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今朝の朝日は社説・天声人語とダブルで安倍批判。
だが余りにもあからさまで突っ込みどころ満載の社説は「痛いニュース」http://blog.livedoor.jp/dqnplus/にも任せしてお任せてして、ここでは一言だけ。
≪そもそも安倍首相の価値観外交は、中国包囲という色彩を帯びている。
03年度以降、インドは中国に代わって円借款の最大の受け取り国になった。
価値観外交の展開に伴って、援助額はさらに膨らんだ。
しかし、日本にとって中国が持つ重みは、インドとは比べものにならない。≫(抜粋)
日本に反感を持つ国より、好意を持つ国と仲良くするのは、
当たり前田のクラッカー!
社説全文は資料保存のために文末に転載。
【追記】8月25日
「当たり前田のクラッカー 」を使いたいがために朝日社説を持ち出したのだが。
一部に意味不明とのヒンシュクを買いました。
死語辞典 を参照して下さい。(死語だったんですね)
◇
天声人語
2007年08月24日(金曜日)付
芝居の入りが思わしくないとき、客足を取り戻す切り札と頼む演目は、日本なら「忠臣蔵」、西洋なら「ハムレット」だと聞く。「忠臣蔵は芝居の気付け」とも言い習わされる。どちらも、名場面と名せりふで、観衆を飽きさせることがない。
不人気な内閣は、「気付け」を改造に頼むしかないのだろう。7月の参院選では、主役の安倍首相はじめ、脇役大臣の「大根」ぶりに、国民から「引っ込め」の声が飛んだ。だが、大敗もものかは、早ばやと続投を決め、週明けには新たな組閣に踏み切る。
珍場面と迷せりふの安倍一座に憤った国民の目は、なお厳しい。宿敵、民主党の小沢代表は「政府は脳死状態」とばっさり。連立を組む公明党の太田代表からも「安倍政権がだらしないのは皆さんの言うとおり」とやられた。
自民党内からも退陣論が噴いてやまない。文字通り、四面に楚歌(そか)を聞きながらの改造である。「私の内閣」「私の国造り」などと、首相は天動説さながらの発言を続けてきた。なお続くなら、民意を読めない鈍感ぶりは極まることになろう。
挙党一致であれば見栄えはいい。だが、意見の合わない先輩らを迎えたとき、うまく手綱をさばけるのか。国民注視の組閣劇で、「お友達」を集めてすむはずもない。
ハムレット随一の名せりふは「生か死か、それが問題だ」だろう。外遊先で安倍さんは、「生」と「死」にいろいろな名前を当てはめて、悩んでいるに違いない。いずれにしても脇役陣のみが入れ替わり、なぜか主役は変わらぬ第2幕となる。
◇
>「私の内閣」「私の国造り」などと、首相は天動説さながらの発言を続けてきた。
首相の言葉を天動説と皮肉るが、今朝の「天声人語」は自分の声を天の声とでも錯覚したのか天敵安倍内閣に言いたい放題。
現役の首相に訴えられるという前代未聞の状態で参院選を迎えた朝日新聞。
恥も外聞も無く小沢民主党を応援した。
希望通り安倍自民党が大敗した。
だが、それだけでは満足出来ないのが朝日の性(さが)。
>自民党内からも退陣論が噴いてやまない。文字通り、四面に楚歌(そか)を聞きながらの改造である
連立の大田公明党代表や、熱烈応援をした大田民主党代表の口を借りてまで安倍内閣の霍乱を企む。
だが安倍批判に熱心の余り、言葉狩りが得意な朝日が小沢党首の「差別発言」にはお目こぼしのようだ。
自民党議員の「失言」を挙げれば「子供を生む機械」から「アルツハイマー」まで。
安倍叩きのマスコミの好餌となった。
いわく「アルツハイマー患者の家族の心情を慮れば云々」。
ここで「アルツハイマー」と「脳死状態」のどちらが患者の家族にとって苦痛かはさて置く。
アルツハイマー患者の家族の心情を慮る同じマスコミが、
「脳死状態」の患者の家族の心情を無視することを片手落ちと言うのである。
当日記はこの種の言葉狩りには不同意であり、「片手落ち」と言う言葉も慣用で無意識につかっただけ。
それによって障害者を差別する気は毛頭無い。
それこそ「毛頭無い」なんて書いたら「毛根の無い」ハゲ頭の差別用語になるではないか。
斯くも言葉狩りはバカバカしい。
結局朝日は支援する小沢党首が発する「脳死」ならОKで、
自民党の麻生大臣が発する「アルツハイマー」は許せないと言うことらしい。
非常に分り易い。
戦前の敵性語の禁止と言う言葉狩りの反動は、
戦後いろんなところに現れた。
当初は言葉狩りと言うよりGHGの指令で「文化狩り」さえ行われた。
「チャンバラ映画」を禁止した結果、戦前の時代劇俳優が刀を拳銃に持ち替えた奇妙なギャング映画が流行った。
マッカーサーが生んだ「七つの顔の男」
「文化狩り」が行き過ぎて、戦後学校で剣道の部活をに反対する婦人団体まで出てきた。
いわく「剣道は人殺しを練習する術だから反対」ということだった。
