狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

焼き鳥による豚肉文化の抹殺?!【追記】あり

2009-07-14 17:55:38 | 食文化

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臭みの無いオリジナルブランド『石垣山羊』のご紹介

2021-08-26 05:52:53 | 食文化

 

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代表者あいさつ

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 うみそら牧場代表取締役 玉津博克からのご挨拶です。

 当社設立の経緯、目指す方向性など表明させて頂きます、http://umisora.okinawa/?page_id=599

石垣山羊

 当社のオリジナルブランド『石垣山羊』のご紹介です。

 臭みがなくてコクがある石垣山羊をお知りになりたいかたはこちらをご覧ください。

うみそら3点セット

 当社製品~やぎスープ、やぎ汁、やぎ刺し~をこちらから購入することができます。

 お中元などの贈答品としてもご利用ください。

※ 通販用の外部ページへジャンプします。

https://umisorayagi.thebase.in/

 

【豆知識】

沖縄方言で山羊(やぎ)をヒージャーという。

山羊は髭を生やしており、沖縄方言で髭(hige)はヒジ( hizi)という。

そして髭のある者をは語尾をのばして(ヒジャ―)という。山羊(ヒ―ジャー)は髭のある動物でヒージャーと転化した。

        

 
文末に【追記】あり

最近の沖縄タイムスは少しヘンだ。

先日の土曜日(11日)、友人達との飲み会で、その沖縄タイムスが話題になった。 

またしても捏造記事かと思ったらそうではなく、「最近の沖縄タイムスの見出しは三流週刊誌並みだ」とはタイムス購読者N君の弁。

以前に沖縄タイムスの見出しは「東スポ」並みだ、と揶揄したら「東スポ」に失礼だと切り返されたことを思い出した。

土曜日(11日)のタイムス一面と社会面のトップ見出しを見たらこうなっていた。 一面のトップですよ!

◆一面トップ

働けど苦難の波

父の責任 離婚で暗転

お金は全部母ちゃんにあげた

 

◆社会面トップ 

夜空の下 公園へ

胸に自負 家族頼らず

昼はビクビク、人がいないと夜は安心できた

どうやら連載特集<生きる譜>を一面トップと社会面トップに持ってきたらしいが、社会面はともかく、一面トップでこの見出しはないだろう。

それとも沖縄タイムスは捏造新聞の汚名を返上するため、紙面を「東スポ化」して読者を煙にまくつもりなのか。

                   ◆

そして翌日(12日)のタイムスは、同じく一面と社会面で「焼き鳥特集」ときた。 

これでは、一転、まるでグルメ新聞ではないか。

沖縄タイムス一面 2009年07月12日 社会 

本格「焼き鳥」 南に定着

開店しやすさ背景/食の本土化 店舗急増
 
焼き鳥は庶民の味として県内でもファンが広がっている=那覇市久茂地「一巡」

 生肉や炭火などにこだわった本格的な焼き鳥店が県内で増えている。開店資金が少額で済み、技術が手早く習得できることが背景にあるようだ。今後も本土企業が店舗拡大を狙い、県内大手も系列店増を図る見通しで、飛ぶ鳥を落とす勢いで増加している。食文化の専門家は、交流人口増加に伴う沖縄食文化の「本土化」が進んだ一例だとみている。(特別報道チーム・中島一人)

 県飲食業生活衛生同業組合(當山政順理事長)によると、沖縄本島の「焼き鳥専門店」は、2003年度の60店舗が09年3月末には91店舗。約1・5倍に増えた。特に目立つのが那覇市の22店舗増。同市では焼き鳥を扱うくし焼き・炉端店も284店舗が営業する。

 津波古清史さん(39)は200万円をためて脱サラ。04年、美栄橋駅前に23平方メートルの「串清」を開業した。「焼き鳥店は小さなスペースで営業可能。機材も少なく、冷蔵庫と焼き台だけで済む」と魅力を語る。

