狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

変人首相と奇人秘書

2008-01-05 18:59:28 | 県知事選

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≪「ここまで来たら、もう何が起きるか分からない。常識的には来春に予算が成立してからの解散だと思うが、“出合い頭”っていうのがあるかもしれない。シナリオはない」

 自民党幹部はこう語り、福田康夫首相がいつ伝家の宝刀を抜くのか固唾をのんで見守っている。「出合い頭」のように、ことの行方次第では、年内か年明けに突発的に解散することも考
えられるというのが、同幹部の見立てだ。≫(iza ニュース)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/100654/

 

                     ◇

上記引用は去年の記事なので、自民党幹部は遅くとも今春の解散を予想していることになる。

だが、このように断言する男がいる。

「年内解散は100パーセントあり得ない。来年の任期満了後の選挙になる」。

昨日のテレビインタビューで「官邸のラスプーチン」と呼ばれた小泉下首相の元秘書官は自信満々に語った。

長野県在の飯島勲氏の自宅でのインタビューだったが、テレビへの露出度の多さの割には飯島氏の声を聞くのは初めてだった。

インタビュアーの須田慎一郎氏に庭を案内しながら、飯島氏は次のように問いかけた。

「私は庭の植木には拘ってカシとカリンの二種類しか植えてない」

「理由が分かりますか」

須田氏は禅問答のような飯島氏の問いかけには答えられなかった。

だが答は簡単。

「貸しは作っても借りん」・・・が、その理由だそうだ。

語呂合わせのオヤジギャグの一種なのだが、

あの飯島氏がもっともらしい顔で説明すると、

何か深遠な彼の人生哲学にでも触れたような気がするから不思議だ。

で、年内解散は100㌫無い、と断言する彼の論拠は極めて明快だ。

現在参院選は民主党多数でねじれ現象を起こしている。

衆議院選挙で自民党が20議席減らしたら自民党の衆議院における3分の2議決権も失われて、実情上の政権交代になってしまう。

現在の状況で、総選挙を行えば自民党は確実に20議席失うのは明白なので、

これを承知で自民党総裁としての福田首相が年内選挙をするはずが無いというのだ。

現役政治家より永田町の動きに詳しいといわれる飯島氏の断言だけに注目したいが、この意見はテレビインタビューで初めて披露したわけではなく、

去年の12月にも長野市の講演会でこんなことを言っていた。

 1月解散、100パーセントない=飯島元秘書官

(時事通信) 2007年12月8日(土)17:46

 小泉純一郎元首相の首席秘書官を務めた飯島勲氏は8日午後、長野市で講演し、新テロ対策特別措置法案の衆院での再可決に絡んで取りざたされる衆院解散について「今月、(来年)1月の解散は100パーセントない」と述べた。>>続きを読む

秘書官辞任の理由は、昨年9月の次期総裁選挙に小泉元首相を担ぎ出すことに失敗し、小泉氏が福田支持を表明したからだというが、

これも誰のせいでもなく自分に負けたのだと説明した。

35年も一心同体に見えた小泉ー飯島コンビが何故、次期総裁候補で意見が対立したか、意見の調整はなかったのかと疑問に思う。

だが、35年間の秘書生活で小泉氏に怒られたことも無ければ、会話さえも殆どなく、いわば阿吽の呼吸でやってきたというから次期総裁候補では呼吸が合わなかったのだろう。

どうも普通の政治家と秘書の関係では考えられない。

「♪俺の目を見よ、何にも言うな♪」といった関係が、

最後の小泉再選で食い違ったのだろう。

飯島氏は時々、「小泉」と元親分を呼び捨てにしたが、これは辞任はしても今でも小泉氏のことを親分と仰ぎ、身内扱いして呼び捨てにしている感がした。

当然といえば当然のことだが、インタビューを通じて飯島氏は徹底し小泉氏を立てており、今でも小泉氏に心酔していることを画面に滲ました。

そして、昨年末の福田ー小沢会談による大連立に話が及ぶと、

「大連立とはあんなチャチなことでは不可」と斬って捨てて、大連立を本気で考えるなら、

「福田首相が衆議院から20名の子分を引き連れて民主党に行けば、衆参両院とも民主・与党になり、自民党としては否応なしに連立せざるを得ない」とも言い切った。

そして「政界再編制」の動きは100㌫始まっている」と断言した。

更に小泉再出馬に話が及ぶと、「自民党の総裁としての再登板はないが、自民党を超えて政界再編が起きた場合に旗印になるのは小泉以外にない」と言った。

そして小泉氏のことをテレビ画面に向かって「国有財産」と呼んではばからないほど元親分に今でも心酔している飯島氏は現在充電中と思える。

そして政界再編制の結果、与野党をまたいだ「小泉新党」旗揚げの折には、真っ先に馳せ参じる意欲満々と見た。

見た目にはまるで水と油にもみえる小泉、飯島コンビが35年間も一心同体であり、辞表を出した現在も事務所を通じて連絡を取り合っており、その辞表さえも小泉氏が預かりという形にしているという。

