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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

金武被弾事件一覧、 琉球新報記事

2009-05-06 02:04:46 | 金武町流弾事件

 

琉球新報掲載記事の保存資料

金武被弾事件一覧

米軍報告、発生日にずれ 伊芸被弾事件(2009.4.10)

金武・伊芸被弾事件 県警、米軍に書簡送る(2009.4.9)

米軍事件事故の情報入手で衆院外務委が仕組み構築へ(2009.4.7)

 聟(むこ)と舅(しゅうと)が互いの田の水を取ったとけんかに...(2009.4.7)

伊芸被弾 金武町議会が「無関係」報告に抗議決議へ(2009.4.4)

伊芸被弾事件「訓練と日時一致せず」 目撃者証言と矛盾も(2009.4.2)

訓練との関係否定 金武町被弾事件で海兵隊最終報告(2009.4.1)

 沖縄戦が終わった直後、金武湾には米艦船が停泊していた。その...(2009.3.27)

県議会本会議 予算案、原案通り可決(2009.3.26)

 沖縄戦が終わった直後、金武湾には米艦船が停泊していた。その...(2009.3.25)

伊芸・軍用地契約拒否 再三抗議も被害改善なし(2009.3.24)

軍用地契約拒否 命を守る住民の決意だ(2009.3.24)

「銃の特定難しい」 伊芸流弾事件で日高刑事部長(2009.3.23)

軍用地賃貸契約を拒否 金武町伊芸区(2009.3.23)

実弾訓練場撤去を 伊芸被弾事件(2009.3.4)

伊芸被弾区民大会 住民に二度と負担強いるな(2009.3.3)

 やんばるの沿道をピンク色に染めていた桜が、すっかり葉桜とな...(2009.3.3)

事件解明を要求 金武町伊芸被弾、区民ら400人決起(2009.3.2)

実弾演習の即時廃止を 金武町伊芸区で区民総決起大会(2009.3.1)

「訓練の弾」に疑義 メア氏、米軍発射を否定(2009.2.26)

1日に向け実行委 伊芸被弾区民大会(2009.2.20)

県警「立件は困難」 伊芸被弾事件(2009.2.19)

区民大会を開催へ 伊芸被弾事件で方針(2009.2.17)

ハンセン離着陸、空自幹部ら謝罪 伊芸区長「感情逆なで」(2009.2.13)

伊芸被弾事件 訓練以外なら何が原因か(2009.2.13)

「米軍の可能性極めて高い」 儀武剛金武町長(2009.2.12) 

「訓練と関係なし」 米海兵隊が結論(2009.2.12)

伊芸被弾 海兵隊「訓練と関係ない」(2009.2.11)

空自もハンセン使用 日米共同救難訓練(2009.2.11)

「流弾に注意!」 看板で危険訴え(2009.2.10)

金武町被弾 実弾演習廃止要求へ2009年2月7日

 

銃弾、米軍提供と一致 伊芸被弾事件2009年2月6日

【社説】伊芸被弾事件 良き隣人の誠意と挙証責任2009年2月7日

【金口木舌】米軍実弾演習の音を聞いたことがあるだろうか。2008年12月16日


【単眼複眼 】金武町伊芸被弾事件 「条件付き」で訓練中止要請/県、政府より慎重姿勢2008年12月17日

金武町被弾事件、県議会抗議決議へ 訓練中止など要求2008年12月18日

伊芸被弾で抗議決議 訓練中止、全容解明を2008年12月19日

住民の危険変わらず 伊芸被弾事件から1ヵ月l2009年1月14日

「バーン」破裂音 真後ろで白煙上がる2008年12月15日

米軍、訓練を強行 伊芸区民「無神経」と怒りl2008年12月16日

町議会が意見書可決 伊芸銃弾2発目l2008年12月22日

金武町被弾12.7ミリ弾の可能性 米軍M2重機関銃かl2008年12月18日

金武町伊芸被弾 区民、21日に銃弾捜索2008年12月19日

金武町被弾事件 伊芸に響く射撃音「今も怖い2008年12月17日

住民が一斉捜索 新たに“銃弾”見つける2008年12月22日

【電子号外】米軍流弾か 車直撃 民家駐車場、ナンバー破損2008年12月14日

金武町被弾1発目は「50口径弾」 米軍、所有物かは未特定2008年12月23日 
海兵隊「安全に配慮」 金武・流弾事件
2008年12月16日 

被害補償は国の責任 仲井真知事、「首相指示」に期待感2009年2月6日


 

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ゾンビの復活!県民大会の切り崩しに対抗

2009-05-05 08:08:14 | 教科書

 

 

県民大会の成果、巧妙に切り崩し 検定学習会で批判(2009.5.4) カメラ

2008年度教科書検定の矛盾点などについて学ぶ参加者=28日、那覇市の県南部合同庁舎

 9・29県民大会決議を実現させる会は28日、県南部合同庁舎で教科書検定制度の学習会を開き、高嶋伸欣琉球大学名誉教授が「『つくる会教科書』の検定結果と県民大会決議との関連」と題して講演した。
 高嶋名誉教授は沖縄戦での慶良間諸島への米軍上陸に触れていない自由社(東京)発行の教科書などが合格した08年度教科書検定について「文部科学省は新年度を10日も過ぎてから結果を発表した。『つくる会』とのなれあいの感がある」と指摘し「ずさんな検定によって県民大会で獲得したものを巧妙に切り崩そうとしている」と批判した。
 学習会には県こども会育成連絡協議会、県老人クラブ連合会など、県民大会を呼び掛けた6団体の関係者が出席した。講演終了後、6月23日の慰霊の日前にパレットくもじ前広場(那覇市)での街頭行動実施や文部科学省、出版社、執筆者に要請することなどを確認した。
 県こども会育成連絡協議会の玉寄哲永会長は「検定意見の撤回や検定の透明性確保など、要求したものはどれをとっても道半ば。粘り強く行動したい」と語った。

                   ◇

ウソも繰り返せば「真実」になるという絶好の例を、一昨年の「9・29県民大会」(「11万人」集会)は示してくれた。

そのウソの数字に時の総理大臣も、文科大臣も動揺を隠しえなかった。 沖縄中のテレビ・新聞が一斉にこれを報じそれを受けた朝日を筆頭にした全国紙が誇大に報じた結果、強烈な印象を政府首脳に与えた。

「教科書検定」や「集団自決訴訟」では「沖縄の島ぐるみ」で文科省や、原告側に反対の抗議をしているといいう印象だ。

更に詳しく述べると「集団自決訴訟は、被告側の大江健三郎・岩波書店vs梅澤氏と赤松氏の実弟」という対立から、「沖縄県民vs旧軍人」という対立であるかの印象だ。

その「9・29県民大会」の仕掛け人の一人でもある高嶋伸欣しが、琉球大学を定年になって、左翼活動も静かになったか思いきや、

琉球大学名誉教授という肩書きでゾンビのように甦り、県民の洗脳活動を続行中である。

ゾンビが言うには、彼らの運動の最大の成果ともいえる「県民大会」が切り崩されているという。

昨年の「県民大会」1周年記念の日には、再度決行するという話もあった。

1周年を報じる琉球新報。↓

あす県民大会から1年 教科書検定問題(2008.9.28)

