特に何もない平安な年明けであった。平安というのは、平和で、安心、安全ということであろうが、平凡ということも重要な要素だ。ある意味では平凡こそいいのではないか?
昨年は、振り返ってみていろいろなことがあり過ぎた。少なくとも平凡ではなかった。何度も書いてきた弟の死と80歳での初孫は、全く予期してなかっただけに平凡ではなかったし、自分個人としてもいろいろとあり過ぎた。。
傘寿にちなんだ行事(お祝い会や同窓会など)も打ち続いたし、年頭の「三分の一宣言」に伴う行動もそれなりに頑張った。三分の一宣言は、多くの人からの反応も多かったし、振り返ってみて予想以上の効果を上げた。出来なかったことも多かったが。詳細は省略するが、いつかこの稿でも総括的なとり上げをするつもり。
今年は何も宣言などしない。したがって去年のような息張った行動もとらない。昨年の効果で味を占めたので、三分の一宣言の延長線で身辺整理は続けるが、特に目標を掲げるようなことはしない。つまり、もっと平凡に生きたいということだ。
世界も日本も、あまり無理をせず平凡に生きられないものか。成長も発展も不必要とは思わないが、ひっきりなしにそれを追いかけるより、一年ぐらい「現在の到達点」をじっくり味わってみてはどうか。人類はけっこう発展してきたし、無理をして殺し合いや環境破壊をするよりは、その到達点をみんなで分かち合い、じっくり味わってみることも必要ではないか?
その点で安倍晋三君に一つお願いする。日本を、世界を、余り引っ掻き回さないでほしい。お前の名前を上げるために、日本国民を犠牲にしないでほしい。少し静かにしてくれ。これだけお願いする。
平凡って一番難しいことかもしれない。