見た目には別れた二人だが根っこの部分では繋がっている。

見た目も育ちも水の油の二人が固く信頼で結びついている理由は、二人が負けず劣らずの奇人変人だからであろう。

二人の「♪俺の目を見ろ、何にも言うな♪」の関係は35年前の小泉氏の秘書採用面接の時に始まる。

 苦労して夜間高校を出て東京電機大学短期大学電気科を卒業した後の1972年、小泉純一郎のの秘書採用面接の際の時飯島氏の運命は決まった。

飯島氏は面接時に、苦しかった生活のことや家族のことを小泉に話したが、三代に渡る政治家の家庭に生まれたお坊ちゃまそ育ちの小泉氏には理解されないと思っていたという。

だが、小泉氏は黙々と飯島の苦労話を聞き、最後に一言「よし」と一言で採用が決定した。

その瞬間、飯島氏は「この人のために生涯頑張りぬこう」と決意したという。

小泉氏の御祖父さんが背中に彫り物のある男気のある政治家だったというが、それを受け継いだ小泉順一郎氏と飯島氏は初対面の時から、「♪俺の目をみろ、何にも言うな♪」の世界だったわけで、

35年間を通じて殆ど会話もなかったという言葉もこの二人なら理解できる。

更に硬い絆で結ばれた変人小泉と奇人飯島がタッグを組んで、ついには正解の頂点まで上り詰める話はまさに「兄弟仁義」の世界で興味は尽きない。

蛇足:兄弟仁義 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND15246/index.html

北島三郎・唄  星野哲郎・作詞  北原じゅん・作曲

(一)親の血を引く兄弟よりも かたい契りの義兄弟・・・

(二)省略

(三)俺の目を見ろ何にもゆうな  男同士の腹のうち ・・・

インタビューを見たコメンテーターの感想は、

「雰囲気から見る飯島氏の印象は権謀術策に長けた官邸のラスプーチンといったイメージだが、インタビューで見る飯島氏は政治に対してピュアな信念を持った人」。

これには同感できた。 

もっとも「見た目の割には」という但し書き付きだが。

変人小泉と奇人飯島の今後の動向に注目したい。

 

【おまけ】

政界再編にはいろんな動きがあるようで、谷垣氏が抜けて平沼氏が加わった「真・保守政策研究会」は支持したい。
中川元幹事長「大連立、衆院選後に協議加速」1.5 14:09

だが、この男だけは勘弁して欲しい。↓

「大連立か政界再編、避けられない」 自民・山崎拓氏

 

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再挑戦!地元新聞の元旦社説を読む 【追記】1月6日

2008-01-05 07:34:31 | 未分類

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一昨日(2日)のエントリーが原因不明の消失をして正月早々へこんでいましたが、気を取り直して記憶を辿りつつ同じエントリを再構成してみました。

必ずしも全文一致ではありませんが内容は消失した2日のエントリー、琉球新報と沖縄タイムス 元旦社説読み比べ」 と同じですが、一部加筆したので、もう一度付き合って頂けると大変幸です。

以下は再掲になります。

                      ◇

沖縄ブームである。

テレビメディアで、特に芸能タレントの口を介して紹介される沖縄のイメージは「癒しの島」や「長寿の島」といったキーワードで代表される。

そんな沖縄を琉球新報は次のように紹介している。

◆琉球新報社説(1月1日)

新年を迎えて 真の「癒やしの島」を/将来像は一人一人の英知で   

≪ゆったりと時間が流れ、あくせくせずに物事に対処する柔らかな精神性は、寛容さにつながる。それらが美しい自然と相まって発揮され、沖縄を訪れる者に居心地の良さを感じさせるようだ。観光にも貢献しているのは疑いない。≫(新報)

去年から相模市で就職している娘が正月休みで帰省している。

初めての県外の生活で彼女が遭遇したヤマトンチュで辟易することは、初めて会う人毎に沖縄出身だというと次のようにオーバーに反応することだという。

「わー! 沖縄ですか、癒しの島ですよね。 うらやましいなー」

そして、決まって聞かれることは沖縄の観光情報や歴史・文化に関することだが、答えられない不勉強を後悔してるという。

オノレの不勉強は自業自得だとしても、次のような言葉が続くと、さすがのおとなしい娘も「ムカッ!」とくるらしい。

「沖縄はのんびりしているでしょう。 癒しの島なので、何も悩みはないでしょう」

だが、娘よ、同僚達の無知を怒ることはない。

連日テレビで流される沖縄紹介番組が、何かというと泡盛を酌み交わし、三味線に乗ってカチャーシーを踊る県民の映像だったとしたら、

職場の同僚が「沖縄人は何の悩みもない」と思っても無理はない。

テレビメディアの偏ったイメージ操作のせいなのだ。

だが、時代は変わった。

一昔前の沖縄には「癒しの島」のイメージなんて無かったはずだ。

一方、同じ沖縄でも新聞メディアが伝える沖縄は全く別のイメージになる。

琉球新報によると別の沖縄は次のようになる。

米軍機の爆音禍、パラシュート降下訓練による危険性の増大と拡散、最新鋭戦闘機の一時配備や外来機の飛来など、基地に苦しめられる「軍事の島」の実態は相も変わらない。
 政府は県民の負担軽減で際立つ鈍感さとは裏腹に日米合意を金科玉条にかざし、日米軍事一体化路線になりふり構わない。普天間飛行場の移設作業が着々と進み、2月には環境影響評価(アセスメント)調査が着手される。≫(新報)