あす県民大会から1年 教科書検定問題2008年9月28日 文部科学省の2006年度教科書検定の高校歴史で、沖縄戦「集団自決」の日本軍強制記述が削除・修正されたことを受けて開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(同実行委員会主催)から29日で満1年を迎える。
 
大会は11万6000人(主催者発表)が参加、復帰後最大の抗議集会となり、検定意見撤回を求める党派を超えた大きなうねりとなった。動きは県外にも広がり、各地の議会でも意見書採択などが相次いだ。
 大会後、教科書会社6社は日本軍の強制を明確にした記述を復活させる内容で、訂正申請し、すべて承認されたが、一方で政府は大会で求めた検定意見撤回にはいまだ応じていない。
 平和教育をすすめる会と6・9県民大会実行委員会は27日、那覇市の教育福祉会館で一周年記念集会を開催し、あらためて検定意見の撤回への取り組みを県民に呼び掛けた。

                   ◇

高嶋氏も定年になって暇も出来ただろうから、夢よ再びで「教科書検定意見に抗議する県民大会」を再度決行したらどうだろうか。 それも同じ会場の宜野湾海浜公園で。

それでこそゾンビの復活といえる。

同じ会場は鬼門だって?

なるほど、今度は全国から参加人員の検証に専門家が集結して「11万人」のウソがばれてしまうから。

ところが、いらん事をするヤツがいるもの。

沖縄平和運動センターが「県民大会」を同じ場所で行っていた。

同じ場所ではウソがばれるではないか。

たった4000人集まって、熱気むんむんの有様だもの。↓

4000人基地なき島訴え 5・15平和行進2008年5月19日

全国での平和運動展開を誓い「頑張ろう」と三唱する参加者=18日午後、宜野湾市の宜野湾海浜公園

 5・15平和行進最終日は18日、本島の各コースの参加者が最終地の宜野湾市の宜野湾海浜公園野外劇場に集結し「復帰36年 5・15平和とくらしを守る県民大会」(同実行委員会、沖縄平和運動センター主催)を開いた。
主催者によると平和行進への参加者は宮古、八重山コースも含め県内外から計約7千人、県民大会への参加者は約4千人だった。大会では米兵女子中学生暴行事件など米兵の凶悪犯罪が相次いでいることを受け、登壇者から「基地をなくしていこう」「米軍再編を許さない」などの声が上がった。大会宣言では日米地位協定の抜本的改定などを求めることを表明した。

 沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長が主催者あいさつし、「復帰36年を迎えたが米軍再編で沖縄の軍事基地はますます強化され、事件事故は後を絶たない。軍事基地の島から脱却し平和な島へ切り替えるための平和運動をつくっていかないといけない」と述べ、全国との連帯を訴えた。
 フォーラム平和・人権・環境の福山真劫事務局長は「平和行進を通して決意を固めたい。日米安保体制、米軍再編、憲法九条の改悪は絶対許さない」と決意を示した。開催地の伊波洋一宜野湾市長も登壇し「基地をなくすことを実現していくことを誓い合おう」と呼び掛けた。
 3月に北谷町で開かれた「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」の玉寄哲永実行委員長も駆け付け「政府には沖縄の声を読めと言いたい。沖縄の不満は基地問題、経済格差、教科書の歴史改ざんの3点セットだ。平和と人権を守り抜いていただきたい」と参加者へ訴えた。
 大会には韓国の労働者や芸能集団、歌手グループ21人も参加し、代表が壇上で発言した。
 大会宣言では、米軍再編や米軍基地のさらなる強化、拡大への反対の意志を示し、続発する米軍の凶悪犯罪を批判した上で「犯罪の温床となっている」として日米地位協定の抜本的改定を日米両政府に求めた。大会最後には全国で平和運動を展開することを誓い、参加者全員で「頑張ろう」と三唱して締めくくった。

                     ◇

同じ「県民大会」を同じ場所で、ほぼ同じ左翼集団が集結して気勢を上げた。

一方は5000人の参加人数で大盛況の上記写真。

そしてもう一つの「県民大会」は11万八千人だという。

実に23・6倍!

物理的に収容は不可能だろう。

11万人のトイレは? 

垂れ流しだったのかね

今後は宜野湾海浜公園で「県民大会」を開催する度ごとに、

「9・29県民大会」のウソが沖縄左翼運動の汚点として永久に語られるであろう。

さらに、「11万人」カウントの基数となった「十数年前の「米兵女子中学生暴行」に抗議する「県民大会」の8万5千人という動員数も怪しくなってくる。

ウソが次々露見してくる。

 

【追記】

「11万人」集会が行われた直後、沖縄在住の芥川賞作家、大城立裕氏は、

「異論を許さない雰囲気に危うさを感じる」と、

沖縄の言論空間の異常さを指摘していた。(2007年10月10日付「西日本新聞」)


 

 


「ハーバービューホテルの決闘」第八章

2009-05-04 07:01:44 | 未分類

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知事室を訪問した上原氏と屋宜具志頭村長ら一行が、知事から沖縄メモリアルは県独自でやるから上原氏は蝋人形資料館でも作れと言われて、憤然と知事室を後にした。

その後の上原氏らの行動を氏の著書から引用する。

屋宜村長は顔を高潮させて言った。「上原さん知事抜きで事を進めましょう」 4月16日、ぼくは記者会見で具志頭村に沖縄戦メモリアルを建立することを発表した。 メディアは大々的に取り上げた。 だが、敵は太田だけではなかった。 やがて知事が新聞とテレビでしゃあしゃと、「沖縄戦メモリアルは私の夢だった。 ぜひ、実現したい」と発表しはじめると、朝日新聞、沖縄タイムス、琉球新報などのメディアは太田の太鼓持ちを始めた。 5月末にには件の「平和の懇話会」が設置されたが、そのメンバーには1フィート運動でぼくが選んだ委員が入っていた。 さらには、沖縄戦メモリアルの委員である船越義彰も入っていた。 比屋根照夫はメモリアルの委員を止め、中立を宣言し、今では大田の御用学者になっている。 これではアイディアも中身も完全に盗作だ。 ぼくは91年、秋の県議会に知事の剽窃行為を止めさせよ、との陳情書を提出した。 10月29日、文教厚生委員会で2時間の聴聞会が開かれ、ぼくは1フィート運動の醜い内幕から今度の知事の盗作まで、怒りにまかせて暴露した。 最後に委員の一人から「太田知事を今、どう思うか」と質問があり、ぼくは率直に言った。 「太田知事は人間失格であり、ぼくは腹の底から軽蔑する」 知事就任1年足らず、知事の正体を知らない全委員は目を丸くした。 県議会でいかなる知事も1市民からこのような侮蔑の言葉を投げかけられたことはない。 ぼくは歴史的発表をしたわけだが、裸の王様の行列を見て、あっ、王様は裸だ」と言ったに過ぎない。 メディアは全て、この聴聞会を黙殺した。 その後、メディアに護られた県は盗作したメモリアルの名を、平和の壁→平和の石→平和モニュメント→平和の礎と、石ころのようコロコロ名を変え、92年9月13日の冒頭で述べた事件になったのである。 ぼくは又しても、沖縄戦メモリアル構想を乗っ取られてしまった。

ここで言う「92年9月13日の事件」と言うのが『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一)で紹介され、当エントリーのタイトルにもなっている「ハーバービューホテルの決闘」のことである。

