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バイデン大統領は、トランプ前大統領の対中強硬政策を受け継いで現在も中国包囲網の先頭に立っている。
その一方、中国は香港民主化の制圧、南シナ海の侵略そして台湾・尖閣の併呑など着々とその核心的利益の達成を目論んでいる。
忘れ去られがちな中国による香港の民主化弾圧について、その経済的意味を探ってみよう。
香港デモの経済的意味
ーー香港の中国返還と沖縄返還の共通点ーーー
2019年の上半期に平成が終わり、新しい令和の時代が幕を開けた。
そして10月に入ると、玉城デニー知事の「会食疑惑」(官製談合疑惑)、10月31日未明には首里城炎上、と立て続けに玉城県政を揺るがす重大事案が玉城知事に襲い掛かった。
そして連日メディアが伝える香港デモ。
香港デモの経済的意味と沖縄返還の共通点を検証してみよう。
香港デモに対し、日本のメディアは総じて中国に忖度する報道が目立った。特に中国に好意的な論調の沖縄メディアは、香港デモと沖縄の反基地デモを同じ視線で見る。その典型として沖縄タイムスのコラム・大弦小弦を紹介しよう。
香港区議選で民主派が圧勝したことを受け、沖縄タイムスはこう書いた。
≪▼デモへの有権者の支持は圧倒的だ。民主派の獲得議席は8割以上。改選前はわずか3割弱だった。選挙で示された民意を公権力が踏みにじれば、新基地建設を抱える沖縄の構図に重なる▼県民が国政選挙、知事選、県民投票で示した反対の意思を、日本政府は一顧だにしない。それどころか、座りこむ人たちを暴力的だと批判し、建設強行を正当化する。香港で進行中の事態と合わせ鏡だ(11月27日付大弦小弦)≫
学生たちが流血や死を覚悟で民主化を求める香港の抗議デモと沖縄の反基地デモは、「合わせ鏡」どころか似て非なるものである。
香港デモは香港市民が強権国家中国に抗議し普通選挙の実施など民主化を求めるデモでで困るのは中国。
一方、沖縄の反基地デモは、取り締まる県警が発砲どころか決して危害を加えない。
抗議デモは身の安全を保障された呑気なデモであり、勿論喜ぶのは中国。
■香港デモの経済的意味
デモで揺れる香港と返還前の沖縄を経済的面で見ると香港と沖縄の共通点が浮き彫りになる。
香港デモは、中国が逃亡犯条例の改正を行ったことに端を発する。
11月24日に行われた香港区議会選挙は、民主派香港市民が145議席獲得で圧勝し、抗議デモに強硬姿勢の習近平に明確に「ノー」を突つけた。
「逃亡犯条例」改正が実行されたら、1国2制度で民主主義が約束された香港市民がある日突然中国本土に連行され、中国共産党の裁きを受ける可能性がある。
ただ香港市民が「逃亡犯条例改正」の撤回にこれ程激しく抗議する事態になるとは、習近平にとっては実は想定外であった。
習近平真の狙いは、一般の香港市民が犯す窃盗、傷害などではない。
真の目的は、中國共産党幹部などが犯す違法な蓄財、つまり経済犯が同条例改正の主なる対象であった。中國で不正蓄財し、人民元が香港で米ドルにマネーロンダリングされ、海外へ資本逃避すると中国の外貨準備が減少する。
香港デモを経済的にみると、こうなる。
民主化デモが、中国経済が自滅するか生き残れるかのカギを握っていることになる。
■沖縄・平和通りの「ドル売りオバァ」
一方、米ドルが流通する米軍統治下の沖縄は外貨不足に悩む日本へのドルの還流、つまり外貨獲得に貢献した。
1960年代のある夏の日の昼下がり。
返還前の沖縄では、こんな光景がよく見られた。
那覇市の目抜き通り国際通りにある「デパート大越」(後の沖縄三越)前から、市民の台所那覇市場に向かう平和通り。買い物客でにぎわう露天商の間から一人の老婦人が出てきた。
この界隈では知る人ぞ知る「ドル売りオバァ」の登場である。
