「公」と芸術ーあいちトリエンナーレが残したものー 林立騎
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」ではアートと表現の自由、公権力による関与が問題となった。出品作家や学芸員らに見解を寄せてもらった。
この記事の他の写真・図を見る
はやし・たつき 1982年新潟県生まれ。前沖縄県文化振興会チーフプログラムオフィサー。現在、ドイツ・フランクフルト市の公立劇場キュンストラーハウス・ムーゾントゥルム勤務(ドラマトゥルク)、文化庁新進芸術家海外研修生
沖縄の文化芸術支援の経験から、私たちの未来を変えるのは小さな個人の意思だと知った。地域の芸能を子どもたちに伝えたい、各家庭に眠る8ミリフィルムが映す歴史を共有したい、沖縄の書物をアジアに発信したい、たった一人やごくわずかな人の思いが、少しずつ別の個人に伝わり、広がる。上から押し付けられるのではなく、日々の生活から生まれた切実な思い、未来への願いが、「このままではいけない」と問いを投げかけ、人を動かし、地域を変える。
そうした文化芸術の価値が、今、危機に瀕(ひん)している。
文化庁が、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」への補助金を採択後に「不交付」とした。事業の運営を脅かす事実が申告されていなかったという手続き上の不備が理由とされたが、芸術祭の一企画「表現の不自由展・その後」がテロ予告により閉鎖に追い込まれることを事前に認識できたはずはなかった。理由は便宜的なもので、政府にとって不都合な表現への介入と受け止めざるをえない。不交付を支持した専門家は皆無で、法や文化政策の専門的見解さえ無視する強引な決定だった。展覧会が会期末までの一週間、安全な再開を実現したにもかかわらず、不交付が覆らないことからも、政府による表現の自由への介入は明らかだ。
政治の介入を許す欠陥が文化庁にあるなら、不交付撤回を進めるとともに、公正な文化行政制度の確立を徹底すべきところ、文化庁所管の「日本芸術文化振興会」までもが助成金交付要綱の改定を行い、「公益性の観点から助成金の交付内定が不適当と認められる場合」には常に事後的に交付を取り消すことができるとした。しかも「公益性」の定義はなされていない。不透明な介入が起こりうる状況はさらに深刻化している。
「公益」を誰が判断するのだろうか。今日数万人を楽しませる表現でも、社会をよくするとは限らない。過激で前例がない活動も、中長期的に変化をもたらすことがある。言い訳や異動で責任を逃れる政治家や公務員と異なり、文化芸術に携わる個々人は自らの行動に責任を負う。政治や行政は文化芸術の本当の「公益性」を専門家以上に評価する役割を果たしえない。
どのような文化芸術が「おおやけ」によって保障され、私たちのどのような利益になるのか。今回の危機は、歴史に向き合う個人の声や思いが政治家や市民から非難を受け、政府の見解や「普通ではない」ことを理由に押しつぶされつつあることだ。しかし政治ができないことを個人が始めることこそ文化芸術の価値である。
公金ではなく私費でやればいいという非難もあるが、「わたし」の声を排除する「おおやけ」は本末転倒だ。「おおやけ」はあまたの「わたし」から成り、「わたし」が歴史に向き合う中で感じる痛みや苦しみ、そこから生まれる声は、社会の現在地を確認し、町や地域の未来、よりよい国や世界のために不可欠だ。解釈の分かれる「政治的テーマ」もまた、政治主導で議論できないからこそ、文化芸術の支援を通じて、多様な表現方法によって問い続け、考え続けねばならないのである。
表現を受容する鑑賞者もまた「わたし」であり、文化芸術にはわかりにくいものや心を引き裂くものもある。しかし個人が内面的に引き裂かれる経験こそ、多様な生き方や考え方に敬意を払い、社会全体が分断されずに話を続けるための基盤ではないか。能や文楽や歌舞伎が示すように、日本の文化芸術の伝統も本来、歴史の中の犠牲者の苦しみやうらみを表現し、政治が取り上げない小さな声を社会に伝え、共有する営みだった。
