今晩の話題(沖縄タイムス 2007年8月9日 夕刊 1面)
「言い続ける」
「(集団)自決と軍関与の問題は、本土ではあまり話題になっていません。沖縄はもっと怒るべきだと思います」
関西に住む知人から、こんなメールが届いた。彼は沖縄に長く住み実情を知っているが、県外の多くの一般人は興味がないのだ、と想像する。
むしろ、あの状況下で「軍命だった」という証言が次々と出て、歴史的事実は強化されている。「日本軍」という主語がない、へんてこな教科書が出来上がるかもしれないのに無関心を続けられるのか? 県外メディア、ひいては県外の人にとって、これを「沖縄問題」と閉じ込めることで共感しなくてよい状況をつくり上げていると思う。〈略〉
◇
>「軍命だった」という証言が次々と出て、歴史的事実は強化されている。
この記者さんの目は節穴なのか、それとも考えることが苦手なお人なのか。
いやいや、そうではあるまい。
地方紙とは言え新聞のコラムを署名入りで書くほどのお方の目が節穴であるはずも無く、考える事が苦手の筈も無い。
「軍命令だった」という客観的証言が一つも出てこないのが沖縄タイムスの悩みの種。
全てを承知の確信犯で自社沖縄タイムスとともに自爆して果てるおつもりなのでしょう。
確かに「証言」は次々現れているが、「軍命令があった」という証言はないのでは、と問われたらこの記者さん、きっと次のように答えるでしょう。
「直接の軍命令の有無は問題ではない」
そして頼みの綱の安仁屋国際大学名誉教授の『合囲地境』論に逃げ込んでしまうでしょう。
この魔法のような言葉にかかると「直接の軍命令がなくとも命令と同じ」となるから便利な言葉だ。
同教授は沖縄タイムス(2005年7月2日)の[戦後60年]/[「集団自決」を考える](18) /識者に聞く(1)/安仁屋政昭沖国大名誉教授・・・と言う特集記事で記者の質問に答えた次のように語っている。
http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu
20050702.html
-どのような状況下で起きたのか。
「『集団自決』は日本軍と住民が混在していた極限状態で起きている。沖縄戦は、南西諸島が米軍によって制海権も制空権も完全に握られ、民政の機能しない戒厳令に似た『合囲地境』だった。その状況下では、駐留する日本軍の上官が全権を握り、すべてが軍の統制下にあった。地域住民への命令や指示は、たとえ市町村職員が伝えたとしてもすべて『軍命』として住民が受け取るような状況があった」 ・・・
*
では、一方の「軍命令はなかった」と言う証言にはどう答えるのか。
お勤めの沖縄タイムスは、それらを徹底的無視、黙殺してきた。
それで、全国紙に大々的に報じられた照屋証言も当初は完全無視を続けたが、係争中の裁判に同証言が提出されると、さすがに無視は出来ず記事にするようになった。
沖縄タイムスにとってもっとも致命的な証言者は元琉球政府援護課勤務で数多くの「集団自決」生き残りの聞き取り調査を行った照屋証言であろう。
その照屋さんが証言する「軍の命令があったなんて聞いた事がない」と言う一言は沖縄タイムスの存在さえ危うくしかねない爆弾発言だ。
5月の時点までは照屋さんのことを琉球新報と同じく「捏造」証言の元援護課職員とカッコつきで報道していた。
沖縄タイムス 2007年5月26日(土) 朝刊 23面
(略)
「捏造」証言の元援護課職員
人事記録で指摘
国の方針決定時 担当外
原告側が証拠として提出した、元琉球政府職員が渡嘉敷村の「集団自決」に援護法を適用するため、軍命を捏造したという内容の二〇〇六年八月二十七日付産経新聞記事に対し、被告側は法適用の方針が明確になった時期に同職員が援護課に在籍せず、調査する立場にはないと指摘。被告側は同職員の採用時期が証言にある昭和二十年代後半ではなく昭和三十年で、援護課職員ではなく中部社会福祉事務所職員として採用されたことなどの人事記録を証拠として提出、「元職員の証言は信用できない」と反論した。また、元職員が戦隊長とともに自決命令文書を書き、厚生省(当時)に提出したという証言に対し、情報公開請求の結果、厚生労働省に文書がなかったと指摘した。(略)
ところが参院選直前の7月28日の記事になるともう破れかぶれなのか、
捏造証言元職員とカッコを外して報じている。
「捏造」証言の元援護課職員⇒捏造証言元職員
これは沖縄タイムスが最重要証人・照屋さんの証言を何の根拠もなく捏造と断定したことになる。
捏造証言元職員「援護課に勤務」((沖縄タイムス7月28日朝刊)
原告側反論
