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琉舞、重要無形文化財に 関係者ら発展へ決意新た(2009.7.18)
2009年7月18日
「大先生方のご尽力に報いるためにも、しっかり頑張りたい」と決意を新たにする玉城節子さん=15日午前、那覇市若狭の玉城節子琉球舞踊道場
組踊の小道具を製作する「組踊道具・衣裳製作修理技術保存会」のメンバー=14日、那覇市の光史芸能小道具製作研究所
「やっと認められた」―。「組踊」以来、37年ぶりに国の重要無形文化財の総合認定を受けた「琉球舞踊」。琉球王朝時代の宮廷舞踊から大衆の踊りへとすそ野を広げ、ウチナーンチュが愛する文化が国に認められた。地道に芸を引き継いできた誇りを胸に、関係者らは長かった道のりを振り返り喜びをかみしめた。国選定保存技術に選定された「組踊道具・衣裳製作修理」は、技術保持者が亡くなり同指定を解除された「組踊道具製作」を継ぐもの。技術者たちは選定を喜ぶ一方、技術を次世代に継ぐ責任の重さを受け止めた。
県民の誇り/保存会代表 玉城節子さん
「沖縄ではすべての人が琉球芸能にかかわっているようなもの。舞踊家だけでなく、県民の誇りと喜びにもなる。みんなで頑張ってきたかいがあった」。琉球舞踊が国指定重要無形文化財に指定され、その保持者に認定された琉球舞踊保存会代表の玉城節子さん(68)=那覇市=は声を弾ませながら、長年の念願がかなった喜びをかみしめた。
琉球舞踊は琉球王朝時代から脈々と伝えられ、沖縄戦による荒廃の中では県民の生きる力となった。特に戦後は女性が中心となり、琉球芸能全般を盛り上げてきた。復帰直後の1972年には「組踊」が国指定重要無形文化財となったが、保持者認定は規定で男性のみ。玉城さんは「組踊の正式な舞台には立てずに悔しい思いをしたこともあった。今回は(保持者として)女性も認められたことが大きな進歩だと思う」と話し、戦後の琉球芸能を支えてきた女性舞踊家の一人として素直に喜んだ。
芸歴63年。5歳で玉城盛義師に入門し、高校3年生の時に師範免許を取得した。玉城さんは道場に飾られている盛義師の写真を見上げ「先生がお元気な時に指定されればもっと良かった」と涙を浮かべながら、「これからは国指定の保持者として大きな責任と義務を負うことになる。伝統を継承してきた大先生方のご尽力に報いるためにも、しっかり頑張りたい」と決意を新たにした。
工夫し良い物を/道具・衣裳保存会 金城裕幸代表
「工夫して良い物を。それだけを胸に、日々頑張りたい」。国選定保存技術に選定された「組踊道具・衣裳製作修理」技術の保持団体「組踊道具・衣裳製作修理技術保存会」の金城裕幸代表(38)は、認定を機に新たな決意を述べた。
保存会は金城代表ら道具製作技術者と衣裳製作修理技術者、学識経験者など合計13人で構成されている。
金城代表らは、2006年に亡くなった島袋光史氏の下で道具製作の研鑽(けんさん)を積んできた。生前、島袋氏が口酸っぱく言っていたのが「工夫して良い物を作りなさい」という言葉だった。
組踊出演者から注文を受け、その人の体に合った道具を作る。同じ物を作れるよう、竹や紙、布など、いつでも手に入る身近な素材を材料にするのも島袋氏から学んだ。
戦災で失われ「何もないところから」(金城代表)道具製作技術を復興させた島袋氏の下、技術者として取り組んできたことを「運が良かった」と思う一方、プレッシャーも感じている。
目標は「(組踊の道具は)こういうものだったであろう」と言えるような基準になる道具を作ること。金城代表は「学識経験者の意見を聞きながら、焦らず、じっくりと取り組んでいきたい」と今後を見据えた。
◇
37年前沖縄伝統芸能の「組踊り」が国の重要文化財に認定され、国立組踊り劇場が建造された。
そして今回は琉球舞踊が重要文化財に認定された。
沖縄県民としては喜ばしいことだ。
■喜久里康子女史の意見が聞きたい■
「琉球民族は差別を受け、文化遺産を抹殺されているので、先住民人認定をして保護すべきだ」
と叫ぶ、琉球民族派の方々は、この慶賀すべきニュースをどう受け取るのだろうか。
沖縄タイムスもこんな記事で扇動していたけど。
《沖縄タイムス 2008年11月01日
文化保護策を日本に勧告
【東京】国連のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会は三十日、日本政府に対して「アイヌ民族および琉球民族を国内立法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」と勧告する審査報告書を発表した。》