狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

琉球新報の言論封殺にしつこく抗議します

2007-08-14 18:22:07 | ★集団自決

【再掲です】

 

琉球新報の言論封殺が続いて今日で日目です。

琉球新報の夕刊で火曜から土曜にかけての長期連載特集、

上原正稔著「パンドラの箱を開ける時 沖縄戦の記録」が

掲載予定日の2007年6月19日より

読者に何の断りも無く一方的に中止になりました。

上原さんは掲載前に知人に次のように言っていました。

≪19日付からは第2話「慶良間で何が起きたのか」が始まります。
集団自決」をテーマにしたもので、作者の上原正稔氏は圧力に屈することなく執筆する≫と。

同氏の話によると、

≪沖縄で現在展開されている運動に水をかけることになる内容になるためか≫

≪担当編集者の態度に変化があり、今回の事態に至ったらしい≫とも言っているそうです。

どんな大きな圧力が働いたのでしょうか。

琉球新報は読者に連載中止の理由を一言も言っておりません。

問い合わせても「調整中」の一言で済ましています。

読者は一方的に「知る権利」を奪われています。

沖縄では今メディアの意見と違う考えは封殺される異常な事態になっています。

これでは戦前の言論弾圧と変りません。

琉球新報が連載を再開するまでこの記事を掲載し続けます。

                              狼魔人

◆参考エントリー:

「パンドラの箱」  カギを握る上原正稔氏

沖縄のマスコミは大政翼賛会か

琉球新報によって削除された「沖縄戦記」

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コメント (4)

「集団自決」   「識者」の常套・すり替え論

2007-08-14 11:33:47 | ★集団自決

週が明けて、ウェブサイトで見る限り地元新聞の「集団自決」関連記事は大人しくなったと思ったが、

手元の琉球新報をめくると次のような見出しが目に飛び込んだ.

<識者評論 歴史のねつ造> 長山靖生(評論家)

事実のわい曲は死者の冒涜

「集団自決」強要否定は強引

御馴染みの「ねつ造」と「わい曲」の二文字の勢ぞろいである。

この「識者」の評論家先生、どのようなご高説を垂れるかと斜め読みしてみたら、

結局は、陳腐な「一億総玉砕」、「生きて虜囚の辱めを受けず」というスローガンを持ち出して、軍命令の根拠にしている。

この先生「問題の本質」は理解していない「識者」のようだ。

スルーしようかとも思ったが、典型的な「識者」の評論として煩雑を省t利で、サワリの部分を引用する。

<・・・近年、歴史教科書から、沖縄戦の際に軍部による自決の強制があったという記述が削除された。 沖縄の民間日本人は勝手に死んだ、というのだろうか。

軍隊の中のどの、人物が命令を出したのか、という詮議(せんぎ)はこの際措(お)こう。>

ここまで読んで、おっと、現在論議の的の肝心な部分を「この際措いて」もらっちゃ困る、と思わず呟いた。

論点を摩り替えるサヨクの常套手段だ。

後は読まずと内容は予測できる、が念のため引用する。

<・・・しかし当時、日本政府は「一億玉砕」、「生きて虜囚の辱めを受けず」とも教えた。 そして沖縄では軍人が民間人に残った手りゅう弾や銃を渡したのだ。 これで自決の強要はなかったというのは。あまりに強引だ。

当時、小学生だった私の両親は「本土決戦になったときに、ちゃんと死ねるかどうかが不安だった」といった。>

「一億玉砕」、はともかく「生きて虜囚の辱めを受けず」については、異論がある。

「生きて虜囚の辱めを受けず」は「戦陣訓」の一節である。

戦時中、一兵卒だった司馬遼太郎氏の述懐では、「戦陣訓という訓令があるとは知っていたが、どんな内容であるかは全く知らなかった。その程度のものだった」としているし、同じく著名作家の安岡章太郎氏も同じようなことをなにかの本で書いていた。

