今朝の各メディアはテレビを筆頭に「そのまんま東」知事の話題でもちきり。
テレビのインタビューで「ひがしこくばる」は言いにくいのでそのまんまは外して「東(ひがし)」一字で行こうかと言っていたが、・・・宮崎県民でさえテレビのコメントで「あずま知事」と発言していた。
東知事なんて陳腐すぎる。
そういえば東京都知事にも「東(あずま)知事」がいた。
「ひがしこくばる知事」という日本一発音しにくい知事の登場はインパクトが強い。
宮崎県の復興にはピッタリだと思うのだが。
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【付記】12:11
「今後は東国原」 そのまんま東氏
21日の出直し宮崎県知事選で初当選を決めたそのまんま東氏(49)は同夜の記者会見で、公務に携わる際は本名の東国原(ひがしこくばる)英夫を使用する考えを明らかにした。
東氏は、「『東さん』とニックネームで呼ばれるのはありがたいが、事務的には本名の東国原でいかせてもらおうと思う」と語った。
=2007/01/22付 西日本新聞朝刊=
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昨日の「沖縄語講座」で東は上がり、で西は入りだと得意になっていたら友人から「北と南」は何と言うのだと聞かれハタと考え込んだ。
沖縄では太陽の上がりと入りを基準に東と西の付く地名は多いが「北」の付く地名は少ない。
北のことは西(にし)という。
西を北の意味に使う場合は「いり」ではなく、そのまんま「にし」と言うところが面白い。
つまり沖縄語では「そのまんま西」は北の事。
※(『おもろさうし』には、「にし」は西の意にも北の意にも用いられている。 参考:図説琉球語辞典05西)
因みに「北枕」の事を沖縄語では「西枕(にしまっくわ」という。
それでは「南」は「南風(はえ)」が訛って「ふぇー」、今帰仁方言では「ぺー」という。
良く使う表現で〔風が南にまわること〕は「風(かじ)ぬペーマイ」という。
だが、沖縄では東西の感覚に比べて南北の感覚は余りない。
沖縄の方向感覚について沖縄の歴史を専門に扱っているブログ「目からウロコの琉球・沖縄史」http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/さんのエントリに興味深い記事を見つけた。
≪面白いのは、古琉球では北方を「上」、南方を「下」とみる観念があったことです。つまり北方(ヤマト?)に何らかの中心性を見出していたことがうかがえるのです。古琉球の歌謡集『おもろさうし』には、日本へ行くこと(やまと旅)を「のぼる」とも表現しています。≫ (同ブログ)
そういえば大和の旅に出る様子を歌った唄に「上り口説」がある。
「上り口説」は「のぼりくどき」ではなく、「ぬぶいくどぅち」と読む。
この唄は首里を出発して那覇から船に乗り、奄美諸島を通り過ぎて薩摩へと旅をする様子をうたったもの。
◆「上り口説」の歌詞。 カッコ内は沖縄語の発音。
旅ぬ出で立ち観音堂 千手観音伏し拝で 黄金酌とて立ち別る
(たびぬいんじたちくゎんぬんどー しんてぃくゎんぬんふしをぅがでぃ くがにしゃくとぅてぃたちわかる)
袖に降る露押し払ひ 大道松原歩みゆく 行けば八幡 崇元寺
(すでぃにふるつぃゆうしはらゐ うふどーまつぃばらあゆみゆく ゆきばはちまんすーぎーじ)
美栄地高橋うち渡て 袖を連ねて諸人の 行くも帰るも中之橋
(みーぢたかはしうちわたてぃ すでぃをぅつぃらにてぃむるふぃとぅぬ ゆくんかゐるんなかぬはし)
沖の側まで親子兄弟 連れて別ゆる旅衣 袖と袖とに露涙
(うちぬすばまでぃうやくちょうでー つぃりてぃわかゆるたびぐるむ すでぃとぅすでぃとぅにつぃゆなみだ)
船のとも綱疾く解くと 舟子勇みて真帆引けば 風や真艫に午未
(ふにぬとぅむづぃなとぅくどぅくとぅ ふなくいさみてまふふぃきば かじやまとぅむにうんまふぃつぃじ)
又も廻り逢ふ御縁とて 招く扇や三重城 残波岬も後に見て
(またんみぐりおーぐゐんとぅてぃ まにくおうじやみーぐすぃく ざんぱみさちんあとぅにみて)
伊平屋渡立つ波押し添へて 道の島々見渡せば 七島渡中も灘安く
(いひゃどぅたつなみうしすゐてぃ みちぬしまじまみわたしば しちととぅなかんなだやすぃく)
燃ゆる煙や硫黄が島 佐多の岬に走い並で(エーイ) あれに見ゆるは御開聞 富士に見まがふ桜島
(むゆるちむりやゆをがしま さだぬみさちにはゐならでぃエーヰ ありにみゆるわうかゐむん ふじにみまごーさくらじま)
漢字綴りの歌詞を見れば自ずと意味も分かると思うが、より詳しくは下記サイトで。