1時間に1本の運転と利用しづらい。我孫子経由としても成田から乗る列車は快速「エアポート成田」しかない。終着の成田空港のひとつ前の空港第2ビルに15時35分着。

JRの改札を抜け、京成の改札を抜け(ちょっと複雑な構内だが)、検問所で空港に入る前に係官に旅券を見せ質問を受ける。旅客でなくても身分証明書の提示を求められるので、送迎や見学の人も運転免許証等の携行を薦める。空港第2ビル駅は成田空港の第2ターミナルにある。第1ターミナルなのに間違えて下車してしまったら、両ターミナルを結ぶバス(無料)を利用すれば良い。再度、検問所を通る事もない。

さっそく団体カウンターで搭乗手続き。ちなみに手配旅行だから、団体のカウンターでも団体旅行をする訳ではない。検査を受けて手荷物を預ける。ここのおかげで大変な事となるのだが後の話。手荷物を最終目的地で受け取るのではなく、乗り継ぎ地バンクーバーで手荷物を受け取り、 ロサンゼルス行きの飛行機に再度預けるのだという。カナダに入国するのか、よくわからない。第一勧業銀行本店営業部成田空港出張所で3万円を米ドルに両替する。レートは1ドルが108円75銭で、USD 275.00(29,906円)となった。郵便局ではがきを投函(最後の手紙とならなきゃいいが)、郵貯ATMで払戻して少し日本円も持っておく。海外旅行傷害保険は死んだらそれまでなので、一番安い5,000円のものにする。書店で英和・和英辞典(2,853円)を購入(いまさらの感が)、売店でアルカリ電池(315円)を購入し、日本円を封筒にしまい込んだ。

日本人出帰国記録カードに記入して出国審査。間違いなく日本国千葉県成田市にいるのだが、もう出国してしまったことになっている。シャトルでサテライトへ移動。このシャトル、ゴムタイヤの新交通システムのようだが、乗り場は1編成が発着できるだけで、これから向かう反対側の乗り場にも1編成がおり、それぞれの乗り場の中間点で左右に軌道が膨らみ走行中のまま交換している。まるで比叡山のケーブルのようである。これから搭乗するのはカナディアン航空(Canadian Airline)の2便バンクーバー行き17時55発である。以前、ノースウエスト航空(Northwest Airlines)で渡米した時は、隣接する搭乗口から米本土行きの数便が前後して出発するため、サテライト内は座るところもない有様だったが、こちらは定員の少ない機種でもあり、搭乗口の前には充分に席に余裕がある。

格安航空券の経路は、カナディアン航空で往路が東京(成田)→バンクーバー→ロサンゼルス、復路はサンフランシスコ→バンクーバー→東京(成田)となっている。ロサンゼルスとサンフランシスコの間は陸路で移動するつもりなのでオープンジョーである。ロサンゼルスに到着するのは今日の15時15分の予定だが、日本標準時(JST: GMT+9)と米国・カナダの太平洋標準時(PST: GMT-8)との間には-17時間の時差があってわかりづらい。公衆電話の時報(117番)で腕時計を PST にしておく。外国において時報(117番)のサービスがあるのか知らない。

- Thursday, January 27th, 2000 -

初めてのカナダの飛行機に搭乗する。航空機や船舶の中は、その国籍・船籍の国の扱いである。日付も英文表記にしてみた。さて、機内はカナダで冬のスポーツを楽しもうという日本人が多い(当たり前か)。第2ターミナルから第1ターミナルの南側にある滑走路まで移動すると、夜の闇の中へと離陸した。 (つづく)