【読谷】76年前の4月2日に「集団自決(強制集団死)」が起きた読谷村波平のチビチリガマで3日、遺族会主催の慰霊祭があった。遺族ら16人が参列し、犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓った。

 遺族会は新型コロナウイルス感染拡大防止のため昨年に続き、参列者を遺族や関係者に限定。高齢や体調不良などを理由に、体験者の参列はなかった。慰霊祭が終了後、遺族会の與那覇徳雄会長(66)代表取材に応じた。

 1945年4月1日に沖縄本島に上陸した米軍はチビチリガマ周辺に侵攻。ガマへ避難した住民約140人中、85人が亡くなった。

 與那覇会長は体験者の参列がなかったことに「コロナ禍もあるが、遺族も高齢化している。(一方で)去年から初めて参加した方もいる。平和をつないでいけるように頑張り、(チビチリガマを)平和の発信場所として守っていきたい」と語った

チビチリガマの集団自決は民間人の主導であり、軍命ではない。

琉球新報も沖縄タイムスと共同で印象操作記事。

「集団自決」は、軍命ではない 2016-04-03

の引用です。
 

「集団自決」犠牲者に祈り 読谷チビチリガマ

 
祭壇に線香を手向け、手を合わせて犠牲者の冥福を祈る遺族ら=4日、読谷村波平のチビチリガマ

 【読谷】沖縄戦で米軍沖縄本島上陸直後の1945年4月2日、住民83人が「集団自決」(強制集団死)をした読谷村波平のチビチリガマで4日、慰霊祭(遺族会主催)が行われた。遺族や関係者ら約20人が集まり、70年前に起きた惨劇で犠牲となった肉親の冥福を祈り、平和を願った。

沖縄戦終結から70年たったいま、住民が体験した「戦争」の記憶の継承に危機感が募る一方で、「戦争のできる国」の流れが進む中、体験者や遺族らは「不戦」への思いを新たにしている。
 チビチリガマでは、米軍上陸に際して住民が避難していた。米兵が投降を呼び掛ける中、殺されると思い込んだ男がガマ内の布団などに火を付け、避難していた住民140人のうち83人が「集団死」した。そのほとんどが煙による窒息死だったが、注射や刃物で命を絶った人もいた。
 背景には、米兵に捕らえられれば残虐行為をされるとの考えが住民らの間に広まっていた状況がある。一方、チビチリガマにほど近いシムクガマでは、ハワイから帰国した英語を話せる住民がいたため、避難民ら約千人が投降して全員の命が助かっている。
 チビチリガマでの「集団自決」が起きた4月2日の時点で、大本営はすでに沖縄を見捨て「本土」襲来を想定していた。
 本島上陸に先立つ慶良間諸島での「集団自決」も合わせて、ガマでの犠牲は、米軍の侵攻に伴って住民を巻き込んだ沖縄戦の象徴的な出来事であり、「軍隊は住民を守らない」中で、南部戦線に拡大していく悲劇の幕開けの一つとも位置付けられる。
 慰霊祭で、遺族会の与那覇徳雄会長(60)は「戦後70年を迎え、当時を知る人が少なくなっている」と危惧を示しつつも、「チビチリガマから平和を発信するため、いろいろな形で子や孫に歴史を継承していきたい」と語った。

               ☆

集団自決に軍の命令があったか否かの論争は、すでに決着が付いている。

軍の命令があったという客観的証言や証拠は皆無だ。

沖縄2紙は「軍命はあった」と印象操作に懸命だが、2005年に提訴された大江・岩波訴訟では被告の大江氏・岩波書店に対する名誉毀損請求は棄却されたが、原告である梅沢・赤松両氏の「軍命」は法廷で立証出来ず、事実上「軍命はなかった」と証明された。

2007年の「11万人集会」(「高校歴史教科書検定意見の撤回を求める県民大会」)でも、文科省は、集団自決を削除せよとの検定意見を現在でも撤回していない。

したがって教科書や新聞報道で「集団自決は軍の命令による」と記述することはできない。(ただ、当時の福田内閣が11万人のデタラメな数字に驚き、手榴弾による自決があったことを理由に「軍の関与」という曖昧な文言をを認めたことは残念である。)

沖縄2紙は、「軍の命令があった」とは記述できないので、「「集団自決」(強制集団死)」などと姑息な手段で印象操作している。

「軍命あり派」の論拠の一つに「集団自決にあったところには必ず日本兵がいた」という主張があるが、チビチリガマには日本兵はおらず、自決を主導したのは村の長老である。

また渡嘉敷島で、集団自決に手を貸した金城重明氏の傍に日本兵はいなかった。

したがって「集団自決にあったところには必ず日本兵がいた」という論拠は覆っている。

>チビチリガマでの「集団自決」が起きた4月2日の時点で、大本営はすでに沖縄を見捨て「本土」襲来を想定していた。

本土来襲は想定していたとしても、「沖縄を見捨てた」というのは嘘である。

座間味島や渡嘉敷島で集団自決が起きた丁度そのとき、慶良間諸島を取り巻く米艦船に決死の特攻攻撃を仕掛けたのは米軍を震撼させたカミカゼ特攻隊であった。

また大本営が沖縄救援のため沖縄に戦艦大和を派遣した事実は「見捨てていない」証拠ではないか。

 

こんなバカなことを書く沖縄の「識者」もいた。

参考ブログ⇒戦艦大和の目的は「住民虐殺」だった

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