狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

『うらそえ文藝』があばく集団自決の真相

2009-05-16 18:05:17 | ★集団自決

 沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

 

『うらそえ文藝』の論考に蛇足のようなコメントを書き連ねているが、しばらく我慢してお付き合い願いたい。 本来なら同誌を入手して読んで頂くのが一番だが、読者によっては直ぐ手に入りにくい方もおられることと思い、同誌の宣伝の意味もかねてしばらく蛇足エントリーを続けたい。 同誌は書庫に留め置くべき歴史的文献になると筆者は思う。 集団自決問題に関心のある方は右、左の立場に関係なく是非購読してほしい。

ちなみに同誌の入手先はここ。

浦添市文化協会
沖縄県浦添市牧港3丁目40番6号浦添市立中央公民館分館

TEL/FAX 098-878-4553 
価格・1200円(+送料)

                     ◇

『うらそえ文藝』(4号)に掲載の集団自決特集は星雅彦氏執筆の論考「集団自決の断層」と、上原正稔氏執筆の論考「人間の尊厳を取り戻す時ー誰も語れない“集団自殺”の真実ー」そして執筆両氏の対談という三部構成になっている。

前稿で星氏の論考の結論部分を紹介したので、次に進みたいが、星氏は大阪地裁の判決を批判した後、「援護法が出来る前から軍命は鉄の暴風にあったから軍命を援護法は関係ない」という被告側の主張に対して反論しているで、これを追記しておく。

 <大江健三郎は「沖縄ノート」を『沖縄戦記・鉄の暴風』を根拠に執筆したと陳述書で強調している。だが間違いだらけのその『鉄の暴風』の根拠たるや、曖昧な上に脆弱で稀薄なのだ。しかも日本軍の関与が命令の相当性ありとするには、無理な論理があり飛躍がある。問題の接点を考えてみる。
 「軍命」と「援護法」は直接関係ないのに、軍命の記述は援護法が出る前から「鉄の暴風」にあったから、「捏造」が崩れたとしている。しかし援護法は、「戦闘協略者」という規定に当て嵌めて適用したのであって、自決者は戦闘協力者であるとしたので、その視点から方便が使われたということは確かだ
。(「集団自決の断層」ー星雅彦)>


上原正稔氏の「人間の尊厳を取り戻す時ー誰も語れない“集団自殺”の真実ー」は後に譲って、

沖縄戦記の実証的調査の先駆者とも言える沖縄在住の知識人のお二人の対談から要点を抜粋引用する。(太字強調は引用者)

:・・・単刀直入に質問します。
沖縄戦において集団自決は、果たして隊長の命令で行われたものなのかどうか。そのことを簡単明瞭に答えて下さい。

上原: 結論的に言いますと、隊長の命令は全くなかったんです。これが隊長の命令があったと喧伝された背景については、何度も書きましたけれども、読者はほとんど読んでないので、読んでも古いから今改めてこういう質問と問題が提起されているから答えますけれども、とにかく隊長命令はなかった。これはもう動かしがたい事実です。・・・・・

・・・(略)・・・・

それからこの裁判で、証言者たちが前言を翻して、逆な発言をするのも不思議な現象だ。例えば、宮城晴美さんのお母さんの宮城初枝さん、以前は宮平初枝さんだが、その人が軍命について嘘の証言をしたことを告白したのを、娘が証言したことを告白したのを、娘が後でまた裏返してあの告白は嘘だったという経緯がる。その上、戦後生まれの宮城晴美さんは自分の証言の真実性を訴えたりする。また、二重の虚言的な操作をする人が出てきたりして、非常に疑心暗鬼になる。ただ、住民が本当のことを言えなくて、奥歯にものの挟まったような状態で証言するのを、私は数人から何度も感じてきたわけです。
また、四十年ほど前に渡嘉敷島に宿泊して、私は当時の村長と駐在巡査と宮城初枝に会って話を聞いたわけです。そのとき何かしらしっくりせず隠しているなと感じたものです。
隊長命令があったとは誰も言わなかったし、なかったとも言えないふうに、非常に曖昧だった。
「潮」に「集団自決を追って」という文章を物語風に書いたけれど
ある程度の確信はあったが、あの私の逃げ口上的な表現に対しては、今でも忸怩たるものがある。

