よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
沖縄戦「集団自決」の謎と真実 |
今年は1609年の「薩摩侵攻」以来400周年ということで、沖縄タイムスを先頭にした沖縄マスコミは「薩摩の琉球侵略」と「琉球処分」を日本民族の琉球民族に対する侵略だと捉える大キャンペーンを張っている。
日本に対する「被害者意識」を煽るようなこのキャンペーンは、沖縄タイムスの場合毎週月曜日に沖縄県内外の学者・研究者を総動員した「薩摩侵攻400年特集」として現在も連載中である。
明治期の「廃藩置県」も明治政府による強引な琉球民族への侵略であると捉える「被害者史観」は、
一部の活動家による「琉球民族は先住民として認定せよ」という国連への働きかけにまで進展している。
不思議なことに、これら活動家は根っこのところで「反日」を謳う在日、、左翼アイヌと結びついており、一様に「日本が過去に行った少数民族への弾圧」を激しく糾弾する。
かれらを連帯させる接着剤の役目をはたすのが、「差別」であり、日本では誰も相手にされないセネガルのドゥドゥ・ディエンなる「差別オヤジ」を沖縄に招聘して、講演会をさせ「沖縄は差別された島」と認定させてしまった。
この国連ブランドを使って日本全国行脚する「差別オヤジ」にかかると、目に映るものは全て差別に見えるらしく、米軍基地も(日本による)差別であり、朝鮮人の違法滞在を告発するのも差別だという。
◆基地は差別か ドゥドゥ・ディエンって何モノ?
◆チュチェ思想の武者小路公秀とドゥドゥ・ディエン
⇒市民外交センター(http://www005.upp.so-net.ne.jp/peacetax/2006SGC.pdf)
彼らがもう一つ根っこで繋がるの「集団自決問題」における「悪逆非道の日本軍」で象徴される「反日思想」である。
折りしも7月に入ってからの「ウイグル騒動」が世界の批判を受けているが、
何にでも便乗するのがお得意の「売れない某評論家センセ」までが、ウイグル騒動は日本のアイヌ・琉球民族への民族弾圧と同じだと叫び出しているのには開いた口が塞がらない。
この議論で民族弾圧とか民族浄化、民族抹殺というおぞましい言葉が出てくるが、民族関連の言葉を思いつくままに書き並べるとこうなる。
民族対立、民族弾圧、民族浄化、民族抹殺、民族同化、民族融和、・・・・そしてジェノサイド。
民族抹殺というとヒトラーの顔が思い浮かぶし、民族浄化というとコソボ紛争のミロシェヴィッチが思い浮かぶ。
だが現在進行形のウイグル、、チベットで行われている民族弾圧や民族浄化を明治政府が沖縄に行った政策とを同列で論じる人の脳ミソこそ、どうなっているのか興味のあるところである。
はたして上記に並べたどの文言が、明治政府が沖縄に行った政策で連想されるか。 何も思い浮かばないのが普通の人の思考だが、敢えて選べと迫られたら民族同化あるいは民族融和くらいのものだろう。
但し琉球王国時代、王府の取り巻きの一部特権化階級たちがかつての特権を取り上げられたのを逆恨みして「差別だ」とか言ったことは想像できる。
現に一部の特権階級は明治政府の統治を嫌って中国(清)に亡命している。(彼ら琉球王国はら清への亡命者を脱清人といった。)
武士階級の特権を明治政府に取り上げられ、桜島の噴火を見ながら怒り狂ったといわれる島津久光のような例は全国いたるところで起きた。
廃藩置県を琉球処分と捉える被害史観は歴史の視点を権力側である王府側から見た史観であり、その同じ史観で薩摩をみれば「薩摩処分」という歴史観も成り立つ。
そこで「琉球処分」とは、庶民の視点から見れば
「琉球王府処分」だという歴史観が有力になってくる。
「ウイグル騒動」で新鮮な情報を流しているメルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(第2659号平成21年(2009年)7月12日号)から引用記事です。(太字強調は引用者)
◆以下引用
駐屯の特殊兵団は百万人に
新彊ウィグル自治区に駐屯の特殊兵団は百万人に増えていた
王楽泉・書記は更迭説を跳ね返し「血の弾圧」を中央から評価
**************************
中国共産党の遣り方は世界の常識の百八十度、反対側にある。
血の弾圧をすればするほど、出世するのだから。胡錦涛もチベットで民衆の不満を血の粛清でのぞみ、とんとんと出世階段を駆け上った。王楽泉は中央委員である。
さて中国はウィグル自治区の騒擾における死者の数を増やした。184名。
犠牲者の民族構成は漢族の犠牲が74%だって!(新彊ウィグル自治区の最新の人口構成は漢族が73%)。
この数字は信憑性が薄い。まるで語呂合わせではないか。
「世界ウィグル会議」(カディール女史が代表。ワシントン)は直ちに声明を発表し、「死者は最大3000名に達するだろう」。
またNYタイムズは「漢族のギャング団が武器を手にしてウィグル人を襲撃した」事実を明記した(7月11日付け、ネット早版)。
ウアルカイシ(吾爾開希)は台北で記者会見し、「天安門事件の死者を中国共産党は最初から最後まで作為した。今度も数千の犠牲がいるはずである」(『自由時報』)
蘇貞昌(前台湾首相)も同紙に寄稿して「自由と人権を尊重する立場から、われわれはウィグル人を支援するべきではないか」と訴えた。
さて、今時ウィグルの騒擾で長らく謎とされてきた「新彊兵団」(新彊に駐屯する特殊軍隊)の謎の一端が明らかになった。
正式名称は「新彊生産建設兵団」という。
▲石油ブームが漢族の人口を激増させ、ウィグル人を石油とガス産業から排除
既報のように毛沢東時代に中国人民解放軍という事実上の「侵略部隊」は山東、浙江省からの部隊が主力だった。後年、これに上海からの若者が追加され、1960年代には50万人といわれた。
簡単に言えば革命後、余力を新彊とチベットに侵略軍として派遣し、将棋のコマのように使い捨て、生き残っても中原に帰還して貰っても困る。食い扶持が減る。
だから現地に残留させ、「生産」とか「建設」とかの美辞麗句で飾り、実際は自活せよ、というわけだった。これが『新彊生産建設兵団』発足の経緯である。
『新彊兵団』は独自の養鶏場、養豚場、農場をもち、自作自給の食糧による駐屯を続けてきたため独立部隊の性格もあった。
この兵団のなかに党細胞と独自の行政、独特の自治、検察、司法どころか銀行も大学も持ち、企業経営も展開してきた。『行政』は中央組織をまねて「台湾弁事処」まである。
現有は14個師団、保有する農場は100以上、建設企業が500以上で社会事情の単位は3000もある。
100万人と推定される構成員の89%が漢族だという。
同期間、住民の強制移動により中国各地から新彊に300万人が移住したため漢族の人口比がまたまた増えた。
ウィグル人の怨嗟の的となった王楽泉(新彊ウィグル自治区党書記)はソ連崩壊直後に新彊に入ったが、折からの石油ブームで採掘、輸送ビジネスを展開し、一族郎党を山東省から率いてきた。石油ブームにより200万人の新規移住があり、漢族の人口が増えていた。
もともと王は石油技術に明るく、また共産主義青年団(団派)出身のため、一時は胡錦涛との関係が緊密だったという説もある(NYタイムズ、7月11日)。
しかし16年という長きに亘る駐在は珍しく、赴任地が長ければ長いほどに利権の独占状態が進んでいることもまた事実であろう。
◆引用終了
よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
沖縄戦「集団自決」の謎と真実 |