作品への苦情や、多様な「わたし」による批判も社会には不可欠だ。しかし表現にも批判にも限界がある。「公益性」や「反日」などの定義のない言葉や、「ヘイト」という言葉の誤った使用は、多様な声の交わる「おおやけ」の基準にならない。ヘイトスピーチは、出自・宗教・性別等を理由にした差別を防ぎ、特定の人々を社会から排除せず、人権を保障するために言論の限界を規定する概念だ。「日本ヘイト」や「天皇ヘイト」を掲げる前に、日本と日本国民が特定の人々を差別せず、人権を制約していないかを省みて、天皇および皇族の人権の問題や、日本に残る無数の「犠牲の構造」にこそまずは目を向け、改善すべきだろう。
今回のあいちトリエンナーレのように、中央省庁が動き、全国的に報道され、いわば「中心」になった場所だけに関心が向くのでは不十分だ。中央でしか物事が動かないこと自体が構造的問題の一部である。痛みや苦しみは至るところにある。その声を未来へつなげる「おおやけ」の営みとしての文化芸術は市場原理とは異なる価値をもち、格差と分断の現代だからこそ役割は大きい。
それぞれの土地で芸術が生む小さな声を受け止めて未来につなげる政治を支持し、行政は専門家の独立した第三者機関等の仕組みを通じて公正な制度へ促さなければならない。健全な政治と行政を守ることは私たち市民の責務であり、その新しい回路が必要とされている。
★
読者のコメント
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191025-00488905-okinawat-oki
「公」と芸術ーあいちトリエンナーレが残した林立騎
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」では「おおやけ」の場と公金による「昭和天皇の御真影焼却踏みつけ」展示が問題となった。出品作家や学芸員ら沖繩タイムスはこの具体的展示に具体的見解を述べない。
林立騎氏は、「わたし」が感じる痛みや苦しみ、そこから生まれる声を「普通ではない」ことをとおして「おおやけ」の金で「おおやけ」の場で届ける事が芸術であり、町や地域の未来、よりよい国や世界のために不可欠だ」という。私利私欲な考えであり、多様性のかけらもないプロパガンダに他ならない。
林立騎氏は「表現を受容する鑑賞者もまたわたし」であり、「文化芸術にはわかりにくいものや心を引き裂くものもある」と述べる。さらに「個人が内面的に引き裂かれる経験こそ、多様な生き方や考え方に敬意を払い、社会全体が分断されずに話を続けるための基盤ではないか。」と続く。
林氏にはウイグルで内蔵摘出や中共統一をぜひ経験してほしいものだ。「昭和天皇の御真影焼却踏みつけ」が示すように、日本の文化や伝統に対するうらやみを表現し分断破壊したいだけだ。
この問題の核心は「昭和天皇の御真影焼却踏みつけ」を「おおやけ」にし、国民にその行為が芸術として、公金にて公共の場で行う価値のあるものかを問うことである。「報道しない自由」は許されない。
沖縄タイムス社は、県内最大の総合美術展「沖展」を主催している。
「昭和天皇の御真影焼却踏みつけ」行為が芸術と言えるのか!
それを公金を使い「おおやけ」の場で展示すべきか!
自らの言葉で述べる責任がある!
-
mad*****
個人的な考えではあるが、芸術とは自分が決めるものではなく他人が認めるものではないだろうか。それも多数の人間がだと思う。そうでなかったらゴッホやピカソ等の作品はなぜ近年にはなってから芸術として有名になったのだろう。そう言う芸術品などいくらでもあると思う。人から認められて始めて芸術と言えるものになるのではないだろうか。そして認められるには先ずは個人で主張するべきであると思う。だから認められてもいない作品に公金を使うのは間違ってると思う。
-
tar*****
>閉鎖に追い込まれることを事前に認識できたはずはなかった
→芸術監督の津田氏は「政治的にもヤバい」と発言するほど認識してたようですが。
そしてそういった安全性確保の必要が予想される作品群があることを隠蔽したまま申請している。虚偽の申請で補助金を受けようとするのは悪質と判断されても仕方ない。 -
jac*****
肝心の、何故税金を使ってやるのかという問題に対しての主張が意味不明。個人のスポンサーでやったら、作者の表現の自由が変わってしまうの?説得力がありません。
逆に、海外では、税金を拒否する考え方が主流ではないのか?