と言うことは「生きて虜囚の云々」についても戦時中でも兵隊にさえ良く知られておらず、戦後有名になったと言うこと。

それは、グアム島から帰った横井正一氏の口を介して戦後の後付として誇大に語られるようになった。

「軍人勅諭」はともかく、軍人さえうろ覚えの「戦陣訓」の「生きて虜囚云々」に民間人が縛られて命まで自ら絶った、

と言う決まり文句はサヨク「識者」の戦後の後から付け足した屁理屈である。

>当時、小学生だった私の両親は「本土決戦になったときに、ちゃんと死ねるかどうかが不安だった」といった。

いざと言う時に「死ねるかどうかが不安だ」と言う気持ちは敗色濃厚だった当時の日本人が持つ共通の不安感であり、

実際に地上戦の経験をした沖縄住民が死ぬ手段を求めて彷徨ったとしても無理はない。

死ぬ手段を求めて「ネズミ殺し剤」(殺ソ剤)を捜し求めたと言う証言もある。


【集団自決】 「島民は死ぬ手段を求め島を彷徨った!」
【再掲】

「鬼畜米英」は女子供を強姦し八つ裂きにして殺されると信じていた。

 圧倒的戦力の米艦船に小さな島を取り囲まれ、艦砲射撃を受けて村民はパニックに陥っていたのではないか。

その結果逃げ回っている最中に日本兵に遭遇し、手りゅう弾を渡されたのは、その日本兵の思いやりではなかったのか。

沖縄タイムスが捏造した上洲さんの記事でも、自分で命を絶つ手段が無く、切羽詰って殺ソ剤(ネズミ殺し剤)で死のうと思ったと証言している。。

このような状況で逃亡中、手りゅう弾をもらったら少なくとも「軍命令」というより「渡りに舟」の心境ではなかったのか。 

 《上洲幸子さん(84)は母ら4人と壕に避難。母は殺ソ剤での自死を主張したが、上洲さんが「逃げられるうちは逃げよう」と訴え、島内を歩き回った。ため池近くに村民や日本兵がおり、梅沢裕部隊長の姿もあった。梅沢部隊長は村民を集め「米軍は上陸して、どこにでも入り込んでくるから、もし敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい」と話したという。》(沖縄タイムス 7月7日)

(注):沖縄タイムスは、後段の「梅沢部隊長・・・」以下のくだりは誤報として訂正記事を出している。 

                      ◇

圧倒的物量を誇る米軍の上陸に沖縄戦の守備隊はなす術もなく、

出来ることは残り少ない手りゅう弾を分け与えることが

せめてもの親切だったとは考えられないのだろうか。

歴史を現在の基準で判断すると大きな過ちの穴に陥ってしまう。

現在の平和な時代、「手りゅう弾」などと聞くと「悪魔的」な印象を持つのもやむを得ない。

だが、米軍の攻撃を受けてパニック状態の住民にとって手りゅう弾は「悪魔」ではなくより楽に死ねる「天使」にも思えたとしても可笑しくないだろう。

当時の沖縄住民が、手りゅう弾の方が「ネズミ殺し」や「舌を噛み切る」より楽だと考えたとしもおかしくはない。

満州ではソ連軍の侵攻直前、日本人住民は残り少ない毒薬を奪い合って、それを、もしもの時のお護りにしたという証言も有るのだ。


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中国の映画監督が「歴史を鏡に」?お前の国には言われたくない! 

2007-08-14 08:00:51 | 歴史

世迷言  東海新報 ☆★☆★2007年08月12日付

 中国の首脳部は「してやったり」とほくそえんでいることだろう。一度切り損ねた外交カードが、これからも使えそうなことがはっきりしたからだ。「全閣僚靖国参拝せず」という主見出しに「終戦記念日・内外反発避ける狙い」という脇見出しは、主権国家が主権を放棄したに等しいていたらくを物語っている▼「靖国カード」が“発効”していたのは、小泉前首相以前の歴代内閣まで。その呪縛を経ちきったのは、むろん小泉さんで、とどめの一発は終戦記念日の八月十五日をわざわざ選んで参拝したことだった。それまで首相の靖国参拝に対する賛成、反対はほぼ拮抗(きっこう)していたものが、直後の世論調査では賛成が急上昇した。これは中韓の内政干渉に対する嫌悪感と、困難を恐れずに立ち向かった小泉さんの勇気に贈られた賛辞だった(略)

                     ◇

 中国の江沢民主席は、98年の訪日で「歴史を鏡に」を繰り返し、傲慢不遜な態度で心ある日本人の反発をかった。

中国にとっての「外交カード」は「歴史カード」。

「歴史カード」と言えば「靖国問題」。 その象徴的言葉が「歴史を鏡に」である。

小泉首相によって無力化された「外交カード」がまたぞろ復活したようだ。

評判の悪かった江沢民の「歴史を鏡に」は撤回したのかと思っていたら、どっこい中国は日本へ対する「歴史カード」を簡単に手放すはずは無かった。

最近出版された江沢民の「文選」三巻には依然として日本へ「歴史を鏡に」と歴史カードの有効性を強調している。

<・・・江主席の多弁と関連したユーモアも多い。そのうちの1つ。江主席は外賓のうち2つの国の客は必ず自分が会わなくてはならないと我を通した。米国と日本だ。米国代表団は江主席本人が英語がうまいから、日本人は歴史を知らないから自分が教える必要があるというものだった。日本に対する中国の立場は今も「歴史を鏡にして未来に向かおう(以史為鑑面向未来)」だ。

