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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

死語に頼る「カルト学者」の群れ 死語に誑かされる裁判官

2009-07-07 07:35:44 | ★集団自決

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集団自決問題は、座間味、渡嘉敷両島の「戦隊長の命令の有無」に始まったが、両隊長の命令を聞いたという証言者は一人もおらず、命令を示す証拠も皆無であった。

それでは収まらない左翼勢力は、論点をすり替え「隊長命令の有無は問題ではない」と路線変更し、

「軍官民共生共死」といった歴史用語としてよりもカルト集団のお題目のようなスローガンを軍命の根拠とするようになる。

彼らが妄信するカルト教組ともいえる大江健三郎氏は、「タテの構造による強制死」と、作家らしく独自の造語で裁判官を煙に巻いた。

だがこれが隊長命令が証明できない結果の苦し紛れの文言であることは「軍官民の共生共死」と軌を同じくする。

視点を変えれば、左翼勢力はことほどさように「隊長命令や軍の命令」が不可能なことをさとって、カルトまがいのお題目で目くらましをせねばならぬほど困難な立場にある。

つまり一審二審と出版差し止めでは勝訴したが、裁判と表裏一体となる「教科書記述」では「軍命」は削除され、一昨年の「11万人」集会の目的は達成されず、テーマである「教科書検定意見撤回要求」は見事に粉砕されたのである。

■死語に頼る「カルト学者」の群れ■

前稿で宮城氏の最近の論文から「軍官民の共生共死」の文言が消えたことを指摘したが、沖国大に於ける宮城氏の師匠である安仁屋、石原両教授もこれまで論文等で「軍官民共生共死」を錦の御旗か黄門様の印籠のように掲げ「軍命令存在」の証拠としてきた。

大阪地裁に提出された準備書面にある両氏の証言でも「軍官民共生共死」を「軍命令」の証拠だと断定する証言を行っている。

以下に安仁屋、石原両教授の大阪地裁における証言と、安仁屋教授の陳述書に見える「軍官民共生共死」への傾倒ぶりを検証してみる。

<(大阪地裁・被告準備書面(5)要旨)
(3)住民の犠牲と日本軍の「軍官民共生共死の一体化」方針
   日本軍第32軍は、一般住民を「義勇隊」「弾薬、食糧、患者等の輸送」「陣地構築」「炊事、救護等雑役」「食糧供出」「壕の提供」「馬糧蒐集」「道案内」「遊撃戦協力」「漁撈勤務」「勤労奉仕」などに狩り出した。
   日本軍第32軍司令部(球第1616部隊)は、1944年(昭和19年)11月18日に「報道宣伝防諜等に関する県民指導要綱」(乙33・大城将保編・解説「沖縄秘密戦に関する資料」所収)を定め、「60万県民の総決起を促し、もって総力戦態勢への移行を急速に推進し、軍官民共生共死の一体化を具現し、いかなる難局に遭遇するも毅然として必勝道を邁進するにいたらしむ」との方針を示し、これに従って島田叡沖縄県知事は、「県民悉く武装」し「特攻精神の権化たらん」ことを強調し、「驕米を一挙に葬り聖慮を安んじ奉らん」と県民に呼びかけており(乙30・「沖縄県史8」49頁)、住民は、日本軍のこの「軍官民共生共死の一体化」方針により総動員され、上記戦闘協力をさせられ、悲惨な犠牲を強いられたものである
(乙11・安仁屋政昭証言、乙31・石原昌家証言など)。 

陳  述  書
2007年7月12日
大阪地方裁判所第9民事部合議2係 御 中
安仁屋 政 昭

(略)
3 合囲地境における「集団死」

  「集団自決」については、前記意見書にも「4『集団自決』の真相」として記載し(乙11号証153頁以下)、敷衍して証言もしています(乙11号証49頁以下)。

  「日本の敗戦は必至」という認識のもとに戦われた沖縄戦は、太平洋戦争における日米最後の地上戦でした。日本帝国政府にとっては、国体護持が第一義であり、本土決戦準備・終戦交渉の時間をかせぐことが重要な課題でした。

  「国体護持のための捨て石にされた沖縄」という説明が一般になされていますが、沖縄守備軍(第32軍)は、沖縄県民に対して「軍官民共生共死の一体化」を指示し、「一木一草トイヘドモ戦力化スベシ」と言って、根こそぎ戦場動員しました。
  (略)  
 沖縄守備軍は、県や市町村の所管事項に対しても、指示・命令を出し「軍官民共生共死の一体化」を強制しました。県民の行動は、すべて軍命によって規制され、ここには民政はなかったのです。

沖縄戦において日本軍を貶めるためのカルトのお題目のような「軍官民の共生共死」に裁判官がたぶらかされたのか、

「軍命」は証明されなかったにも関わらず、「疑わしきは罰せず」の原則を踏みにじって判決一審二審ともカルト教組の大江側を勝訴にした。

カルトお題目を唱えて外野から応援した人物に、「転向者」の林博史関東学院大学教授がいる。

氏の「軍官民共生共死=軍命」論の例を次に引用する。

日本軍がくりかえし宣伝していた「軍官民一体」「軍官民共生共死」という思想が浸透していたなかでは村役場の通達はイコール軍命令と受けとめられる状況にあった。日本軍と一緒に住民もみな「玉砕」するのが当然と思われていた。そして「集団自決」は、日本軍もこれで玉砕するのだと人々から思われたときに起きている。日本軍や各級行政機関ら日本国家全体が、住民をそうした「集団自決」に追いやったのである。だから、「集団自決」で死に切れず生き延びた住民が、後になって、日本軍が山中にこもって生き残っていることを知ると、裏切られたという思いをもつととも、もはや自決しようとはしなかった。つまり「軍官民共生共死」の思想を叩き込みながら、日本軍は山に隠れて生き残りを図る一方で、その思想を信じ込まされていた住民は「集団自決」をはかるという結果になったのである。(沖縄戦の実相 林博史)>

いやはや、推論と思い込みとで、何とか日本軍を「悪の軍団」に仕立てようとする林教授の悪意が滲み出る文である。

このような思い込みと悪意で歴史を断定する人物が歴史学者として大口叩くのも驚きだが、カルトまがいのお題目でたぶらかされる「戦後民主主義」の申し子(大江・岩波教徒)のような裁判官が存在するのも更なる驚きである。

                    ◆

【おまけ】

事のついでに「軍官民の共生共死」や「軍が住民をまもらない」という死語に必死にすがりつく沖縄タイムスの古い過去記事を紹介する。

 

◆沖縄タイムス
2005年7月3日> 朝刊 1版 社会26面(日曜日) カラー
自社 写有 カラー
[戦後60年]/[「集団自決」を考える](19)/識者に聞く(2)/石原昌家沖国大教授/住民には当てはまらぬ/実態ゆがめる教科書懸念
 -教科書から軍命による「集団自決」の削除を求める自由主義史観研究会の動きをどう見るか。

 「彼らは集団自決という言葉を通して、沖縄戦が『軍民一体』の戦闘だったという考えを国民の意識の中に浸透させようとしている。国内が戦場となった場合を想定した国民保護法などの有事法制を推進する政府を支持する立場にあるからだと考える」


 「国民が『軍民一体』の意識を持たないと有事法制は稼働しないし、今後、米軍と一体となって自衛隊が海外で戦闘参加する際も都合が悪い。有事法制に『魂を込める』ためにも、日本国内で唯一、県内全域が戦闘地域となった沖縄戦の書き換えをしなければならないと考えているのだろう」


 「住民が自ら望んで軍と戦って死を選択したのが沖縄戦の実態だと歪曲し、日本軍の加害行為を否定する歴史修正主義者の仕掛けたわなに引っかからないことが重要」 -「集団自決」という表現を使うべきでないと主張していますがその意図は。


 「『集団自決』という言葉をたとえカギカッコ付きであっても使うべきではない。自決というのは自らの意思によって死んだという意味。したがって、軍人が自らの責任をとって死ぬことに使うことはできても、語句本来の意味から、住民に対しては集団自決という用語は使用できない。集団で命を絶った実態は、日本軍の作戦による強制や誘導、命令によるものだったので『強制集団死』 『強制死』として本質をとらえ直さなければ、真実を見誤ってしまう」


 「『集団自決』という言葉を使い、軍命があったと主張することは沖縄戦が軍民一体の戦闘だったと解釈される。それは自由主義史観研究会や政府の土俵に乗ってしまうことを意味する」


 -援護法の観点からも「集団自決」を使うことが問題としていますが。


 「沖縄戦で住民が日本軍に積極的に協力したという基準で適用されるのが『戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)』。認定基準の一つに、『集団自決』という項目があり、ゼロ歳児でも戦闘参加者として靖国神社に合祀されているという事実を直視すべきだ。壕追い出しは『壕提供』などどと記し、『援護法』に申請した厚生省(現厚労省)文書で、沖縄戦の書き換えが始まった事態を重く受け止めないといけない。軍民一体を意味する援護法用語の『集団自決』を誤用してきたマスコミや沖縄側の猛省を促したい」


