狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

琉球新報の言論検閲を上原氏が暴露!うらそえ文藝の衝撃!

2009-05-20 15:57:11 | ★集団自決

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『うらそえ文藝』の対談引用の最終回です。

上原:当時の新聞記者も全部、敵はアメリカ、イギリスであって鬼畜米英思想があった。 そうじゃないと生きてはいけない時代ですから、所詮、沖縄の人は年寄りも子どもも皆天皇陛下のために死ぬのはなんでもないわけですから、だから自分の愛している子どもを殺すことができるわけです。 死んでもあの世で会えるという思いだったから、おまけにみんなの考えは、統一されていた・・・。 別な形で現在も通用してますよね。

: そうですね。現在でもある意味では統制されているわけですですからね。

上原: もう完全に右も左も統制です。 僕は琉球新報のM記者たちに『パンドラの箱・・・』の掲載をストップさせられた。怒鳴りつけてやった。 「君らは表現の自由を知っているか」ってね。 しかし動じる様子もなかった。 連載は2007年4月から4ヶ月も中断した。 

:社の方針に反するということだろうね。それはまたその人たちも統制の枠の中にいるってことが、意識してないかもしれない。

上原: 彼らはまず沖縄の知識人、自分たちは文化人だと思い込んでいるんですよ。 それで自分たちの発言や行動はすべて正しいと思っているのわけです。

: 正しいかどうかは何十年か何百年経たないと分からない。

上原: いつも彼らは正しいと思っている。 だから、僕が本当のことを書こうとしたら、もう読みもしないうちからストップかけるわけです。 これは新報の編集方針に反するからといってね。 
僕は2回にわたって4人組の記者から吊るしあげられ、連載を中止させられた。 1番腹が立ったのはM記者だったが、彼も新聞社をバックに空威張りしたのにすぎない。
 彼らも統制のオリの中にいるのですよ。 

星: あってはならないことだが、記者は往々にして個人の感情で誤った記事の扱い方をすることがある。 

上原: 僕は沖縄を徹底的に批判もしますけれど、しかし、根底にあるものは、沖縄に生まれて沖縄から逃げられないと思っていますから、ウチナーンチュであることを意識しながら批判しているわけだけど、多くの記者はこういう姿勢をとらないわけです。 だから今新聞は結局反戦平和に隠れて、自分たちはいい子ぶっている格好。 鬼畜米英を叫んでいた戦前の新聞と何も変わりませんよ。 ただ向きが違っているだけ。

                   ◇

 信じられないことではあるが、沖縄では下記のような言論封殺が今でも日常茶飯事で行われている。

僕は琉球新報のM記者たちに『パンドラの箱・・・』の掲載をストップさせられた・・

僕が本当のことを書こうとしたら、もう読みもしないうちからストップかけるわけです。 これは新報の編集方針に反するからといってね。 
僕は2回にわたって4人組の記者から吊るしあげられ、連載を中止させられた。 1番腹が立ったのはM記者だったが、彼も新聞社をバックに空威張りしたのにすぎない。

その当時、筆者(狼魔人)は琉球新報を購読していたが、この読者を無視した卑劣な言論封殺事件を契機に琉球新報の購読を解約した。

読者には一言の説明もなく連載中の企画「パンドラの箱・・・」を、検閲・中止させた経緯は二年前のエントリーで詳述してある。

 ⇒琉球新報によって削除された「沖縄戦記」

⇒ 「集団自決」 「パンドラの箱」を閉じたのは琉球新報自身

中止後、新報社に何度か電話で問い合わせしたが「調整中」の一言だけで、再開のめどを訊いても「調整中」と答えるだけで、最後まで日頃叫ぶ説明責任を果たさなかった。

当日記は琉球新報に蟷螂の鎌よろしく定期的に次のようなエントリーをした。

⇒ 【再掲】琉球新報の言論封殺に抗議します

「11万人集会」も無事?終了した後、琉球新報は今度も何の説明もないまま、そっと連載記事を再開したが、内容は掲載予定の「慶良間島の集団自決」を飛び越えて、米軍の本島上陸後の統治状況になっていた。

再開された上原正稔氏の特集  パンドラの箱は開くか?