上原:  
集団自決と関係者の発言はまさに援護法というものが作用しているんです。
実は一九五一年九月八日に「サンフランシスコ平和条約」が締結され、それで沖縄は日本から切り離されて、沖縄から抗議の声上がったわけですよ。どこにもこの記録はないんですが、僕の推定では、沖縄の声を日本政府は聞き入れて、沖縄はアメリカに自由に使ってくださいと提供したが、そこで沖縄に申し訳ないという気持ちがあったわけですよ。そのために沖縄にお金を落とすことにしたわけですよ。これが援護法の拡大適用というやつです
それで、この援護法というのは、本来は軍人と軍属だけにしか下されないものなんです。
ヤマトでは東京でも大空襲の被害者にはお金は一銭も下りてません。また、原爆被害者にもお金は一銭も下りていません。それは原爆手帳というかたちの診療を受ける権利しかないわけです。
それなのに、日本政府は自国民には一銭も出してないが、沖縄には集団自決者にも援護法を拡大適用にして給付金を出した。沖縄の人たちはそれを隠し通したわけですよ。

:  一般住民にも遺族年金が支給されたのは、『鉄の暴風』が隊長命令で集団自決が起きたと書きたてたために、後で援護法が適用されるようになっあっと、そんなふうに解釈している人もいる

上原: いや『鉄の暴風』が書かれても書かれなくても援護法は、拡大解釈されたのです。沖縄だけです。

: 「沖縄住民に特別配慮を賜った」わけだ。

上原 :
この援護法というものに、厚生省は条件を付けた。それは軍協力者であるということ。
そうであれば五歳以上の者は受ける権利がるということだった。後年、幼児も含めるようになったようです。

: 隊長の命令とは関係ないが、追いつめられ住民は軍民一体にさせられた…。

上原:  それでね、渡嘉敷村役場でも、それから座間味村役場でも偽の報告書を作ったわけですよ
それぞれ「赤松隊長の命令によって我々は集団自決をしました。」と。
座間味でも、「梅澤隊長命令によって集団自決をしました。」と出して、遺族年金がもらえるようになったわけです。それで、それに立ち会った県援護課の照屋昇雄さんは非常に重要な証人なんですね。まだ那覇には健在の照屋さんは、二〇〇六年の一月の産経新聞インタビューの中で、そのことを証言している。

<「潮」に「集団自決を追って」という文章を物語風に書いたけれどある程度の確信はあったが、あの私の逃げ口上的な表現に対しては、今でも忸怩たるものがある。>集団自決を追って


外にも沖縄タイムスの謝花記者が見たら泡を吹いてひっくり返りそうな、沖縄タイムスの「隠蔽された秘密」も話題にでてくるが、これは同誌を購入の上、自分で確かめてほしい。


 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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あばかれた「神話」の正体
鴨野 守
祥伝社

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コメント (2)

死についての論考ー星雅彦氏が『うらそえ文藝』で

2009-05-16 08:24:48 | ★集団自決

 






 

 

 

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レッテル貼りは左翼の得意戦術であるが、沖縄の新聞は「集団自決」という言葉自体がおかしいとして、現在「強制集団死」と併記している。

「集団自決」は『鉄の暴風』の執筆者太田良博氏が始めて使用したとされているが、これに異議を唱え「強制集団死」とすべきだと主張するのは、石原昌家沖国大教授。⇒連載「消される事実・教科書検定と沖縄戦」(3)http://www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu/kesareru_jijitsu03.html

集団自決の「軍命の有無」について議論が分かれているのを承知の上で、問題のキーワードを「強制集団死」と自分の結論を著す言葉に書き換えたら、最初から議論を拒否したことに等しい。

石原教授は「集団自決」問題では、「軍命あり派」の論客の一人だが、「集団自決」の呼称が不適切であるとして、「集団強制死」を使うべきとする論文を書いたと聞く。

当日記が「集団自決」を言いかえるのなら、「集団強制死」よりむしろ、「集団無理心中」と表現した方が、問題の本質をよく言い表していると書いた。⇒タイムス、新報はサヨクの機関紙だ!

