前回の皮屋(厠ではありませんぞ)の買い物風景(と言うよりトルコ商人の売り込み風景)につき、若干補足しておく。
われらが敬愛するフラットガイドの言うように、トルコの誇る子羊のジャケット、コートの類は確かに高品質のようであるが、それを売り込むトルコ商人も上手い。先ず柔らかい子羊の皮を触らせながら、「この品をシャネルのブランドでパリで販売すると30万円以上する。日本の銀座なら40万円だ。しかし今日は、みなさんわざわざトルコにいらして頂いたので15万円でお分けする。それに消費税分を差し引き12万7千円、なお10%値引きして11万5千でどうだ」とくる。パリや銀座の三分の一打というわけけだ。
若しこの説明が、「良質の子羊の皮を使い優秀な技術で作っているので原価は3、4万円、それに少しばかりの儲けと税金をかけて国内では7、8万円で売っているが、お金持ちの日本のお客様には15万円で買っていただきたい」とくれば、誰も買わないだろうが、シャネルの30万円が先に出て半値の15万円に始まるので、先ず買い気が動き、少々値切り10万から12万ぐらいで買うことになるのだ。
もっと面白いのは絨毯屋だ。先ず絨毯を織る生糸を、怪しい髭の男が紡いでみせ、その糸で織姫が織り込む様をじっくり見せる。解説の男が流暢な日本語と日本の諺を駆使してトルコ絨毯の良さを語り尽くす。次に広間に通し、チャイを振る舞いワインを飲ませて客の神経を緩ませた上で品物を広げて行く。そのうち各人を個室に連れて行き商談に入る。
勝負あり、である。私はこれを買うつもりは無かった。六畳や八畳のものはすぐ数十万円から百万円する。小さい中途半端なものを買っても仕方がないからだ。ところが、ワインで神経を緩められることは計算に入れてなかった。広間に座らされて「まあ、ごゆっくりしてください」とか言われて差し出されたワインを、酒好きの私は断れない。そのワインが、時を置いて商談の時刻に効いてくる敵の計算どおり、「買っても仕方の無い中途半端なもの」を買う羽目になるのである。
しかし、旅の買い物はその使用価値を買うのではなく“旅の思い出”を買うのである。子羊のコートは妻の誕生祝(旅の最終日が妻69回目の誕生日)という目的が少しはあったが、これとて私は思い出を買ったつもりだ。そして思い出には値段は無いのである。金には絶対に代えられないものがあるのである。
もっとも、最後の宝石屋で娘に買ったトルコ石のブローチには、いつ面倒を見てもらうことになるか分からない娘の機嫌を伺っておくか、という老人の醜い性根があったかもしれない。しかしそれとて“トルコの思い出”に他ならない。