既に先月16日のことであるが、能登杜氏四天王の一人、波瀬正吉氏が亡くなった。静岡の『開運』の杜氏として、全国新酒鑑評会で金賞をとり続け、静岡の酒を世に知らしめた名杜氏である。『開運』の土井社長の悲しみは如何ばかりとお悔やみ申し上げると共に、波瀬杜氏のご冥福を心からお祈り申し上げる次第である。
その名杜氏が残した酒を、幸せにも飲む機会を得た。東京在住の純米酒普及推進委員のメンバーと親しい仲間8名が集まり、Tさんが購入して持ち込んでくれた「開運 斗瓶取り大吟醸『波瀬正吉』」をみんなで飲んだ。
久しぶりに大吟醸の美味しさを心から味わった気がした。
このところ純米酒・・・それも無濾過ものとか山廃とか古酒とか、味を求めて飲む方が多かったが、大吟醸のすっきりした飲み口のよさに改めて感じ入った。
波瀬正吉という杜氏は、そもそもアル添吟醸造りの名人であったのかもしれない。静岡の酒が、全国新酒鑑評会で金賞をとりつづける先駆けとなった「波瀬大吟醸」の面目躍如の感があった。
同時に飲んだ酒に、純米大吟醸「天狗舞」、極秘造り大吟醸「梵」などがあったが、同じく能登杜氏四天王の一人中三郎氏の「天狗舞」とは異質なものを感じた。純米酒(大吟醸)とアル添酒(大吟醸)の違いは、明らかに違う酒として分類し、用途につれて(つまり食べ物や、飲む順序)使い分ける時代が来るかもしれないと思った。
すっきり感について言えば、同時に飲んだ「梵 山田錦10%」だ。10%まで削る必要があるのかどうかは別にして、この酒は極めて豊富な味がした。一般論的には「雑実を防ぐために削る」ことになっているので、私はさぞかし「スッキリした、味の透明な酒」を期待して飲んだがそうではなかった。(ちなみにこの酒は未だ市販されてない)
こうなってくると、「削り」と「造り」、「使用酵母」など、加えてアル添の仕方などで、日本酒の行方は無限大の可能性を秘めていると考えるべきだろう。