 

あってはならないことだが、記者は往々にして個人の感情で誤った記事の扱い方をすることがある。

>今新聞は結局反戦平和に隠れて、自分たちはいい子ぶっている格好。

彼らは、反戦平和の大義名分を掲げさえすれば事実を歪曲しても許されるという傲慢な態度で記事を書くが、それを読まされる読者こそとんだ大迷惑な話である。

内容盛りだくさんの星・上原両氏の対談は外にも沖縄タイムスの「語られたくない秘密」にも触れているが、後は同誌を読んでいただくとして、対談の引用は一応これで終了する。

昨日のエントリーでも述べたが,琉球新報と沖縄タイムスは新聞として最も恥ずべきことをして読者を愚弄したことをお二人に暴露されても依然として沈黙を守っている。

だが、時代は刻々変化している。 既にネット上には「うらそえ文藝の衝撃」をエントリーするブログが出始めている。

蟻の一穴が巨大ダムに亀裂を入れ、やがては強大な水圧に耐えかねてダムも決壊すると書いた。

今、沖縄二紙が構築した集団自決の「軍命という虚構」が、民意という水圧に耐えかねて崩壊寸前にある。

民意は次に挙げる「集団自決本三点セット」によって、日増しにに水圧を強くしている。

 

「集団自決本三点セット」

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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あばかれた「神話」の正体
鴨野 守
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コメント (4)

新刊紹介:秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』 ◆沈黙は卑劣

2009-05-20 10:27:15 | ★集団自決
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雄弁は銀、沈黙は金

雄弁は大事であるが、沈黙すべき時やその効果を心得ているのはさらに大事である。沈黙を守るほうがすぐれた弁舌よりも効果的である場合のあることをいう。

ことわざ大辞典 小学館

                   *

沈黙は卑劣

この諺の意味は沈黙の方が物事の説明において雄弁に勝る場合があるということだが、

沈黙によって人びとの記憶が薄れるのを待つ卑劣な新聞がある。

今沖縄のマスコミがひたすら沈黙を守っていることが二つ。

一つは金武村の「米軍流弾事件」。 沖縄二紙が沈黙を守って以来既に一か月以上経過している。⇒どんなことがあっても、真相を突き止めるよ!金武被弾事件

そしてもう一つ。

地元の知名士二人が『うらそえ文藝』で告発した「集団自決の真相」。

同誌発売以来既に一週間以上経過しているが沖縄二紙は依然として沈黙を守っている。

沖縄二紙は読者が求める情報を、自身に不都合な場合は沈黙でこれに答えてきた。

だが、ネットの普及した現在、読者はこの沖縄紙の卑劣な沈黙作戦が、銀や銅どころか鉄、いや、それも錆びた鉄となって己の本体を腐食、崩壊させることに気がつくべきだ。

新聞にとって沈黙は卑劣である。

                   *

 

「集団自決」論争で被告側を応援する出版物は,原告側応援のそれに比べて圧倒的数量をほこり、さながら60数年前沖縄を襲った米軍の『鉄の暴風』のように各書店のコーナーを我が物顔に占拠している。

だが、今年になって「集団自決」の軍の命令は無かったと論証する本が毎月のように発刊され始めた。

その数こそこれまでの被告側応援本に比べてまだ劣るが、その中身の濃密さにおいて一騎当千の破壊力を有する本ばかりである。

★先ず3月に入って、これが出版された。

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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筆者(狼魔人)も同書の第五章の執筆を担当させてもらいました。

五章では、戦後の噂話を面白おかしく書いた『鉄の暴風』の発端ともなった当時の座間味村助役山城安次郎氏のガセネタ売込みに焦点を当てた。

「赤松の暴状」や「梅澤の不名誉な死」というガセネタを沖縄タイムスに売り込んだ山城氏の不可解な行動が全ての発端だった。

氏の戦後と、そのガセネタを何の検証もなく書き綴った素人記者太田良博氏に焦点を当て、沖縄タイムスの犯した大罪を検証した。

そう、戦後の「集団自決の悲劇」は、山城氏が沖縄タイムスにガセネタを持ち込んだことから全てが始まったのです。

山城氏自分が体験していない渡嘉敷島の「赤松の暴状」を太田記者に訴え、自分が体験した座間味村に関しては「梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮慰安婦らしきもの二人と不明死した」(『鉄の暴風』初版に掲載)と個人の名誉を毀損するようなガセネタを売り込んでいた。

