イギリスに行くについて、もっとも期待したことはパブを訪ねまわることであった。少なくとも、典型的な田舎のパブと都会のパブを見極めたいと思ったことだ。そのために、と言うことではなかったが、三日しかない日程の真ん中をコッツウォルズに充てたのであった。もちろんそこには、先述したように(16日付「ガーデニング猫ちゃん」)ワイフの「猫への想い」が重なっていたので、私だけの都合だけではなかったのであるが。
ところが、これまた先述したように、広大なコッツウォルズをさまよう中で時間をなくし、お目当ての「田舎のパブ」に立ち寄ることも出来なかったのだ。加えてロンドン市内では、ついにパブ(都会のパブ?)でランチをとる余裕もなかったのである。
もちろん、オックスフォードでは素敵なパブでエールを飲み夕食を楽しんだし、ホテルに隣接する「ビクトリア王朝風パブ」ではゆっくり飲みながら日本へ向けたブログを書いたりしたので、決して不満だけが充満しているわけではない。
ただ「思いは半ば・・・」の感が残ってるだけ。
しかし考えてみれば、わずか二泊三日のロンドン行で「イギリスのパブ」を把握しようなんてことはどだい無理な注文だ。イギリスのパブの歴史、その果たした役割なんていうものは、何年もそこに住み着いて接しなければわかるはずはあるまい。
白井哲也氏の『パブは愉しい』(千早書房)という本を読むと、氏はイギリスのパブについてこう書いている
「日本で言えば、居酒屋とファミリーレストランとコンビニエンスストアと郵便局と雑貨屋と市民会館とライブハウスとクラブ、そして公衆便所が束になってかからないと、その懐の深さには対抗できない。」(同書3頁)
オイ オイ・・・、冗談じゃないよ。それだけそろえば日常生活の場すべてではないか。パブという一軒の建物の中にそれだけのものが備わっているとすれば、日本からひょこひょこ出向いた人間に、パブの真実なんてわかるはずないじゃないか。
事実白井氏は、三年間のロンドン生活を経た後日本に帰り、その後何年もかけてイングランド、アイルランドのパブを廻り尽してこの本を書いている。私はうっかりコッツウォルズでパブに立ち寄らなくてよかったと思っている。1~2時間立ち寄って判ったような気になることほど恐ろしいことはない。
それにしても『パブは愉しい』という本は愉しい。ここは一番、少し勉強を深めてみよう。
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