ここに登場する沖縄人は常に徒党を組んで、赤旗を掲げ、こぶしを天に突き上げながら怒りのシュプレッヒコールを叫ぶ姿。

そう、基地の存在に怒りの声を震わせ、歴史わい曲は怪しからんと集会で演説する「戦う県民」のイメージだ。

このようにテレビの伝える沖縄と新聞の伝える沖縄は180度イメージが違う。

筆者が若い頃東京で学生生活を過ごしていた頃は、沖縄出身者だと聞くとヤマトンチュは決まって次のように反応したものだ。

「戦争では大変だったでしょう。 今は米軍基地で大変でしょう」

何が大変なのか、とにかく沖縄出身者というとワンパターンの反応しか出来ないほど沖縄の情報は一般にはなかった。

「沖縄戦」や「基地公害」といっても全ての沖縄人が直接体験しているわけではなく、戦火が激しくなる前にかなりの数の学童が九州各地に疎開しており、戦後沖縄に戻った人もまたそのまま留まった人もおる。

又基地公害といっても基地に隣接して住んでいる人はともかく基地公害を日常的に意識しながら生活している沖縄人はそんなに多くはない。

更に琉球新報は、防衛省の汚職事件や食品偽装にも触れて次のように嘆いて見せている。

≪かつて自明の理であったはずの倫理観や道徳観といったものが揺らぎ始めている。他者への配慮や目配りなどを欠いた意識や風潮がはびこる。≫

だが、倫理や道徳を教育に取り入れようとすると、戦前の歴史を暗黒の歴史として全否定する日教組が猛反対し、その日教組を支援してきたのは沖縄の新聞メディアではなかったのか。

≪脅かされる美質
 社会の根っこにある善良性、良識などの美質が脅かされているのではないか。あしき兆しを多くの国民が感じ始めている。
 言い換えれば、社会を支える目に見えないシステム、大切なつっかい棒が危うくなりつつあることへの不安感である。≫

朝日新聞流に言わしてもらうと、

ちょっと待って欲しい。

「戦後レジーム」の打破を掲げ、安倍前首相が目指したのが「美しい日本」であり、

「脅かされる美質」とは、まさに沖縄の新聞メディアがバッシングした「美しい日本」ではなかったのか。

「美しい日本」を自ら罵倒し、脅かしていながら、その発言者が退場すると、今度は態度豹変、

脅かされる美質」と叫んで、<社会の根っこにある善良性、良識などの美質が脅かされた>と嘆いてみせる。

「マッチポンプ」はマスコミの習性とはいえ、琉球新報は新年早々見事に典型的な「マッチポンプ」の見本を見せてくれた。

「マッチポンプ」に主義主張はあるの?

そんなの関係ねぇ!・・・か。

 

                      ◇

◆沖縄タイムス社説(2008年1月1日朝刊)

【将来像】開発主義を見直したい

小泉改革の置き土産は、日本全国どの地方へ行っても「格差問題」として姿を現す。

例にたがわず沖縄でも「地域格差」は町の衰退という形で現れているが、

沖縄タイムスの元旦社説はこれを次のように記している。

≪地方都市はどこも大型商業施設とコンビニとファスト・フード店の並ぶ似たような街並みになった。その一方で、旧商店街は空洞化し、シャッター通りと化している。≫

≪社会の構造変化は沖縄においても顕著だ。都市部では、地域との濃密なつながりで成り立っていたマチヤ(雑貨店)が消滅し、隣近所付き合いもめっきり減った。≫

なるほど、復帰後日本の一県となった沖縄は一つの歯車となって日本経済に組み込まれ、沖縄といえども日本全国を襲う地域格差の例外にはなれなかった。

だが、ここでもう一度待って欲しい。

「格差」と対極をなす「平等」といえば、結果や機会を問わず平等をイデオロギー化する左翼勢力の得意分野である。

今年は「格差社会」や「ワーキングプア」がキーワードになると思われるが、

左翼勢力がこれにつけ込んで、問題をことさら先鋭化させて勢力拡大の手段にすることが危惧される。

昨年末NHKは「格差社会」と「ワーキングプア」という左翼勢力の得意分野に焦点を合わせ特集を放映している。「※NHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」の感想こはちら」

そして、格差解消やワーキングプアといえばこのサイトが黙っていないと思ったら、JanJanも昨年末こんな記事を書いていた。日米両国の貧困層、ワ...

沖縄県は復帰後、生活基盤整備の立ち遅れを国の援助を仰ぐことで解消してきた。

地域の「発展」は県民の生活の質の向上を意味していた。

≪だが、利便性を高めることが直ちに生活の質の向上につながるかといえばそうでもないことが次第に明らかになってきた。≫

そこで沖縄タイムスは去年の「教科書兼営意見撤回」でも示した得意技のアンケートを持ち出す。

≪朝日新聞社と沖縄タイムス社が昨年、復帰三十五周年にちなんで実施した県民世論調査で、興味深い結果が出た。沖縄の経済振興に、より重要と思う要素は何かとの問いに対し、「国の支援」と答えた人が37%、「県民の努力」と答えた人が48%だった。≫