被告側が前回の弁論で、軍命を捏造し、渡嘉敷島住民に援護法を適用させたとする元琉球政府職員の証言について、援護法の適用方針が明確となった一九五七年には援護課におらず、「信用できない」と主張したことを受け、原告側は二十七日、琉球政府の援護事務嘱託辞令(五四年十月付)と旧軍人軍属資格審査委員会臨時委員辞令(五五年五月)を証拠として提出。五四年から元職員が援護課に勤務していたと反論し、「元職員は、援護事務の一環として住民の自決者についても情報を集め役所に提出。この結果が後に、『集団自決』に援護法適用が決定されたときの資料として活用された」と主張した。
◇
【以下は過去ブログより再掲】
(照屋さんを)ついには経歴詐称として、証言に疑問を呈する。
>「五八年十月まで援護事務に携わる援護課に在籍していない元職員が、渡嘉敷島住民から聞き取りをしたり、援護法適用のため自決命令があったことにしたとは考えられない」
沖縄タイムスが言いたいのは、最重要証言者である照屋さんは、経歴詐称をしており、その証言は信用できないということ。
これに対して産経新聞那覇支局長小山さんのブログ「今夜も、さーふーふー」が強力爆弾で一瞬にしてこれを粉砕してしまった。
当日記でクドクド述べるより例によって丸ごと下記に引用させてもらいました。 多謝!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今夜も、さーふーふー」引用
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/
2007/06/13 13:17
5月26日付の沖縄タイムス朝刊社会面です。
大阪地裁で続いている「集団自決」訴訟の第9回口頭弁論に関する記事が掲載されています。
記事の内容を要約しますと、
渡嘉敷島の「集団自決」に関して、「援護法を適用するために軍命があったことにした」と告白した元琉球政府職員は経歴を詐称しており、その証言は信用できないとする被告側の主張を紹介しています。
具体的には、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課職員として渡嘉敷島で聞き取り調査をしたと話していることに対し、
この職員が採用されたのは1955年(昭和30年)で、しかも中部社会福祉事務所職員だった▽援護課に勤務したのは1958年(昭和33年)10月だった-と指摘。
従って、昭和20年代後半に聞き取り調査をする立場になく、証言そのものの信用性がないとするものです。
さて、わたしの手元にこのような資料があります。
ご本人が保存していた書類です。
1954年(昭和29年)に援護課への勤務を命じるとの辞令が残っていました。
昭和20年代後半から援護課職員として聞き取り調査をしたというバックグラウンドに矛盾はありません。
この辞令も「捏造」なのでしょうか?
ご教示いただければ幸甚です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆沖縄タイムスが経歴詐称していると報じる元琉球政府援護課職員照屋昇雄さんの証言に関するエントリー:
★「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決
★渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」
|
◆【動画】
「軍命は無かった」と証言する、照屋さんの動画(照屋さんは②と③に登場)
①http://www.youtube.com/v/P16oG_3X89o
②http://www.youtube.com/v/1S-aZzzt4Mw
③http://www.youtube.com/v/WawZhQ1bv_w
④http://www.youtube.com/v/K3zwIZur6Wg
【追記】琉球政府で援護業務を担当して渡嘉敷島の村民の聴き取り調査をした照屋昇雄氏は、「古波藏村長は、住民を集めて全部死ねと言って演説もしているが」、自己の責任を否定し、軍に責任をかぶせることに奔走した結果、村民から信用がなくなった事情を明らかにしています。(沖縄集団自決冤罪訴訟・準備書面)http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/25/
【再掲終了】 ◇
これだけの客観的事実を無視して、次々出てくる「集団自決はあった」と言う証言を「軍命はあった」、・・・もとい、「軍命だった」という印象操作記事に書き換える苦労は大変なことでしょう。
とても、考えることの苦手な人の出来る技ではありません。
最後に改めて冒頭の「この記者さんの目は節穴なのか、それとも考えることが苦手なお人なのか」というくだりは撤回し、
記事捏造のご苦労にご同情を申し上げたい。