旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

三陸海岸縦断の旅① ・・・ 吉と出た“9のゾロ目”

2010-09-12 10:57:18 | 


 待望の三陸海岸縦断の旅から帰って来ました。三日間、大変よい旅でした。
 今回の旅で1番気にしたのは台風9号のことだった。先月末から進路を予想すると、どうも出発日(9月9日)頃に日本海から東北を襲いそうだ。当初は東シナ海から黄海の方に抜ける予想であったが、だんだん東に傾きついに対馬海峡から日本海に抜ける見通しとなった。2週間ぐらい前の台風7号の進路が予想され、日本海から東北を襲いそうだ。
 丁度その頃、旅行社から出発日の案内と共に新幹線の切符が送られてきた。このツアーは往復新幹線のグリーン車だ。東京から八戸までの往きの切符を見ると、わが夫婦の席は“9月9日出発、9号車9番のA,B席”となっている。これはすごいゾロ目だ。

  

 

 「お前さん何だって?…、予てから三陸海岸に行きたかったんだって? そうかい…、やっと夢がかなって大荒れの三陸じゃあ可哀そうだなあ。そこまで邪魔しちゃあ台風様の名が立たねえ。ここは引返してやるよ…」

 これは嬉しい話であった。本当かなあ、と疑っていたが、あれよあれよという間に日本海から北陸に上陸、しかもなお南に進路を向けて熱帯性低気圧になってしまった。
 これには驚いた。台風は私への約束どおり東北行きを止めて、急遽Uターンして生まれ故郷の南の国に帰ってしまったのだ。
 お陰で三日間、大変な好天に恵まれた。特に最初の二日間は一点の雲も無い快晴であった。何事も信じることだ。台風といえども疑ってはいけない。
 以降、この素敵な旅について書き綴ろう。

     

 同時に私の頭をかすめたのは台風“9号”だ。時速15キロなどというゆっくりペースで東シナ海、対馬海峡、日本海などを進むと、わが新幹線は「99日に戸あたりで、9号車9番の席で台風9号を迎え撃つ」ことになりそうだ。こうなると9という字が「苦」に見えて、とんでもないゾロ目と恨めしくなり、さすが晴れ男を自認する私も諦めかけた。
 ところが、出発2,3日前になると様相が変わってきた。私の祈りが通じたのか、台風が耳元でささやいてくれたのだ。

「三陸海岸――松島ツアー」に出かけてきます。

2010-09-08 20:02:02 | 

 

 明日から三日間、「大人の休日倶楽部」主催の『三陸鉄道“スイーツ列車”と三陸海岸縦断3日間』というツアーに出かけてきます。病気をしたり旅に出たりで、どうも不謹慎のようですが、医者もOKというし、予てからの夢でもあった三陸海岸ですので許してください。

 この2,3日、台風9号との激突を覚悟してきましたが、台風の方の驚くべき遠慮で進路を思わぬ方向に曲げてくれました。加えて明日の出発にも影響しないようにしてくれたのか、早々と熱帯低気圧に変化して収まってくれました。
 年寄りのの予ねての願いを何とかかなえてあげようとする神の計らいと、感謝するばかりです。あのような急激な進路変更はこれまでに記憶がありませんので。

 では、しばらくお別れです。バイバイ。


幸せの在りか(2)