 -沖縄戦の「集団死」の本質とは。


 「日本軍は地上戦に突入する前に、県民の指導方針として『軍官民共生共死の一体化』を出した。民家に軍が駐留し、住民は陣地壕の構築や飛行場の建設などに動員され、軍事機密を知る立場にあった。それで米軍と戦闘をするにあたり、住民が死ぬことが前提になっていた。『集団死』事件直前の軍命の有無は第一義的な問題ではない」


 「天皇のために死ぬという皇民化教育が根底にあったが、日本軍は住民に鬼畜米英の恐ろしさを徹底的に植え付け、投降を許さなかった。軍事的な他殺、虐殺が『集団死』の本質。また、沖縄戦は日本軍が『国体護持』のため出血持久作
戦を取り、住民を壕から追い出したり、殺害した戦闘である。軍が住民を守らないという教訓を変えることはできない」(社会部・平良吉弥)


 いしはら・まさいえ 1941年台湾生まれ。沖縄国際大学教授。主な著書に『虐殺の島-皇軍と臣民の末路』など。 

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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死語となった「軍官民の共生共死」と「タテの構造の強制死」

2009-07-06 00:05:57 | ★集団自決

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月刊誌『新潮45』6月号の「書物の森」に、『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(秦郁彦編・PHP研究所)の書評が出ているので紹介する。(太字赤字強調は引用者ー特に赤字部分は最高裁判決に影響を及ぼす決定的証拠物

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
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                     ◇

『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(秦郁彦編・PHP研究所)

「軍命令」の有無を問う 評・山村杳樹

太平洋戦争末期の1945年3月26日、米軍第77師団が沖縄の慶良間列島に上陸、翌日には渡嘉敷島に上陸した。所在の守備隊は貧弱な装備で抵抗したが、この戦闘の過程で、住民の「集団自決」という悲惨な事件が起きた。
本書刊行のきっかけとなったのは、旧日本軍の隊長が住民に「集団自決」を命じたと書いた作家・大江健三郎の著書『沖縄ノート』(岩波新書 1970年)をめぐる名誉毀損訴訟。 大阪高裁は、昨年10月控訴審で、梅澤・赤松元隊長の訴えをしりぞけた。

判決文の中で、裁判長は自決命令の「有無を本件証拠上断定することはできず」としながらも、「日本軍がこれに深く関わっていることは否定できず」と、旧軍の「関与」を指摘した。 

編者はこれを、「法的概念としては漠然すぎるうえ、争点にもなっていない軍の「関与」を、裁判所がわざわざ持ち出した意図ががわからない」「関与と言っても『自決せよ』から『傍観』を経て『自決するな』まで、幅は広い」と批判する。 そして、「裁判という手法に頼らず、歴史的事実の解明を進め、最終判断は後世に委せる」(あとがき)として、本書を編んだという。

編者によれば、沖縄の集団自決をめぐる論議で抜け落ちているのは、沖縄が戦場になった場合、住民の処置について、大本営や現地軍、沖縄県庁などがどのような方針を定めていたかを示す公的文書の存在であるという。 

本書には、その文書南西諸島警備要領」が紹介されている。この文書は、沖縄防衛のために新設された第32軍の牛島満司令官が、指揮下の全部隊へ示達した極秘の公文書で、原文は見つかっていないが、米軍が入手し英訳していた資料である。 これによれば、「非戦闘員は玉砕させず安全地帯に待機させる大方針だったことは明らか」だ

にもかかわらず集団自決がおきたのはなぜか。 編者は、「逃げる地籍があった沖縄本島では、集団自決が少なく、慶良間三島に集中したのは、小さな孤島で逃げ場書がないと住民が観念したのかもしれない」と書く。 もう一つ、「新聞、雑誌、文化人、大政翼賛会などの運動体」などが「憤怒と恐怖をないまぜにした扇情的な大量宣伝を発信した」ことも住民の心理を追い詰めたと指摘する。 

本書で読み応えがあるのは、集団自決が起きた座間味島で、日本軍の伝令と雑役を担当していた宮平秀幸氏が自らの体験を綴った「陳述書」である。 

当時、氏は15歳。 偶然、助役や村長たちと守備隊長との話を立ち聞きする。 陳述書によれば「村の年寄りと子どもを集めてありますから、自決する為の爆弾を下さい」と嘆願する助役に、隊長は、「あなた方を自決させるような弾薬などない。 帰って、集まっている民間人を解散させろ」応えたという。 

『ある神話の背景』で集団自決を現地取材した曽野綾子氏の潔い言葉が心に残る。 

「軍命令はなかったという証拠もないが、あったという証拠もありません。 今にも洞窟の奥から決定的な文書が出てきたら私は即座に訂正いたします」。(『新潮45』2009年6月号)

■消えた「軍官民共生共死」のキーワード■

宮城晴美氏の「検証『集団自決』」と題する論文中に「軍官民共生共死」というキーワードがひと言もないことを指摘した。

「軍官民の共生共死」は、確かに沖縄タイムスや左翼学者の論文に頻出する言葉ではあるが、宮城氏の論文に出てこなくとも特に不思議ではないという向きもあるだろう。

だがこの言葉は宮城氏の師匠である安仁屋沖国大名誉教授から受け継いだ日本軍批判のキーワードであり、係争中の裁判に提出した宮城氏の陳述書にも繰り返し使用されている。

■宮城晴美氏の法廷陳述書■

・・・座間味島の「集団自決」は日本軍の命令によるものと言わざるをえないと考えられます。その理由は次のとおりです。

①「軍官民共生共死の一体化」方針

 沖縄の日本軍(第32軍司令官牛島満中将)は、1944年(昭和19年)11月18日に「報道宣伝防諜等に関する県民指導要綱」(乙33)を策定し、「軍官民共生共死の一体化」の方針を打ち出し、軍官民一体の総動員作戦を展開していました。

 ②座間味島での「軍官民共生共死の一体化」(陣地構築、食糧増産など)

 本書に書きましたように、1944年(昭和19年)9月に座間味島に駐留を開始した日本軍も、この方針のもとに、住居の提供、陣地の構築、物資の運搬、食糧の供出・生産、炊事その他の雑役等に村民(男女青年団など)を駆り出し、村民の住居に兵士を同居させ、さらには村民の一部を軍の防衛隊に編入しました。生活になくてはならない漁船も船員ごと接収しました。

 村は日本軍の「軍官民共生共死の一体化」の総動員体制に組み込まれたのですが、軍は村役場の会議室と地元の青年団が建設した青年会館に作戦本部を置き、村の行政組織を軍の指揮下に組み込み、村長、助役(=兵事主任、防衛隊長)などを通じて、村民に対して動員命令を下していました。大阪地裁・宮城晴美「陳述書」

「軍命令の虚構性は明らか」とする原告側に対し、被告側は沖縄などに残る文献を根拠に「軍命令はあった」と主張。「住民は『軍官民共生共死の一体化』方針で軍に総動員され、捕虜になることを許されずに玉砕を強いられた」と軍の関与を指摘する。
大江健三郎氏が9日出廷 沖縄集団自決訴訟

つまり梅澤戦隊長、赤松戦隊長の自決命令はなくとも第32軍の方針は「軍官民の共生共死の一体化」であり、事実上住民は自決を命じられていたというのが左翼勢力の主張だ。

実際はどうだったのか。

沖縄防衛のために新設された第32軍の牛島満司令官は「軍官民共生共死の一体化」どころか、

非戦闘員は玉砕させず安全地帯に待機させる大方針だった」ことを明らかにしたのが、現代史家・秦郁彦氏が米公文書館から発掘した、英文訳の「南西諸島警備要領」である。

牛島司令官が指揮下の全部隊へ示達した極秘のこの公文書は、原文は見つかっていないが、米軍が入手し英訳していた資料である。(「沖縄戦「集団自決」の謎と真実」)

 ⇒軍・行政が住民疎開に尽力 利用された「軍命」

これまで第32軍の高級参謀八原博道大佐が昭和48年に著した『沖縄決戦』(読売新聞社)で、この書類の存在は知られていたが、現物が見つからず「軍が自己弁護のため作り出した虚構」だと左翼勢力に反駁されていた。

だが、米軍が押収した第32軍の書類の英訳文なら、第32軍が住民の安全に努力していたことを示す決定的証拠だといえる。

従って左翼勢力が金科玉条にしていた「軍官民の共生共死」はもはや主張の根拠が根底から崩れ去ってしまったことになる。

宮城氏が裁判の陳述書にも繰り返し強調してかいた「軍官民の共生共死」を、琉球新報の論文から削除するのもむべなつかなである。

■崩れ去った大江氏の「タテの構造」■

隊長命令や軍の命令が証明できないと知るや、被告側は一気に作戦を変える。

「隊長命令の有無は問題でない」と主張し、大江健三郎氏が法廷で展開したのが「タテの構造云々」の詭弁である。

「タテの構造」論の要諦は「軍官民の共生共死」と連動している。

法廷証言の後、大江氏は朝日新聞で弁解文を書いているが、その中にも「軍官民の共生共死」が日本軍批判のキーワードとして出てくる。

日本軍、第三二軍が県民に担わせていた「軍官民共生共死」の方針、列島の守備隊というタテの構造の強制力、そして米軍が島民に虐殺、強姦を加えるという、広く信じられた情報、俘虜となることへの禁忌の思想、それに加えて軍から島民に与えられた手榴弾とそれにともなう、さらに具体的な命令、そうしたものの積み重なりの上に、米軍の上陸、攻撃が直接のきっかけとなって、それまでの日々の準備が一挙に現実のものとなったのだ、という考えにいたって、それを書いたのです。> (3)タテの軍構造に責任 (12月12日朝刊総合4面)