著者の佐野氏は「1フィート運動」にからむ太田氏の別の顔を「小文字言葉」で紹介しているが、マスコミの隠蔽工作の結果なのか、毀誉褒貶の多い太田氏でも「平和の礎」の建立に関しては太田氏の功績と評価する向きは多い。

■ハーバービューホテルの決闘■

舞台を沖縄ハーバービューホテルに巻き戻す。

事件の詳細を上原氏はこう書いている。

事件は1992年9月13日、起きた。

戦後、戦犯容疑者東条英機の尋問を行い、その後、琉球政府の民政官を就めたフィアリー氏を歓迎するパーティがハーバービューホテルで催された。 もちろん、面識はなかったが、歴史の生き証人であるフィアリー元民政官に挨拶さえすればよかったのだ。 会場にはアメリカ総領事ら、多数の沖縄の「文化人」が集まっていた。 太田恵子夫人もいる。 恵子夫人はぽつんともの悲しげに立っていた。 苦労しているんだな、と思った。 沖縄の「文化人」は皆、ぼくと目をあわせるのを避けるように、ぼくから遠ざかる。 ぼくはフィアリー氏に挨拶するだけでよいのだが、皆が氏の周辺に集まっているので、その機会が来ない。
アメリカ公文書館で顔を合わせていた袖井教授とゾルゲ事件の宮城与徳の話をした。与徳が警察に全面自供したのは、情にほだされる沖縄人の弱さが原因だった。 恵子夫人と入れ違いに太田昌秀県知事が登場した。 上機嫌にフィアリー氏や総領事と話し、酒に手をつけた。 ぼくの存在に気がついた太田の秘書官桑高は顔色を変えて会場から出て行った。 何か、危険を察知したらしい

桑高秘書官が会場を逃げ出す前、上原氏が話をしていた袖井教授とは、戦後日米関係史を研究していた袖井袖井林二郎法政大学教授のことで、その年(92年)にUCLA日本研究所客員研究員になっている。 同教授は1975年には『マッカーサーの二千日』(1975年)で大宅壮一ノンフィクション賞及び毎日出版文化賞を受賞しているノンフィクションライターでもあるので上原氏とは同業のよしみで顔を合わす機会が多かったのだろう。
 
袖井教授はソ連のスパイだったゾルゲの子分で沖縄出身の画家宮城与徳に興味があったのか、与徳の絵を与徳の故郷名護市寄贈している。

袖井法政大名誉教授、宮城与徳の絵を名護博物館へ寄贈 2002年12月4日

 

 前回、上原氏が沖縄戦メモリアルの建立に県の協力を得るため知事室を訪問した様子を書いた。 

そのとき事前に屋宜村長ら同行者を外して「上原氏一人だけで会いたい」と上原氏に伝えたのは知事秘書官の桑高氏だが、

今回はパーティ会場に現れた上原氏の姿を見た瞬間「危険を察知した」のかいち早く顔色を変えて会場を出てしまう。

桑高氏が「危険を察知した」のは、何も上原氏が太田知事に危害を加えると感じたわけではない。 

もしそうなら、知事に身の危険を感じながら逃亡したことになり、秘書官として職務怠慢の誹りを受けても仕方がない。

日頃太田知事に接していて知事が酒乱の気があることを承知の桑高秘書は、太田知事が酒に手をつけたのを確認した後、そこへ上原氏が現れたのを見て、太田知事が酒乱で騒動を起こすだろうと察知し敵前逃亡したのだ。

そして桑高氏が察知したとおりの醜態を太田知事は演じるわけだから、さすがは秘書官、知事の行動は手に取るように想定済みだったわけだ。

それにしても太田氏は酒に手をつけた後はいつも分かりやすい行動をしていたのだろう。

太田知事の取り巻きには琉球大学関係の子分が多くいるが、秘書の桑高氏はこれら琉球大学とは縁のない出版業界からの秘書官抜擢だった。

桑高氏は、その名前からも分かるとおり本土出身(静岡県)で東京の出版社で美術書などを作っていたが、たまたま読んだ大田の論文に感動し手紙を書き、本土復帰翌年の73年、沖縄へ移住したという。

そこで大田氏の紹介で那覇出版社に入り、同社での初仕事が琉球新報に連載された『これが沖縄戦だ』の出版だった。

沖縄で文筆で生活する者は地元二紙に擦り寄った論調でなければ、生きていけないし、地元出版社も二紙の息の掛かった会社がほとんどだと書いた。

太田氏著の出版物の中でも最大のベストセラーである『これが沖縄戦』も琉球新報に連載した記事でも、単行本にする場合は、出版元は琉球新報社で、発売元は那覇出版社にするくらいだから出版社も新聞社には逆らえない。

1090年、大田氏が知事選に立候補したとき、数多くの出版で太田氏に儲けさせてもらった那覇出版社は、選挙違反ギリギリの作戦で太田氏を応援した。 

那覇出版社長の多和田真重氏は、太田昌秀著『これが沖縄戦だ』を地元紙に広告を出したのだが、目的は本の拡販というより太田氏の名を告知することだった。

書名よりずっと大きな文字で大田氏の名前を広告したのだ。

「選挙応援だ」とクレームがついたが、社長は儲けさせてもたった恩返しのつもりだったという。

桑高氏は太田氏の子分として県知事秘書から国会議員秘書とかわるが、その辺りの経緯を朝日新聞記事から引用する。

 <大田知事が誕生して、桑高も県庁に入る。2期8年つとめた大田が98年の選挙に負けたあと、閑職に回された。01年、大田が参院議員になると、その秘書になる。昨年、大田の政界引退とともに那覇出版社にもどってきた。

 「大田さんのおかげで、予想もしなかった人生になりました」。ひさしぶりの古巣で何をするのか。「『沖縄戦事典』と『大田昌秀全集』を出すこと。これをやりきれば、私が沖縄に来て34年の意味もあるかな」

 大田はいま沖縄戦史の決定版とするべく、本を書いている。東京から出せば広く読まれるだろう。だが、地元から出したいという気持ちもつよい。

 「鉄の暴風」といわれた米軍の猛攻に追われ、人々が命を絶った摩文仁の丘は鎮魂の地である。「そこで『これが沖縄戦だ』を売っているおばあさんがいるんですよ。そういう人たちの暮らしを応援できるというのは、本を出す者の冥利なんです」

桑高氏が「大田さんのおかげで、予想もしなかった人生になりました」と述懐するように、太田氏の周辺には沖縄の「識者」と称する人々や、利益配分にあずかる出版関係者が集まる。

太田氏の出版で利益を受けた那覇出版社が扱った太田昌秀著の出版物を拾うとこのようになる。

那覇出版の太田昌秀著作本

・『写真記録 これが沖縄戦だ』 1,785円(本体価格1,700円)

・『This was The BATTLE of OKINAWA』1,575円(本体価格1,500円)

・「沖縄論集見える昭和と『見えない昭和』」3,864円(本体価格3,680円)

・「戦後沖縄写真集 0からの時代」1,998円(本体価格1,893円)

・「鉄血勤皇師範隊/少年たちの沖縄戦 血であがなったもの」998円(本体価格950円)

・「戦争と子ども~父から戦争を知らない子どもたちへ~」1,575円(本体価格1,500円)