 久茂地川沿い「白鳥」の大谷明正さん(30)は06年に屋台で出発した。元手は15万円。「焼く作業は簡単だが奥が深い」と味の追究に余念がない。

 那覇市内に店舗を構え、県内焼き鳥事情に詳しい国仲憲一さん(37)は「焼き鳥店は開店資金も安く、技術習得も早くできる」と店舗増の背景には開業の手軽さがあると分析。焼き鳥ファンの増加も店舗増を後押ししている―とみている。

 個人経営が大部分だが、大手も店舗を拡大する。

 大阪に本社のある「大吉」は1989年に県内初出店し、今では11店舗。「焼き鳥の味とヘルシーさが県民に浸透し、知名度もアップした」とみて、20店舗まで広げる考え。県内資本の「串角」も2003年、那覇市久茂地に本店を構えて以降、12店舗まで増やしており、「好物件があれば今後も出店を検討する」という。

 沖縄の食文化に詳しい金城須美子琉球大学名誉教授は「豚肉文化である沖縄に、鳥料理やあぶる・焼くといった調理法はほとんどない」と焼き鳥の異文化性を指摘。焼き鳥店の増加は「復帰後に炉端焼きが流行したが、さらに人の交流が増えて本土文化が入り、定着した形」とみている

                   ◇

 2009年07月12日 社会面 

焼き鳥 熱いサバイバル/激しい競争へ 知恵絞る【社会】

サイドメニュー充実・負けない一品・数種の塩で食す提案


 県内の焼き鳥店は那覇市での増加が著しいが、最近は郊外へも広がりつつある。競争激化による淘汰の時代を迎えることが予想され、各店舗は生き残りに向けて知恵を絞っている。(特別報道チーム・中島一人)

 地域別の「焼き鳥専門店」は、2003年度からの6年間で、那覇市が22増の66店、南部が4増の11店、中部は4増の13店と、都市部で競争が激化している。

 新規出店の増加に既存店の危機感は強い。

 「他店が増えた影響と不況で客足は落ちている」と話すのは、那覇市首里で12年間営業する「鳥ほり」の真栄城徳雄さん(50)。

 同市壺屋で20年続く「勝ちん」の勝連朝健さん(55)も「勝ち負けの時代に移った」と危機感を抱き、「メニューを増やし、絶対に負けない一品が必要」と生き残り戦略を描く。

 キャリア26年の林悟さん(53)=同市久米「木綿屋」=は「固定客をあきさせないようサイドメニューも充実させたい」と話した。

 顧客獲得のため味やサービスを追求するのは新規参入組も同じだ。浦添市のパイプライン沿い「鶏坊」の平良一也さん(34)は、洋食の経験を生かして焼き鳥に数種類の塩を添える新たな食べ方を提案する。

 一方、焼き鳥店の急増ぶりに、県内業界の先駆者は目を丸くしている。

 那覇市桜坂周辺で、1960年前後から93年まで「ときわ」を営んでいた金城春さん(85)と、2006年まで46年間にわたり「灯」を営業した城間常子さん(76)は「本土建設業の客が多く、タレや焼き方なども教わってメニューも研究した」と60年代を懐かしみながら、店を長く続けるには味の研究が大切だ―と経営の“コツ”を指摘した。