 第32軍が作成した「南西諸島警備要領」の発掘により、大江氏の「タテの構造云々」も木っ端微塵に粉砕され、「軍官民の共生共死」同様に、以後この言葉を使用することは出来ないはずだ。

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厚労省前局長を起訴…石井一君!鳩山君!お呼びですよ

2009-07-05 16:54:14 | 県知事選

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郵便不正、厚労省前局長を起訴…偽証明書一貫して否認写真付き

 自称障害者団体「の会」(解散)を巡る厚生労働省の偽証明書発行事件で、大阪地検特捜部は4日、同省の前雇用均等・児童家庭局長(大臣官房付)、村木厚子(53)、前障害保健福祉部企画課係長(同省社会・援護局総務課主査)、上村(39)両容疑者ら4人を虚偽有印公文書作成、同行使罪で起訴した。同会などは偽証明書を使って郵便料金割引制度を悪用し、2005年以降、不正に送付した郵便物は約7500万通、免れた郵便料金は約80億円にのぼるという。

 村木容疑者は一貫して否認。残る3人は認めており、上村容疑者は「村木容疑者からの指示を受け、保身のためにやった」と供述、他に起訴された凛の会元会長、倉沢邦夫被告(73)と同会元メンバー、河野克史容疑者(68)は「人間として恥ずかしい」と話している。

 起訴状では、村木容疑者は他の3人と共謀し、企画課長だった2004年6月上旬頃、活動実績がない凛の会を障害者団体と認める偽の証明書を発行した、とされる。上村容疑者は、偽の稟議書を作成したなどとする虚偽有印公文書作成、同行使罪でも起訴された。共犯として逮捕された河野容疑者は「関与が薄い」と不起訴(起訴猶予)になった。

 特捜部は村木容疑者については「証明書発行権限者としての立場を利用した。凛の会の要請に応じて部下に指示し、不正に巻き込んだ。刑事責任は厳しく問われるべきだ」としている。

 一方、村木容疑者の弁護人は「偽証明書作成の指示などしておらず、不当な起訴だ」と話し、全面的に争う構えをみせている。

2009年7月5日  読売新聞)
 
                                             
「官・民」側から四人の人物が起訴されたことが記事にはあるが、「政」側の重要人物は全く登場してこない。
 
記事にはないが、図解では「民主党国会議員」と書かれている。
 
この事件は発覚当初から倉沢邦夫被告らの証言から「政・官・業」の「腐食のトライアングル」だといわれていた。
 
さらに、村木容疑者の上司であった、厚生労働省障害保健福祉部の元部長(退職)が村木容疑者から偽証明書の発行の報告を受けた後、「民主党国会議員に『然るべくやりました』と伝えた」と特捜部に供述している事実もある。
民主党議員と厚生労働省の幹部とが偽証明書に関して電話のやり取りがあったというのなら、民主党議員の実名はともかく「民主党大物議員」くらいは記事に書いてもよさそうなものだ。
 
 
マスコミはこの期に及んで民主党にここまで気を使う必要はあるのだろうか。
 
悪事を依頼した倉沢邦夫被告と河野克史容疑者の二人が白状し、それを実行した上村勉容疑者も全面自供。
 
いわば越後屋側が白状し、下っ端役人の悪代官側もゲロったわけだ。
 
悪事を指示した悪代官の親玉である村木容疑者は依然として「知らぬ存ぜぬ」を通しているが、その上の大親玉は事実を認めている。
 
ここで遠山の金さんの登場を待てば、
 
「えーい!この期に及んでじたばたするんじゃねー!」と啖呵をきって、お白洲に「全てを知る男」を引きずり出すところだ。
 
その男の顔を見た悪代官、全身が凍り付いて一気に悪事を白状してしまう。
 
そこで決め台詞。
 
「これで一件落着!」
 
で、その「すべてを知る男」は誰だって?
 
勿論、石井一恥め、もとい、石井一民主党全副代表のこと。
 
 
■「鳩山由紀夫は犯罪者!」by正義の鳩山邦夫■
 
 ついでに鳩山由紀夫民主党代表もお白洲に引きずりだして取り調べをすれば、もう一つ「一件落着」が出てくる。
 
だが、この場合金さん役は正義の鳩山邦夫氏に臨時にやってもらった方が画面としては絵になるというか、オモシロイ。
 
「えーい!、鳩山家の名を汚す不届きもの!」
 
「市中引き回しの上磔を命ず!」・・・・磔ではかわいそうだから、
 
「遠島、島流し」くらいで、
 
一件落着!
 
今朝のテレ朝「サンプロ」で司会の田原氏が、自民党が鳩山由紀夫代表をお白洲、もとい、国会へ引きずりだして参考人質問をするとしたら、共産党も社民党は賛成するかと詰め寄られ両党とも「賛成する」と言質をとられていた。
 
民主党の菅直人氏は田原氏に問い詰められて何やら「ムニャムニャ」いっていたがよく分からなかった。
 
だが、共産党の小池氏は「あのようにリスクを伴う細工をするくらいだから出所の示されない金だろう。 金の出所も追及すべき」(要旨)と厳しかった。
 
小沢も、石井も、鳩山もじたばたせずに縛につけ!
 
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国旗・国歌、嫌いなら辞めよ

2009-07-05 00:01:06 | 県知事選

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例によって沖縄の元教師で現在南米ドミニカでご活躍の「トラネコ日記」さんよりの紹介記事です。

◆以下引用。

日共は即刻解散せよ!

2009年07月03日

「国旗・国歌、嫌いなら辞めよ」=起立しない教員に-上田埼玉知事


上田清司埼玉県知事は1日の県議会本会議で、県立学校の式典で君が代斉唱時に起立しない教員がいることについて「式典のルールに従って模範を示さなければならない教員が模範にならないようでは、どうにもならない」と述べた。
その上で「そもそも、日本の国旗や国歌が嫌いだというような教員は辞めるしかないのではないか。そんなに嫌だったら辞めたらいい」と強調した。

君が代斉唱時に起立しない教員がいることへの解決法を民主党県議からただされ、答えた。これに対し、共産党県議団は「思想と良心の自由を定めた憲法19 条の規定をないがしろにするもので、700万県民の代表にふさわしくない危険な発言だ」とし、撤回を求める談話を団長名で発表した。

7月1日18時5分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090701-00000137-jij-pol 



昨日の秋葉忠利広島市長みたいな「売国が命!」の狂気のサヨク政治家もいれば、
この上田清司埼玉県知事のような正論を議会で堂々と述べる政治家もいる。
常に選挙のことしか頭になく、サヨクマスゴミの風評を気にして、
右顧左眄している今の自民党国会議員なんかより、
この上田知事ははるかに立派な政治家といえよう。

これに対して日本共産党の県議団からは「いつものように」、
思想と良心の自由を定めた憲法19条の規定をないがしろにするもので、
700万県民の代表にふさわしくない危険な発言だ」と抗議したwww

私は日共のこんな「低能な話題」が好きである。
このサヨク政党はいつも突っ込みどころ満載で、
私に楽しい話題を提供してくれるからだ。
ちなみに社民党と公明党は余りに馬鹿過ぎ、キ○ガ○過ぎで嫌いである。
ちょうど南北朝鮮半島国家の話題と同じである。

まず日の丸・君が代は法律に定められた日本の正式の国旗・国歌である。
法治国家日本が定めた法律を、公立学校で文科省・教育庁通達命令で、
実施することはなんら憲法に違反しない。

内心の自由とは別に国民には法に定められた履行義務というものがある。
だから内心では日の丸・君が代が大嫌いであっても何ら問題はないが、
公立学校で公務員として勤務している教員が、
法律に則った文科省や教育庁通達を無視する、或いは拒否することは違法行為である。
当然罰則規定が発動されるのは法治国家なら当たり前のことである。

単純に言えば、「人殺しをしたい」という心情を持つのは自由であるが、
実際にそれを行えば逮捕拘留、そして刑務所か死刑である。


私は「共産主義」という20世紀において、
共産主義の名の下に数千万単位で大量虐殺が行われ、
思想・信条・言論・集会・結社の自由を一切弾圧してきた危険思想
を、
前面に主張する左翼政治結社「日本共産党」が、
日本に存在できるだけでも日本における思想・信条の自由は素晴らしいと思う。

そもそも共産主義思想とは民族や国家や伝統文化は一切否定する。
だから日本の象徴である天皇や日の丸・君が代は一切認めない

憲法やらなんやら持ち出してもっともらしいことをほざいてはいるが、
奴らにとって理由なんてどうでもいいのだ。
日共は何が何でも国旗・国歌・天皇を抹殺したいのだ。


日共は「ですます調」のしんぶん赤旗や、
志位や不破のニヤついた笑顔で国民を騙そうとしているが、
この党は○○学会同様実に危○な○ル○集団
である。

国旗・国歌を尊ぶ教育を行っていない国など世界中で日本だけである。
これを公教育で強制するのは当然である。
大体日本以外に世界中のどこの国が自国の国旗・国歌に反対などと、
キチガイ丸出しを恥ずかしげもなく主張しているのだ?