 

太田氏の秘書官に過ぎない桑原氏や那覇出版社の多和田社長をことさら本稿で取り上げたのは、沖縄で文筆で生きていこうと思う者は沖縄二紙や地元出版社と何らかの関係を保ち、なおかつ「タイムス史観」に恭順を示しておかなければ生きていけないし、彼等は相互に利益共有で繋がっているという例を示したかったからである。

随分回り道をした。

だが次回はいよいよこのシリーズのクライマックス。

太田氏と上原氏の沖縄ハーバービューホテルの宴会場での乱闘劇の詳細に話は及ぶ。

続く

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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あばかれた「神話」の正体
鴨野 守
祥伝社

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田母神氏らが憲法で論争  田母神氏沖縄講演会のお知らせ

2009-05-03 07:28:32 | 未分類

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田母神氏らが憲法で論争 大分でタウンミーティング
2009.5.2 19:30
  日本青年会議所主催の「憲法タウンミーティング」が2日、大分市内で開かれ、政府見解と異なる歴史認識の論文を発表し更迭された田母神俊雄前航空幕僚長と、軍事ジャーナリストの前田哲男氏が改憲、護憲の立場で意見をぶつけ合った。

 約400人の聴衆を前に、田母神氏は「今の憲法は自分で自分の国を守れない『永久子ども憲法』だ」と指摘し、憲法9条2項に関し「陸海空軍その他の戦力はこれを保持すると変えればいい」と主張。前田氏は「9条がなければ日本はとっくに戦争に参加させられていた」と反論し、軍事力に頼らない安全保障体制の構築を訴えた。

 北朝鮮によるミサイル発射への対応については、田母神氏が「1発撃たれたら3発撃ち返す態勢を取ること。それが抑止になる」と持論を展開。これに対して、前田氏は「軍事的に防ぐよりも外交的に防ぐ方が簡単で、経済的にも安上がりだ」と強調した。

                                          

このように前自衛隊の最高幹部が憲法問題について反対派の論客と公開で討論会をするなんて数年前まで考えられないことであった。

これは一昨年、安倍内閣時に成立した国民投票法の波及効果だと思われる。

同法の成立により、法律の公布から3年となる来年5月から、憲法改正の原案を国会に提出できると定めており、手続きのうえでは憲法改正に向けた環境が整うことになっている。

ところが、今朝の沖縄タイムスを見る限り、沖縄では憲法改正は口にするだけでも恐ろしい戦争の道であるかのような紙面構成になっている。

大分県で田母神さんと反対派の論客前田氏の憲法討論会が開かれたということは我が沖縄とは別世界のような感さえする。

ちなみに田母神さんの相手になった軍事ジャーナリスト前田哲男氏は沖縄タイムスでも「識者」として頻繁に登場し、左翼思想をばら撒いている。

ついでに言うと、沖縄の大学が食い詰め左翼の巣窟であるとはよく言われるが、前田哲男氏も沖縄大学の客員教授を勤めているらしい。

田母神さんは講演会、討論会と全国で引く手あまたで、沖縄でも5月に講演会を開催と今年の初め頃から予定が入っていた。

ところが3月に入った頃から主催者側に横槍が入り、実行委員長の辞退とか不確定要素が絡んで、一時中止するとの事態に陥った。

横槍の主な理由は、沖縄の特殊性と「県民感情」を考えれば、沖縄で田母神さんの講演会をするのは「県民感情を逆なでする」といった類の手垢に染まった「左翼のお題目」である。

ならばこそ是非沖縄で講演会を成功させたいという有志の気迫が今回の実施決定にこぎつけた。

田母神さんの講演会をアノJANJANの記者が聴講し、次のような感想を述べている。 田母神さん恐るべし。

JANJAN記者は当初、このような先入観で講演会に望んだ。

「靖国派」が結集すると思われた九段会館での「主権回復記念国民集会」にこわごわ参加してみた。時の人・田母神俊雄前航空幕僚長の話を聴くと、歴史観の問題を措いて、納得できる部分もあった。国防、平和、外交などを、タブーを取り払っていま堂々と議論すべきだ。それが田母神氏登場の「けがの功名」だと思う。>

そして講演会を終えてこのような感想で記事の最後を結んでいる。

<しかし、こんな議論をすることさえも、戦後の日本ではタブー視された。占領軍による洗脳も要因としてあるかもしれないが、我々自身が、現実を真正面からみて考えてこなかったことに最大の要因がある。関心も払わず人ごとだと思い、現場の人々に責務を押しつけてきたことのツケが、いま田母神氏の登場で表面化したのだ。

 田母神氏を忌み嫌うのではなく、納得できる部分には耳を傾け、国防、平和、外交などを、タブーを取り払って堂々と議論してみてはどうだろう。もちろんのこと、ネックになっている歴史に関しては、本気になって、中立的な事実を確認・検証し、過去の過ちからは訣別すべきである。

 まさに、「潮目は来た」。筆者は、日本を愛する日本国民として、田母神氏の「けがの功名」には大いに感謝している。>

 

更に詳しく読みたい方はここ。

田母神演説で思う 国防・外交を議論すべきだ 2009/04/29 12P
「憲法 」のついでにこの方のおバカの「九条論」も。

九条教も、病が昂じると「九条護=集団死」と言う恍惚の境地にまで至る。

【動画】九条教・森永卓郎氏の発言http://www.youtube.com/v/1nh1sTqXoAM


森永  「日本は憲法9条という
     非常に美しい条文を守ってきたんですよ、
     仮に、仮にですよとんでもない奴が攻めてきたら、
     憲法9条守ってみんな黙って殺されちゃえばいい。
     で、過去にそんな良い民族が居たって
     思われれば良いじゃないですか。」

写真
森永卓郎

                    ◆

 

     前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

 

「大東亜戦争が終わりを告げてから、60年以上もの歳月が流れました。戦争によって犠牲となられた方々に、あらためて哀悼の意を表します。同時に、戦死された方々のおかげで私たちの今日があることに深く感謝の意を表します。
沖縄を含め日本は戦後、人類が歴史上経験したことのない占領政策を受けました。戦争に負けた日本は、自分たちの歴史観を奪われ、戦勝国の歴史を強制的に押し付けられてしまいました。自虐史観に基づいた日本の歴史教育は、国民から自信と希望を失わせていくものでしかありません。日本は、かつて戦勝国から奪われた歴史観を取り戻し、かつて我が国がもっていた誇りを取り戻すべきです。」
(『田母神塾-これが誇りある日本の教科書だ』(双葉社)より抜粋)

                    *

昨年10月、民間の懸賞論文へ応募した作品が日本の過去の侵略行為を正当化する内容で政府見解と対立するものであったとして航空幕僚長を更迭され、空将として定年退職した田母神俊雄氏がいよいよ沖縄にやってきます。論文の意図したものは何だったのか。今、日本にとって何が必要なのか。将来の日本と日本人はどうあるべきなのか。前航空幕僚長の田母神俊雄氏が沖縄県民の皆様に直接語りかけます。
ご多忙とは存じますが、県民の皆様方には万障お繰り合わせの上、多数ご参加くださいますようお願い申し上げます。          