 

これまで「集団自決の軍命の有無」に関して当日記は夥しい数のエントリーをしてきた。

そして、たとえ軍の命令であったとしても、別の命令ならともかく、自分や愛する肉親の命を絶てという命令に従い、唯々諾々と殺害する人はいないと書いた。

さらに追いつめられパニックに陥った人間の行動の分析には、歴史学者だけでなく心理学者の解析も必要だとも書いた。

沖縄紙が報じない金城重氏の闇の部分

重栄、重明兄弟は肉親の他に他人も手にかけていたのだ。

しかもそのうちの数人は生き残って島で生活している。

兄弟にとってこれ以上の地獄が他にあろうか。

弟の重明氏が戦後島を出て宗教の道に入った心境も理解できる。

だが、肉親どころか他人まで自分が手にかけた重明氏は自分達の取った行動を自責の念で「家族への愛だった」と弁明する。

その一方、責任転嫁で「軍の強制だった」と言い続けなければ生きてはいけなかった。

「集団自決」とは何だったのか。

追い詰められた末の、閉鎖空間における極限的な状況が生み出した「狂気」のなせる業であり、その「狂気」は元々人間の内部に潜む。

この解明には歴史家はもとより心理学者の検証研究が不可欠と考える

 

詩人であり作家でもある星雅彦氏が『うらそえ文藝」の論文の結論部分で、「集団自決」における死という根源的問題に深い考察を提示している。

さて、「死」に関する考察だがー人は、「死ね」と命令されて、素直に承知して「死ぬ」だろうか。 生きる生命力が優先するはずだ。ほんとうに軍命によって強制集団死したのであるならば、その已む無き自決は、自決そのものが強制であって自らの意志ではないということになる。 無論、わけがわからないまま殺害された老人や幼児らは別として、すべて強制に従ったとすると、殺す側も殺される側も狂気の中にあったにしろ自らの意志に反する行為を選んだことになる。 この場合、逃げ場を失って混乱していたにせよ、鬼畜米英への恐怖だったにせよ、軍の足手まといにならないように願っていたにせよ、何はともあれ戦時の皇民化教育や軍国主義などに洗脳されての自主的な行為ではなかったということになる。
そうすると強制集団死の強制は、天皇陛下に命を捧げるとか、国のために自ら死ぬといった戦時中の浸透していた独特な空気とも次元が異なり、
むしろあの「空気」の存在を否定することになるだろう。 
つまり強制集団死は、現在の視点からの被害者意識に立った解釈に基づいていて、戦中の軍国主義の強制性の存在をも否定したことになるのだ。 そこには善かれ悪しかれ史実としてあったものを無視する強引さがある。 これは逆に史実を捏造したことにはならないか。
 ほんとうは戦中の玉砕精神と命を捧げた実態を認めることによって、過去の時代を真に認識し、死者たちの真相を捉えることになるはずなのに、集団自決を単に「強制集団死」の語彙一色に塗りこめると、折角の政治政治的キャンペーンも逆効果になって隠蔽された史実になりはしないか
老婆心ながら以上のことを痛感する。 裁判も含めて、集団自決問題は厳然たる事実として、その実情を捉えなおすこと。 政治的イデオロギー論争にやたら進展させないで欲しいと思う
。>

ちなみに『うらそえ文義』掲載の上原正稔氏との対談で星氏は「強制集団死」の使用を主張する傾向を厳しく批判している。

この論考は、私がこれ以上何も付け加えることもないほど集団自決の核心を衝いており、同時に沖縄紙をはじめとする識者達への痛烈な批判をも含んでいる。 

蛇足とも思われたが、文中の太字強調は引用者が行った。

蛇足ついでにもう一つ。

上記論考掲載の『うらそえ文藝』のバックナンバーを調べて見ると、「強制集団死」の使用を主張する石原昌家教授が、古い号で「強制集団死」について寄稿している。

この論考は名指しこそしていないが、石原教授へのキツーイ批判でもアル。

                   ◆

 

 

        ■田母神沖縄講演会のお知らせ■

 

 講演会の詳細はここ。

 

講演会後、引き続き食事をしながら田母神さんを囲んで懇親会を催します。

是非お気軽に参加ください。

 

【懇親会】

【日 時】平成21年5月30日(土)        

              午後2時受付 午後2時30分~午後4時閉会

 

【会 場】パシフィックホテル沖縄 珊瑚の間

                   那覇市西3丁目6番1号  電話 098(868)5162

 

【会 費】5,000円

【主 催】田母神俊雄講演会を歓迎する沖縄実行委員会

 

連絡先】沖縄実行委員会 担当 錦古里

              電話:090-9780-7272  FAX:098 (868) 3037

 

※出来ましたら上記に前もってご予約頂ければ幸いです。

 

 






 

 

 

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