日本共産党と創価=公明党は、
日本の大恥であり、破滅である。


私は即刻この政党を解散させるべきだと思っている。

上田埼玉県知事の主張されるように、
自国の国旗・国歌に敬意を表せない教員は即刻止めるべきである。
というか、即刻懲戒免職にすべき法律を制定すべきである。


参考
「大声で歌え!「君が代」を」
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2383535.html
「国旗・国歌考」
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2271280.html




「すべての日本人に捧ぐ」
http://www.youtube.com/watch?v=aw_mWZ0LqQQ


NHK受信料契約者をゼロにしよう!!!
http://www.geocities.co.jp/Bookend/3326/nhk2.html   
 
◆引用終了。
                                           ◇
 
 
【付記】
 
前稿で沖縄タイムスの見出しを事実と妄信するお粗末な文化人が、上原正稔氏の「11万人集会は大ぼら」という発言に真実のひとかけらも無いと断じていたが、
 
下記記事は「11万人」の大うそを作り出すため主催者が画策する様子が書かれている。
 
二〇〇七年九月二十九日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開催された。主催者は参加者数を十一万人と発表したが、地元紙に掲載された大会写真から「参加者は一万五千人からせいぜい二万人」との指摘がある左翼系団体中心の“大集会”である。

 沖縄県では、大会の模様はNHK教育テレビを除く地上波全局で生中継された。

 主な呼び掛け人は、沖縄県教職員組合(沖教組)と沖縄県高等学校・障害児学校教職員組合(高教組)だった。現役の教職員のみならず、ある教員経験者が「大会の参加と動員を依頼された」と話すように、元教職員にも総動員がかかった。

 公立学校の全生徒にチラシが配布され、高野連主催の野球大会など、スポーツ大会が軒並み延期された。当日に振り替えの授業が組まれていたが、大会の参加を優先するという理由で、授業を半日に短縮された学校もあれば、クラスそろって県民大会に結集したケースもあった。

 
下記エントリーは国旗国歌反対に狂奔する沖縄の左翼教師を書いてあるが、前稿「沖縄タイムスの反撃?」にも関連がある(後半部分)。

関連エントリー:

 

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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コメント (6)

沖縄タイムスの反撃?「文化人」を使った姑息な個人攻撃

2009-07-04 00:01:29 | ★集団自決

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琉球新報に続いて、6月30日付沖縄タイムスが星、上原両氏の告発に対する反撃を開始した。

文化面の「文芸時評」というタイトルで文芸評論家という肩書の平敷武蕉なる人物が、詩の評論をしているがその欄の後半で文芸評論に隠れるように星、上原両氏を批判しているではないか。  この紙面構成ではよっぽどの文芸愛好家でなければ見落としても仕方ない。

その反論たるや、「タイムス史観」を鵜呑みにしたとしか思えない幼稚な論で上原正稔氏の主張を根拠も示さず罵倒している。

このお方は沖縄タイムスの記事を歴史の真実とでも信じているのだろうか。 

タイムス自身は沈黙を守り、基本的事実も知らない「文化人」を使って理詰めではなく、情緒的文言で反撃させる姑息な手法は、とても新聞社のやることには思えない。 

新聞は社説やコラムなど意見発表の場は充分にあるし、論説委員だってダテに高給を貰っているわけでは無いだろう。  

平敷氏は次のように上原正稔氏の批判を展開する。

事実無視する姿に違和感  看過できぬ動き

沖縄戦をめぐって、看過できない動きがある。 うらそえ文藝第14号の「特集 集団自決」である。 特集では、集団自決を巡る「対談」で星雅彦氏と上原正稔氏が対談し、さらに上原氏の「人間の尊厳を取り戻すとき」と題する論考が掲載されている。 それらにおいて、上原氏は、集団自決で軍命はなかった。 遺族年金をもらうために軍命にしたのだと主張している。
集団自決」の体験者や目撃者、元日本兵らの相次ぐ新証言にも耳を貸さず、ひたすら「赤松さんと梅澤さんを窮地から救いだすこと」に情熱を注ぐ氏の姿は異様に映る。

平敷氏が「沖縄タイムス史観」を丸呑みで、自身の集団自決に関する不勉強を露呈しながら上原氏批判のご高説を垂れ流している点が各所に見られるがこれは後で指摘しよう。

一読して不思議に思うのは、琉球新報の宮城論文の場合、攻撃相手をもっぱら星雅彦氏だと思われる表現をしているのに対し、今回の沖縄タイムスの平敷論文では攻撃相手を上原正念氏に絞っていることである。 

琉球新報は上原氏の連載特集記事を抹殺した弱みがあるため、そこを攻撃されると窮地に陥るから上原氏はタイムスに任せたのだろうか。

両紙が事前に攻撃対象を分担しあったのではないか勘ぐりたくもなる今回の反撃である。

琉球新報の宮城論文が、自著のみならず集団自決問題の火付け役ともいえる沖縄タイムス記事でも論破されている事実を書いた。 

同じようにタイムスのウェブ記事だけで、タイムス史観を妄信する平敷論文を粉砕してみよう。

『母の遺したもの』の発刊二年後、沖縄タイムスの復帰30周年特集メッセージ復帰30年の宮城氏に関する記事が、「琉球新報の宮城論文」と「沖縄タイムスの平敷論文」を見事に論破している。

■タイムス記事が「隊長命令はなかった」と掲載■

沖縄タイムス 2002年9月21日 

沖縄の海図(63)

メッセージ復帰30年

 

宮城晴美(下)
告白
数行が母の戦後を翻弄

「約束」から10年

 戦争体験のトラウマを問う言葉が、鋭く胸を突く。

 宮城晴美の著書『母の遺したもの』は、家族の体験から目をそらすことなく、血塗られた座間味の実情を克明に記している。宮城に執筆を、激しく促したのは「母の手記」だった。同著の前書き、「約束」から一〇年—で、脱稿・出版までの経緯を述べている。

 「いずれ機会をみて発表してほしい」と、一冊のノート(手記)を私に託し、半年後(一九九〇年)、六十九歳の生涯を終える。字数にして四百字詰め原稿用紙約百枚。自らの戦争体験の日々を具体的につづっていた。しかも、手記は過去の記述を、根底から覆す内容を含んでいた。

 一九六二年、最初の手記を『家の光』の懸賞募集に応募入選する。翌年、同誌四月号に掲載。さらに五年後に出版された『沖縄敗戦秘録—悲劇の座間味島』(私家版)で、「血ぬられた座間味島」の題名で収録された。その記述の一部分が発表して以来、母を苦しめ追いつめていた。

 『悲劇の座間味島』、それと一冊のノートを前に、一部カ所・数行の削除を指示した。「母の戦後を翻弄(ほんろう)した数行だった」。十年後、宮城は執筆に取りかかる。

板ばさみの苦悩

 同著の要旨を追うことにする。当時の座間味島駐留軍の最高指揮官、梅澤部隊長からもたらされたという、「住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし」—が、事実と違う記述であった。以後、「座間味島の“集団自決”は梅澤裕部隊長の命令」が根拠とされてきた。

 事実は、部隊長の命令は下されず、村役場の伝令が飛び交い、次々と「集団自決」へ走った。手記発表後、母は自分の“証言”で梅澤を社会的に葬ってしまったと悩んでいた。事実を公表すれば、島の人々に迷惑が及ぶ。板ばさみの心痛を一人で背負っていた。

 一九八〇年、那覇市内で梅澤と再会。そして母初枝が告白した。「命令を下したのは梅澤さんではありません」。この一言に、梅澤は涙声で「ありがとう」を言い続け、嗚咽(おえつ)した。だが、告白をきっかけに事態は急変。さらに波紋を広げていく。

 詳細は同著を読んでもらうしかない。要約するにしても、背景が複雑で誤解を恐れるからだ。

背景に「皇民化」

(略)

 =敬称略=(多和田真助 編集委員)