演 題 『日本は本当に侵略国家だったのか』
    ~日本の歴史をもう一度見直そう~
【日 時】平成21年5月30日(土)        
              午前11時30分受付 正午開会~午後2時閉会
【会 場】パシフィックホテル沖縄 万座の間
                   那覇市西3丁目6番1号  電話 098(868)5162
【会 費】1000円
【主 催】田母神俊雄講演会を歓迎する沖縄実行委員会 
【連絡先】沖縄実行委員会 担当 錦古里
              電話:090-9780-7272  FAX:098 (868) 3037

 

★懇親会(14:30~16:30)

講師を囲んで食事を含めた懇親会を行います。
お時間の許す限り、お気軽にご参加ください。

【会場】 パシフィックホテル沖縄

【会費】 5000円 (70名限定)

田母神塾―これが誇りある日本の教科書だ
田母神 俊雄
双葉社

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組合教師の狂育の成果!「もし9条が改正されたら」

2009-05-02 18:18:10 | 未分類

 

沖縄の組合狂師の狂育の成果が、このような「おバカなニュース (975)」です。

                  ◆

 

「もし9条が改正されたら」―「ケンカで銃を持ち出したり、「軍」が経済的弱者に入隊を勧める」…高校生ら、9条改正後の日常を寸劇で警告

1 名前: シュロ(大阪府):2009/04/29(水) 10:40:22.10 ID:Mkluz33C ?PLT
【南風原】「もし9条が改正されたら」―。町内の高校生らを中心に、日ごろから平和活動などに取り組む「はえばるYouth(ユース)」が5月3日、憲法9条をテーマにした寸劇を上演する。憲法改正が議論される中、9条が変わったら現実はどうなるのか。平和憲法に関心を持ってもらいたいと、若者たちが練習に励む。

約15分の寸劇は、はえばる九条の会(金城義夫会長)が毎年憲法記念日に開いている講演会で上演される。金城会長は「憲法が改正されようとしている今、子どもたちが主体的に考えていることがうれしい」と期待する。

劇は、ある日突然、9条が改正されたことを伝えるニュースから始まる。けんかで銃を持ち出したり、「軍」が経済的弱者に入隊を進めるなど、改正後の日常を極端に描く。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-04-29-M_1-018-1_001.html

銃を抜く役を演じる渡久地豪さん(沖国大1年)は「改正後の様子は極端な話。銃を人に向けるなんて怖くてあり得ないが、もしそれが当たり前の状況になったら自分自身『銃を向ける恐怖』がなくなると思う。それが怖い」。

監督の吉永幸華さん(知念高2年)は「憲法の改正で何がどう変わるのか。賛成、反対ではなく、少しでも考えるきっかけになってほしい」と上演の意義を話す。

代表の福広太郎さん(琉大1年)は「平和憲法を日本から世界に発信したい。堅いイメージがある講演会だが寸劇を通し若い人たちに興味を持ってほしい」と来場を呼び掛けた。

講演会は3日午後6時から町中央公民館で開かれる。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-04-29-M_1-018-1_001.html


2 : シュロ(関西地方):2009/04/29(水) 10:41:07.31 ID:ZdF0A07/
銃刀法はどこいった?

5 : ハハコグサ(茨城県):2009/04/29(水) 10:41:55.23 ID:35/jxyzZ
後者は悪い話じゃないだろ

7 : ヒメシャガ(長野県):2009/04/29(水) 10:42:29.77 ID:dSfHLm2P
頭が悪すぎて吐き気がする('A`)

8 : フモトスミレ(コネチカット州):2009/04/29(水) 10:42:32.93 ID:w8qvCN0K
いつの間にか銃刀法はなくなってたのか

12 : カタクリ(滋賀県):2009/04/29(水) 10:43:12.48 ID:d4pdLhMv
あれ、それって今よりいいことなんじゃねーの?
ニートが減るってことだろ

17 : ジンチョウゲ(新潟県):2009/04/29(水) 10:43:29.47 ID:S8kRPum5
>極端に描く。

ワロタ

19 : ヒュウガミズキ(愛知県):2009/04/29(水) 10:43:54.33 ID:yBuZafMd
9条教徒の皆さん、相変わらず絶好調っすね!

20 : マツバウンラン(大阪府):2009/04/29(水) 10:43:56.94 ID:YrMW2T9J
9条が変わらなかったらどうなるのか
もしないと不公平だよね。

27 : スィートアリッサム(関東・甲信越):2009/04/29(水) 10:44:35.40 ID:vSyG9j5u
9条しか読んだことないのかよw

31 : オウレン(秋田県):2009/04/29(水) 10:44:53.06 ID:3m4909Uv
9条が無い日本以外の国はみんなそうなの?

33 : ナノハナ(catv?):2009/04/29(水) 10:45:04.58 ID:MiFaJ0NH
憲法9条と銃刀法による銃所持規制は別問題だろJK
あと経済的弱者の入隊も徴兵制じゃないんだから結局本人の意志の問題じゃねーか

34 : ポレオニウム・ボレアレ(神奈川県):2009/04/29(水) 10:45:07.80 ID:48vAH8Yf
極端に演じてもそうはならんわ

37 : セントランサス(東京都):2009/04/29(水) 10:45:12.39 ID:96AQ8QyI
脚本・演出:日教組

40 : チューリップ(千葉県):2009/04/29(水) 10:45:33.20 ID:iEW1zr8h
チョンもそうだけど、捏造寸劇大好きだよな

42 : カラタネオガタマ(埼玉県):2009/04/29(水) 10:45:45.85 ID:bIkrknHb
>改正後の日常を極端に描く。

極論にはしって失笑かうやりかたて何なんだよ・・・

46 : プリムラ・インボルクラータ(アラバマ州):2009/04/29(水) 10:46:22.90 ID:WO4NWCqa
景気悪化で職の無い高卒とか派遣切りされた人達を雇ってあげるならいいことだろ
9条信者はこういう人達に職を与えてあげましたか?

47 : ウシハコベ(鹿児島県):2009/04/29(水) 10:46:22.63 ID:57HD0IGk
>けんかで銃を持ち出したり

あれ?9条関係なくね?

49 : ミツバツツジ(catv?):2009/04/29(水) 10:46:41.85 ID:R3+BY39t
極論で理論展開しても納得させらないよな

52 : レブンコザクラ(長崎県):2009/04/29(水) 10:47:39.44 ID:5IcR0FD/
9条が改正されたら銃刀法違法がなくなるわけじゃないだろうに

54 : ムラサキハナナ(三重県):2009/04/29(水) 10:47:48.08 ID:M7vht8s6
喧嘩で銃を持ち出す
って、その銃はどこから持ち出してくるんだよ

57 : ボケ(栃木県):2009/04/29(水) 10:47:55.14 ID:bcfD+G+3
9条改正=銃刀法改正
この考えはなかったwww

60 : プリムラ・インボルクラータ(アラバマ州):2009/04/29(水) 10:48:12.22 ID:WO4NWCqa
憲法9条と銃刀法の区別が出来ないバカが語る改正反対ほど滑稽なものはない

63 : ハマナス(神奈川県):2009/04/29(水) 10:48:46.69 ID:ChR4g/PR
あーそれで生活が保障されるなら入隊もいいかもねぇ

64 : ボケ(アラバマ州):2009/04/29(水) 10:49:04.01 ID:+HgK3u3C
こういうのに参加する高校生ってバカなの?

