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アジア大陸から太平洋への出口を封ずるように細長く伸びた日本列島。
その日本列島の西、日本海側に浮かぶ「対馬」。
東側、太平洋には「小笠原」。
南の東シナ海で大陸を封じ込め、台湾の近くまで伸びる「沖縄」。
そして紛れもなく戦前は日本であった北の「樺太」。
対馬、小笠原、沖縄、樺太、この四つが奇しくも62年前と、63年前の今日、8月22日、
アメリカとソ連による卑劣な民間船攻撃という点で一つに繋がる。
■1944年8月22日 対馬丸事件■
1944年8月22日、戦争準備中の沖縄県より疎開のため一般・学童合わせて1788名を載せた「対馬丸」が長崎へ向けて航海中、鹿児島県の悪石島沖でアメリカ海軍潜水艦から発射された2発の魚雷を受け沈没し、乗員乗客合わせ1418名が死亡した。
アメリカ海軍は、暗号解読などにより、対馬丸の予定航路を把握していた。 対馬丸が民間の輸送船であることを確認していながら、これを撃沈した米潜水艦「ボーフィン」は、
現在「真珠湾攻撃の復讐者」として誇らしげに戦艦「アリゾナ」の上にあるハワイの資料館に展示されている。
明くる1945年。
戦争が終わって既に一週間が過ぎていた。
だが、長崎原爆投下の8月9日に満州に攻撃をかけてきたソ連は終戦後にもかかわらず樺太に攻撃をかけてきた。
■1955年8月22日 小笠原丸事件■
奇しくも対馬丸が米潜水艦に撃沈された同じ8月22日。
民間輸送船「小笠原丸」が逓信省職員をはじめ女性や子供、老人など樺太からの引揚者600名近くを乗せて稚内港から小樽港へ航行中、留萌沖にて★国籍不明の潜水艦に雷撃されて沈没、700人近くの犠牲者を出した。
(この潜水艦は、その後、引き揚げ船として利用されていた特設砲艦の第二新興丸に雷撃を加えるが反撃されて損傷、その後樺太留多加郡能登呂村の二丈岩近海で沈没している)。
★(ロシア側は認めていないが、当時の状況から判断してソ連潜水艦以外には考えられず、ソビエト連邦のL12またはL19説が有力)
ちなみに、沖縄戦のことを「国内唯一の地上戦」という表現を沖縄の新聞は決まり文句として使う。
だが、樺太でソ連軍に勇敢に立ち向かった日本軍と樺太住民のことはあまり知られていない。
「国内で軍民を巻き込んだ地上戦が行われたのは沖縄と樺太」というのが正しい。
いづれにせよ樺太は戦前は紛れもなく日本の領土であった。
リメンバー822!
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