端から税金ありきでは、そのために作品を作る
意志が働くのではないか?
表現の自由の解釈は個人の自由でしょう。
ただ、法的に一方を否定するなら、是非訴訟して決着して欲しい。 -
isi*****
屁理屈な記事
多くの人が不愉快なものを公の金を使ってよいはずがない
まず、多く人に評価を得てから、公にアピールすべき
芸術と言う簡単に定義できないものを良いように利用しないでもらいたい -
sur*****
そんなことは無いと信じたいが、芸術家の方達みんながこの人のような考え方なら「芸術」に対しての公金支出は内容を問わず全面的にやめるべきだと思います。自己の見解しか興味がなく他者の考えに共感できないのは芸術家という前に人としてどうかと思います。
-
hed*****
表現の自由への介入じゃないと思う。国もはっきり言った方がいいのでは。このような政治的思想の作品は事業方針として許可できない。ただし私的にやるには構わないと。公共、私的国内全ての場所で禁止すれば、これが本当の検閲ということになりますから。
-
たぬき
表現の自由っていっても他人を不快にしたり心や身体を傷つけたりするものは芸術ではなく、許されるものではないと思います。
-
仮想県の男
公益は国民が決めること。
ネットでアンケートで決めるようなシステムが必要と思います。
役所は情報収集を各案件においてすべきです。 -
mxg*****
一部の反日プロパガンダ作品に問題があり、こういう作品の展示に公金を使うことへの疑問が発端。問題を複雑化するような記事の書き方には同意しかねる。
大村は臆面もなく二重橋を渡って即位の礼に参加しているし。 -
chi*****
沖縄県知事が極左に税金を流してたのがバレましたね。
愛知トリエンナーレの不自由展再開を強行したのはデニー玉城知事の方に目が行かないようにする為ですかね。反日プロパガンダを表現の自由の問題にすり替えて逃げ切れると考えたか。
裏を返すと玉城知事の癒着の件は解明されると反日左翼に対する深刻なダメージに直結するとも考えられる。
そういえば 沖縄に関西生コンのボートが何故か有りましたね。関電問題の中心人物 森山栄治氏は人権問題に熱心だったそうですね。野田公園 森友学園の地歴やそこに住んでいた人達の事も辻元さんや福島さんがお詳しいですよね。
あの分野 あの地域の事は立憲民主党の辻元清美さんや社民党の福島瑞穂さんが大体絡んでいる。詳しくお話をお聞きしたいですね
-
いやぁん
表現の自由がある、と言っても何をやっても良いって訳じゃない。
自由には責任が伴う。 -
hst*****
公的か私的か知らないが、川崎市の映画祭は慰安婦に関わる先品で 安全に運営出来るか判断し中止にしたらしい。
一般人でも 予見できますよ。
愛知県の不自由展は 騒動を目的にしていたので タチが悪すぎではないですか?
あまたの わたし が気分を害したのです。
公共の福祉の観点から いかがなんでしょう。 -
oir*****
川崎市のヘイト問題からも、参考に記事を書いてもらいたい。表現の自由と制限について。読者より
-
rgf*****
表現の不自由展には昭和天皇の肖像が燃やされる作品もあったという。憲法違反だとわめきたてる人たちは自分の家族が火炙りやギロチンにかけられる作品を公に展示されても同じことを言えるのでしょうか。
-
miy*****
韓国の写真家が「天皇の生首」をアップしています。
可能性として今後 展示もゼロではない・・・・恐ろしいです
まさしく「あいトレ・表現の自由」が良い例。
表現の自由を都合良く使う事は危険だと実感した。
個人の声がひとつになり国民の声になった、そして未来を変える
なんて素晴らしい事でしょう。 -
tam*****
表現の自由を貫くのは賛成だ。自分の金でやれば良いこと。我々の税金をあてにしないで欲しい。それだけ。
-
jei*****
何度も言いますが、”テロを予測できなかった”じゃなくて、詳細を
伝えていなかった事が問題視されているんですが、問題のすり替え
は飽き飽きですよ、現在の日本の情勢を判ってないから”予測出来な
かった”、これも人として何か欠落していませんか。 -
Umikojiki
不都合な表現への介入と言うなら、ヘイトスピーチに対する条例はどうなんですか?ヘイトスピーチも十分ある一定の人にとっては不都合なのでは?そう言うダブルスタンダードがおかしいのです。あいちトリエンナーレで不適切な表現がある以上、これは政府として補助は出来ない。ヘイトスピーチの活動に対して政府補助がでたらおかしいでしょ?芸術名目で在日の方々を罵倒する展覧会があったらどう言いますか?芸術名目で沖縄基地反対運動を罵倒する展示があったらどうしますか?もしそこに政府補助があったら、あなた方は問題視しませんか?