86 : ボケ(栃木県):2009/04/29(水) 10:54:15.44 ID:bcfD+G+3
>>64
左よりの先生からはいい内申が貰えるんだし
推薦狙ってる生徒なら何もしないでいるよりはいいじゃないの?

67 : 水芭蕉(兵庫県):2009/04/29(水) 10:49:52.17 ID:KJleFrhT
9条信者の被害妄想は相変わらず酷いな

69 : プリムラ・インボルクラータ(アラバマ州):2009/04/29(水) 10:50:03.73 ID:WO4NWCqa
一方、9条があるのにヤクザは抗争で銃を使った

72 : アッツザクラ(東京都):2009/04/29(水) 10:50:18.53 ID:D8PN3PHB
左翼の人って極論ばっかり言うから、一般人や大学生はドン引きしちゃうんだよね・・・

73 : キソケイ(アラバマ州):2009/04/29(水) 10:51:18.42 ID:t4ZpVh4E
極端過ぎるというかまったく別問題だろ銃規制はw

75 : ジシバリ(コネチカット州):2009/04/29(水) 10:51:43.11 ID:Xz6solcT
高校生以下に際どいことを教えちゃいかん

79 : ミゾコウジュミチノクコザクラ(宮城県):2009/04/29(水) 10:52:33.44 ID:on6i4/oY
もう少しマシなのはいないのか。
キチガイばっかりや。

どいつもこいつも

9条改正→戦争への道~

みたいのばっか


 






 

 

 

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国旗国歌反対、高教組が指導 学校行事より県民大会優先

2009-05-02 07:00:06 | 未分類

 

大型書店が続々と沖縄で開店し、いずれも売り上げ好調だと聞く。

これを見て、沖縄の活字離れはないと安堵して、県民の新聞離れはないと楽観論をぶつ新聞もある。

だが最後には、書いたご本人が「楽観論か?」と認めるのはご愛嬌。

さほど沖縄の読者の新聞離れは激しい。 

沖縄タイムスコラム  [大弦小弦]2009年04月29日
 ジュンク堂那覇店がオープンした。その3日前にはとまりんに宮脇書店が復活した。併せて大型書店時代の幕開けである▼両店とも開店早々に訪ねてみた。レジに列をなす人。買い物かごを抱えて大量に買い込む人。ここは本屋なのかと疑う光景に驚きを隠せない。街に人の流れを呼び込むあたりを見るとこれはもう一種の社会現象といえるのではないか▼特徴は何といっても品ぞろえの豊富さ。書架の脇にしつらえられた腰掛けで本を読む風景を見ると図書館と勘違いする。それ以上に便利かもしれない。ほしい物が必ずあるという期待感がある▼肩が触れ合うほどの人の波のなかでつくづく考えた。沖縄にもまだまだ購買力はあったのだと。同時に潜在的な消費力を掘り起こす企業戦略のすごさを見るし、感心させられる。ネット販売に飽き足らない消費者の心理を突いている▼市民みんなが記者―をキャッチコピーに展開されてきたオーマイニュース(後にオーマイライフに改称)が24日で閉鎖された。翌日確かめたうえで「お気に入り」から削除した。そこで思った▼ネットの普及で新聞離れが懸念される一方でネット新聞が消える。書店で実際に手に取らないと安心できない消費者。バーチャル信仰に待ったがかかっているのではないか。楽観的すぎるだろうか。(真久田巧)

                     ◇

オーマイニュースが消えたからって、「バーチャル信仰に待ったがかかっているのではないか」だって?

何をおっしゃるウサギさん。

自分でツッコムまでもなく楽観過ぎに決まっている。

読者の新聞離れに、歯止めをかける手段はただ一つ。

読者にウソをつかずに、真実を報道することにつきる。

沖縄タイムスも「大文字言葉」の記事だけ書かずに、

たまには沖縄の実情を伝える「小文字記事」のこんな(以下に引用)報道をすれば読者の活字離れに少しは歯止めがかかると思うがね。

特に沖縄の新聞は教育界の実情を報道しようとしない。

地元新聞が決して伝えない沖縄の教育事情を、本土新聞の「世界日報」が鋭くえぐってくれている。

沖縄の教育界が自浄努力をすれば沖縄は変わる。

新聞がウソの報道を止めれば読者の新聞離れも止まる。

[世界日報・連載】「組合教師」の特権 こうして学力は低下した 沖縄編<8>

平和教育徹底の沖教組 学校行事より県民大会優先 09.4.30  

 大多数の県民が自虐史観を支持しているかのように見せた9・29県民大会 
 二〇〇七年九月二十九日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開催された。主催者は参加者数を十一万人と発表したが、地元紙に掲載された大会写真から「参加者は一万五千人からせいぜい二万人」との指摘がある左翼系団体中心の“大集会”である。
 沖縄県では、大会の模様はNHK教育テレビを除く地上波全局で生中継された。

 主な呼び掛け人は、沖縄県教職員組合(沖教組)と沖縄県高等学校・障害児学校教職員組合(高教組)だった。現役の教職員のみならず、ある教員経験者が「大会の参加と動員を依頼された」と話すように、元教職員にも総動員がかかった。

 公立学校の全生徒にチラシが配布され、高野連主催の野球大会など、スポーツ大会が軒並み延期された。当日に振り替えの授業が組まれていたが、大会の参加を優先するという理由で、授業を半日に短縮された学校もあれば、クラスそろって県民大会に結集したケースもあった。

 この県民大会に見られるように、数を誇張してまで、沖縄で反戦自虐史観のスローガンが盛り上げられるのはなぜか。

 その原点となっているのは、沖教組結成の精神にある。沖教組発行の『沖教組十年史』の中に基本的考え方が明確に書かれている。

 『十年史』は、沖縄県民が、先の大戦で多大な犠牲を被り、戦場で直接戦闘に巻き込まれたとし、さらに「県民を守るはずの日本軍でさえ、人民の生命と安全を守るものではないということを身をもって体験した」と主張。

 その上で、「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンの下、教育研究集会で平和教育の特設授業の必要性を訴えている。

 その平和教育の特設授業を行う日は、「教師や児童・生徒にとどまらず、父母・県民あげて、戦争と平和、沖縄戦と沖縄基地等平和について考える日」と規定。学校を超えて全県的な運動にしようという考えだ。

 沖教組が、反戦平和教育の特設授業の実施を奨励している日は、次の五つの記念日だ。

 まずは、一九五二年四月二十八日の「対日平和条約発効の日」と六九年同日の「祖国復帰要求県民総決起大会が行われた日」。復帰後は、それを五月十五日の「施政権返還の日」に置き換え、「米軍基地や自衛隊の配置や演習、訓練の実態や基地公害や米軍犯罪の与える県民生活への影響はどうなっているのかを問う」(『十年史』)としている

 二つ目は、六月二十三日の沖縄戦が終結した「慰霊の日」。「沖縄戦を通じて、沖縄県に対する差別意識、日本軍による残虐行為、集団自決の強要、スパイ嫌疑による虐殺、食糧の強奪の実態を学ぶ。沖縄戦の結果である自衛隊は『アジア侵略の基地、軍国主義につながる』ものと認識させる」のが狙い。