世の中には「本音」と「建前」がある。

米軍占領時代以来、経済的自立が叫ばれながらも、国の支援なしには沖縄の発展は有り得ず、それは現在でも変わっていない。

これまでの反基地闘争には、基地撤去を叫びながらも「国の支援」を期待する条件闘争的意味合いもある。

アンケート結果は、県民の本音と建前を使い分ける県民の強かさを見事に示しているのでは。

それで、沖縄タイムスの結論はこのようになる。

≪開発主義に対する反省と国依存体質からの脱却。この二つの課題を達成する方向に沖縄社会の構造を転換していく必要がある。≫

一応納得できるが、当たり前すぎてわざわざ新聞の元日の社説として掲載するには陳腐であり、何の現実的提案も無い建前論で、

昔から繰り返されてきた念仏のようなものである。

日頃事あるごとに琉球独立を臭わすような記事を書いてきた沖縄タイムスが、このような陳腐な経済自立を真面目に述べる裏には、

政治的自立、つまり琉球独立を隠しているのではないかと穿った考えもしたくなる。

琉球独立なんて夢物語を煽らないで、沖縄の経済自立に対しては、

昨年の「集団自決」に関する「教科書問題」や「大江・岩波訴訟」で示したタイムスのエネルギーのせめて半分でも注げば、

もっと具体性のある提言がでてくるのではないかと思うのだが。

 

【追記】1月6日

マスコミを中心にした沖縄インテリと一握りの沖縄シンのパヤマトンチュが造り上げた、「癒しの島」や「闘争の島」といった一面的な沖縄像を木っ端微塵に打ち砕き、返す刀でその「幻想」に酔いしれるウチナンチュをも一刀両断。

これまでにない「沖縄論」『沖縄を撃つ!』を紹介します。

作家・花村萬月が、日本人と沖縄人の共犯関係で出来上がった「癒しの島」幻想を徹底的に解体しながら、既存のイメージとはまったく違った沖縄の姿を克明に描き出す。日本人であることの加害者性を露悪的なまでに引き受けたその眼差しは、南の島を過剰に持ち上げたり、そこに逃避したりする日本人と、純朴な仮面を自ら進んで被ろうとする沖縄人に対しても、等しく冷淡であり、かつ挑発的である。二〇年以上にわたって沖縄取材を繰り広げてきた小説家による、もっとも苛烈で真摯な沖縄論。


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「癒しの島」の幻想

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花村 萬月
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スパイ防止法の必要性 中国人宅から陸自「秘」資料発見

2008-01-04 10:45:27 | 県知事選

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中国人宅から陸自「秘」資料発見 薬物事件捜査で(1/2ページ)

2008.1.4 01:18

 薬物事件の捜査の過程で関係先として家宅捜索された東京都新宿区の中国籍の男の部屋から自衛隊法で「秘」に指定されていた陸上自衛隊の「部隊編制表」の一部が見つかっていたことが3日、分かった。部隊編制表は有事の際の作戦立案の基礎データとなるもので、警察当局は男から資料の任意提出を受け、流出ルートや背後関係などを調べている。自衛隊では昨年、最高機密のイージス艦情報流出事件が発覚、海自3佐が起訴された。今回も、安全保障に関する日本の情報管理のずさんさが露呈した一例といえる。

 警察当局によると、昨年8月、薬物事件の捜査で浮上した新宿区の男の部屋を捜索した際、室内の段ボール箱に入っていた部隊編制表の資料が見つかった。

 文書の内容から平成15年以前に作成されたもので、すべてのページに「秘」の文字が印刷された50枚の冊子。表紙が切り取られていたが、分析の結果、陸自の全部隊と駐屯地の名称、各部隊の装備や能力の一部、所属系統が分かる部隊編制表の冒頭部分であることが判明した。

 捜索された部屋の男は事情聴取に「自分の前に部屋を借りていた中国人の荷物。中に何が入っていたかは知らなかった」などと説明している。

 警察当局は過去に入居した中国人や出入りしていた人物の特定を急ぎ、文書が新宿の部屋に流れた経緯について、陸自にも協力を求め、調べている。

                                              ◇

情報戦が実際の戦争の序章であるとすれば、大東亜戦争は開戦の前の序章で日本は既に敗北していた。

日米開戦の僅か2ヶ月前、日本史上最大のスパイ事件「ゾルゲ事件 」で首班ゾルゲと共に元朝日新聞社社員尾崎秀実を逮捕した。

尾崎は大学卒業後の1926年朝日新聞社に入社し、社内でヨシフ・スターリンの『レーニン主義の諸問題』をテキストとした研究会を開催している。

1938年朝日新聞をを退社後、朝日時代の人脈を通じて、第1次近衛内閣の嘱託となり、1939年(昭和14年)1月の第1次近衛内閣の総辞職まで勤める。

同時に、近衛首相の「朝飯会」のメンバーにもなり、これは第3次近衛内閣ま続いた。

朝日新聞の元エリート社員で、時の首相の側近がスパイだった。

この時点で日本の敗北は決定していたといってもおかしくない。

戦後の日本の情報戦はどうなっているのか。

戦前の失敗を反省するどころか、かつて存在した「スパイ防止法」さえ無い平和ボケぶりで、

スパイ天国というありがたくない異名まで頂戴している。

これまでも自衛隊が海図を漏洩したり、ヤマハ発動機が外為法違反の輸出をしたり、

挙句の果てには一国の首相(橋本元首相)が中国の女性スパイにたぶらかされ、莫大な無償ODAをもぎ取られもしている。

外交的、情報戦的には常に問題含みの「特亜三国」に囲まれていながら、

他国からのスパイ活動がこれほど公然と行われ、

しかもそれを全く取り締まらない日本のような国を寡聞にして知らない。

更に言わしてもらうと、日本の情報脳テンキ振りで迷惑するのは日本だけではない。

日本が特亜3国に流出させた軍事技術と情報は、アジア全体いや世界中に軍事的脅威を与えることになる。


日本の場合はスパイ防止法以前の問題で、北朝鮮や朝鮮総連と密着した政党や、教職員組合、マスコミなどは、何故か「スパイ防止法」というと猛然と反対運動を起こす。

反対の理由は決まり文句で無辜の人々がスパイ扱いされ「人権問題」だという。

だが、人権を声高に叫ぶ連中に限って最大の人権問題である「拉致問題」についてはおとなしいのが不思議な現象だ。

>薬物事件の捜査の過程で関係先として家宅捜索された東京都新宿区の中国籍の男の部屋から自衛隊法で「秘」に指定されていた陸上自衛隊の「部隊編制表」の一部が見つかっていたことが3日、分かった。