2010-09-07 20:12:49 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 8月25日のブログを、「幸せの在りか」という題で書いた。S君の幸福感に驚き、新鮮なものを感じたからだ。
 殺伐とした世相の中で、世の中のことをとり上げるとどうしても“ささくれ立った”記事ばかりになる。政治経済に係わることなど、半分は怒り狂って書いている。そんな自分がいやになるくらいだ。
 その中で、“近来にないいい記事”だと自分では思い、コメントのいくつかでも来るかなあ、などと思っていた。しかし何の反応も無かったが、突如として一昨日、時期はずれのようなコメントが届いた。
 しかもそれはTN氏からで、彼は恐らくこのようなテーマを最も苦手とする
人物だと思われるので、コメント内容も私を驚かせた。
 つまり彼は、「今の自分は幸せか」というような問題は主観的な問題で、そのようなことは「一人ひとりが死ぬ間際に結論を出す問題だ」というわけだ。唯物論者の面目躍如たる主張で、自分が幸せであったかどうかは、死ぬ時に過去をつぶさに振り返って、事実に基づいて判断せよ、と言っているようだ。
 それはそれで面白く、私を十分に驚かせたが、一方で、私がテーマとした「S君の“愛の現実”」とは、ちょっと距離がありすぎる。(なお、TN氏の名誉のために言っておくが、彼は、同じ愛でも身近な恋とかラブとかアモーレなどについては苦手とするが、人間愛とか絶対愛などについては高邁な理論の持ち主なので念のため)

 コメントはくれなかったが感想を話してくれたTさんは、「ブログ読みながら笑っちゃいました。今でもこんな純粋な人がいるんだなあ、と思いました」と話した後、ポツリと呟いた。
 「・・・間違いなく言えることは、幸せは、愛されることの中にあるのではなく、愛することの中にあるのでしょうね。受身ではなく能動の中に・・・、求められるのではなく求める中にあるのでしょうね。」
 彼女が何を思いながらこの呟きをつぶやいたのか私は知らない。しかし、「僕は今のこの幸せを守るために一生懸命働いている」というS君の日々が、間違いなく受動の中ではなく、積極的な能動の中にあることだけは確かであろう。


気になる体調と9月の日程

2010-09-05 11:45:01 | 時局雑感

 

 9月1日の夜に始まった胃の激痛は、医者の薬のお陰か2日夜半には収まった。前回(10日前)と同様、約30時間痛み続けたのには参ったが、それよりも今回は、痛みが止まっても中々ベッドを離れられなかったのに参った。前回は痛みが止まると直ぐに起きだし会社にも出かけ、酒も飲んだが、今回は何かその気になれない。
 いわゆる「夏ばて」という症状を併発しているのであろう。丁度週末で出勤を免れたこともあり、毎日ベッドの中で、昨日午後、3日ぶりにようやくパジャマを脱いだ。「いよいよ俺もダメかなあ…」などと思いながら。

 気になるのは、明日からの出勤と、9~11日の「三陸海岸旅行」だ。まさかこのようなことになろうとは思わないので、“大人の休日倶楽部”のツアーに申し込んでおいたが、何だか自信がなくなった。
 不安なのは自分自身の体調もさることながら異常気象だ。この4~5日冷房のベッドの中で過ごして、猛暑日の続く通勤や旅行に絶えうるか? いくらなんでも9月10日の東北路は秋風が吹いているだろうと申し込んだのだが、全く当てが外れた。まあしかし、行きの「東京――八戸」と帰りの「仙台――東京」は新幹線のグリーン車で、八戸から三陸海岸、松島、仙台のコースも、ほとんど列車とバスと船であるので、大名旅行のようなものである。
 しかも、定員24名の募集であったが、参加者12名とのこと。こじんまりした雰囲気の中では、それなりの自由もきくだろう。

 午後は、35度の猛暑日に慣れるためにも、牛込柳町まで出かける。ワイフのコンサートがあるのだ。彼女は9月で古希を迎えるが、二つの合唱団に属し、そのためにある師についてレッスンを重ねている。その師の門下生によるコンサートで歌うのだ。
 古希を迎えるワイフのソロ(クルティスの『勿忘草』)は聴いておかねばなるまい。


激しい胃痛に襲われる

2010-09-03 14:09:48 | 時局雑感

 