是非ともご一読をお願いします。

同書を自由主義史観研究会が紹介しているので、以下に全文引用させていただきました。(太字強調は引用者)

                   ◆

新刊紹介:秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』

自由主義史観研究会会報編集部
 

◆法廷外言論戦の開始

実証的な歴史学者である秦郁彦氏が、言論戦の口火を切った。

秦氏は、本書の中で、大阪高裁の判決文のうち「いちばん気になった」のは、「このような歴史的事実の認定は……本来、歴史研究の課題であって、多くの専門家によるそれぞれの歴史認識に基づく様々な見解が学問の場において論議され、研究され蓄積されて言論の場に提供されていくものである。司法にこれを求め、かりにも『有権的な』判断を期待するとすれば、いささか、場違いなことであるといわざるを得ない」という箇所だったと述べている。

確かに、司法に歴史論争の決着を委ねるのは、今回の一件をみても危険だ。秦氏は、右の判決文に対して、「御説ごもっとも」と皮肉混じりに記しているが、そのようなことは、氏には百も承知であり、それゆえ本書を「学問の場」を通じて「言論の場」に提供されたのである。

今、法廷外における言論戦を展開しなければ、大江・岩波側、「軍命令説」論者の活発な署名活動やメディア戦術、小学生を使った寸劇パフォーマンスなどが、歴史論争の雌雄を決することになりかねない。ノーベル賞の権威や犠牲者への同情心理を利用した反軍イデオロギーに弓引けない司法への異議申し立て第1弾が本書となる。


◆沖縄戦研究者の転向と狼狽

秦氏は早くからこの問題に関心を寄せ、自著『現代史の虚実?沖縄大江裁判・靖国・慰安婦・南京・フェミニズム』(文藝春秋社 2007年)のなかでも、こう記している。

〈風向きが変わったのは『ある神話の背景』(1973年)が出現してからである。…曽野説を受け入れ、あっさり転向する人がいないではなかったが、地元の沖縄では既定の政治路線にしがみついたり、1957年から始まった援護法の打ち切りを懸念してか、どっちつかずの書き方を工夫するなど対応ぶりは分かれた

歴史学者として、もっとも避けるべきは史料批判から得た結論以外の何かーそれは「イデオロギー」であったり、「(同調)圧力」であったり、金銭的な得失であったりーによって、史実を曲げることである。史料精査を旨としてきた秦氏には、そうした日和見主義者を黙って見過ごすことはできなかった。

秦氏は本書で、歴史学者にとって最も恥ずべき醜態を晒した人物を暴露している。これは歴史学者の名誉を守るため、歴史学者にあらざる「転向」者を断罪する必要があったからである

特に、林博史関東学院大教授に対しては、処女作が「盗作」であったこと、そのもみ消しに至る学界の馴れ合いにまで踏み込んだ。  ここで、沖縄戦集団自決に関する林説を、いまいちど記しておこう。

《「「自決」を主導したのは村の幹部や校長ら学校の教師たちと見られる。村のなかの有力者であり、軍に協力して軍と一体化していた層である。島民にとっては「当時の役場の職員といったら、とても怖い存在でしたので、絶対服従」の存在…」(「集団自決の再検討」 『歴史評論』 1992年)

「(渡嘉敷島の)犠牲者は329人と言われている。赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考えられる。これが一体どこからでてきたのかわからないが、自決せよという「軍命令」が語られ、それを受け入れるような精神状態が作り出されていた……」(『沖縄戦と民衆』大月書店 2001年)》

実は、林教授はこうした至極真っ当な説を述べていた。それゆえに、文科省教科書検定官は、林著『沖縄戦と民衆』を根拠に、「近年沖縄戦に関する研究者の著書等で隊長の命令の存在は必ずしも明らかでないとするものも出てきており、その後、これを否定する研究者の著書等も見られない」として、2007年3月の検定意見を付したのである。

しかし、林教授は自著が「軍命令否定」のもとになったと知るや狼狽し、「血相を変えて、あちこちで抗弁に乗り出し」(280頁)、文科省に対しても、「貴審議会の重大な歪曲、悪用に対して抗議したい」「怒りを通りこしてあきれてしまう」と、逆ギレしてみせた。こうした人びとは他にも大勢いる。