「戦争を想い出す」とも。
これに異論を唱えようものなら
「人殺しを認めるのか。 戦争を賛美するのか」の感情論で大変だったようだ。
現在の時世では考えられない話だが、これ本当の話。
いや、現在でも言葉尻を捕らえて、なにかと言うと「戦争を連想する」、「軍靴の響き」、「いつか来た道」等々・・・と平気で書くのが沖縄の新聞。
だが、甲子園の高校野球の実況放送にまで「戦争を思い起こす」となると、もはや朝青龍ではなくとも精神科の領域ではないのか。
琉球新報 記者の余録
甲子園で平和を願う (8/16 9:44)
今年もまた、甲高いサイレンの響きが甲子園球場を包み込んだ。「終戦記念日」の8月15日正午、球児も観客も1分間、平和への祈りをささげた。沖縄大会でも、6月23日の「慰霊の日」には各球場で高校野球の試合を中断し、激戦地だった南部の方角に向かって黙とうする。
今年の慰霊の日、ある審判が渋い顔で言った。「どうも違和感があったな」。黙とう後の球場で、応援団が「○○高の特攻隊、行けー、それゆけ…」と声を張り上げたからだ。
野球は応援だけでなく、プレー用語にも物騒な言葉が多い。「挟殺プレー」「憤死」「犠牲バント」…。戦争が色濃くなった1940年代、「敵国」の言葉を使わず日本語に言い換えた名残がいまだに残っている。
高校野球を実況するQABの棚原勝也アナウンサーは、戦争を思い起こすような言葉は使わないよう意識しているという。「伝令」も「監督の指示を伝えに行く」と言い換える。新聞ではスペースの都合でできるだけ漢字を用いるため、これらの用語を使うことが多い。「死」「殺」などが並んだ原稿を読み返すと、勝負事とはいえ、これでいいのだろうかと悩んでしまう。
答えはまだ出ていない。当分はそれらの用語を使い続けるだろう。だが、平和の時代に野球ができる貴さだけはしっかりと感じていなければならない。甲子園のスタンドであらためてそう思った。
(深沢友紀、社会部)
(琉球新報 8/16 9:44)
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【資料保存用】2007年8月24日 朝日社説
首相の訪印―価値観外交のすれ違い
米国とインド、それに豪州。自由と民主主義という価値観を共有するこれらの国と連携して事に当たる。それが安倍首相が唱える価値観外交である。
首相にとって、インド訪問はその実践と言えるものだった。だが、価値観を共にする相手であっても、国益の違いを乗り越えるのは容易でないことを思い知らされたのではないか。
「自然界に畏(おそ)れを抱く点にかけて、日本人とインド人には共通の何かがあると思わないではいられません」
安倍首相はインド国会での演説でこう述べ、自らが提唱する「美しい星50」への賛同を求めた。地球の温暖化を防ぐため、温室効果ガスの排出を2050年までに今の半分に減らす構想である。
温暖化防止が世界共通の課題であることには、インドも異論はない。シン首相は京都議定書後の枠組み作りへの参加を「真剣に考慮する」と応じた。
ただし、インドにとっては経済をさらに成長させて貧困層を減らすことが、温暖化防止と並ぶ重要課題である、と付け加えることも忘れなかった。
いま温室効果ガスの削減義務のないインドのような途上国に、今後どのような義務を負ってもらうのか。具体策に踏み込もうとすれば、難しい交渉になることを予感させる会談でもあった。
国益の違いをさらに強く印象づけたのは、米印の核協定問題である。
インドは核不拡散条約に未加盟のまま核実験を強行した。ところが、米国は査察を条件に民生用の原子力技術や核燃料を提供する協定に合意した。フランスやロシアも追随し、インドを核不拡散の例外扱いにする動きが広がっている。
首脳会談でインド側は米印協定への支持を求めた。これに対し、安倍首相は「唯一の被爆国として核不拡散体制への影響を注意深く検討する」と述べるにとどまり、態度を保留した。
理解しがたい対応である。被爆国の首相がこんなあいまいな態度を取っていいはずがない。大切な友人であっても、言うべきことは言う。核不拡散問題では譲歩できない、と明確に伝える。それが日本の役割ではないか。
そもそも安倍首相の価値観外交は、中国包囲という色彩を帯びている。
03年度以降、インドは中国に代わって円借款の最大の受け取り国になった。価値観外交の展開に伴って、援助額はさらに膨らんだ。
しかし、日本にとって中国が持つ重みは、インドとは比べものにならない。在留邦人でみれば、中国が10万人を上回るのに対し、インドは2000人ほどだ。相互依存の度合いが全く異なるのだ。
中国を牽制するテコにインドを使うような外交は見透かされる。インドにしても中国との交流を深めており、利用されることに甘んじるような国ではない。
価値観を声高に唱えるような一本調子の外交は考え直した方がいい。