 一昨夜、夕食の後しばらくして胃が痛くなった。その痛さは激しさを増し、その後30時間続いた。だからその夜はほとんど眠っていない。
 実は前々週の週末にも同じ症状が起こった。その時も30時間痛み続けたがようやく収まったので、何か悪いものでもあたったのであろうと、そのままにしておいた。
 ところが今度も全く同じ症状であるので、これは何か原因があると、重い腰を挙げて医者に行った。即刻入院、検査の結果胃潰瘍か癌の宣告を受けて手術、いうシナリオも頭に描きながら。

 私は食べたものから症状の一部始終、前回は無かったが今回は前夜に嘔吐したこと、大便はあったが下痢ではなかったことや、痛い場所の正確な位置まで話した。これをメモを取りながらつぶさに聴いていた医者は、以下の処置を決めた。
 「貴方の症状は、腹痛ではなく胃痛のようだ。胃が痛む原因には大略次の三つがある。①心臓からくる胃痛、②腸閉塞など腹部の動きが悪いため起こる胃痛、③それに胃炎などによる純粋な胃痛。したがって、心電図と胃部と腹部のレントゲンを撮って判断する。」
 撮影後、約15分待たされた結果、心電図と二つのレントゲン写真をひろげた説明は以下の通り明快であった。
 心電図に異常は無いので①はとりあえず除く。腹部にも想定した症状は無いので②も除く。したがって、貴方が主張するように胃に起因する痛みであろう。それもこのレントゲン写真を観た限りでは、特に胃潰瘍などの症状もないようなので、胃炎…つまり胃が爛れて痛いのだろう。
 とりあえず、胃薬(2種)と痛み止めを飲みなさい。それでも治らない時は、胃カメラなどで次の対処をしましょう。」

 医者の指示は極めて明快であった。また論理的とも思えた。しかし明快で論理的であるからといって、一発の薬で痛みが止まるわけではない。言われたペースより早いペースで薬を飲んだが、痛みは続き、結局、前回と同じく30時間近く続いて昨夜半ようやく収まった。
 今朝から起きる元気もなく、ひたすら寝ているが、やっと寝床を離れたので顛末を書き残したまで。
 こんな顛末を書いたところで、直ぐ元気になるわけはないし、いわんや他人にとっては何の役にも立たないだろうが……。


民意を反映しない民主党代表選の不思議

2010-09-01 10:38:58 | 政治経済

 

 二転三転しながら民主党代表選が始まった。いずれにせよ国民不在、国民生活無視の権力闘争であるので、どうなっても構わないが、ここ一年踊らされてきた国民こそ迷惑だ。
 一年前、長かった自民党政治、財政破綻や貧困を招いた自公政治からの脱却、政権交代を実現したかに見えた国民は歓喜した。そこには感動すら渦巻いた。
 ところが、その政権交代を“小沢という男を抱えた民主党”で実現することになったところに国民の不幸があった。新しい政治を期待した国民は、その日から「政治とカネ」、「権力闘争(政治資金を握る幹事長の奪い合い)」に見舞われた。民主党の中には、それなりの立派な政治家もいると思うが、それらは後背に影薄く、専ら小沢一郎を巡る「カネと権力」の問題が現出。
 その極みが、今回の代表選となって現れたのであろう。

 その中で1番不思議なことは、各紙、各機関の世論調査では「首相に相応しい人(消極的意味も含めて)」は圧倒的に菅直人となっており、小沢一郎とするのは10数%に過ぎないが、国会議員の支持票では小沢が勝る、とされていることである。つまり国会議員の意思は「民意を反映していない」ということのようだ。
 いわゆる永田町の力学で、自分の身の保全(つまり次の選挙で勝てるかどうか)のために、有利な方に動くのだろう。力、つまりカネと権力にすがるのだろう。そこには国民生活のために役立とうなんていう気は全くなさそうだ。
 そのような代表選に何の意義も感じないが、ただ、決着をつけて“小沢の政党”勢力を明確にして欲しい。その勢力がどこと結びつこうが勝手であり、少なくとも国民は、その勢力と手を切った“新しい勢力”と、もう一度「脱自民」の、真の政権交代に挑戦しなければならないことだけは事実であろう。


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