-
pal*****
「表現の自由」の名を借りたヘイトが深刻化
の間違いでしょ -
hir*****
逆に、良識の無い芸術家や、別に専門家でもない芸術監督、偏った考え方のキュレーターなどによって、芸術の名の下に、他者の権利や尊厳の侵害が酷くなっていて、余計に「表現の自由」の幅を狭めてしまうことにならないか、そういうことの方が気になります。
-
sho*****
表現の自由はあって、表現の自由の否定がない場合、それは一方的な暴力になりませんか?
-
tak*****
単純に芸術と言えば何でもありかってこと
論点がずれてる
ことを深刻にしないで普通に考えたら分かること -
たんせき
「公権力の不介入」=「交付金を出すべきでない」
ってことですよね? -
nic*****
川崎市はヘイトか?表現の自由か?
-
rerere
また香ばしいお友達が出てきました
-
miy*****
日本ヘイトを公費でやるのが問題だったはずでは
下手に擁護する奴がいるから問題がすり替えられる -
abc
いつから沖縄でヘイトを容認したんだ?
-
kat*****
個人の意見が全てすくいあげられるわけないだろうが。
綺麗事の理想論で自分たち「だけ」の主張が通ると思っているなら勘違いも甚だしい。 -
sno*****
この記事の意見に反対します。まず企画展「表現の不自由展・その後」は、芸術なんてものではありません。これは政治的宣伝であり、日本を侮辱するものであり、その内容は名誉毀損にも該当するものです。このような展示を多数の人の目に触れる公共施設で、国民の貴重な税金を使って行うことに、国民の多くが反対しているのです。
※10月25日午後7時から放映のチャンネル桜「沖縄の声」で台湾籍元日本兵日本籍確認訴訟原告の一人である楊さんをゲストにお招きして日本人としての誇りを語っていただきます。
【動画】【沖縄の声】日台の絆を深める交流~保安堂に見る日台の歴史~/「最期は日本人として」~台湾人日本国籍確認請求事件訴訟~[R1/10/25]
【追記】
ブログ大師小100期生集まれ!より引用
台湾籍日本人の国籍復帰と戦後補償
前のエントリーでも『台湾之塔』の建立に尽力された「日本台湾平和基金会」についてメモしておきましたが、やはり想像したとおり、この団体がこの件でも活動していらっしゃるらしく、楊 馥成(よう・ふくなり)氏は現在、沖縄に住み、この会の副会長もなさっているそうです。
前回書いたように、日本人として生まれ、日本軍人として国のために戦った台湾の方々は、終戦と共に台湾では敵のために戦った国賊とされ、楊氏は7年間投獄、拷問も受けたそうです。
その後も続く国民党政権下で迫害されたため、中国で暮らしていたそうで、その間、朝鮮戦争で亡くなった日本人の供養のために墓地に桜を植える活動(※)などもなさっていたそうです。
つまり、楊氏はずっと日本人として生きてこられ、日本人として死にたいと、帰化申請もされていましたが、他の台湾籍日本軍属の生存者とともに、そのことを認めて欲しくて、現在、戦後補償の裁判の準備を進めているとのことで、それに関わっていらっしゃるのが、孔子廟訴訟の原告側弁護士のお一人、徳永氏、ということらしいです。
韓国の「慰安婦訴訟」や「(自称)徴用工訴訟」とは意味が全く異なるのです。
このあたりを勘違いされないよう、どこかの新聞が上手く報道してくれないだろうかと思っているのですが...