◆日本政府・軍の「大方針」は玉砕ではない

高裁判決ですら《「軍官民共生共死」の大方針》などといい、当時のスローガン用語と方針・命令を峻別せずに使っている。

秦氏は、八原高級参謀の手記や、米軍に入手された「南西諸島警備要領(英文)」から、日本政府・軍の方針が「非戦闘員の疎開・避難」であったことを強調する。

疎開を拒んだ住民に戦火が迫ったとき、八原高級参謀は「目をつむって敵手に委せるほかない」と判断したことを挙げ、「捕虜絶対禁止」命令などなかったと述べる。しかし、当時のマスコミや村の空気もあって、「軍・官」の大方針である疎開に応じなかった非戦闘員は、最終的に、斬込みか、自決か、被爆死、敵軍への投降の道、いずれかを選んでしまった。

米軍の統計によれば、日本軍人・軍属の捕虜は1万人強、民間人の降伏者は28万5000人、一方、集団自決死者は1000人に満たない。1000人の生命を軽んじるわけではないが、仮に彼らが言うような「玉砕」が軍の命令・方針であったというならば、両者の割合は逆転しなければおかしい。


◆宮平証言の今後

本書には、集団自決前後の様子を詳細に述べた宮平秀幸陳述書全文と、藤岡信勝本会代表による解説も掲載されている。藤岡代表は、宮平証言の核心のひとつである「村長の解散命令」の裏付けを取るために、当時、忠魂碑付近にいた村民から証言を聞き取り、史料の発掘や調査を続けている。

また、宮平氏やその他の住民の証言から、村の幹部らが、どのように「玉砕」を決意・計画し、推進していったか、といった問題も徐々に再現されつつあるという。

誤解なきようにいえば、その作業は、決して村幹部を「悪玉」に仕立て上げようとするものではない。村長や助役らは、村と住民を思い、その責任感から玉砕を推進したという面もあるのだ。

だからといって、援護法適用のために「便宜上」軍命令と詐称したままの歴史が、後世に残ってしまうのを拱手しているわけにはいかない。今後も法廷外の言論戦は、公正な学問の場において続いていく。

                   ◆

★4月にはこれが出版された。↓

あばかれた「神話」の正体
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★ そして5月にはこれ。↓

 

 

 

この三点セットをご購読いただいたら、沖縄戦の「集団自決」に軍の命令も強制も無かったということがよくわかり、『鉄の暴風』や『沖縄ノート』がデタラメなウソ塗れの本であることがよくわかる。

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新刊紹介:秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』 ◆沈黙は卑劣

2009-05-20 10:27:15 | ★集団自決
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 『雄弁は銀、沈黙は金』 (Speech is silver, Silence is golden.)

雄弁は大事であるが、沈黙すべき時やその効果を心得ているのはさらに大事である。沈黙を守るほうがすぐれた弁舌よりも効果的である場合のあることをいう。イギリスの思想家・歴史家、トーマス・カーライルの「衣装哲学」に見えることば。

故事俗信 ことわざ大辞典 小学館

                   *

■沈黙は卑劣■

この諺の意味は沈黙の方が物事の説明において雄弁に勝る場合があるということだが、

沈黙によって人びとの記憶が薄れるのを待つ卑劣な新聞がある。

今沖縄のマスコミがひたすら沈黙を守っていることが二つ。

一つは金武村の「米軍流弾事件」。 沖縄二紙が沈黙を守って以来既に一か月以上経過している。⇒どんなことがあっても、真相を突き止めるよ!金武被弾事件

そしてもう一つ。

地元の知名士二人が『うらそえ文藝』で告発した「集団自決の真相」。

同誌発売以来既に一週間以上経過しているが沖縄二紙は依然として沈黙を守っている。

沖縄二紙は読者が求める情報を、自身に不都合な場合は沈黙でこれに答えてきた。

だが、ネットの普及した現在、読者はこの沖縄紙の卑劣な沈黙作戦が、銀や銅どころか鉄、いや、それも錆びた鉄となって己の本体を腐食、崩壊させることに気がつくべきだ。

新聞にとって沈黙は卑劣である。

                   *

 

