旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

映画『私は、マリア・カラス』を観て

2019-01-26 14:21:25 | 文化(音楽、絵画、映画)


 マリア・カラスの映画やドラマは、これまでにいくつか見た。しかし、この映画は、全く異なる感動を私に与えてくれた。新しく発見された手紙などの資料に基づくドキュメンタリー映画で、従来のドラマ化されたマリア・カラスと違った、まさに実像に触れたという気がした。
 何といっても、その素晴らしい歌唱力に今更ながら驚いた。天才マリア・カラスとか、不世出の歌姫とか、最高の形容詞がついたカラスを何度も見せられたが、、初めて、その本当の力を観たという思いだった。
 「こんなに美しい声だったのか1」、「こんなに力強い声だったのか!」と何度も思った。娘に言わせると、「完璧な発声による、最高の歌唱」ということだ。マリアの天性に気づいた母の容赦なき教育と、それに応えた不屈の努力が生み出したものらしい。 しかし、多くの天才が味わう世間やマスコミとの深い溝からくる悩みは、当然のことながらマリアを襲う。ローマ公演であったか、ベッリーニの『ノルマ』の途中、気管支炎で体調を崩す。彼女は、「こんな体調で歌うのはベッリーニ(作曲家)に対し失礼に当たる」と公演をキャンセルする。しかし聴衆やマスコミは一斉にブーイングで、「傲慢な女」と彼女を非難する。孤高の天才が受けなければならない、不可避的な悩みともいうべきか?
 ギリシャの富豪オナシスとの愛も、彼女の生き様を示している。オナシスは彼女の愛を裏切りジャクリーヌ・ケネディと結婚する。しかし、マリアの愛は変わらない。53歳という短い人生であったが、死ぬまでオナシスに対する愛は変わらなかったようだ。
 マリア・カラスが幸福であったか不幸であったか、それはわからない。しかし彼女が、歌にしても愛にしても、自分の信じる最高のものを求め続けていたことだけは確かであろう。
 

  


投票ボタン

blogram投票ボタン