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佐野眞一氏のいう沖縄の愛すべき妖怪・キジムナーこと上原正稔氏と、アンダケーボージャー(油食い坊主)とも言うべき太田昌秀氏の「沖縄ハーバービューホテルの決闘」を書いていたら、止め処もなく脱線して9回も続いてしまった。
さて、長いシリーズもいよいよ今回で最終章だが、途中から読む読者は、次ぎのリンクの順で読むと少しは分かりやすい・・・かも。
勿論通して読んで頂いている方はスルーを。
沖縄を語る“大文字言葉”-『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』感想文
第五章「ハーバービューホテルの決闘」 「1フィート運動」の正体
「ハーバービューホテルの決闘」第七章 メディアの驕りが雲仙・普賢岳災害をもたらした
<恵子夫人と入れ違いに太田昌秀県知事が会場に登場した。 上機嫌にフィアリー氏や総領事と話し、酒に手をつけた。 ぼくの存在に気がついた太田の秘書官桑高は顔色を変えて会場から出て行った。 何か、危険を察知したらしい。>
<だが、ぼくは気付かない。 ようやく、フィアリー氏と総領事に挨拶し沖縄タイムスの大山哲らと談笑している時だった。 会場の奥から顔を上気させ、目を吊り上げ、恐ろしい形相をした酒乱男が、「おい、上原、お前は県議会でよくも俺の悪口を言ったな」と叫びながら、掴みかかってきて、組んずほぐれつの大喧嘩が始まった。 その男が太田知事だった。 会場の「文化人」らは、呆気に、仰天している。 誰も太田を止める者はいない。 やがて、太田の罵り声を聞いた太田の一の子分である宮城悦二郎教授が青い顔をして、駆けつけてきて、太田を押さえようとするが、「キレた」太田を押さえることができない。三人がかりでようやく押さえつけたが、太田は「誰がアイツをここに入れたんだ」と喚いている。何という醜態だ。 ぼくはその時、怒りがこみ上げてきて、「知事たる者がなんだ。 貴様は知事じゃない。 沖縄の恥だ。 知事を辞めろ。」と叫んだ。 ぼくは憤然として、会場を出ようとした。 出口には20人ほどの琉球大学の女学生たちが茫然と立ちすくしていた。 泣いている少女もいる。 ぼくはそこで我にかえり、惨劇の場所を後にした。 だが、この事件が報道されることはなかった。>
同じ酒のせいでも、太田知事のご乱行に比べれば、草なぎ剛君の全裸騒動なんて可愛いもの。
現役の沖縄県知事が外国の賓客を迎えた「文化人」たちが集まる高級ホテルのパーティ会場で、来客の一人に襲い掛かり、組んずほつれずの大乱闘劇えを演じる醜態に比べれば、
人目のない深夜の公園で全裸になって逮捕され、全国的に報道された草なぎ剛君の方がよっぽど罪が軽いと思うのだが・・・。
何しろ当日参加した「文化人」たちのほとんどが、太田氏の息の掛かった者であり、太田氏を支援するマスコミも、本来なら逮捕されてもおかしくない乱闘劇を報道さえしないのだ。
まるで島ぐるみで太田氏のご乱行を隠蔽しているとしか思えない。
太田氏のご乱行といえば、太田氏は知事時代、国が行うべき外交を「直接交渉」を口実に、毎年のように大名行列を組んでアメリカへ行くのを常としていた。
同行の沖縄タイムス、琉球新報社が報じない知事のアメリカでの素行を産経新聞がすっぱ抜いたことがあった。 予定では米国政府の要人と面会するはずだが、当の知事は二日酔いでホテルの部屋で昼まから寝ていたとか。
地元紙には大々的に報じられた現地での太田氏の講演会には同行スタッフの方が聴衆より多く、知事本人は参加もしていなかったとか・・・。
いずれも太田氏の「身内」ともいえる同行の地元紙は、太田氏の現地での素行を読者に伝えようとはしなかった。
なお、上原氏が太田氏に襲われる前に談笑していた大山哲氏とは、元沖縄タイムス記者で、今では左翼の巣窟と化した「1フィート運動の会」の役員として太田昌秀氏や安仁屋政昭沖国大名誉教授等と名を連ねている。
上原氏が事務局長として若い仲間たちの協力で始めた「1フィート運動」が太田昌秀氏に乗っ取られたことを書いたが、
事務局長の椅子を巡って太田氏の周辺でも醜い椅子取りゲームが行われていたようだ。
先ず事務局長の椅子を「上原氏は若い」という理由で奪った福地氏一派。
次に女性運動の手に「1フィート運動」の実権を握ろうとして中村文子氏を事務局長に推した故宮里悦女史一派。(宮里女史亡き後は中村女子が継ぐ)
そして「1フィート運動」乗っ取り劇の元凶である太田昌秀氏一派。
だが、左翼勢力の団結は見事なもので、最近の「1フィート運動の会」の名簿は太田、福地、中村の三氏が仲良く名を連ねている。
沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会 役員名簿
◆顧問 太田昌秀
中村文子
◆代表 福地曠昭
◆運営委員
安仁屋政昭
新崎盛暉
石原昌家