「集団自決」論争で被告側を応援する出版物は,原告側応援のそれに比べて圧倒的数量をほこり、さながら60数年前沖縄を襲った米軍の『鉄の暴風』のように各書店のコーナーを我が物顔に占拠している。

だが、今年になって「集団自決」の軍の命令は無かったと論証する本が毎月のように発刊され始めた。

その数こそこれまでの被告側応援本に比べてまだ劣るが、その中身の濃密さにおいて一騎当千の破壊力を有する本ばかりである。

★先ず3月に入って、これが出版された。

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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筆者(狼魔人)も同書の第五章の執筆を担当させてもらいました。

五章では、戦後の噂話を面白おかしく書いた『鉄の暴風』の発端ともなった当時の座間味村助役山城安次郎氏のガセネタ売込みに焦点を当てた。

「赤松の暴状」や「梅澤の不名誉な死」というガセネタを沖縄タイムスに売り込んだ山城氏の不可解な行動が全ての発端だった。

氏の戦後と、そのガセネタを何の検証もなく書き綴った素人記者太田良博氏に焦点を当て、沖縄タイムスの犯した大罪を検証した。

そう、戦後の「集団自決の悲劇」は、山城氏が沖縄タイムスにガセネタを持ち込んだことから全てが始まったのです。

山城氏自分が体験していない渡嘉敷島の「赤松の暴状」を太田記者に訴え、自分が体験した座間味村に関しては「梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮慰安婦らしきもの二人と不明死した」(『鉄の暴風』初版に掲載)と個人の名誉を毀損するようなガセネタを売り込んでいた。

是非ともご一読をお願いします。

同書を自由主義史観研究会が紹介しているので、以下に全文引用させていただきました。(太字強調は引用者)

                   ◆

新刊紹介:秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』

自由主義史観研究会会報編集部
 

◆法廷外言論戦の開始

実証的な歴史学者である秦郁彦氏が、言論戦の口火を切った。

秦氏は、本書の中で、大阪高裁の判決文のうち「いちばん気になった」のは、「このような歴史的事実の認定は……本来、歴史研究の課題であって、多くの専門家によるそれぞれの歴史認識に基づく様々な見解が学問の場において論議され、研究され蓄積されて言論の場に提供されていくものである。司法にこれを求め、かりにも『有権的な』判断を期待するとすれば、いささか、場違いなことであるといわざるを得ない」という箇所だったと述べている。

確かに、司法に歴史論争の決着を委ねるのは、今回の一件をみても危険だ。秦氏は、右の判決文に対して、「御説ごもっとも」と皮肉混じりに記しているが、そのようなことは、氏には百も承知であり、それゆえ本書を「学問の場」を通じて「言論の場」に提供されたのである。

今、法廷外における言論戦を展開しなければ、大江・岩波側、「軍命令説」論者の活発な署名活動やメディア戦術、小学生を使った寸劇パフォーマンスなどが、歴史論争の雌雄を決することになりかねない。ノーベル賞の権威や犠牲者への同情心理を利用した反軍イデオロギーに弓引けない司法への異議申し立て第1弾が本書となる。


◆沖縄戦研究者の転向と狼狽

秦氏は早くからこの問題に関心を寄せ、自著『現代史の虚実?沖縄大江裁判・靖国・慰安婦・南京・フェミニズム』(文藝春秋社 2007年)のなかでも、こう記している。

〈風向きが変わったのは『ある神話の背景』(1973年)が出現してからである。…曽野説を受け入れ、あっさり転向する人がいないではなかったが、地元の沖縄では既定の政治路線にしがみついたり、1957年から始まった援護法の打ち切りを懸念してか、どっちつかずの書き方を工夫するなど対応ぶりは分かれた

歴史学者として、もっとも避けるべきは史料批判から得た結論以外の何かーそれは「イデオロギー」であったり、「(同調)圧力」であったり、金銭的な得失であったりーによって、史実を曲げることである。史料精査を旨としてきた秦氏には、そうした日和見主義者を黙って見過ごすことはできなかった。

秦氏は本書で、歴史学者にとって最も恥ずべき醜態を晒した人物を暴露している。これは歴史学者の名誉を守るため、歴史学者にあらざる「転向」者を断罪する必要があったからである