薬物事件というと、一見スパイとは関係の無い事件のようだが、覚せい剤とスパイ事件は大いに関連があるという。

国内のスパイ活動を防止するのに最も効果があるのが、覚醒剤の取り締まり強化と、パチンコ禁止だという。

この二つの「業種」が北朝鮮スパイの活動資金であるという理由には説得力がある。

日本国中スパイだらけで、派遣社員もスパイに変身するというから驚く。
防衛省:通信網の情報流出 委託先から派遣社員がHD盗む 

CIAが自慢のアメリカでさえ中国の手にかかったらこの有様だから、日本なんて赤子の手をひねるようなものだろう。

NSAの傍受記録、中国情報機関がスパイ 米紙報道asahi.com
2007年12月22日15時55分
≪中国の情報機関が、米国家安全保障局(NSA)の傍受・収集した情報に、中国語の翻訳作業などに携わる「協力者」を通じてアクセスしていたと、21日付の米紙ワシントン・タイムズが報じた。中国による米国内での情報活動が活発化していると指摘している。

尾崎のようなスパイを内部に抱えていた朝日新聞は、戦後、スパイ防止法制定の動きがあると、スパイ防止法反対キャンペーン報道を行ってきた。

朝日新聞のスパイ防止法報道
昭和六十一年十一月二十六日、スパイ防止法制定特別委員会でスパイ防止法が再提出される前日、朝日は「国家機密法」改称して大々的に反対キャンペーン記事をかく。
一面トップ、第一第二社会面トップでとりあげ、更に見開きで「本社全国実態調査」と称する地方議会でのスパイ防止法に関する決議の割合を取り上げる。

その中で「増える反対議会」、「スパイ防止法促進議決は小さな町村に偏っている」など、あたかも防止法反対決議が多いかのような宣伝を行う。

ところがこの記事が嘘、歪曲だらけと解る。実態は、スパイ防止法促進決議は、二十七都道府県、百四十五市区、千百四十六町、四百七町でなされている。
一方、スパイ防止法反対決議は都道府県なし、
八十二市区、九十三町、三十五村(朝日新聞調査)といった有り様。≫
http://www.ii-park.net/~imzapanese/nihon/asahi2.htm

 ある意味、スパイ防止法の制定は「ゴミ分別」ならぬ「反日分別」のリトマス試験紙ともいえる。

この試験紙でテストをすれば共産党、社民党、それに民主党内の隠れ共産、隠れ社民党の「反日勢力」がたちどころに炙り出されるだろう。

だが、テストは野党だけでは不十分だ。

自民党の中にも隠れ左翼がウヨウヨいるのも周知の通りだ。

そういえば谷垣元財務相は中国のハニートラップに引っかかって、その直後「スパイ防止法」を潰しにかかったことがあった。http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/089dbf4dd73f13df03169ff7963
cbef1

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琉球新報と沖縄タイムス 元旦社説読み比べ 

2008-01-03 09:49:00 | 未分類

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申し訳ありませんが新年早々、又しても記事消失事故です。

昨年末も2度ほど消失しましたが、原因不明です。

再エントリの)気力も喪失ですので、琉球新報、沖縄タイムスの元旦社説を掲載しておきます。

ちなみにエントリ内容は両社説の批判記事でした。

地元紙をボロクソに書いたからって勝手に削除されるわけはないと思うのですが。

明日気を取り直して再チャレンジしてみようと思っています。

                      ◇

◆琉球新報社説(1月1日)

新年を迎えて 真の「癒やしの島」を/将来像は一人一人の英知で   新しい年が明けた。初詣での老若男女の華やいだ群れがテレビに映し出される。いつもの穏やかな正月の風景に安堵(あんど)する。人々は何を祈り、どんな願いを秘めて新年の扉を開いたのだろうか。
 振り返れば、昨年は日本社会がわたしたちが望まない形の、あらぬ方向へ変化しつつあることを強く印象付けられた1年だった。
 「政治とカネ」をめぐる不祥事が相次いだ。政治家の度重なる失言は強い反発を買った。防衛装備の汚職事件が発覚。食品偽装も後を絶たなかった。
 かつて自明の理であったはずの倫理観や道徳観といったものが揺らぎ始めている。他者への配慮や目配りなどを欠いた意識や風潮がはびこる。