座間味島「集団自決」の事実を書き換えた著書。それは「母の戦後を翻弄した数行の記述」であった



座間味島「集団自決」の事実を書き換えた著書
。それは「母の戦後を翻弄した数行の記述」であった


                     *

「集団自決訴訟」の3年前のこの記事では、沖縄タイムスも真実を報道する余裕がまだあったことが分かる。

なお上記写真の説明で、「事実を書き換えた著書」と書いているが、書き換えた著書を更に書き換えたのが『新版母の遺したもの』であることは周知の通り。

このように、争点の隊長命令がクルクル変わる人物も珍しい。

宮城晴美氏が、最強の「転向者」と呼ばれるゆえんであり、その論文が「自著に論破される世にも不思議な論文」と呼ばれるゆえんでもある。

さらにもう一つ付け加えると、宮城氏の論文は「軍命あり派」の牙城であり、宮城氏の庇護者であるはずの沖縄タイムスからも論破されるという世にも不思議な論文である。

 

「平敷論文」に戻る。

平敷氏が集団自決の基礎的知識に欠けている点を指摘しよう。

氏は<「集団自決」の体験者や目撃者、元日本兵らの相次ぐ新証言にも耳を貸さず、ひたすら「赤松さんと梅澤さんを窮地から救いだすこと」に情熱を注ぐ氏の姿は異様に映る>と上原氏のことを批判するが、このお方、次に掲げるの基本的事実さえ知らないようだ。

「集団自決」の体験者や目撃者、元日本兵の相次ぐ新証言は確かにある。

だが、それらは悲惨な事件の証言ではあっても、「軍の命令で自決した」と証言する体験者や目撃者はただの一人もおらず、それを示す証拠も皆無である

 これでは上原氏がいくら体験者の証言に耳を貸しても「隊長命令はなかった」と結論するしか無いだろう。

「沖縄タイムス史観」という歪んだ色メガネを通して平敷氏が見る上原氏の姿は確かに異様に見えるだろう。 

だが、右も左も関係なく沖縄戦の真実を解明しようとする上原氏の姿が異様に見えるというのは、タイムスの記事が歴史の真実であると妄信する自分の硬直した思考のなせる業であり、歴史の真相解明に努力する上原氏を異様と斬り捨てる平敷氏こそ異様の言葉が相応しいのではないか。

平敷氏は攻撃の焦点を上原氏に絞り次のように糾弾している。

復帰後最大の規模でもたれた一昨年の「教科書検定意見撤回を求める9・29県民大会」についても、僕(上原氏・引用者注)は、5分間でちゃんと計算しましたけど、あえは1万5千人足らずです」と妄言する氏には、もはや真実を求めることは出来ない

やはりタイムスの見出しが真実であると妄信する沖縄の文化人の思考はこの程度であるかと落胆させられる記述である。

この後、「問題の本質は数ではない」と開き直って見せるが、「11万人」の虚構が暴露されるや、左翼識者が口を揃えて開き直ったとき発した言葉がこの言葉だった。 確か古舘一郎も同じことを口走っていた。

「大会」主催者が意図したのは、可能な限り参加人数をかさ上げして、数の力で政府首脳に圧力を加えるつもりだった。

これはその後、大会代表団が「11万人」を武器に政府に圧力をかけた事実を知れば「数の問題ではない」が開き直りの強弁であることは、今では誰でも知る事実である。

主催者が数を問題にした例を挙げれば、県教育長が校長を集め、動員を指示したり、高校野球の試合を延期までさせて動員を迫ったり、県が無料送迎バスを準備したりなど、枚挙に暇は無い。

当時の沖縄二紙の狂ったような扇動報道による半ば強制的勧誘は平敷氏が言うような県民の自発的1万5千人の動員とは縁遠いことである。 これは良識ある県人なら今で周知の事実となっている。

何よりも渡嘉敷島から参加した住民がたった一台の自家用車に便乗して参加できる程少人数(5人前後)しか参加していなかった事実からもこの集会の性格が分かる。

平敷氏は更に次のように強弁を続ける。

千歩ゆずって上原氏がいうように、その数が1万5千であってもいい。 1万5千人も集まったのだ。 その県民が何のために集まり、何を訴えていたかということだ。 その日の広場の内外を埋め尽くした群集の張り詰めた熱気と清澄。 今話さねばとの思いに促迫されて壇上に立つ集団自決体験者の切迫した声。 その声に耳を傾けようとしないで、集まった人の数を机上の報道写真で数え、「あれは大ボラです」とうそぶくところに、このドキュメンタリー作家の品性の程が示される。 〈擦れた感覚〉だけが口開き、一片の真実も切実さも感じられない。 同調し指嗾(しそう)する星氏の責任も重い

平敷氏の品性がいかほど上品か知る術も無いが、平敷氏は上原氏に品性を感じないと断じ、「あれは大ボラです」の言葉に一片の真実も感じないと切捨てている。

ならば筆者が“品性のない”「大ボラ」を言い換えて「あれは大ウソの数字です」と言っておこう。 「11万人」が大ウソである根拠は多数あるがここでは省略する。

『うらそえ文藝』では星氏と上原氏が夫々論文を発表し、それに基づいて両者が対談するという三部構成になっている。

ところが平敷氏は星氏の論文には一言も触れず、いや論文の存在さえも言及せず上原氏のみを攻撃し、それも上原氏の主張を客観的に過ちと指摘するのならともかく、詩的、情緒的文言を羅列し、それどころか「品性のほどが示されている」とか「擦れた感覚」といった事実の解明には直接関係のない文言で「一片の真実も切実さも感じられない」と」斬り捨てる。

なるほど、琉球新報は「女性史研究家」の「ジェンダー論」で真実の解明を目くらましし、沖縄タイムスは「詩人」の「品性」と「感覚」と、それに「詩的文言の羅列」で歴史の解明を目くらましする魂胆と見て取った。

タイムスの見出しを歴史の真実と妄信する平敷氏の反論にお付き合いするのはこの辺で勘弁して欲しいが、星氏への攻撃がほとんどないのが不可解である。

同じ文芸仲間と思われる星氏は『うらそえ文藝』の編集長であり、今回の「集団自決特集」の責任者であり、自身も「集団自決の断層」という論文で沖縄タイムスの歪曲報道を批判しているにもかかわらず星氏については論文の名前さえ触れることなく、付け足しのように「同調し指嗾(しそう)する星氏の責任も重い」という難解な表現の一言だけでお茶を濁している。

星氏の論調と上原氏の論調は「隊長命令はなかった」「沖縄タイムスは歪曲報道を謝罪せよ」という基本路線では一致しているはず。

だが「品性のない」上原氏の文言には一片の真実も感じられないが、品性のある星氏の文言には真実があるとでもいうのだろうか。

歴史の真実の解明には「品性」も結構だが、証言や証拠物件を情熱をもって地道に調査していく姿勢こそ重要であり、そこにジェンダー論や事実を色眼鏡でみる「品性」を持ち込んだら、見えるべきものも見失ってしまう。

上原正稔氏の品性の有無はともかく、氏の実地調査に基づく「沖縄戦記」の数々を読めば、平敷氏の上原氏に対する攻撃が「タイムス史観」そのものの的外れであることは一目瞭然である。

沖縄タイムスも琉球新報も、「女性史研究家」や「勉強不足の文化人」を使って攻撃するという姑息な手段はそろそろ止めにして、社説でも使って堂々と反論したらどうだろうか。

ネットの普及した現在では、もはや新聞お抱えの文化人による高踏的批判では、読者は決して騙されない。

沖縄二紙はこれを肝に銘ずるべきである。

 

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コメント (6)

広島市長が言論封殺!

2009-07-03 06:54:18 | 県知事選

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数々の妨害にあって一時頓挫しかかった田母神沖縄講演会が、立ち見も出来る大盛況だったことを書いたが、

県民有志の熱望に応えて一か月も経たないうちに石垣市でも田母神講演会は行われた。 

石垣市といえば同盟国の艦船が親善休養のため寄港しても大浜市長自らプロ市民の先頭に立って反対運動を起こす所である。 石垣市での田母神講演会も盛況だったことを考えると、反対運動で騒ぐのは一握りのプロ市民であり、田母神講演会を熱望する良識ある市民が石垣にも多数いることが証明されたわけだ。

 

「日本は本当に悪い国か?」恵氏、田母神氏が講演

八重山日報 2009/06/18 
 「第2回国境の国 石垣の未来を考える」(主催・石垣の未来を考える実行委員会)が17日、石垣市民会館中ホールで開かれた。
[全文記事]

                   ◇

言論・信条の自由を叫ぶのは左翼の専売特許だと思っていたが、広島市長が田母神さんの言論封殺を目論んでいるという。

以後広島市長は「言論・信条の自由」を口にだしてはいけない。

沖縄の元教師で現在南米ドミニカで新しい仕事にチャレンジしているトラネコ日記さんよの記事紹介です。

                    ◇

現実を常に見ない馬鹿サヨク

2009年07月02日

田母神氏の「原爆の日」講演に広島市長が「待った」

懸賞論文への投稿が発端で更迭された元航空幕僚長、田母神俊雄氏を原爆記念日(8月6日)に広島市に招き開催予定の講演会について、同市の秋葉忠利市長が、被爆者や遺族の悲しみを増す恐れがあるとして日程変更を29日、文書で要請した。
主催者側は予定通り実施する構えだが今後、憲法の「集会の自由」が脅かされ、「言論封殺」と批判された“田母神事件”が再燃する恐れも出てきた。