  江主席の言葉と文を盛り込んだ『江沢民文選』が数日前出版された。文選は中国の偉大な指導者に与えられる栄誉だ。党の中央文献編集委が編集し、人民出版社が出版する文選なので毛沢東、小平ら数少ない人物にのみ与えられた。>(中央日報)http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=78833

 

筆者は「歴史を鏡に」という言葉を聞くと反射的に江沢民の天皇陛下の前での無礼な人民服姿を連想し今でも腹が立つのを押さえ切れない。(江沢民の宮中晩餐会

今頃江沢民が「歴史を鏡に」なんて言おうものなら日本人の反発を食ってしまうだろう。

ところが沖縄だけは例外なのか。

昨日の琉球新報は江沢民に代わって中国の映画監督の作品を通じて、「歴史を鏡に」と言う中国のメッセージをコラムを使って伝達し、中国人監督の言葉を使って、ありがたい歴史の講釈をしている。

このコラムは、琉球新報が中国の政治プロパガンダ紙であることを証明している。

金口木舌2007年8月13日掲載  
 「以史為鑑」(歴史を鑑(かがみ)とする)。上映中のドキュメンタリー「ガイサンシーとその姉妹たち」の中国人監督、班忠義(バンチュンイ)さんの言葉が耳に残る
▼作品は中国山西省に侵攻した日本軍に拉致監禁され、性暴力を受けた女性たちを描く。被害者が絞り出す証言は筆舌に尽くしがたい
▼この日本軍部隊はその後、沖縄守備軍の一翼を担い、暴行や略奪などの問題を起こした。彼らを沖縄に運んだ「対馬丸」は、九州へ疎開する多数の学童を乗せたまま撃沈されている
▼山西省の侵攻部隊には県人も含まれるが、戦場体験はなかなか語られない。ある兵士は「上官の命令は天皇の命令。命令に黙々と従う『蟻の兵隊』だった」と証言する。彼らの一部は、日本軍首脳と中国軍閥が結んだ「密約」により、敗戦後も中国に残留して内戦に参加させられた
▼日本政府は「慰安婦」問題の直接関与をあいまいにし、沖縄戦の実相を薄め、軍命の犠牲になった「蟻の兵隊」の存在を認めない
▼歴史の鏡には国にとって「不都合な真実」も映っているが「日本が鏡から目を背けても、世界は同じ鏡を見ている」(班監督)。目を凝らして鏡に映る事実を謙虚に受け止められるかどうか、私たち世代の課題だ。 (琉球新報 8/13 10:04)

                      ◇

新報紙が中国人映画監督の口を借りてまで、歴史の講釈を垂れないでも日本人は先刻「歴史を鏡に」して聖徳太子の教えを護り中国とは一定の間を保って付き合ってきた。

なればこそ、学ぶべきものは学び、科挙、宦官、纏足、官僚賄賂による地方統治そしてアヘン吸引といった腐敗堕落の元は見事に日本の歴史から削除しているではないか。

兼好法師も既に鎌倉時代には「唐に学ぶものは薬以外に無し」と断言しているし、明治期の先哲福沢諭吉も「脱亜論」で中国をとの付き合いに警鐘を鳴らしているではないか。(ゾマホン、諭吉の「脱亜論」

その後は福沢諭吉の教えを無視し「五族共和と言った甘言に惑わされて中国に深入りして失敗したことこそ「歴史を鏡に」学ぶべきではないか。

「歴史を鏡に」⇒ 「中国には深く関わるべきではない」。(福沢諭吉)

中国自身が「歴史を鏡に」映してみたら綿々と続く腐敗堕落の姿が映し出されるだろう。

そして日本のように歴史に学んで腐敗堕落を取り除いたら、

鏡には何も映らぬ己が姿に驚くだろう。

 

参考:兼好法師の『徒然草』

【百二十段】
唐の物は、薬の外はみななくとも事欠くまじ。書どもは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。もろこし船のたやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所せく渡しもて来る、いと愚かなり。
「遠き物を宝とせず」とも、また、「得難き貨を貴まず」とも、文にも侍るとかや 。

 


 

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