一年ほど前だったか、俳優の藤田まことさんが当時17歳の兄が戦死した沖縄の海上に追悼の花束を投ずるTVドキュメント番組を見た。
何時になくしんみりした顔で沖縄の海に散った兄のことを語る藤田さんの言葉に胸を打たれた。
藤田さんにとって兄から送られた葉書は今でもお守りであるという。
大事にしている、1枚のはがきがある。差出人は17歳の若さで戦死した兄真一さん。海軍特別少年兵に志願し、44年8月に船で沖縄に向かったのが最後だった。はがきは出港直前に鹿児島で書かれた。真一さんは当時11歳、小学5年の藤田を「お父ゥやお母ァさんの言ふ事を聞いてしっかり勉強をしてください」と励まし、「お父ゥさんもお身体を大切にあまり無理をなさらない様に早くもとの様に太って下さい。お母ァさんも(妹の)真理子もお姉さんも皆お元気で。さようなら」と結んでいる。 (日刊スポーツ)
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終戦記念日となると沖縄を語るタレントが必ず登場する。
昨日のTBS「朝ズバ!」は久々に登場したみのもんたが深刻に眉間にシワを寄せて沖縄戦を語った。
大田中将の有名な電文「県民斯ク戦ヘリ」で有名な沖縄の「海軍壕跡」をビデオで紹介し、電文の内容を紹介し始めた。
あれ? 沖縄のメディアが最も嫌う切り口の沖縄戦報道だ。
確かTBSの沖縄の系列局はRBC(琉球放送)だしRBCは沖縄タイムスの系列のはず。
興味を持って見ていたら、案の定 「沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
と言う電文肝心のの部分は飛ばしてしまっていた。
そして突然、戦争はいけない、
「憲法の平和主義は守るべきだ」 と論調が一気に急旋廻する。
そもそも、みのもんたと沖縄戦との関りは何だったのか。
<この20年間、夏休み、終戦記念日には沖縄へ行っている。その理由は、沖縄が戦争の記憶をいまもとどめているからだ。「摩文仁の丘に行ってください。沖縄戦で命を失ったすべての人の名前が石に刻まれています」>
<母から聞かされた戦争の思い出――戦時中、みのがお腹にいるとき、父親が招集された。赤紙が来たのは、みのの兄のお通夜の席だったという。>
>この20年間、夏休み、終戦記念日には沖縄へ行っている。
一瞬冒頭の藤田まことさんの顔がダブってきて「みのもんたの父や兄も沖縄戦の犠牲者だったのか」と思ったが、・・・・
ちょっと待てよ、みのもんたは父の経営する」会社を引き継いでおり、父が亡くなったの最近ではなかったのか。
それにみのもんたの兄が戦死したとは年齢的に考え難い。
みのもんたは沖縄戦にどう関っていたのか。
大きな戦争という括りでいえば沖縄戦は日本人全部が係りがある。
だが、そのような抽象論は措いて、みのもんたの沖縄への直接の関りは何だったのか。
「この20年間、沖縄へは夏休みで」遊びに旅行していただけではなかったのか。
その証拠に、突然
「いま、憲法を変えようという動きがあるが、国と国との紛争の解決の手段として軍事力を使わない――それだけは守るべきだと思いますよ」
と護憲アピールし、沖縄戦を真摯に語るみのの姿は、
いかにも取ってつけたような感じがした。
自分をの休暇中の沖縄旅行を無理に沖縄戦に結びつけて、
旅行費用を経費として浮かすだけではなく、休暇旅行を無理やり仕事のネタにしている姿が浮かんでくる。
そう言えばやはり休暇中のビデオで何処かの高級店で東国原宮崎知事と高級料理を食べながらのインタユーらしきものも放映していた。
その時も休暇中の食費も経費で落とすのかよ、と直感的に感じたものだ。
画面では「沖縄の戦場跡で静かに平和を祈っている」なんて殊勝なことを言っていながら
その実、那覇の高級クラブあたりでドンチャン騒ぎしていたりたりして。
結局、みのもんたも「沖縄戦」を食い物にしただけ、といったら言い過ぎだろうか。
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“音やん”藤田まことが兄が戦死した沖縄で平和をかみしめる
「このシリーズのロケ地としては、これまでで一番遠い所まで来た」と語るのは、17日放送のテレビ朝日系土曜ワイド劇場『京都殺人案内28涙そうそう沖縄・音川刑事の一番長い日!』(後9・00)に主演している藤田まこと。今作の舞台となる沖縄は藤田にとっても大切な場所で、終戦の前年、6歳年上の17歳の実兄が、那覇沖で戦死したという。「兄が沖縄にある記念碑“平和の礎(いしじ)”に眠っている」と藤田。「それだけに、沖縄では性根を入れてやらなあかんと思っている。この(ロケ地の)津堅島も激戦地の一つで、100人以上の人が亡くなっているので、身の引き締まる思いがする」と緊張の面持ちで話し、平和の尊さをかみしめていた。 (ORICON Style 12月16日 11時00分)
【追記】
「朝ズバ!」が尤もらしく沖縄戦を語る割には、大田中将のことを大田中尉と間違えて、番組最後で慌てて訂正していた。
当日記でも大田少将と過去記事で述べたくだりがあるが、
大田沖縄方面根拠地隊司令官が海軍壕で電文を送った時は海軍少将であり、自決後に特別進級で海軍中将に進級している。
以後の記述は大田中将に統一したい。
◆「海軍壕跡」が沖縄の「平和ガイドコース」から外されているのと同じく、例年行われる慰霊祭についても沖縄マスコミは相変わらず冷たい。
今年も記事には「 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」の電文の紹介どころか、大田中将の名前さえ報じていない。
ちなみに沖縄サミットを決定し守礼の門のデザインの2千円札を発行した小渕元首相は大田元中将の電文を常に心に刻んでいたという。
み霊4000人の冥福祈る/旧海軍司令部壕で慰霊祭【写真】 (沖縄タイムス)
昨夜のNHK「どうする、これからの日本」に出演していた沖縄のサヨクの方も「平和ガイド」だった。
◆太田中将自決の地「海軍壕」が「平和ガイドコース」から外れた理由 |