この講演会は日本会議広島などが計画した「ヒロシマの平和を疑う~田母神俊雄氏が語る、広島発真の平和メッセージ」。5月に中国の核実験の被害をテーマに講演会を開催。日本が唯一の被爆国でなく、共産圏の核に日本の反核団体が寛容であることへの疑問を踏まえ、いかに核の惨禍を回避するか--として同氏の講演会を企画したという。

秋葉市長名で田母神氏らに届いた文書では「貴殿が何時何処で何を発言するかは自由で当然の利」としながらも、(1)8月6日は市内が慰霊と世界の恒久平和への祈りで包まれる(2)田母神氏がこうした演題で講演するのは被爆者や遺族の悲しみを増す結果となりかねない(3)原爆記念日の意味は表現の自由と同様に重要-などを市の立場として日程変更を検討するよう求めた。

主催者側は、これまでも講演会のチラシ配布を市の外郭団体に依頼したが、市の政策方針に反するなどとして断られた、としており「私達は市長以上に核廃絶を願っている。北朝鮮や中国の核実験が問題になるなか、真の平和のためどうすればいいのか、という趣旨の講演会がなぜふさわしくないのか全く理解できない」と話している。
産経ニュース 2009.6.29 21:45

田母神元空幕議長は強制「退職」させられた後、
毎日講演会で全国から引っ張りだこらしい。

先日も沖縄県で講演会があったがこれも大盛況だったようだ。
おそらく他府県の人びとは「反戦平和」の島沖縄で、
田母神氏の講演会が大盛況だったとは、驚きだったのではないだろうか。

反戦平和の県といえば、原爆投下の広島・長崎も沖縄同様に、
サヨクの大繁殖している県である。
共通項が第二次大戦で世界初の原子爆弾投下の被災地であり、
唯一の被爆国の象徴
と、日本で唯一の地上戦の惨禍を被った地である。

しかしこのフレーズはどちらも嘘である。

沖縄の日本で唯一の地上戦もである。
サイパン、硫黄島、アッツ・キスカなどアリューシャン列島、樺太などでも、
対米ソによる激烈なる地上戦が行われた。

広島・長崎に世界初の原爆投下は事実だが、
日本が世界で唯一の被爆国はである。


既に多くのサイトやブログでも出ているが、
東トルキスタン共和国(新彊ウイグル自治区)は、
過去46回もの原爆実験地として放射能汚染され、
多数の白血病や原爆起因と疑われる癌発生率が異常に高い。

参考中国の核実験にも注目せよ!

 
共産党一党独裁国家に植民地にされている東トルキスタン共和国について、
我々日本人は殆ど知らないのではないだろうか。
というかシナ様のNHK始めマスゴミが一切報じないからわからない。

広島での田母神氏の演題は
ヒロシマの平和を疑う~田母神俊雄氏が語る、
広島発真の平和メッセージ」
である。
まさに当を得たり!のグッド・ネーミングである。

この秋葉忠利広島市長は元社会党の国会議員である。
これだけで秋葉市長の政治コンセプトがわかろうというものだ。
反戦平和というよりも非武装中立・反自衛隊・反日米安保であると同時に、
日本大嫌い、中国・韓国・北朝鮮大好きで、
日本は未来永劫この三国に謝罪し続けることが、
真の友好であると殆ど宗教的信念で信じきっている御仁である。

実際に広島平和文化センター理事長をアメリカ人にしたり、
展示内容の見直し検討委員会に中国、韓国人を起用したり、
金正日の国防委員長時代に8.6平和記念式典の招待状をだしたり・・・
やってることがもうマンマのサヨクですからwww
ウィキペディアの平和活動の項目参照
秋葉クンが広島市長として市民に「反戦平和」を表看板にして、
サヨク思想を撒き散らしてきたのだが、そこへもってきて、
今大人気の危険人物」田母神さんが講演に、
しかも広島に来るとあっては、そりゃあ、秋葉クンは焦りまくりだろう。
秋葉クンにとっては本当に田母神氏は危険人物なのだ。
なにせ秋葉クンがこれまで広島市民に垂れ流した嘘っぱちの
「反戦平和」論が田母神氏によって論破されるのは目に見えているからな。

怖いのお~、嫌じゃのお~
秋葉ク~ン!



共産圏の核に日本の反核団体が寛容であることへの疑問
秋葉クンは一度でも中国や北朝鮮の核実験への非難
東トルキスタンの被爆者へのお見舞いの言葉を発したことがあるのだろうか?

そうだ、そうだ、思い出したぞ、
アメリカやイギリスなど資本主義圏の核は、
侵略の核兵器だから反対で、
中国や北朝鮮の核兵器は平和の為であり、
クリーンな兵器
だからよかったんだよねw
これはかつて日共や旧社会党が真面目に、
共産圏の核兵器について言及していたことである。


何度も書いているが、左翼団体(平和団体・人権団体・民主団体・婦人団体など)は、
アメリカの核兵器や戦争などには異常な喜びの声で非難するが、
中国の核や軍拡や人権弾圧などは一切無言である。
チベットの民族浄化など、存在すらしないようだ。

ここ広島のマスゴミはその名も「中国新聞」って、
本当か?と問い返したくなるマンマの名前だなwww
中国の次に「人民」と付け加えたらいかがか?
中国新聞だから当然中国サマのお気に召す記事しか書かないよね♪
ただ広島は沖縄と違って全国紙も購読できるが、
そのシェアは地元紙には敵わないのではないだろうか。


田母神氏講演延期のお願いに届いた文書には、
田母神氏がこうした演題で講演するのは
被爆者や遺族の悲しみを増す結果となりかねない


なぜ遺族の悲しみを増す結果になりかねないのだろうか?
私も被爆者ニ世だがこの文言は理解できない。
むしろ私なら安っぽい情緒一杯の反戦平和の誓いなどより、
本当の世界の現実を知りたいと思う。
また事実を知ることが本当の平和へ繋がるものと思う。

秋葉広島市長が中国の核実験や人権弾圧に対しても、
歯に衣着せずズバズバ批判してきた実績があるなら、
彼の反戦平和の心は本物だと思う。
いくら反戦平和といってもダブスタの政治姿勢ではミエミエだもんなwww

いずれにせよ、原爆投下の8月6日に是非とも
田母神氏の講演会を実現してもらいたい。
きっとここでも大盛況になることを期待している。


そういえば、元長崎市長の本島等は救い様のないキ○○イだったし、
沖縄の大田昌秀も同様の○○サヨクだ。

きっと広島・長崎・沖縄ではサヨク繁殖の栄養が詰まっているんだろうな・・・
                     ◇
 
【付記】
 
日本が核攻撃を受けても世界の世論は同情しないという。
 
理由は、日本は被爆国として核攻撃を防御する学習能力に欠け、
 
「唯一の被爆国」を看板に「平和」のお題目を唱えるだけで核攻撃を避けられると妄信したため、自業自得であり、同情に値しないからだという。
 
至言である。

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コメント (8)

続・世にも不思議な宮城晴美の論文 木に竹を接ぐ目くらまし論

2009-07-02 10:01:40 | ★集団自決

 

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 論文から消えたキーワード

さて、読者の中には宮城晴美氏の世にも不思議な論文を既に全文をお読みになった方がいると思うが、左翼の方が沖縄戦を論じるとき、必ずといっていいほど出てくるお題目のようなキーワードが論文には一回も出てこないのにお気づきだろうか。

特に、宮城氏の場合は、法廷証言の際提出した「陳述書」にもこのキーワードが繰り返し述べられており、このキーワードは日本軍が構造的に住民の自決を強制したものとされていた。

左翼の方々が沖縄戦での「悪逆非道日本軍」を糾弾するとき必ず出てくるキーワードとは「軍官民共生共死の一体化」というお題目である。

先日行われた「太田昌秀・佐藤優講演会」でも太田氏はこのキーワードを繰り返し、実際は「共生共死」ではなく「共死」のみを強制したと断定し、聴衆の拍手を得ていた。

このキーワードについてはここでは触れず稿を改めて論じてみたい。

■知られたくない『母の遺したもの』の真実■

この論のいかがわしさは、①冒頭の論者のプロフィール紹介にも垣間見ることが出来る。

著書の紹介で、『母の遺したもの』は紹介せず、『新版 母の遺したもの』を紹介しているが、旧版の「母の遺したもの」こそ、座間味集団自決の生き証人である彼女の母・宮城初枝氏が書き遺した真実を語る遺言ともいえる書物であり、彼女を一介の那覇市の臨時職員から、出版後3ヶ月で「那覇歴史博物館・主査」の要職に出世させた重要な本ではないのか。