 また、五月三日の「憲法記念日」では、日本国憲法に照らし合わせながら自衛隊を批判。二月十一日の「建国記念の日」では天皇制によって沖縄が差別されたことを強調している。

 さらに、十月二十一日の「国際反戦デー」では「日米が協力して軍事基地の強化維持をはかっている」ことを周知させる。

 具体的には、(1)生徒会活動としての講習会、討論集会、意見発表、映写会、展示会(2)学校行事の中での社会見学、修学旅行での平和集会(3)学習活動としての戦跡、基地の調査(4)ビデオ、放送劇などの制作――の形で実施されている。

 公立学校の児童・生徒は、一年を通じて満遍なく反日教育を受けているのだ。

(豊田 剛)

                       ◇

沖縄の新聞は今でも「11万人」のウソを認めていない。

当時、「県民大会実行委員会」に電話で「11万人」のカウント方法を問い合わせた人がいた。

当事者の実行委員側の答えは10数年前の「米兵年前の暴行事件に抗議する県民大会の時が8万5千人だったから、それ以上なので11万人くらいだろう」といったいい加減なものだった。

今から考えれば、その8万5千人だっていい加減なもの。

だが、当時はまだネットが今ほど普及しておらず、「11万人」のように検証に晒されることはなかった。

そのずさんな「8万5千人」をカウントベースにした「11万人」がいかにデタラメな数字であるかは今さら言うまでもない。

一昨年の「11万人」集会を筆頭に沖縄紙が犯した数々の捏造報道を清算しない限り、県民の新聞離れは益々加速する。

 

 国旗国歌反対、高教組が指導 復帰前は歓迎された日の丸 09.5.1

 沖教組は、沖縄の施政権返還を目前にした一九七一年九月三十日に結成された。その前身として沖縄県教職員会(五二年設立)があった。復帰運動では、方向性や思想の違いこそあれども、沖縄全県で日の丸が揺れていた

 戦後、米国統治下の沖縄では組合運動は権利獲得という大義名分があった。日の丸を掲げ、国歌を歌いながら祖国復帰を目指した。

 元自民党沖縄県連会長の西田健次郎氏によると、校長ら管理職も包含した沖縄教職員会が中核となった沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)は六〇年の発足当初、「純粋な民族運動であり、自民党県連も参加していた」。

 しかし、二度にわたる安保闘争やベトナム戦争の激化による嘉手納基地からの米軍出動への反発を利用し、七〇年代初頭からは、本土の左翼活動家らが沖縄に影響を与えるようになった。

 このため、労働組合は左翼による政治活動の場に変わった。復帰協などの政治活動は沖教組を中心に再編成され、復帰協も新左翼運動と化した経緯がある。

 その結果、日の丸・君が代は「愛国のシンボル」から「抵抗のシンボル」にすり替えられた。

 沖縄県高教組は「『日の丸・君が代』をどう教えるか」という指導試案・資料集を発行。那覇市の高教組資料室で閲覧できる。

 その冒頭で、「『日の丸・君が代』を『国旗・国歌』とする法的根拠はありません。また、国内では『国民一般に何らの行為も義務づけていない』」とし、「にもかかわらず、教師と生徒には、学習指導要領によって卒業式や入学式で『国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱する』ことが強制され、『起立』することが強要されています」と指摘している。

 しかし、平成十年度の「新学習指導要領」を見ると、中・高で「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導する」とあり、「義務付け」「強要」「押し付け」という表現は適切ではない。

 また、指導試案・資料集は、「日の丸・君が代」カリキュラム案として、一年生には、日の丸・君が代は軍国主義教育・皇民化政策のシンボルであり、法的根拠がないと教える。二年生にはアジア侵略に日の丸・君が代が果たした役割を教えるよう指導、
三年生には個人の思想・信条の自由など司法の観点で教育指導している。

 また、「スポーツ大会は『国』の争いではない」とし、「国家自慢は危険な現象だ」などと教えるよう奨励している。サッカーW杯で日の丸が揺れるのを「危険」というのだ。

 三月になると、沖縄では国旗国歌問題がしばしば取り沙汰される。元教員によると、沖教組が二月ごろ、卒業式での国旗国歌に反対する陳情書を、形式的ながらも必ずといってよいほど提出するからだ。

 石垣市の元小学校教員の宮里ルリ子さんは、六〇年代後半から八〇年代中ごろまで、音楽の時間で「国歌、祭りの歌、『菊』という文字が入った歌は愛国心を象徴するものとして嫌われ、歌わせられなかった」と言う。

 また、道徳の時間では「『犠牲の精神を教えたら戦争になる。自分が生きることをまず考えるように』と教えていた」と述懐する。

 沖縄県では未成年者の飲酒、および、深夜徘徊が全国で突出して高く、高校進学率は全国で最も低い。こうした秩序の乱れや教育のレベル低下の背後に反「国旗国歌」思想が影響していることは否めない。

(豊田 剛)

                    ◇

沖縄では校内で先生や父兄が酒盛りをするのを「文化だから仕方ない」という教育委員長がいたり、

学力全国最下位を自助努力せずに、全国第一位の秋田県の先生を派遣してもらってお茶を濁すという責任転嫁の教育風土がある。

<沖縄県では未成年者の飲酒、および、深夜徘徊が全国で突出して高く、高校進学率は全国で最も低い。こうした秩序の乱れや教育のレベル低下の背後に反「国旗国歌」思想が影響していることは否めない。>

上記記事が指摘するように沖縄の教師が教師本来の仕事を忘れ、イデオロギー塗れの政治活動を続ける限り、沖縄の教育は救われない。

 

 






 

 

 

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「ハーバービューホテルの決闘」第七章 メディアの驕りが雲仙・普賢岳災害をもたらした

2009-05-01 07:15:36 | 未分類

 

 






 

 

 

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■豚インフルエンザが日本に上陸!
・・・・・メディアの驕りが雲仙・普賢岳災害をもたらした■

作家の五木寛之さんが一時休筆して仏教を勉強するため京都の龍谷大学へ通っていたときの話をラジオで聞いた。

下駄を鳴らして街を闊歩して学生気分を味わったそうだ。 作家としてではなく一般市民の目線で見ると理不尽なことも多く体験したが、そんな時、「書いてやるぞ(告発するぞ)」といった筆を持つ者の「メディアの権力」みたいなものが頭をもたげて、反省したという。

流行作家の五木さんにして然りなので、報道に携わるマスコミがどれだけ「メディアの驕り」を持っているか想像に難くはない。

カメラを持つと怖いもの知らずになると誇らしげに語る報道カメラマンをよく見る。

「メディアの権力」を抱えたカメラマンにはさすがの暴力団も一瞬ひるむという。

だが、豚インフルエンザはカメラにひるむことなく、近づくものに襲い掛かる。

メキシコで取材する日本のマスコミは一部の大手を除いて殆ど撤退したと聞く。

功名心に駆られて豚インフルエンザの発生国にノコノコ出かけて罹患患者をカメラで激写とか、あるいは感染国を巡礼して「特報!豚インフルエンザ現地情報」なんてバカなことで、行ったり来たりは止めて欲しい。

ビールスの伝播に協力するバカマスコミは麻薬患者並に、再入国を禁止すべきだろう。

 