特に、林博史関東学院大教授に対しては、処女作が「盗作」であったこと、そのもみ消しに至る学界の馴れ合いにまで踏み込んだ。  ここで、沖縄戦集団自決に関する林説を、いまいちど記しておこう。

《「「自決」を主導したのは村の幹部や校長ら学校の教師たちと見られる。村のなかの有力者であり、軍に協力して軍と一体化していた層である。島民にとっては「当時の役場の職員といったら、とても怖い存在でしたので、絶対服従」の存在…」(「集団自決の再検討」 『歴史評論』 1992年)

「(渡嘉敷島の)犠牲者は329人と言われている。赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考えられる。これが一体どこからでてきたのかわからないが、自決せよという「軍命令」が語られ、それを受け入れるような精神状態が作り出されていた……」(『沖縄戦と民衆』大月書店 2001年)》

実は、林教授はこうした至極真っ当な説を述べていた。それゆえに、文科省教科書検定官は、林著『沖縄戦と民衆』を根拠に、「近年沖縄戦に関する研究者の著書等で隊長の命令の存在は必ずしも明らかでないとするものも出てきており、その後、これを否定する研究者の著書等も見られない」として、2007年3月の検定意見を付したのである。

しかし、林教授は自著が「軍命令否定」のもとになったと知るや狼狽し、「血相を変えて、あちこちで抗弁に乗り出し」(280頁)、文科省に対しても、「貴審議会の重大な歪曲、悪用に対して抗議したい」「怒りを通りこしてあきれてしまう」と、逆ギレしてみせた。こうした人びとは他にも大勢いる。


◆日本政府・軍の「大方針」は玉砕ではない

高裁判決ですら《「軍官民共生共死」の大方針》などといい、当時のスローガン用語と方針・命令を峻別せずに使っている。

秦氏は、八原高級参謀の手記や、米軍に入手された「南西諸島警備要領(英文)」から、日本政府・軍の方針が「非戦闘員の疎開・避難」であったことを強調する。

疎開を拒んだ住民に戦火が迫ったとき、八原高級参謀は「目をつむって敵手に委せるほかない」と判断したことを挙げ、「捕虜絶対禁止」命令などなかったと述べる。しかし、当時のマスコミや村の空気もあって、「軍・官」の大方針である疎開に応じなかった非戦闘員は、最終的に、斬込みか、自決か、被爆死、敵軍への投降の道、いずれかを選んでしまった。

米軍の統計によれば、日本軍人・軍属の捕虜は1万人強、民間人の降伏者は28万5000人、一方、集団自決死者は1000人に満たない。1000人の生命を軽んじるわけではないが、仮に彼らが言うような「玉砕」が軍の命令・方針であったというならば、両者の割合は逆転しなければおかしい。


◆宮平証言の今後

本書には、集団自決前後の様子を詳細に述べた宮平秀幸陳述書全文と、藤岡信勝本会代表による解説も掲載されている。藤岡代表は、宮平証言の核心のひとつである「村長の解散命令」の裏付けを取るために、当時、忠魂碑付近にいた村民から証言を聞き取り、史料の発掘や調査を続けている。

また、宮平氏やその他の住民の証言から、村の幹部らが、どのように「玉砕」を決意・計画し、推進していったか、といった問題も徐々に再現されつつあるという。

誤解なきようにいえば、その作業は、決して村幹部を「悪玉」に仕立て上げようとするものではない。村長や助役らは、村と住民を思い、その責任感から玉砕を推進したという面もあるのだ。

だからといって、援護法適用のために「便宜上」軍命令と詐称したままの歴史が、後世に残ってしまうのを拱手しているわけにはいかない。今後も法廷外の言論戦は、公正な学問の場において続いていく。

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★4月にはこれが出版された。↓

あばかれた「神話」の正体
鴨野 守
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★ そして5月にはこれ。↓

『うらそえ文藝』(2009年号)

 

この三点セットをご購読いただいたら、沖縄戦の「集団自決」に軍の命令も強制も無かったということがよくわかり、『鉄の暴風』や『沖縄ノート』がデタラメなウソ塗れの本であることがよくわかる。

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