脅かされる美質
 社会の根っこにある善良性、良識などの美質が脅かされているのではないか。あしき兆しを多くの国民が感じ始めている。
 言い換えれば、社会を支える目に見えないシステム、大切なつっかい棒が危うくなりつつあることへの不安感である。効率至上主義と軌を一にしている動き、流れなのだろうか。社会の健全な常識をむしばんでいるこの空気は、断ち切らねばならない。
 国民を不安に陥れた最たるものが年金記録の不備問題だ。国民の怒りにどう向き合い、誠実に対応していくのか、正念場だ。
 2009年度には基礎年金の国庫負担率が引き上げられる。年金は猶予が許されない課題だ。わたしたちの老後の安心、生活設計を大きく左右する年金制度の盤石な体制をつくり上げ、再構築していくことは政府、政治に課せられた責任である。
 「民意」がいかに重要であるかを、あらためて思い知る年でもあった。
 自民党が参院選で歴史的惨敗を喫し、民主党が第一党に躍進。国会運営は与野党の主導権が衆参両院で異なる「ねじれ国会」の新たな状況が生まれた。
 民意が与えた「ねじれ国会」は政治に本来あるべき緊張感をよみがえらせた。従来のように提出法案がすんなり通らなくなった状況を異常ととらえる声が、政界など一部から漏れる。
 しかし、それは、的はずれの議論だ。国民の目線に沿った政策論議を、国会はかつてなく意識して臨まなければならない雰囲気が生まれている。結果的に財源の問題を含め、白熱した論戦が展開されるようになった。ねじれを歓迎し評価する有権者は決して少なくない。与野党が政局の思惑や党利党略にがんじがらめになっていては国民の支持は得られまい。生活者の目線に立って話し合う仕組みを構築してもらいたい。

選挙は民意の形成
 民意の形成は結局、投票に行き着く。衆院解散・総選挙が年内に行われる可能性は高い。投票に行かずに「政治が悪い」とぼやいても何も始まらない。そのことを胸の奥深く刻んでおきたい。
 沖縄が「癒やしの島」ともてはやされるようになったのは、いつごろからだろうか。ゆったりと時間が流れ、あくせくせずに物事に対処する柔らかな精神性は、寛容さにつながる。それらが美しい自然と相まって発揮され、沖縄を訪れる者に居心地の良さを感じさせるようだ。観光にも貢献しているのは疑いない。
 けれど当のウチナーンチュ自身は「癒やしの島」を実感しているだろうか。「癒やし」が生活に反映され、その恵みを享受していると言えるか。
 米軍機の爆音禍、パラシュート降下訓練による危険性の増大と拡散、最新鋭戦闘機の一時配備や外来機の飛来など、基地に苦しめられる「軍事の島」の実態は相も変わらない。
 政府は県民の負担軽減で際立つ鈍感さとは裏腹に日米合意を金科玉条にかざし、日米軍事一体化路線になりふり構わない。普天間飛行場の移設作業が着々と進み、2月には環境影響評価(アセスメント)調査が着手される。
 県民や地元の意向が置き去りにされ、一方的に事が進められていいわけがない。癒やしに一番似つかわしくないのが米軍基地だ。負担軽減に逆行する動きに対し、もっと声を張り上げ、明確な意思を示したい。
 沖縄振興計画は既に後半に入っている。県民一人一人が英知を傾けて将来像、針路を描くための足掛かりを築く年でありたい。

 (1/1 9:41)

 

◆沖縄タイムス社説(2008年1月1日朝刊)

【将来像】開発主義を見直したい


得たもの失われたもの

 山田實さんの写真集『こどもたちのオキナワ 1955―1965』は、何度見ても飽きない本だ。

 子どもたちの表情がいい。キビ刈りを手伝う子ども。水くみをしている子ども。幼い弟や妹を背中におぶって遊んでいる子ども。山田さんは、一こま一こまを「胸を熱くしながら撮り続けた」という。

 子どもであろうが家事や仕事の手伝いをするのは当たり前の時代だった。

 本土との歴然とした格差と米軍統治という政治的現実が、本土へのあこがれを生んだ時代でもあった。

 写真集をめくっていて、懐かしさとともに押し寄せてくるのは「はるけくもきつるものかな」という感慨である。いったい当時、誰が今の日本や沖縄を想像できただろうか。

 高度成長下に培われた進歩への確信や右肩上がりの成長神話は、一九九〇年代初めにもろくも崩れた。

 冷戦が崩壊したことによる最大の変化は、市場原理が世界を覆い尽くしたことだろう。ヒト・モノ・カネのグローバル化が経済を活性化させことは否定できないが、それによって失われたものも大きい。

 地方都市はどこも大型商業施設とコンビニとファスト・フード店の並ぶ似たような街並みになった。その一方で、旧商店街は空洞化し、シャッター通りと化している。

 貧乏から解放されたはずの社会で、働いても働いても生活の質が向上せず、社会的な上昇も見込めないような新たな階層が生まれている。社会保障制度が行き詰まり、多くの人たちが将来への不安を抱いている。経済格差の拡大で中流層が分解し、地域間格差も広がった。

 思いやりや助け合いが薄らぎ、「自己責任」「クレーマー」「厳罰化」というような、ひりひりする言葉が飛び交っている。私たちが望んでいた社会はそんな社会ではなかったはずだ。

 方向性の定まらない漂流感が日本の社会を覆っているように見える。


大切なのは「生活の質」


 社会の構造変化は沖縄においても顕著だ。都市部では、地域との濃密なつながりで成り立っていたマチヤ(雑貨店)が消滅し、隣近所付き合いもめっきり減った。

 グローバル化に伴う効率化・均質化の波は、ウチナーンチュの生活のスタイルを変え、自然とのつながりを希薄にしつつある。地域の祭祀が廃れていけば、さらに大きな変化を被ることになるだろう。