※番組では大連市の近くの瓦房店(がぼうてん/ワーファンティエン)の墓地に眠る日本人のために桜を植えた話が出てきました。画面に表示される新聞は鮮明ではないので細部が不明なのですが、お話と総合すると南満鉄道の付属病院で働いていた女性で、墓地に眠る日本人の供養をされていた方がいて、その方の遺志を受け継いだそうで、しかい、日本人ためだけに桜を植えるというわけにはいかず、墓地全体に5880本の桜を植えたということです。
場所は、「烈士陵園」(簡体字では「烈士陵园」)という墓地らしく、新聞記事に添えられた写真のキャプションは「人民解放軍兵士らと桜を植える楊さん」となっています。
下の画像は『NHKの偏向番組「Japanデビュー」1万人訴訟に見る、メディアに対する訴訟の難しさ』というエントリーに掲載したチャンネル桜の動画のキャプチャで(2009年頃/台湾)すが、一昔ほど前にはこのようなお年寄りが台湾にはたくさんいらしたのです。
台湾の鳳山紅毛港保安堂で供養されている日本人
今回、護国神社の春季例大祭に台湾から参加された方々がいらっしゃいました。この方達は、動画でも説明されるとおり、台湾沖で沈んだ軍艦の乗組員(145名)の内、9名の沖縄出身者を供養するために来沖されました。要するに、9柱の御魂(みたま)を沖縄に連れて帰ってきてくれたものです。
今後は保安堂と沖縄護国神社とで交流していきたいとのことです。
番組では詳しい説明は省略されていましたが、「保安堂」と呼んでいるのは、台湾で蓬(よもぎ)38号の英霊を供養してくれている「鳳山紅毛港保安堂」のことです。ここは、知っている人は知っているという場所で、前述のように日本人を祀ってくれているのですが、軍艦の模型がご神体と共に祀られていることで有名なのです。
動画のキャプチャ、中央左寄りに「蓬(よもぎ)38號(号) 艦長 高田又男」という文字が見えますが、上の模型の軍艦にも「38にっぽんぐんかん」という文字が見えます。
詳しい経緯は『日華(台)親善友好慰霊訪問団』のサイトにある「保安堂」の項に詳しいので、ここでは、この模型が作られるきっかけとなったエピソード部分のみを引用させて戴きました。(全文は上記リンク先でお読み下さい。)
戦後まもなくのことである。大東亜戦争時に沈没した大日本帝國海軍艦艇のある沖合いで漁をしていた漁民の網に2つの頭蓋骨が掛かった。漁民はその頭蓋骨を丁寧に引き上げ埋葬し、手厚く供養した。すると、それ以降、大漁が続いたため、昭和28年(1953)には保安堂を建設して祈りを捧げ、いつしか守り神として信仰を集めるようになった。
昭和43年(1968)、蘇現という年老いた漁夫が朝早く出漁したときのことである。その日は湿った空気が流れ込んで妙に蒸し暑く、つい船上で居眠りをしてしまった。すると、夢の中に弔われた2人のうちのひとりという男が現れた。「私は日本海軍38号哨戒艇の艦長だが、大東亜戦争で戦死した。ついては帰国したい。船を造ってもらえまいか」と告げた。
こうして平成10年(1998)、満艦飾の軍艦模型が完成した。全長2メートルほどの大型で、電源を入れると4つの砲台がくるくる回り始める。当時、日本海軍が持たなかったミサイルまで載せ、漁民たちが霊が喜ぶよう想像を凝らす姿が目に浮かぶ。船体には「にっぽんぐんカん」と記されて、御神体同様に安置されている。日本に帰れるようにとの思いを込めて造られたもので、漁民は海の安全や大漁を願って朝晩に祝詞として「軍艦マーチ」を流す。