彼女が自著のリストから削除せねばならぬ理由は、それだけこの本が彼女にとっても「集団自決訴訟」にとっても重要な意味を持つからである。 

つまり旧版「母の遺したもの」とは、その記述を読めば、宮城氏が法廷で証言するわずか一ヶ月前に唐突に前言を翻した卑劣な言動が白日の下に晒されることになり、読者の目には触れて欲しくない本なのである。

■「集団自決」『母の遺したもの』の衝撃■

言葉を替えれば座間味村での集団自決と、虚偽の「梅澤命令説」が流布され定着した経緯について、全容をほぼ明らかにしたのが、旧版『母の遺したもの』といえるのである。

宮城晴美氏は『母の遺したもの』の出版の5年前の平成7(1995年)年6月に、沖縄タイムスに「母の遺言」という記事を書き、この中で、後に『母の遺したもの』で発表する内容の概要を述べている。

まず、同記事の「上」では、母・初枝氏が、『悲劇の座間味島』に記載した「梅澤命令説」証言が独り歩きしたことにより苦悩し、その結果梅澤氏を戦後、社会的に葬ってしまったという自責の念を有しており、娘である晴美氏に手記の書き直しを託したとの経緯が述べられている。

そして、記事「中」には、宮城晴美氏は、母初枝氏が援護法の補償を島民が受けるために「梅澤命令説」を公的に証言せざるを得なかった事情を明らかにしている。

そう、宮城晴美氏はタイムス紙上で、母の証言として、援護法のため「梅澤命令説」という虚偽の証言をしたことを自分の筆で書いているではないか。

新報論文④のつぎのくだりを読むととても同じ人物が書いた文だと信じることが出来ない真逆の記述がある。

その人たち(証言者)がいま最も懸念していることは、「靖国」を賛美する人たちによって、「集団自決」の悲惨さが美化されだしたことや、援護法適用のために「集団自決」の軍命が「方便」であったとして、元戦隊長らを擁護する動きが出ていることである>

新報論文④では、あたかも援護法適用と集団自決の軍命は関連無いように記しているが、前記タイムスの記事では、母初枝氏が援護法の補償を島民が受けるために虚偽の「梅澤命令説」を証言したと書いているではないか。

更に、タイムス記事では、虚偽の証言をした詳述が続いている。

その『隊長命令』の証人として、母は島の長老からの指示で国の役人の前に座らされ、それを認めたというわけである。
母はいったん、証言できないと断ったようだが、『人材、財産のほとんどが失われてしまった小さな島で、今後、自分たちはどう生きていけばよいのか。島の人たちを見殺しにするのか』という長老の怒りに屈してしまったようである。
 それ以来、座間味島における惨劇をより多くの人に正確に伝えたいと思いつつも、母は『集団自決』の個所にくると、いつも背中に『援護法』の“目”を意識せざるを得なかった。」

この部分こそ母・初江氏が真実を歪曲せねばならなかった理由が語られている重要な箇所ではないのか。

ただ、この部分は、おそらくは、あまりに赤裸々に実情を明らかにし過ぎる叙述であるとの考慮からであろうか、『母の遺したもの』では、削除されている。

 さらに、同記事の「下」では、宮城晴美は、「島の有力者たちがやってきたものの、いつ上陸してくるかも知れない米軍を相手に、梅澤隊長は住民どころの騒ぎではなかった。隊長に『玉砕』の申し入れを断られた五人は、そのまま壕に引き返していった」、「その直後、一緒に行った伝令が各壕を回って『忠魂碑前に集まるよう』呼びかけたのである」、「伝令の声を聞いたほとんどの住民が、具体的に『自決』とか『玉砕』という言葉を聞いていないなどと宮城晴美は母の体験や住民から聞き取り調査した結果を要約して述べ、原告梅澤が住民に「玉砕」の指示を出していないことを明らかにしている。

今回の宮城氏の論文にも、「『米の配給だ』 『いや玉砕だ』と住民の情報が錯綜し、」というくだりがあるが、いずれも住民がパニックになった状況の自決であることでは完全に一致している。

晴美氏が書いたこれまでの文を読めば、論文④の<援護法適用のために「集団自決」の軍命が「方便」云々>という文章を同じ人物が書いたとは到底信じられないだろう。

■タイムスが絶賛した『母の遺したもの』ー■

平成12年12月、宮城晴美は『母の遺したもの』を発表し、県内でも話題になった。

この出版を報道する沖縄タイムスの記事で、この書籍の紹介として「『集団自決を命じたのは座間味村役所の助役だった』という事実-中略-を収録」と書かれている。

当時、「梅澤命令説」が虚偽であり、「宮里盛秀助役命令説」が真実であることがこの書籍により明らかにされたと、一般的にとらえられた。

そして、発表の約1年後、『母の遺したもの』は第22回沖縄タイムス出版文化賞を受賞する。

その受賞を報じる沖縄タイムスの記事では、この書籍の紹介として「実は軍命はなかった、と母は著者に明かす」とまとめられている。

なお、この書籍の出版当時は一般的に「隊長命令」と「軍命令」とは異なるなどとは特に意識されてはいなかった。

「集団自決問題」の火付け役とも言える沖縄タイムスですら、『母の遺したもの』には集団自決に際して「軍命」はなかったことがが確かな根拠にもと語られているものと認識し、その真摯な叙述ぶりとも合わせて高く評価して賞を授与したのであった。

改めて指摘するが、宮里盛秀助役が最終的に集団自決を住民に命じたことが『母の遺したもの』には次のように明瞭に語られている。

「追い詰められた住民がとるべき最後の手段として、盛秀は『玉砕』を選択したものと思われる。」(p216)

「結局、住民を敵の『魔の手』から守るために、盛秀は自分や妻子の命をもかけて、『玉砕』を命令し、決行した。」(p219)

「梅澤命令説」が虚偽であったことは、『母の遺したもの』の発行と、それが沖縄タイムス出版文化賞を受賞したことによって、学問的にも社会的にも完全に確立し、定着したといえるのである。

■靖国論を集団自決の検証に持ち込む大愚■

くり返すが、集団自決問題は歴史の事実解明というある意味単純な問題であった。 

ところが左翼勢力は「隊長命令」の証明が不可能だと悟ると、「軍の命令」、さらに「軍の関与」と論点ずらしを行っていく。 

そして大江健三郎氏の「軍のタテの構造による仕組まれた命令」といった究極の論点ズラシに至るのである。

この論理は沖縄の左翼勢力が合言葉にする「軍官民共生共死」と結びついて第32軍が「軍官民の共死」を命じていたと発展していく。

しかし、「軍官民の共死」のスローガンは、現代史家秦郁彦氏が米公文書館から発掘した、英文訳の「南西諸島警備要領」により、学術的には完全に否定されている。(『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』)

論理的に否定されると、今度は「靖国を賛美する人びと」といったレッテル貼りで、論点をごまかすのは左翼勢力の手法だが、歴史の真実の解明には「靖国賛美」も「靖国嫌悪」も無い。 

ある事実が「あったのか、なかったのか」を客観的に検証するに「靖国云々」や「男女差別云々」といった恣意的概念を持ち込まねばならぬほど宮城氏の論は破綻しているのである。

いや、むしろ彼女の「集団自決論」はそれ自体で既に破綻しているので、ジェンダー論や「靖国賛美論」で目くらましでもしなければ何も語れない立場なのであろう。

■ジェンダー論で歴史を語る愚かさ■

前稿の末尾でジェンダーの視点で歴史を論じるのは木に竹を接ぐような不毛の議論だと述べたが、

ジェンダーでは教組とも言うべき上野千鶴子東大教授が、「従軍慰安婦問題」にジェンダー論で首を突っ込んできて、雑誌『論座』の対談で、論戦相手の日下公人多摩大学教授に木っ端微塵に論破された例が記憶に新しい。

ジェンダー教組上野千鶴子氏が「従軍慰安婦」問題の「強制連行の有無」に参戦した様子は次のエントリに詳しい。

役者は揃った  河野談話見直しへ 従軍慰安婦の虚構性

現在の時点でも行き過ぎだと批判の多い「ジェンダーの視点」で、過去の家父長制度が強固だった戦時中の歴史を論じる愚かさは、ジェンダーの大先輩上野千鶴子女史が既に身をもって証明していることを宮城晴美氏はご存知なかったのだろうか。


 

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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世にも不思議な宮城晴美の論文 自著で論破される!