大山哲
(以下略)
◇
上原氏が純粋な気持ちで創設した「1フィート運動」は、太田氏に乗っ取られた後は、沖縄戦記録の発掘という地道なイメージを隠れ蓑に左翼イデオロギーの宣伝の巣窟と化したことは再三述べた。
ところが上原氏が太田氏の盗作されたという沖縄戦メモリアル構想は現在「平和の礎」として太田県政の成果として評価をうけている。
ところが沖縄のマスコミは決して報じることはない多くのデタラメがその石碑の裏には隠されていると上原氏はいう。
「平和の礎」の戦没者の刻銘に関しても、太田氏は自分の名誉欲達成のため多くのデタラメを行っているという。
これでは顕彰された戦没者も浮かばれないと思うのだが、これについて上原氏自身が記した文を著書より引用する。(太字強調は引用者)
<今、摩文仁の公園に平和の石ころが乱立している。 24万余の氏名が刻まれている。 だが、この中で何人が沖縄戦で死んだのか。 誰も知らない。 なぜなら、この石碑は1931年の満州事変から1946年9月までに自然死したものも含む戦没者の氏名を刻んだものだから。 しかも、生きている人の名も刻まれているのだ。 特に、沖縄住民の戦没者が10万3千を越えることはないことを肝に銘じておこう。 なぜなら、これ以上の数字だと、戦前の人口を増やさねばならないからだ。 功名心の塊であるおおたは50周年の記念事業に合わせ、わずか2ヶ月で沖縄住民戦没者のリストを掻き集めたのである。 どこで死んでいようと構わなかったのだ。 しかも政教分離を謳う憲法を無視して、
15億円の国費が投じられている。 だから、平和の礎の入り口には「これは慰霊碑ではありません」と断り書きがある。
ここまで、ぼくは自分の体験した沖縄の堕落を書いてきた。 だが、太田のやりたい放題の悪政乱政によって、今、沖縄は海の底へ沈没しようとしていることを指摘しておこう。 読者の皆さんもひしひしと実感しているはずだ。 税収わずか800億円の沖縄県は今、6000億円の借金を抱え、事実上、「死に体」の状態だ。やりたい放題にやらせたのは、権力に盲従する「文化人」、太田とつるんで税金を湯水のようにせしめている悪徳企業、「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込んでいるメディア、太田に裏切られて初めて太田の正体を知り、右往左往している中央の政治家だ。
沖縄は死んだ。 あの「人が平和に生き、平和にしんでゆく島」は滅びた。 沖縄戦が終わった時、ぼくらは皆、地獄から甦ったかのように活き活きとしていた。 だが、太田が知事の座を下りても、生気が甦ることはない。>
最後に上原氏の太田氏とその取り巻きの「文化人」、そして太田氏の悪行を隠蔽するマスコミを激しく糾弾するのであるが、上原氏の文からこれら沖縄をダメにした連中を抜き出すとこうなる。
①功名心の塊⇒太田昌秀元県知事
②権力に盲従する⇒「文化人」
③太田とつるんで税金を湯水のようにせしめている⇒悪徳企業
③「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込んでいる⇒メディア
④太田に裏切られて初めて太田の正体を知り、右往左往している⇒中央の政治家
これまで長々と引用してきた上原氏の文は『茶柱が倒れる』(神山吉光編 閣文社 1998年)の中の「怒りを込めて振り返れ-そこのけ、そこのけ、裸の王様が通るー」よりの抜粋だが、同文の冒頭部分で上原氏は太田氏を想定してこう書いている。
<ー ひとりの人間を知ることは世界を知ることより難しい。
だが、裸の王様の正体を知ることは真昼の太陽を拝むことより易しい。 ただ、ぼくのように率直であればよいのだ ー ひとりぼっちの反逆者、上原正稔>
そして文の最後を次のように結んでいる。
<ソドムとゴモラの悪徳の都では、今日も裸の王様の行列が通る。 愚民が「王様の衣装は見事だ」「王様万歳」と歓声をを挙げる。 「あ、王様は裸だ」と叫ぶ少年の声は届かない。>
【完】
【付記】
上原正稔氏の著書を基に書き綴ってきたが、引用元の『茶柱が倒れる』の編者である神山吉光氏は、太田氏の夫人がDV(家庭内暴力)を逃れハワイで長年別居生活をしていることに関連して、太田氏の酒乱と暴力癖を次のように批判している。
<太田知事は国家的暴力である戦争を嫌い、いろいろな書物を通して人々に平和を訴えた知事であり、又、第一級の平和主義者として自他共にそれを認めているはずだ。 ところが、この太田知事が家庭では夫人が同居出来ないくらいに暴力を振るっていたとは、正に天地がひっくり返ったような驚きであった。 いまがどうあれ、このような反社会的暴力を肯定し、これを日常行動とした太田知事は、側近がどのように弁明しようが、太田昌秀は県知事としても学者としても大失格であった。 私は暴力追放と社会正義の立場から、このことを太田知事本人に強く指しておきたい。>(「茶柱が倒れる」 神山吉光編 1998年)