老婦人は雑踏の中から、本土からの旅行者らしき中年男性に近づき、耳元で囁いた。
「にーさん、ドル買わないね?」
中年男性が頷くと、老婦人は近くの人気のない路地に男性を連れ込み、首にかけていた大きなバッグのチャックを開けた。中には数百ドルの米ドル紙幣が詰っていた。
「にーさん、いくらドル欲しい? 相場は1ドルが400円だけど」
当時の沖縄は米ドルが通貨として流通していた。沖縄住民は1ドル=360円の固定相場で沖縄の市中銀行で換金されていた。 老婦人は提示した1ドル=400円の闇ドル相場で100ドルにつき4000円の収入を得た。その頃の日本円は国際通貨としての信用度が低く、国際収支は恒常的に赤字を計上していた。沖縄の会社が日本本土から商品を仕入れると、支払いはドル建てLC(letter of credit-信用状)を発行し、それを受け取った日本の会社は日本の外貨獲得に貢献したことになる。通産省は輸出に貢献した会社は「輸出貢献企業」として表彰状を出すくらいだった。信用状を受け取った日本の会社は、銀行の信用度が抜群であった。
ではなぜ本土の旅行者らしき男が、損をしてまで闇ドルを買うのか。
外貨不足に悩む日本は、ドルの海外流出を極端に警戒し、海外旅行者の持ち出し金は一回につき500ドルの制限枠を設けていた。500ドルは当時の換算率で18万円。海外旅行にしては極めて少額だ。
これでアメリカ旅行をしてもアメション(アメリカに行って小便をしただけ)と言われるのがオチだった。ビジネスで外国旅行をする人はドルが流通する沖縄に来て、「ドル売りオバァ」の世話になり海外旅行の費用に充当した。
「ドル売りオバァ」は図らずも日本への外貨還流に貢献したていたことになる。
しかし、沖縄が島ぐるみで日本の外貨還流(外貨獲得)に貢献したは、沖縄返還の時の円ドル交換である。
1972年5月15日に行われた円ドル交換の歴史的出来事により、当時沖縄で流通していた全ての米ドルを日本円と交換した。これは、外貨不足に悩むドル本位制の日本にとって思わぬ垂涎の外貨プレゼントになる。理由は日銀がドル交換用に発行した円がハードカレンシィ(基軸通貨)のドルで裏打ちされることになるからだ。
では、1972年当時の沖縄ではどれ位のドルが流通していたか。日銀は1億ドル程度と試算。当時のレートは1ドル=360円(※)だったので約360億円と推計された。これに前年の日銀那覇支店の設置費用や保険金、そして万一の際の予備分を含めて必要金額は542億円と算出され、542億円の円が自衛隊艦船により隠密裏に東京から沖縄に輸送された。542億円は現在の価値でおよそ1540億円になる。(総務省統計局「消費者物価指数」をもとに算出)。
米国側は交換したドルの焼却を主張したが、最終的には一旦日本側に渡ったドルを米連邦銀行に無利子で25年間預けるという案で決着した。いずれにせ沖縄返還による円ドル交換は、米ドル本位制の日本に約1億ドルの外貨を流入させ、日本の外貨獲得に貢献したことになる。
中国に取って現在の香港は、不正蓄財などの経済犯が人民元を米ドルにマネーロンダリングして資本の逃避をする中継地である。
一方、返還前の沖縄は基軸通貨の米ドルが外貨不足の日本に還流する外貨流入の役目を果たしていた。
歴史的に言うと香港と沖縄は夫々イギリスとアメリカから中国と日本に施政権を返還した。
香港は中国の資本が外国へ逃避するマネーロンダリングの基地となり、一方返還前の沖縄は円ドル交換によりドルが日本に還流することに貢献した。
【補足】
※1972年5月15日 、前年の1971年のニクソンショックでドルが下落、1ドル305円とする交換が行われる。ただ日本政府が沖縄住民所有のドルは360円に保証し、差額の55円は日本政府が負担した。