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沖縄戦「集団自決」の謎と真実 |
沖縄戦の「通説」とか「定説」と言われるものほどいかがわしいものはない。
座間味島の集団自決は「隊長命令によるも」という「定説」は、集団自決の生き残り宮城初江氏によってもたらされた。
初江氏は、その後それが「援護金」のために強制されたウソの証言であったことを娘晴美氏に書残した。
娘晴美氏が母の遺言である『母の遺したもの』(2000年12月)を出版することにより「定説」は逆転し、「隊長命令はなかった」が新たな「定説」となった。
沖縄戦研究者の吉浜忍沖国大助教授(当時)も琉球新報に『母の遺した』の書評書いて「〔書評〕『母の遺したもの 沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言』宮城晴美著」 「定説」とは違う真相語る (隊長命令はなかった)吉浜忍」(2000年12月24日・琉球新報)として研究者の立場から「定説」を補強した。
更にこの「定説」に沖縄タイムスがお墨付きを与えることになる。
『母の遺したもの』が沖縄タイムス出版文化賞を受賞するという栄誉と共に学術的にも社会的にも「隊長命令はなかった」が確固たる「定説」となった。
〔沖縄タイムス 12月12日〕
第22回沖縄タイムス出版文化賞受賞作品が決まる
2001年12月12日・沖縄タイムス・朝刊
正賞:『アンヤタサー』山里将人著、『母の遺したもの 沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言』宮城晴美著
座間味島の集団自決の「定説」がタイムス、新報によって認知された瞬間だが、この「定説」は2005年の「集団自決訴訟」によって再び揺らぎ「隊長命令はあった」と元の「定説」に逆戻りする。
それに従って研究者達の「定説」も次々と姿を変えてくる。
例えば沖縄タイムスの「書評」で『母の遺したもの』は「『定説』とは違う真相を語るー隊長命令はなかった」と書いた吉浜氏の変節ぶりはこの通り。
沖縄タイムス2008年年11月18日
ひと
[魚眼レンズ]吉浜忍さん
沖縄戦の事実しっかりと
「集団自決」訴訟の控訴審で原告の訴えを退ける判決が出たことについて「一審判決を踏襲したもの。おそらく原告勝訴にはならないと考えていた」と話す沖縄国際大学教授の吉浜忍さん。「当然の判決」と強調する。
「カリキュラム上の問題で突っ込んで話はできなかった」と断りながら、自ら講義でも学生に対して同判決について触れ、説明したという。
「沖縄戦の歴史的な事実関係をしっかり丹念に教えることが大事。学生は逆にスローガン的、感情的なものではなく、事実を踏まえた沖縄戦を学びたいという気持ちが強い」と指摘。
「今後もこれまでの沖縄戦の証言を継続的に教えていきたい」と気を引き締めている。
沖縄では、新聞が作る「定説」には、たとえ研究者といえども逆らえないということが、吉浜氏の変節ぶりから垣間見えて興味深い。
吉浜氏は「書評」のことはすっかりお忘れになったようで、沖縄タイムス紙上で再度変化した「定説」を激しく主張されている。
2007年3月31日『沖縄タイムス』から。朝刊27面を転載。
高校教科書に掲載された沖縄戦の「集団自決」の実態が国によって隠された。文部科学省は、今回の教科書検定で「軍命の有無は断定的ではない」との見解を示し、過去の検定で認めてきた「集団自決」に対する日本軍の関与を否定。関与を記述した部分の修正を教科書会社に求めた。同省が変更理由に挙げたのは「集団自決」をめぐる訴訟での日本軍の元戦隊長の軍命否定証言と近年の「学説状況の変化」。文科省の姿勢に、県内の関係者からは「沖縄戦の実相の歪曲」「殉国美談に仕立て上げている」と批判が出ている。
沖縄戦研究者の吉浜忍沖国大助教授は「検定意見で日本軍の『集団自決』への関与がぼかされたが、軍隊が誘導したのが実態だ」と沖縄戦の実相を指摘する。その上で「国によって沖縄戦が書き換えられた。これまでの研究や調査を逆転させようという政治的意図を感じる」。(略)
◇
現在沖縄タイムスと琉球新報が捏造した「定説」に真っ向から異論を唱えている星雅彦氏と上原正稔氏が両紙の逆鱗に触れた形になり、事実上沖縄論壇から干された状態にある。
これを考えれば、沖縄の識者たちが、次々と沖縄二紙が変えていく「定説」に追随していくのもむべなるかなで、同情の念も禁じえない。
♪風の中の
羽のように
いつも変わる
女心・・・♪ (「女心の歌」より)
沖縄の学者さんたち、
お気の毒。(涙)
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