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『うらそえ文藝』より星雅彦氏と上原正稔氏の対談を引き続き引用する。
<星:赤松隊長に対する知念さんの話はぼくも40年ほど前に、会って聞きました。 あの時点で聞いた内容では、嘘はないと思ったな。
上原:1971年の『潮』に200人の証言が全部出ていますよ。 その中に赤松さんの「自決命令は出していない」という手記もあります。 また、大学生の娘さんから「お父さんはどうして村の人たちの命を助けなかったの」と責められる場面があったが、今でも胸が痛くなります。
星:私もあの雑誌に書いていますけど、あれは、ノンフィクションにも受け取れるだろうし、どっちつかずで、右と左の両者に都合よく利用されたみたいですね。 しかし、それ以前に、新聞のコラムに隊長命令には疑問があるという意味のことを書いています。 そのことで、曽野綾子さんは私に訊きに来たことがある。後で、わかったことだが、前後して、牧港篤三さんもいろいろ質問を受けたようです。
それから2年ほど経って『ある神話の背景』が世に出て話題になる。 私は別に曽野ファンでも何でもないけれど、彼女は作家たましいとでもいうべきか異常なくらい真相究明に熱中していたし、また大江健三郎に対する一種の敵愾心のようなものもあったようだ。 だだもう一つ、近年来、この問題を論評する人たちが、大江健三郎を尊敬するあまりその問題の論文の中には、芥川賞を受賞した初期作品をずっと大江作品を愛読してきたとか、ノーベル賞作家云々の決まり文句添えて書いていたが、あれは逆効果だったし、説得力を弱めていた。
上原:言っておきますけれど、僕は大江文学というものを全く読んでおりません。 思うに大江健三郎は、沖縄については多少の知識はあっても何も知りませんよ。 彼には幼稚園生程度の知識しかないのですよ。>
集団自決の真相解明に関して「大江健三郎の文学的業績が曽野綾子のそれに勝るから、曽野綾子は大江の『沖縄ノート』を批判できない」といった幼稚な論旨で、曽野綾子氏を批判する「売れない評論家」のことは前に触れた。
大江文学を評価するから『沖縄ノート』は正しい。一方曽野文学を評価しないから『ある神話の背景』はおかしいといった子供じみた主張も論外だが、曽野批判の文ならなら何でもダボはぜのように食いつく琉球新報に新聞としての矜持は微塵もない。
この評論家センセの琉球新報掲載の論文?は内容を引用するのもバカバカしいのでタイトルのみを紹介して、その卓越したお笑いのセンスに脱帽した記憶がある。
上記対談の星氏の下記コメントはこのセンセのことと思われる。
<近年来、この問題を論評する人たちが、大江健三郎を尊敬するあまりその問題の論文の中には、芥川賞を受賞した初期作品をずっと大江作品を愛読してきたとか、ノーベル賞作家云々の決まり文句添えて書いていたが、あれは逆効果だったし、説得力を弱めていた。>
誤字を追及するセンセが自ら批判する曽野氏の本のタイトルや著者名を誤記し、最後のオチに「誤字を放置した」と結論付けるあたり、その秀逸な笑のセンスに思わずコーヒーを吹いたことを想い出した。
この評論家センセ、それ以後琉球新報にも見放されたのか紙上にその名を見ることはないが、
折角星氏もご指摘のようなので、その三回に渡る琉球新報論文の一回目を抜粋して紹介する。
例によって太字・赤字強調は引用者。
◆琉球新報・2008年2月25日掲載
大江岩波訴訟
保守論壇を憂う 上 曽野綾子氏の「ある神話の風景」 ・ 歴史記述は信用できず
山崎行太郎
私は、先月、「月刊日本」という、どちらかと言えば日本の保守・右翼系のオピニオン雑誌に、「大江健三郎裁判」とも呼ばれる「沖縄集団自決裁判」をめぐって、「保守論壇の『沖縄集団自決裁判』騒動に異議あり!!!」という論文を発表し、保守論壇や保守思想家たちの勉強不足や思想的劣化現象を批判した。ここで、あらかじめ断っておくが、私は、政治思想的立場としては保守派・反左翼派に属する人間である。それにもかかわらず、私が大江健三郎を擁護し、保守論壇の面々を批判したのは、ノーベル賞作家・大江健三郎を被告席に引き摺り出し、大江氏の業績や人格を冒涜することだけを目的としたかのような、この「沖縄集団自決裁判」に、同じく文学の世界に生きる者として、あるいはかつて高校生の頃、「大江文学」の愛読者であり、「大江文学」の影響で文学や思想の道へ進むことを決断したという「大江健三郎体験」を持つ者として、何か許しがたいような、「不純なもの」を感じたからである。
(略)