2009-07-01 00:01:48 | ★集団自決

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■世にもふしぎな宮城晴美の論文■

宮城晴美氏の琉球新報掲載の論文「検証「集団自決」 ジェンダーの視点から」は、逆風って気持ちがいい縁側さんのサイトで全文読むことが出来ます。

太文字は新報記事の見出しです。

宮城晴美の論考その1
権力による“殺人” 犠牲者の83% 女性・子ども
 
宮城晴美の論考その2
絶対的な「兵隊さん」 捕まる前に「玉砕」促す
 
宮城晴美の論考その3
犠牲者 座間味のみ 組織の指導者ら全員死亡
 

宮城晴美の論考その4
痛ましい父と子の関係 
戦時下、国家権力が「利用」

                  *

検証「集団自決」 ジェンダーの視点から 宮城晴美■
(琉球新報 6月19日~24日 ①~④の四回連載)

新報が四回連載で「集団自決」の論文を掲載するのだから、当然『うらそえ文藝』の「集団自決特集」に対する論理的な反論を期待して読んだのだが、その期待は見事に裏切られた。

新聞にしては例外的な大きなスペースの割りに論点ずらしに終始し、『うらそえ文藝』に対する反論らしき部分は次に引用する①の冒頭部分と、④の結語部分だと思われる。

①<法廷における元戦隊長らを擁護する立場から歪んだ「証言の再構築」(隊長は命令しなかったという新証言なるものなど)が浮上したり、「集団自決」の用語を封じる手段として、援護法(戦傷病者戦没者遺族等援護法)と「靖国思想」をからませた論理で、その当事者を糾弾するような言説が見られることなど、立場こそ違え、モノ言わぬ島の人々や死者を鞭打つような暴力的論調に強い懸念を抱くものである。>

④<その人たち(証言者)がいま最も懸念していることは、「靖国」を賛美する人たちによって、「集団自決」の悲惨さが美化されだしたことや、援護法適用のために「集団自決」の軍命が「方便」であったとして、元戦隊長らを擁護する動きが出ていることである。
住民の心に負った傷口をさらに鋭利な刃物でえぐるようなこうした言動があればこそ、“告発”の意味を含めて、弱者の視点から「集団自決」を記録し、継承することが、体験者の二世、三世、そして戦後世代の大きな役割りだと思っている。>

論文の①~④まで読んで、全般的にいえることは、宮城氏は元来シンプルなはずの「集団自決」論争をあえて避け、これに強引にもジェンダー論議を持ち込んで、論点をずらしに懸命の様子がが見て取れた。

元々この問題は「隊長命令の有無」が争点であったはず。 

係争中の裁判でも「隊長命令があった」という被告側の主張は証明されず、原告敗訴ではあったが事実上宮城氏の「軍命あり」の主張は退けられ原告の名誉は回復されている。

従って宮城氏が母の遺言を踏みにじってまで主張する「軍命あり論」は、今後よっぽど確定的な証言や証拠でも出てこない限り主張する根拠を既に失っている。 つまり彼女はジェンダーという得意の土俵に論争持ち込み、それによって争点を曖昧にし、読者を煙に巻く手法をとらなければ、「集団自決」を論じることが出来ない程追い詰められた立場なのである。

論点をぼかすようなジェンダー論へのお付き合いは勘弁して欲しいところだが、あえて付き合わえてもらうと、集団自決に関係ないような生硬い文言の羅列が続く。

①からざっと拾っただけでもこの通り。

「弱者切り捨ての視点」、「権力者(軍隊)の思想」、「住民を「死」へと追い込んでいった「力」、女・男の「不平等な力関係」、階級的差異、家父長制下の家族構成、階層秩序・・・・・等々。(「男・女」としないで敢えて「女・男」とするところには失笑)

そしてどさくさ紛れに自論の「軍隊の命令」を次のような強引な筆致で押し進めていく。

<家族を守らんとする家父長制下の男性の論理があり、その「守り」は、日本軍に隷属させられたことで体現されたものだった。>

 <つまり、「敵に捕まると男は八つ裂きにされ、女は強姦されてから殺される」、敵への投降、スパイ行為の絶対禁止、「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)など、軍民が混在するなか、日本軍からの憎悪発話がくり返し住民にもたらされ、現実に敵を目前にしたとき、先に妻子を、男手のないところは母親が子どもを手にかけ、自らは最後に「自決」することで日本軍の要求に応ずるという、権力への隷属的構図に巻き込まれた人々の姿があった。>

そして、何の客観的根拠も示すことなく、次のように結論付けている。

最後に「自決」することで日本軍の要求に応ずるという、権力への隷属的構図に巻き込まれた人々の姿があった>と。

そう、この「『自決』することで日本軍の要求に応ずる」という部分こそ、集団自決論争のキモであり争点である「軍命による自決」そのものではないのか。 

この肝心な論点をジェンダー用語の羅列でごまかした後、突然根拠も示さず断定しているところにこの論のいかがわしさがある。

「軍命令があった」と根拠なしに断定する箇所は他にもある。

最終回の④の冒頭でも、これまでの論調と何の脈絡もなく「『玉砕」命令は、日本軍からもたらされたものだ」と断定している。

再三繰り返すが「集団自決」論争は「隊長命令の有無」という事実の解明であったはず。 

そして係争中の裁判でも一審、二審とも「隊長命令」は証明出来なかったではないか。 それを宮城氏は何を根拠に「軍命があった」と断定できるのか。

■集団自決はパニックの結果起きた■

人間でも野生の動物でも何かの原因でパニック状態になると常時では考えられない行動を取る。

島中を米艦船に取り囲まれ、軍民無差別の艦砲射撃を受けて逃げ場を失った住民は鬼畜米英と思われていた米兵の上陸を目の当たりにしてパニックになる。

集団自決の惨劇はそのような状況でが起きたのであり、その際「軍命の有無」など関係なかったのだ。

同じような状況は米軍の攻撃を受けた地域は座間味以外の本島各地でも起きていた。 ただ、座間味に比べて集団自決が少なかった理由は、陸続きのため慶良間のような袋のネズミ状態でなかったからだと容易に推測できる。

慰霊の日の琉球新報コラムに次のようなくだりがある。

64年前の6月21日、本島南部で砲弾の雨の中をさまよっていたひめゆり学徒の北城良子さん(82)は、至る所に散らばる死体を眺めながらこう願っていた。「一発で、一瞬で死にたい」と>金口木舌      2009年6月23日

これと同じ心境で慶良間島の住民は集団自決をしたのであり、この際「軍の命令の有無」は関係なかった。そう、恐怖を逃れるため「一発で、一瞬で死にたい」・・・・・・・・これが、集団自決の真相である。

ひめゆり学徒も慶良間住民も「砲弾の中をさまよった」のは同じだったが、慶良間島の住民の場合は離島であるため、袋のネズミの心境になったためパニックになる度合い強かった。

そのために「自決決行者」が多かったと想像できる。

■宮城氏も認めるパニックによる自決■

集団自決がパニックによるものだということは、この論文の宮城氏自身の記述にも見られる。

6月22日付け②に住民がパニックになる様子が次のように描かれている。

空襲は翌日も続き、さらに25日には艦砲射撃が加わった。空襲後の艦砲射撃は、敵の上陸の前触れであることを住民は知っている。

真っ赤に飛んでくる艦砲弾で壕の周りは火の海と化し、途切れることのない炸裂音におびえる住民の元へ、夕刻、村当局から非常米の配給が告げられた。さらにその日夜遅く、今度は、毎日のように集合を呼びかけてきた役場職員の伝令から、忠魂碑前での「玉砕」命令がもたらされた。ただ、いずれもすべての防空壕に届いたわけではなかった。「米の配給だ」 「いや玉砕だ」と住民の情報が錯綜し、危機感をもった子連れの女性たちの一部が、阿佐集落の裏海岸にある大きなガマ(洞窟)への移動をはじめた。その一方で、直接、「玉砕」命令を聞いた人たちは、最後の食糧を口にし、晴れ着に着替えて忠魂碑に向かった

歴史をひも解けば大事件や大事故に遭遇した住民が流言蜚語により、正常な判断を失いパニックになった結果正常では考えられない行動を起こした例が数多くある。

慶良間の場合もまさにこの状況であり、『「米の配給だ」 「いや玉砕だ」と住民の情報が錯綜し・・・』というくだりがまさに流言蜚語のパニック状態を表しており、この中から宮城氏の言う「軍の命令による集団自決」は、戦後の後付け説明であることが明白である。

今回の宮城氏の論文の③にも、パニックよる自決の例が次のように記述されている。 ここでも軍の命令無関係であることが分かる。

壕の前で銃剣をかまえて立ちはだかった大勢の米軍を見てパニックになり、40代の男性が妻をはじめ子どもたちの首をかみそりで次々と切っていった。 男性も最後に「自決」をはかったが、男児一人が死亡し、残りは米軍に救出された

ついでに言うと、少なくとも本人自身や愛する家族の命を絶つような重大な命令が「いずれもすべての防空壕に届いたわけではなかった」というのも不可解である。

さらにもう一つ付け加えると、宮城氏が強引に推し進めるジェンダー論による「家父長制云々」を認めるとするなら、

「家父長制云々」は何も慶良間島に限ったことではなく、本島各地にもあったし、当時の日本全体が「家父長制度」であったわけで、ジェンダーで慶良間の「集団自決」を検証すること自体が木に竹を接ぐような無理な話であることが分かる。

現在の価値観で過去を判断すると歴史の判断を誤る。

宮城氏は現在の価値観でも行き過ぎだとして意見の別れる「ジェンダー」の視点で歴史を判断し、歴史を歪曲した。

続く

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秦 郁彦
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