マスコミは「メデイアの驕り」が多くの被害者を出した「雲仙・普賢岳の悲劇」を忘れるべきではない。

「メディアの特権」も自然の猛威には無力であるあることをを示す好例が雲仙・普賢岳災害だ。

古いエントリーだが、毎日継続的アクセスがあり、毎年特にこの時期になるとアクセスが増えるのがこのエントリー。

マスコミが報じない「雲仙・普賢岳噴火災害の真相」

危険な火砕流で立ち入り禁止になった地域に「メディアの驕り」でバカマスコミが多数踏み込んだ。

バカを救出するため多くの消防団員、警察官それに民間人が尊い命を犠牲にしたことを忘れるべきではない。

                  ◆

 

■「ハーバービューホテルの決闘」第七章■

那覇市内の最高級ホテルで行われた沖縄の「識者」たちが集う大宴会場で大乱闘を演じた二人の怪人がいた。 

そのうちの一人、それも先制攻撃をかけた側の人物が、元琉球大学教授の現役県知事であり、そして後には参議院議員となる沖縄の「識者」だったことに驚き、そして同時に大爆笑してしまった。

その乱闘の原因を追っていたら、止め処もなく話は脱線していく。

さて、乱闘の原因の最大の理由である沖縄メモリアル構想に話を戻そう。

世界各国に戦没者を顕彰する慰霊の碑があるが、例えばベトナム・メモリアルはベトナム戦で戦死したアメリカ兵だけを刻んだ碑であり、ベトナム戦の生き残りが建立したもの。 

そこには米兵の戦没者より多いはずのベトナム兵やベトナム住民の戦没者の名は刻まれていない。

ところが、上原氏が構想する沖縄戦メモリアルは、敵も味方ない「すべての戦没者」、つまり沖縄戦でなくなった沖縄住民、日本兵、アメリカ兵、そのすべてを集め、1995年の沖縄戦五十周年の年に巨大な碑にその名を刻むという前代未聞のものである。

問題は沖縄の住民の戦没者数であった。

上原氏は、沖縄県が発表している12万2000人という数字や太田昌秀氏が自著で発表している17万8000人という数字が、統計的にデタラメであることを自著『沖縄トップシークレット』(沖縄タイムス刊)で発表した。

上原氏は、実際の住民の戦没者数の調査は、各字単位で中学、高校、大学生など若者たちを中心に改めて調査する予定だった。 この調査を機会に沖縄の若者たちが戦争を知るようになるという副次的効果も期待した。

建立する場所には1990年秋、激戦地であった具志頭村(現・八重瀬町)が村有地を提供すると名乗り出てきた。

実は具志頭村の上原文一氏は「平和の壁」構想を既に県に提出していたのだが、戦没者の名を刻むという構想にかけていた。 しかも上原氏の構想は、戦没者と言っても、敵味方に関係なくすべての戦没者名を刻名するという世界でも類を見ない壮大なもの。

具志頭村が上原氏の構想に渡りに船と村有地を提供したのも当然であった。

そこで具志頭村の屋宜村長が太田知事への協力要請を提案してきた。

太田知事の本性を知らない村長なら県の協力を仰ぐということは当然の提案であり、村有地を提供してもらうこともあって、上原氏が村長の提案を拒否する理由はない。

上原氏は自分さえ「1フィート運動」の轍を踏まないように気をつければよいと考えた。

そう判断した上原氏は、村長と同道で知事に面会すべく約束を取り付けた。

 

上原氏は村長と一緒に知事に面会することになるのだが、そこで再び太田氏の正体を知らされることになる。

その上、又しても結果的に煮え湯を飲まされることになる。

そのときの場面を上原氏自身の文章を引用して紹介する。

ぼくは自信満々だった。 だが、屋宜村長は「太田知事の協力を得たら、もっと順調に行くのではないか」と言ってきた。 ぼくは91年3月下旬、太田知事との面会を取り付けた。 4月5日、屋宜村長、上原文一、ぼくのアメリカの美人秘書の4人で知事室へ向かった。 桑高知事室長がでてきて、知事は屋宜村長らを外して、ぼくだけで会いたいと言ってきた。 様子がおかしい。 ぼくは構わず、屋宜村長らと一緒に知事室に入った。 ぼくが、沖縄戦メモリアル建立の趣意書を知事に手渡し、ピノー先生が送ってくれたアメリカ兵戦没者のリストを示しながら、知事に協力を要請した。 意外なことに、知事はこう言ったのだ。 
「沖縄戦メモリアルは私も昔から考えていて、これは県でやることになっている。 具志頭村は金がないからできないだろう。 具志頭村と君は蝋人形の戦争資料館をつくったらいいではないか」 これには一同、ぎょっとし、憤慨した。 ぼくはその時、太田昌秀の正体を見た。 何という偽善者だろう。 最後に知事は言った。 「具志頭村に沖縄戦メモリアルを建てることは新聞に発表しないでくれ」 ぼくらは憤然として知事室を出た。

勿論、上原氏と屋宜村長が太田氏の「提案」に同意するはずはなく、太田氏の協力は除いて当初の計画通り、上原氏と具志頭村だけで実行することになるが、結局名誉欲の塊の太田氏にトンビに油揚げで又しても盗作されてしまう。

現在「平和の礎」と名を変えた沖縄戦メモリアルの概要を、太田氏が「君は蝋人形資料館云々」した沖縄県平和祈念資料館のHPから抜粋し以下に引用する。

 

平和の礎概要

建設の趣旨
沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などでなくなられたすべての人々の氏名を刻んだ祈念碑「平和の礎」を、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建設する。

刻銘対象者
国籍問わず、沖縄戦で亡くなったすべての人々とする。この場合、沖縄戦の期間は、米軍が慶良間諸島に上陸した1945年3月26日から降状文書に調印した同年9月7日までとし、戦没場所は沖縄県の区域内とする。ただし、次に掲げる戦没者についても刻銘対象者とする。

○沖縄県出身の戦没者
・ア 満州事変に始まる15年戦争の期間中に、県内外において戦争が原因で死亡した者
・イ 1945年9月7日後、県内外において戦争が原因でおおむね1年以内に死亡した者(ただし、被爆被害者については、その限りはない。)

○他都道府県及び外国出身の戦没者
・ア 沖縄守備軍第32軍が創設された1944年3月22日から1945年3月25日までの間に、南西諸島周辺において、沖縄戦に関連する作戦や戦闘が原因で死亡した者
・イ 1945年3月26日から同年9月7日までの間に、沖縄県の区域を除く南西諸島周辺において、沖縄戦に関する作戦や戦闘が原因で死亡した者
・ウ 1945年9月7日後、沖縄戦の区域内において戦争が原因でおおむね1年以内に死亡した者

基本理念
■戦没者の追悼と平和祈念 去る沖縄戦などで亡くなられた国内外の20万人余のすべての人々に追悼の意を表し、 御霊を慰めるとともに、今日、平和を享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念する。

 

このように「平和」の文言を数多くちりばめた趣旨や基本理念を読めば、これを建立した太田県知事の業績を評価するものは多いだろう。

だが、その「平和の礎」の裏に潜む名誉欲の塊と化した県知事、そして彼に擦り寄って名誉のおこぼれを頂こうとする沖縄の識者たちのドロドロとした権謀術策を知る県民は少ない。

すべてを知るはずのメディアがこれを報道しないからである。

続く