 沖縄県は復帰後、住民の利便性向上と産業基盤の整備、雇用拡大のためにさまざまな公共事業を誘致してきた。利便性の向上は、ある時期までは生活の質の向上とほぼイコールの関係にあった。生活基盤の整備が著しく立ち遅れていた沖縄では、それが地域の「発展」を意味していた。

 だが、利便性を高めることが直ちに生活の質の向上につながるかといえばそうでもないことが次第に明らかになってきた。

 利便性を高めるための大型公共事業によって地域固有の「相互扶助と共同性」が崩れ、掛け替えのない自然環境が破壊されれば、生活の質はむしろ低下する可能性が高い。

 地域に住む人々にとって「豊かさ」とは何なのか。社会の構造変化を見据えて沖縄の将来像をどう構想するか。あらためて問い直すべき時である。


構想力を鍛え上げよう


 朝日新聞社と沖縄タイムス社が昨年、復帰三十五周年にちなんで実施した県民世論調査で、興味深い結果が出た。沖縄の経済振興に、より重要と思う要素は何かとの問いに対し、「国の支援」と答えた人が37%、「県民の努力」と答えた人が48%だった。

 国への依存体質が自立の妨げになっているという見方が広がりつつあるのだ。この意識変化を危機感の表れだと受け止めたい。

 開発主義に対する反省と国依存体質からの脱却。この二つの課題を達成する方向に沖縄社会の構造を転換していく必要がある。

 この二つは、長いこと沖縄のアポリア(克服しがたい矛盾)のようにみなされてきた。頭の体操、思考実験でもいいと思う。既成概念やしがらみにとらわれない自由な発想でアポリアに挑戦し、構想力を鍛え上げることが大切だ。

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世にも不思議な話 消えた100円

2008-01-02 17:52:51 | 県知事選

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沖縄の旅というと豪華なリゾートホテルに滞在するパック旅行を想像する人が多い。

旅行者のパンフレットで旅を決めるのも手軽でいいが、

観光地化した沖縄本島を避けて小さな島へ沖縄らしさと安い民宿を求めて手造り旅行を楽しむ学生も多い。

三人の学生が冬休みを利用して旅に出た。

シーズンオフなので一部屋3人で3000円という格安の旅館に泊まる事になった。

宿代は前払いと言うので1人で1000円ずつ、計3000円を手伝いのオバさんに渡した。

「丁度3000円なので、割り勘出来てよかった」

三人は旅行中、ずっと割り勘で通す約束であった。

手伝いのオバサンは微笑みながら愛想を言った。

「学生さんは割り勘が気持ちいいネ」。

オバサンが代金を帳場に届けると、女主人が「今日は主人の命日だから、主人の供養に500円負けてあげる」と言って、100円玉を5個オバサンに渡した。

そこでオバサンは悩んだ。 

この500円、あの割り勘主義の学生さんには困るだろう。

悩んだオバサンは一つの結論を出した。

ちゃっかり200円はネコババして300円を部屋に届けることにしたのだ。

何も知らない学生たちは踊りあっがって喜んだ。

「ヤッター! 儲かっちゃった」

「それに300円だから、三人で分けられる」

「1人100円値引きで割り勘だ。」

トイレの中でネコババ「オバサン」は握り締めた200円をじっと見つめながら考えた。

「何か変だぞ」 

「最初、部屋代が3000円だった」

「客が3人なので1人1000円で、支払で計3000円」

「女将がサービスに500円を私に渡したが、200円は私が頂きここにある。」

「残りの300円は1人100円ずつ3人に返した」

「1人の支払は1000円マイナス100円で900円で
 3人で2700円」

「そしてこの手のひらに200円!」

「2700円足す200円は・・・?・・2900円・・?」

「あとの100円は何所へ消えた?!」

その時トイレ中に、去年亡くなった宿の亭主の声が響いた。

「ウラメシヤ~ その100円はワシが供養に貰っといた」


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毎日コラムのGJ  沖縄戦で散った本土出身県知事

2008-01-01 14:26:39 | 未分類

 

新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

平成20年1月1日

狼魔人

 

                     ◇

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去年はほぼ一年を通して沖縄のマスコミをにぎわせたのは、沖縄慶良間島の「集団自決」に絡む、高校歴史教科書検定問題、と「沖縄戦冤罪訴訟」だろう。

教科書問題と裁判問題は「集団自決」の「強制の有無」について左翼勢力が一貫して糾弾してしてきたのは「残虐非道な日本軍」 であり、天皇を中心とした「侵略国家日本」である。

このような左翼勢力の印象操作の結果、沖縄戦は日本対米国の戦いと言うより、「日本軍対沖縄住民の戦い」といったイメージの新聞見出しが何度も地元紙面のトップを飾った。

明治どころか昭和も遠くなってしまった現在、日本がアメリカと戦争をしたことさえ知らない若者が出てきているとも聞く。

彼らの沖縄戦に対する心象風景が「日本軍に侵略された沖縄住民を解放に来た米軍」といったイメージに成っていれば左翼勢力の心理作戦は一応の成果を上げたことになるのだろう。