私見によれば、曽野氏の『ある神話の背景』の歴史記述には、大江氏が「罪の巨塊」(モノ)と書いたものを、 「罪の巨魁」 (ヒト)と「誤読」し、 「誤記」したという例や、取材対象の赤松隊長側が提供し、改竄された可能性が高い文献「陣中日誌」を全面的に採用したり、赤松氏を批判する文献や証言者達を激しく批判する一方で、赤松氏や赤松隊員、あるいは赤松隊と最後まで行動を共にした「巡査」や「女子青年団長」の証言を無批判的に鵜呑みにするなどの例が示すように、学問的にも実証的にも欠陥や矛盾が多すぎて歴史資料としての価値は薄く、「沖縄集団自決裁判」の論拠となるべき文献としても信用できない。(略)
◆琉球新報・2008年2月26日
保守論壇を憂う 中
曽根氏の「現地取材万能主義」 ・ 客観性無視し結論ありき
(本文略)
◆琉球新報・2008年2月27日
保守論壇を憂う 下
誤字・誤読を放置 ・ 思想的劣化は明らか
(本文略)
◇
■事件は現場で起きている!会議室で起きているんじゃない!■
太田良博記者は、現場に一度も足を踏み入れることなく噂のみで『鉄の暴雨風』を書き上げた。
大江健三郎氏は、その『鉄の暴風』を鵜呑みにして『沖縄ノート』を書いた。 氏は何度も沖縄を訪問しながらも太田記者に倣ってか自身も現場には一度も足を踏み入れなかった。
「評論家」センセは、現場を知らない大江氏を狂信的に擁護するわけだから、曽野氏が『ある神話の背景』を著した時に取った現地聞き取りの手法を『曽根氏の「現地取材万能主義」 客観性無視し結論ありき』と、イヌの遠吠えをするしか批判の術を知らないのだろう。
センセにはかつて大ヒットしたドラマ『踊る大捜査線』でも見てもらうしかないだろう。 織田裕二扮する湾岸署の青島刑事は現場も知らず会議室で偉そうに御託を並べる頭でっかちの上司にこう言い放った。
「事件は現場で起きているのだ!会議室で起きるものではない!」
さらに「売れない評論家」センセの「誤字論」は幻だとしても、「誤読論」は正しいという熱心な信者や弟子がいる。
大江氏の「誤読論」がいかに恥知らずかは、ここを読めば分かる。
さて、大江教狂信者の話でつい脱線したが、再度星氏と上原氏の対談に戻る。
■沖縄タイムスは腹をを切って詫びよ!■
<星:日本も憲法で保障されているはずだが、自由な意見をいうと、右翼的発言をするなどと、すぐ規制される。
上原:ところが、勝手に自主規制というのがあって、今の沖縄の新聞は自分達に都合の悪いことは載せないわけですよ。
星:載せない。 編集方針が偏っていると言えるだろう。
上原:こんなことでは沖縄の新聞の未来は全くない。 もう沖縄の新聞の良心は地に落ちたといってもいいじゃないかと思っています。
星:だからね、もちろん左翼の思想も尊重すべきものもあるけど、右翼の思想の中にもいろいろ傾聴に値するものがあるようだし、そういう理論かもいる。左翼と右翼の間にはいろんな反目があるとしても、この裁判の問題は、結局は争点が隊長命令の有無だけではなくなって、だんだん広がっていって、当時の戦前の空気を捉えて、全体の軍国主義の空気を現在に置き換えて、現在の視点で批判しているわけですね。 すると、政治的な運動になっていて、究極的には裁判の勝敗だけを問題にしているふしがある。
上原:3年前に岩波の(世界)の編集長が僕に会いたいと言ってきたのですけど、会えなかったんで、手紙を書きましたよ。 その中で言ったことは、裁判ではこの問題については何の決着も得られないだろうと。 真実は明かされない。 しかし、どんなことがあっても人の道を踏み外してはいけないということを
僕は間接的に言って、自分の本当の意見は言いませんでした。けれども、赤松さんと梅澤さんに対して、人間として対処するようにという手紙を書いたのですよ。 しかし、今問題になっているのは、岩波も大江さんも自分達を正当化するために、赤松と梅澤たちが命令したことにしているわけです。 でも完全な間違いなんだよね。 本当は裁判があってもなくても、きちんと誤るべきですよ。 そして『沖縄ノート』も書き替えるべきですよ。 それから『鉄の暴風』、これは何度頭を下げて謝ってもたりないですよ、本当はね。 昔の表現にすれば、腹を切らんといかんということですよ。>
星:超党派的に、新聞社の良心が望まれている。 しかし、新聞社はどんなことがあっても謝罪しないし、一筋縄ではいかない。>
大江健三郎氏も岩波書店も己の正当性を示すため人間の道を踏みはずし、遂に獣道(けものみち)へ迷い込んでしまった。
その両者を獣道に迷い込ませた沖縄タイムスは腹を切って詫びても足らないと上原氏。
沖縄に住んで文筆で生きるお二人が、これほど激しい調子で沖縄タイムスや岩波書店を糾弾するのはよっぽど彼らのデタラメさに確信があり、かつ真相究明に対する不退転の覚悟があるからであろう。
対談はまだ続く・・・。
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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
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