                     ◇

なるほど、焼き鳥大好き人間の筆者としては、店の紹介もあるし興味深い記事ではあるが、何も一面と社会面の二面を使う必要もなかろう。

沖縄人は「泣き声以外は全部食べる」といわれるほど豚肉を好む県民で、沖縄は豚肉文化そのものといえる地域である。

米軍占領下の時代に米軍によるステーキやハンバーガーの普及により、牛肉文化も一部発展したが、鶏肉文化は不思議と沖縄では馴染みが薄い。 

沖縄料理の中でも鶏を使った料理は、ぶつ切りにした鶏肉を冬瓜などと一緒に煮た汁物があるようだが、ソーキ汁のように一般的ではないし、街の食堂のメニューにもない。

従って焼き鳥文化が盛んになるのは記事がいう、本土との「交流人口増加に伴う沖縄食文化の『本土化』が進んだ一例だ」という説には説得力がある。

多くの焼き鳥屋さんが紹介されているが、記事の中に筆者が知る店があったが、現在の久米の店に移転していたことは記事で始めて知ったくらいで最近は縁遠くなっていた。

その店「木綿屋」は以前は西町の沖縄不二ホテル(現在は名前が変わって沖縄ポートホテル)裏でご夫婦で経営していた。

他店にはないカリカリに焼いたシロがあるので、それをを目当てによく通った。 

店主の林さんはバブル崩壊前の松山が華やかなりし頃、確か「ふうらいぼう」という一風変わった焼き鳥屋で修行をしていた。

「ふうらいぼう」はこれまでの安かろうまずかろうの薄汚い焼き鳥屋のイメージを一新し、焼き鳥の種類も多種で味もよかったが価格は高めであった。 それでも大繁盛していたのは焼き鳥の味だけではなく、別にも理由があった。

沖縄で焼き鳥屋といえばオバーかオジーが店主で、ヤマト風にいってもタオル鉢巻のオヤジが主というイメージだが、「ふうらいぼう」はそのイメージを破って、和服の年増の美人ママが店主であった。そのためか、焼き鳥よりもママがお目当ての客も多かったと聞く。

ところが大繁盛している筈なのに、何かワケありだったのか、突然閉店し、「ふうらいぼう」のその後の消息はようとして不明であった。

それが西町の友人の事務所の近くにあった「木綿屋」に偶然立ち寄ったら「ふうらいぼう」の「焼き」を担当していた林さんが独立しているのを知った次第。

筆者の好みの味の「ふうらいぼう」と同じ味を引き継いでいたのでしばらく通ったが、退職とともに「引きこもりオヤジ」と化してしまい、自然と足が遠くなっていた。

それで、今回の記事で久し振りに懐かしい名前を知ったわけなので、 当然現在の久米の店には行ったことはない。そのうちシロを食べに行ってみようかとも思う。

タイムス記事の焼き鳥屋の中に知っている店を発見し、懐かしさの余りについ脱線してしまったが、沖縄タイムスが焼き鳥の食文化を一面と社会面を使って報じる狙いは、次のくだりあたりにあるのだろうか。

<沖縄の食文化に詳しい金城須美子琉球大学名誉教授は「豚肉文化である沖縄に、鳥料理やあぶる・焼くといった調理法はほとんどない」と焼き鳥の異文化性を指摘。焼き鳥店の増加は「復帰後に炉端焼きが流行したが、さらに人の交流が増えて本土文化が入り、定着した形」とみている。>

この金城教授のご託宣が時間とともに転化して、「沖縄の伝統的豚肉文化を日本の鶏肉文化が侵略、放逐した」とか、

「鶏肉による沖縄文化の抹殺」なんてことを叫ぶ基地外は出てこないことを望みたいもの。 

そういえば木綿屋の林さんは本土出身だと聞いたが奥様は沖縄県人と聞いた。 これもヒガミ根性丸出しの琉球民族派の基地外にかかると、

「ウチーナームーク(沖縄婿)は、琉球民族の民族浄化だ! 一刻も早く国による琉球民族の先住民認定を!」となるのだろうか。(爆)

そして「琉球民族は豚肉が食べたいのに、日本民族の食文化弾圧で泣きながらヤマト文化の焼き鳥を食べている」と絶叫する基地外が出てきたりして。

勘弁して欲しいね。

 

結局タイムスの言いたいことは、これかね。⇒縁側さんの沖縄タイムスの連載その3

【追記】

沖縄タイムスが誤ったメッセージを送り続けると、「フリー沖縄!」を叫ぶ中国人が出てくるとは思っていたが・・・。

実際にいたと聞くと沖縄人としてはショック!

以下は読者のchudoさんのコメントの一部引用です。

聖火リレーの時に長野へ赴いたプロチベットの人々が「フリーチベット!(チベットに自由を!)」と叫ぶと、在日中国人(留学生)らが一斉に「フリー沖縄!」と叫んでいたのが印象的でした。>
タイムスよ、いい加減にしろ!

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秦 郁彦
PHP研究所

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