ちなみに大田元県知事は「日本=侵略軍、アメリカ軍=解放軍」の歴史観で多くの沖縄戦史を著している。

以下に引用する大田前沖縄県知事の著書「沖縄の決断」の紹介文にこの左翼政治家の歴史観が凝縮されている。

まぎれもなく、沖縄はかつて日本国の植民地であった。

古くは薩摩の過酷な搾取に支配され、太平洋戦争で沖縄県民は軍務に活用され、やがて切り捨てられ、そして卑劣にも虐待された歴史がある。

その意味では、沖縄戦のあとに上陸してきたアメリカ軍は沖縄にとって解放軍のはずだった。≫
(大田昌秀著「沖縄の決断」朝日新聞社刊)http://www.kamiura.com/chuu18.htm

沖縄戦が「日本対沖縄の戦い」である以上、沖縄戦でマスコミに登場する本土出身は役人であれ、軍人であれ侵略国家の先兵として全て悪役でなければならないはずだ。

今朝の毎日新聞コラムが珍しく、沖縄戦当時の本土出身知事に賛辞を送っている。

そう、沖縄戦では多くの沖縄県民が犠牲になったのは事実だが、多くの本土出身者も犠牲になった。

全国から沖縄に集結した20数万人の日本兵の中には、不届きな行為に走るものもいただろう。

現在の平和な日本でさえ残虐非道の事件は連日後を絶えないではないか。

圧倒的物量に勝る米軍の上陸で日本兵がパニックになり、一部に不届きな行為が有ったからとしても、それで「残虐非道な日本軍」と断定することは出来ないはずだ。

戦前最後の沖縄県知事島田叡は兵庫県出身であった。

カレは1944年10月10日の沖縄空爆の後,沖縄が激戦地になることを承知しながら新しく沖縄に赴任した。

そして去年教科問題で大騒ぎした慶良間島「集団自決」のおよそ2ヶ月後の6月27日頃壮絶な戦死をしている。

島田知事の命日が27日頃、とあやふやなのはそれだけ米軍の「鉄の暴風」が壮絶を極めた証左である。

1951年、県民からの寄付により、島田知事をはじめ戦死した県職員の慰霊碑として、「島守の塔」が建立された。

島田知事と同じく県民に慕われる本土出身の軍人大田実中将のことは沖縄のマスコミはあまり取り上げない。

その点毎日新聞の下記コラムは元日を飾るに相応しいGJである。

                     ◇

正月の空の下で=玉木研二(論説室)


 1921(大正10)年正月6日、旧制一高対三高の野球試合が京都の三高校庭であった。延長十一回裏、三高二塁走者が短打で長駆生還、サヨナラの本塁を踏む。「一高三高野球戦史」という古い本に乱舞する応援団の写真がある。

 勝利の走者は中堅手の島田叡(あきら)、19歳。ラグビー選手でもあった。東京帝大から内務省に入り、戦争末期の45(昭和20)年正月、沖縄に官選知事として赴任する。

 沖縄が戦場になる気配が強まると、本土出身の官僚らは出張名目で島を離れた。44年末には前任の知事が上京したまま戻らず、別の県へ転任辞令を受けるという異常事が発生した。大阪府内政部長だった島田は後任を打診され、即諾する。周囲が心配すると「死にたくないから代わりに誰か行って死んでくれとは言えない」と語ったという。

 着任した島田新知事は食糧確保のため命がけで台湾に交渉に行くなど公務に走る。地上戦下でも部下たちと住民保護に腐心し、軍壊滅の南部で栃木出身の荒井退造警察部長と消息を絶った。元読売新聞記者、田村洋三氏の委曲を尽くしたノンフィクション「沖縄の島守-内務官僚かく戦えり」(中公文庫)に詳しい。

 沖縄戦の教科書記述で世論波立った昨今だからか、中央官庁の不始末が相次ぐ今だからか、島田知事や最後まで県民を裏切らなかった公職者たちの存在に思いがめぐる。

 そして思う。大正の正月の空の下、三塁をけり、本塁へ疾駆する一人の若者。その果敢な心持ちと24年後の正月に死地赴任を即諾した心持ちは同じに違いない。つまり、彼はスポーツマンだったのだ。

毎日新聞 発信箱 2008年1月1日 0時04分

                      ◇

そして思う。大正の正月の空の下、三塁をけり、本塁へ疾駆する一人の若者。その果敢な心持ちと24年後の正月に死地赴任を即諾した心持ちは同じに違いない。つまり、彼はスポーツマンだったのだ。

この最後のくだりには思わず涙がにじんだ。

沖縄マスコミが本土出身の官僚・軍人をいかに悪し様に言おうとも、沖縄県民は島田県知事への敬愛の気持ちを忘れてはいない。

沖縄県の高校野球で夏の県大会を制した高校に「島田杯」が授与されるが、これが野球を愛した島田知事に対する県民の敬慕の念の何よりの証拠である。

島田県知事は1945年1月31日沖縄に赴任し、同じ年の6月27日頃戦死している。

僅か半年足らずの短い期間、

いや、県政史上最短命の沖縄県知事であった。

 

【追記】1月2日 13:40

島田知事のことを県政史上最短命の県知事と書いたが、官選知事として任命されていながら一度も赴任しなかった沖縄県知事がいた。

ちなみに戦前は日本全国全て官選知事。

だが、この男は問題外でしょう。

<8代 小田切磐太郎 : 1916年(大正5年)4月28日 - 1916年(大正5年)5月4日(赴任せず) (ウィキより)>


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